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「結婚しようって言うつもりだったんだ。だから、とびきりいい指輪を用意しようと思って……」
「…………。あんた、バカだよ。全然、私のことわかってない」
それまでずっと黙って聞いていたミユさんが、ようやく口を開く。大きな瞳の端から、一筋の涙が零れ落ちた。
「汐里……。ごめん……」
淳一さんは汐里さんを見つめ、酷く傷付いたような目をして肩を落とした。
「ほらっ! また勘違いして! 私、淳一の彼女なんだよ? なんで一言、そう言ってくれなかったの? 私がプレゼントの値段でホイホイ男変えるとでも思ってたの?」
「違う!」
「じゃあ、なんで!」
「ごめん。ごめん、汐里……」
ぽろぽろと涙を流すミユさんの手を淳一さんが握る。
私と真斗さんは顔を見合わせた。
「村上さん、四元さん。二人でよく話し合った方がいいですね」
ミユさんと視線を合わせるようにしゃがみこんでいた淳一さんは、真斗さんを見上げるとしっかりと頷いた。
「ああ、そうするよ。さっきは誤解して暴言を吐いて悪かったね」
「いいえ、大丈夫です」
「ありがとう。汐里、行こうか」
立ち上がった淳一さんが手を引くとミユさんは素直に立ち上がり、チラッとこちらを見ると照れ笑いのような笑みを浮かべた。
「梨花ちゃん、真斗くん、ありがとう」
「いえ。お幸せに」
「……うん。お二人もね!」
今度は朗らかに笑ったミユさんを見返し、私はなんのことかと首を傾げる。
「だって、付き合っているんでしょ?」
数秒間の沈黙の後に、自分が喫茶店でついた嘘をようやく思い出した。
「いや、えーっと……」
「隠さなくていいのに。お幸せにね!」
後ろめたさから思わず視線をさ迷わせてしまう。
淳一さんと繋いでいない方の手を上げると、駅の方向へと歩き始めたミユさんは振り返ってこちらに手を振る。真斗さんの肩にいた文鳥が、パタパタと羽ばたいてミユさんの肩に乗った。
その笑顔はこれまで見たミユさんの表情の中で、一番輝いて見えた。
二人の姿が行き交う人々の陰で見えなくなると、真斗さんはようやくお役目ご免と言いたげに、大きく伸びをした。少し傾き始めた陽の光で、地面に影が延びる。
「さてと。今日はありがとな」
「いえ。…………。あんなに好き同士なのに、なんで拗らせちゃったんでしょう?」
「さあな」
真斗さんは二人が消えていった方角を見つめると、目を細める。
「ミユさん、あの日ネックレスをつくも質店に持ってきただろ? で、本物だって伝えたら狼狽えていた」
「ああ、そうでしたね」
「たぶん、偽物だって思い込むことで、村上さんが会いに来てくれないことを自分の中で納得させようとしていたんじゃないかと思うんだ」
私は真斗さんの言う意味が分からず、首を傾げて見せた。
「あー。つまりさ、ミユさん、お客さんと付き合っても長続きしないことが多いってさっき言っていただろ? だから、村上さんのことも大多数のお客と同じような人で、自分のことは最初から遊びのようなもので、一時の戯れだったと思い込もうとしてたんじゃないかと思ったんだ」
「ああ、なるほど……」
私はようやくその意味を理解して、ミユさん達が消えていった大通りを見つめた。
休日の昼時、通りには行き交う人々の笑顔が溢れている。
アルハンブラのクローバーは幸福の象徴。
それを贈ってくれた人が自分に興味を失ったと勘違いしたとき、ミユさんは深く傷ついて最初からその愛情が偽物だったと思い込もうとしたのだろう。
そう思い込むことで、〝よくあることだ〟と自分に言い聞かせて、心を守ろうとしていた。
「それだけ、好きだったんでしょうね。お互いに」
「だろうな。まっ、今度は上手くいくだろ」
真っ黄色に染まった街路樹を見上げていた真斗さんは、私と目が合うと口許を綻ばせた。
「真斗さん凄いですね。的確に謎解きしていく姿、シャーロックホームズみたいでしたよ」
「半分くらい、あの付喪神から事前に聞いていたことだけどな」
「わかっていますよ。でも、したり顔で仲を取り持っていくところ、なかなか様になってました」
褒められた真斗さんは悪い気はしなかったようで、こちらを見下ろして目を瞬かせると、少し照れたように笑う。
「今日、助かったよ。あの店で、遠野さんが機転を利かせてくれなかったら俺が殴られて最悪暴行騒ぎの警察沙汰になっていたかも」
「私、役に立ちました? よかった!」
「大助かり。まだ三時だから、お礼にどっかで御馳走してやろうか? 駅前の甘味でもいいし、アメ横まで歩いてもいいけど……」
「お礼……。いいんですか?」
思わぬ申し出に、私は目を輝かせる。
お礼をされるような大したことは何もしていないのだけど、さっき、動物園で買ったと思われるバルーンを持った子供が通り過ぎるのが目に入って気になっていたのだ。
「私、動物園行きたいです。付き合って下さい」
「動物園?」
「はい。そこから入って、池之端門から出たらつくも質店も近いし、私も帰りの電車に乗りやすいし」
私はそこで言葉を切って、にっと笑って見せる。
「それに、今日は真斗さん、私の彼氏さんでしょ? デートですよ」
「その設定、まだ続いているの?」
「まあまあ、いいじゃないですか。今日だけです。行きましょ行きましょ。可愛いパンダが見たいんです」
「パンダが可愛いっていう奴って多いけど、あれ、一応熊だぞ」
「いいんですってば!」
私は真斗さんの腕を引いて上野動物園の正面口へと向かう。
「で、動物園終わったら『みはし』のあんみつを食べに行きましょうね」
「お前、それ池之端門じゃねーだろ。上野駅じゃねーか。真反対側だ」
あら、バレちゃった。でも、真斗さんが和菓子好きらしいというのはもうわかっていますよ。
「じゃあ、湯島の『みつばち』の小倉あんみつは? みはしのあんみつは今度、テイクアウトで買って行きます」
はあっとため息と共に「仕方ねーな」とぼやく声が聞こえる。やっぱりちゃんと付き合ってくれるところが、真斗さんらしい。
一番楽しみにしていたパンダの赤ちゃんはすっかり大人と同じサイズになっていて拍子抜けだったけれど、久しぶりの動物園はとっても楽しかった。
─ 第二話 Van Cleef & Arpels アルハンブラ ─




