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金魚のお姫様。となると、人魚姫ならぬ金魚姫の恋物語かな。相手はやっぱり王子様? 王子様は……和金とか!? 月夜にだけ人に変身できる魔法にかかった二人が、お互いが自分と同じ金魚だと知らずに恋に落ちて、自身の正体を明かせずに焦がれる話なんてどうだろう。
もしくは、金魚姫の冒険物語だろうか。湖でおこる難題に、お姫様が挑む! 従者にロブスターの騎士なんていいかもしれない。
むむむっ、と私は唸る。
これで一本書けるだろうか。書けそうな気もするけど、難しい気もする。
ふと見上げると少し高い位置にある窓からは外が見えた。この時期にありがちな厚い雲に覆われた空は、外の気温の低さを窺わせる。気付けば、もう十二月だ。
(最近、なんにも書いてないなぁ)
私は運ばれてきた紅茶を手元に引き寄せる。砂糖を入れてスプーンでかき混ぜると、白い粒は渦を描いて掻き消えた。
◇ ◇ ◇
土屋さんから買い取った真珠のネックレスの新しい持ち主は、私の想像よりずっと早く決まった。
その日、つくも質店に行った私は、先日まで金庫に入れられていたパールネックレスの箱が出されているのを見て、不思議に思った。
「どうかしたんですか?」
「うん。今日、買い取り希望の方が実物を見に来るって」
真斗さんは温かい麦茶を飲みながら、答える。
ところで、麦茶といえば夏の飲み物の印象が強いけれど、飯田家では一年を通してお茶といえば『麦茶』を指すらしい。
どうしてかと真斗さんに聞くと、「麦茶が好きだから」と単純明快な答えが返ってきた。しかも、ティーパックではなくて麦の形をした粒麦を南部鉄器の鉄瓶で煮たてた熱湯に投入し、きっちり三十分蒸らしたものでなければならないという、謎のこだわりまである。
言われてみれば、真斗さんが出してくれる麦茶は色もとても綺麗な琥珀色だし、うちで水だししている麦茶よりも口当たりがまろやかなような気もしなくもない……。
なんと奥深い、麦茶の世界。
「真珠のネックレスってさ、普通なら一生モノだろ? リサイクル品とはいえ、値段もそれなりにするから、実物を確かめに来たいんじゃないかな。あれは状態はいいのだけどかなり古いから、写真だけで決めるのに不安もあるのかも。六時ごろ来るって言っていたから、そろそろだと思うけど」
「ふーん」
壁の時計を見ると、時刻は五時四〇分だ。
私はそこに置かれた箱を、そっと開ける。中からは、先日見たときと変わらぬ輝きを放つ、均等で美しい真珠のネックレスが並んでいた。
待ち人は六時になる五分前にやって来た。ガラガラっと引き戸を開ける音がしてカウンターへ出ると、そこにいたのは若い夫婦だった。年齢的には、三〇歳前後だろうか。
「塚越です。電話でお伝えしていたネックレスを見に来たんですけど……」
男性の方が私に名前を告げる。恐らく真珠のネックレスのことだとは思うけれど、間違っていては大変だと奥を振り返ると、ちょうど真斗さんが先ほど机に置かれていたパールネックレスのケースを持って現れた。
「塚越様、お待ちしておりました。こちらになります」
ふたを開けて、真珠のネックレスをケースごと塚越様に差し出す。二人はそれをじっと覗き込んだ。
「触っても?」
「もちろんです。お試しになって下さい」
真斗さんが卓上の鏡をカウンターの上に置くと、恐る恐るネックレスに手を伸ばした塚越さんの奥様は、それを首元に当てる。その後旦那様がそれを受け取り、奥様の首に付けてあげていた。
「素敵ね」
奥様の表情が、ふわりと綻ぶ。
Vネックのニットを着られていたので、すっきりとした首元に白いネックレスがよく映えた。
「とてもよくお似合いですよ。こちらは中古品ではありますが、傷や糸の緩みなどもなくとてもいい状態です」と真斗さんが説明する。
ふわりと空気が揺れたような気がして、私は視線を移動させる。
塚越さんの奥様のすぐ横には、先日会ったミキちゃんがいた。真斗さんもチラリと視線を移動させたので、ミキちゃんに気が付いたようだ。
ミキちゃんは暫くじっと見上げるように塚越さんの奥様を見つめていた。
そして、恐る恐るといった様子で手を伸ばし、その腕に触れたとき──。
「これがいいな。気に入ったわ」
塚越さんの奥様は付けていたネックレスを外すと、それを手に持って眺め、口元に笑みを浮かべる。




