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なんでこんなことになっちゃったんだろう……。
自分のバカさ加減に呆れてしまう。運命的な出会いだと思った彼との恋は、ものの半年で呆気なく終わった。まさに、金の切れ目が縁の切れ目の状態で。
「これはさぁ、人生における高い授業料だったと思うしかないんじゃない?」
「うう……」
「私はね、梨花があんなクズ男と別れてくれてよかったと思っているわけよ。あの男、近年まれに見るクズ具合」
「…………」
「大体さぁ、普通、年下の、しかも大学生の彼女にデート代全部持たせたりする? むしろ、お前が全額払うぐらいの気概を見せろよって感じじゃん? 夢に向かって……って下りも聞こえはいいけど、要は夢見るだけで現実が見えてないわけよ。アーティストなんて、働きながら目指す人だってたくさんいるのにさ。バイトする時間もないなんてあり得ない。そのくせ、ライブには行きまくりなんでしょ? いい歳して信じらんない。まあつまり、クズだね、クズ」
金曜日の午後四時半。
まだ人もまばらなファミレスでドリンクバーのコーラ片手に結構辛辣なことをズバズバと言ってくるのは、同じ大学に通う親友の亜美ちゃんだ。この席に座って早三〇分。この僅かな時間に何回この『クズ』って言葉を聞いたかわからない。
亜美ちゃんは毛先に緩くウェーブのかかった焦げ茶色の髪を人差し指でくるくると巻くと、ふうっと息を吐いた。
元彼氏の健也からラインで『別れよう』と連絡が来たのは昨日のこと。
そもそも、こまめに連絡する私に対して、健也が返事をくれるのも三日に一度がいいところ。久しぶりに来た連絡で某テーマパークでのデートに誘われたので『今金欠だから、デート代少し持ってもらってもいい?』と送ったところ、手のひらを返したように返ってきたのはこんな台詞。
『やっぱりいい』
『男に金を無心するような女だと思わなかった』
『ありえねー。幻滅した』
いやいやいやいや! ちょっと待ってくれ! と声を大にして叫びたい。
私、今まであなたに奢ってもらったことなんて殆どないよね?
奢ってもらったとしても、せいぜい自動販売機で売っているペットボトルのお茶位だよね?
お金を無心したなんて一度もないよね!?
なんだか、恋をしてスモークがかかっていた視界がスーッとクリアになるのを感じた。なんで私、こんな人のこと好きになっていたんだろうって。まさに恋は盲目。恋情は人を愚かにする。完全に他人事だと思っていたのに、まさかこんなことが我が身に起こるとは。
で、話は戻るがそのラインのやり取りを経て私は振られたわけである。
しかも、なぜか私が全面的に悪いかのように。
「とにかく、よかったと思うよ? だって、付き合っている最中に『あの男はやめておけ』なんて言っても、逆効果じゃん? なんだっけ、えっと……ロミオとジュリエット効果!」
亜美ちゃんはポンと手を叩いてそう言った。
なんですか、そのどっかで聞いたことがある戯曲のパクリみたいな効果は。胡散げに眺める私に対し、亜美ちゃんはそのロミオとジュリエット効果なるものの説明をする。要は、周りから反対されるなどの障害が高ければ高いほど、人は意地になって余計にその恋を成就させようと固執するものだということらしい。
ああ、もう返す言葉がございません。
「いいところもあったんだよ? 優しかったし」
「本当に優しい人は、彼女からの連絡を何日も放置したりしないし、学生の彼女に全額デート代持たせたりしません! 梨花、それ、モラハラ男に引っ掛かる人の洗脳状態と同じだから。DVを受けている人って、大抵は『彼は本当は優しいんです』って言うんだって。ほんっと、理解不能」
亜美ちゃんはぴしゃりとそう言い切る。
「で、いくら貢いだの?」
「貢いでないよ」
「でも、デート代は全部梨花持ちだったんでしょ? あー、マジであり得ないよ。私だったら一時間で別れる。いや、もしかしたら一〇分かもしれない。最初の店に入って会計が終わった時点で『ちょっとお手洗いに~』って言って、そのままサヨナラするね。連絡先全ブロックして」
心底嫌そうな顔をした亜美ちゃんが、顔の前で片手を振る。
そのデート相手はお手洗いの前で戻ってこないデート相手をいつまでも待ち続けるのかな。亜美ちゃんなら本当に公衆便所の窓から逃走とかをやりかねない気がするから、ちょっと笑えない。
「デートっていっても二週に一回くらいしか会ってなかったよね? ってことは、一回五千円として月二回が六カ月で……六万円か。うーん、痛いけどこれからの人生で同じ失敗を繰り返さないための勉強代だと思えば高くない! 全部バイト代でしょ? まさか借金したりしてないよね?」
「……うん」
「なら、よろしい!」
本当は誕生日に二万円もするパスケースをプレゼントしたけど、それは言わなくていいかな。それに、彼のバンドの売れないチケットを大量買い取りしていたので、かなりの額つぎ込んだ。
ちなみに私の誕生日はその毎回毎回大量にチケットを買っている彼のバンドの単独ライブ(小さなライブハウスで、客は知人友人しかいない)のチケット一枚だった。
亜美ちゃんはホッとしたように息を吐くと、にこりと笑った。
「ねえ、梨花。今日は私が奢るからパーッと食べて元気出そう! このパフェとか美味しそうだよ」
テーブルの端に置いてあったメニューを取り出すと、亜美ちゃんは季節のフルーツパフェを指さした。私を元気付けようと気を使ってくれていることを、痛いほど感じる。
「うん、ありがと……」
「さらば、クズ男! 二度とうちらの目の前に現れんな!」
一人だったら、きっと部屋でめそめそと泣いていた。けれど、亜美ちゃんがいてくれたおかげで、私の大学生活最初の恋はしみったれた雰囲気もなく幕を閉じることができた。
けれど、私はこのとき、とうとう言い出すことができなかった。
そのクズ男とのデート代を捻出するために、小学生の頃から大切にしていた万年筆を質入れしてしまったということを……。