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ぺこりと頭を下げる真斗さんを見て口許だけ笑ったミユさんは、小さく手を振ると店を後にした。
カツカツとハイヒールが遠ざかってゆく音を確認してから、私はおずおずと真斗さんに話しかける。
「真斗さん、さっきのネックレスって、あの文鳥の付喪神様がついていた物ですよね……」
「そうだな。けど、ミユさん、売る気なかったよ。だって、本物だって伝えたとき、狼狽えていただろ? 多分、イミテーションっていう鑑定が出ると思っていたんだろうな」
「ああ、確かにそんな感じはしましたね」
私は先ほどのミユさんの様子を思い返した。
真斗さんから査定結果を聞いたときに、ミユさんは明らかに動揺していた。けれど、それは『ランクC』という低評価に驚いているのではなく、本物だということに驚いているようだった。
高級ブランドを模しているとは言え、イミテーションであれば価値は殆どない。ミユさんはそれをよく知っていたはずだ。
どうして偽物だと思っていた物を付喪神様がつくほど大切にしていたのだろう?
そして、どうして今更、その真贋鑑定をしようと思ったのだろう?
「あのネックレスさ──」
真斗さんは喋りながら、誰もいなくなった店内から元いた和室のパソコンの前へ戻る。
「ヴァンクリーフ&アーペルのアルハンブラっていうやつなんだ」
「ふうん。あれ、どこかで見たことある気がしたんですよね。どこだったかな……」
「有名なデザインだから、ファッション雑誌の広告ででも見たんじゃないか?」
真斗さんはそう言いながら、座卓に置きっぱなしになっていた食べかけのどら焼きに手を伸ばす。
「あれって、お花ですかね?」
「四葉のクローバーだよ。幸運のシンボルで、ヴァンクリの代表的なデザイン。もう、五〇年以上前からある定番中の定番」
「へえ……。あの白い石も宝石なんですか?」
「白蝶貝」
「しろ……?」
「白蝶貝だよ。マザーオブパールって呼ばれる、真珠を作る貝の貝殻」
白蝶貝が何かわからず怪訝な顔をした私に、真斗さんは丁寧に説明をする。
「ふーん。さすが、よく知っていますね」
「手伝い始めて長いから」
真斗さんは少し照れたように笑った。
先ほど見た、白く輝くクローバーを思い浮かべる。〝幸運のシンボル〟か。なんだか、とても魅力的な響きだ。
持っていたミユさんが偽物だと思い込んでいたところをみると、自分で買ったのではなく、きっとプレゼントだろう。一体、あれをミユさんに贈った人は、どんな状況で何を思ってプレゼントしたのだろう?
「誰かから、貰ったんですかね?」
「さあな」
「ミユハ、ジュンイチニモラッタンダヨ」
知らないと肩を竦める真斗さんに対し、フィリップはそう言った。
「ジュンイチ?」
私は初めて聞く名前に、訝しげにフィリップに聞き返す。
誰ですか、その〝ジュンイチ〟って。お勤め先のお客さんだろうか?
純一? もしくは淳一かな?
それを聞くと、フィリップは首を左右に小刻みに振り、まるで普通のインコのような仕草をした。どうやらそこまでは把握していないらしい。
「なんでフィリップはそんなこと知っているの?」
「サッキ、キイタ」
「さっき? あの文鳥さんの姿をした付喪神様から?」
「ソウ」
「普通に『ピヨピヨ』としか聞こえなかったけど」
「それはあんたの力の問題と、付喪神の育ち具合の問題だろ」
眉を寄せる私に、真斗さんは呆れたように息をつく。
「私の力と付喪神の育ち具合?」
「そ。前に、そういう系の力が強い人しか付喪神は見えないって言っただろう? その力」
「育ち具合っていうのは?」
「一般的に付喪神は期間が長ければ長いほど、そして持ち主の思い入れが強ければ強いほど、しっかりと形ある神様に育つ。多分、あの付喪神はまだ生まれてそんなに経ってないんだろ。俺が気付いたのもせいぜい一年くらい前だし」
「ああ、なるほど……」
私は納得して、頷きながら天井の吊り下げ蛍光灯を眺める。
そのとき、あることに気が付いてしまった。
まさかとは思うけれど、もしかして──。
「真斗さんはあの小鳥さんの『ピヨピヨ』っていう鳴き声が、普通に言葉に聞こえていた? もしかして、シロの言うことも聞こえていたりする?」
相変わらず澄ました様子でどら焼きを頬張っていた真斗さんは、最後の一口を口の中に放り込むと、こちらを一瞥してニヤリと笑うと静かに麦茶をすすった。その態度に、疑いは確信に変わる。
「シ、シロ、預けている間になんか言っていました?」
「んー。色々」
「色々……」
色々?
色々ってなに!?
もしかして、中学生のときに好きな漫画のキャラに熱烈なラブレターをしたためて、毎週のように出版社に送りつけていたこと?
もしくは、高校生のときにお弁当を食べきれずに怒られるのが嫌で、こっそりと部屋のごみ箱に捨てて、家族大騒ぎの異臭騒ぎを起こしたこと?
まさか、自作小説の登場人物の気持ちになりきるために怪しいコスチュームを自作して、更には部屋ではその口調を真似るという重度の中二病に罹患していたことは言ってないよね!?
これまでの黒歴史が脳内を駆け巡り、サーっと青ざめる私を見つめ、真斗さんがふっと意味ありげに笑う。
「俺、根津にある『根津のたいやき』のたい焼きが大好きなんだよねー」
も、もしやそれは口止め料ですか?
「…………。い、いやー!」
澄ました顔して麦茶を飲む真斗さんの横で、私は頭を抱えて絶叫したのだった。