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 私がいた場所からJRの上野駅の公園口改札までは、国立西洋美術館を左手に見ながら大通りを歩いて五分もかからなかった。けれど、たまにはお店でも覗いてみようかと思った私は、公園口改札よりもお店がたくさん集中している正面玄関口改札までぐるりと回り道をすることにした。


 なんだか今日は、ひたすら歩いている気がする。

 けれど、秋の空気が気持ちよくってちっとも疲れは感じない。見上げた大通り沿いの木々の葉は夕暮れに染まる空とは対照的に、大部分がまだ青々としている。一面に色付いた景色を見るまではもう少しかかるようだ。


 ところで、上野駅の正面玄関改札口から車通りの多い大通りを挟んで向かいには、大型の商業施設がある。そこに向かおうと横断歩道を渡り終えた私は、「あれ?」という声が聞こえた気がして振り返った。

 交差点の近くの歩道の端には、しっかりとしたお化粧をした綺麗な女の人が立っていた。くるりんと巻かれた毛先のカールが決まっている。


「あれー。やっぱり! ねえ、梨花ちゃんだよね!?」

「えっと……」


 突然親しげに話しかけてきた女性に私は戸惑った。こんなきれいなお姉さん、知らないんだけど……。


 お姉さんは戸惑う私を見て何かを悟ったようで、クスッと笑った。


「私、以前つくも質店で前に会った四元だよ。今は『ミユ』だけど。忘れちゃったかな?」


 私は目の前のお姉さんをじっと見上げる。大きな目にしっかりと重ねられたアイシャドウ。赤い唇は以前あったときよりもずっと妖艶に見える。

 けど……。


「四元……。ミユさん?」

「そうそう。思い出した? わあ、嬉しい! もしかして、うちのお店を見に来てくれたの?」


 ミユさんは長い睫毛に縁取られた大きな瞳を輝かせると、ぎゅっと私の手を握る。デパートの化粧品売り場みたいな香水の匂いがふわっと香った。


「へ? え? ち、違います!」

「えー、違うの?」


「はい。バイトの帰りにたまたま通りかかっただけで……」

「なーんだ。残念だなぁ」


 慌てふためく私を見て、ミユさんは残念そうに口を尖らせた。

 つくも質店からここまではそれなりに距離がある。何をしていたのかと不思議がられたので、私は上野公園を散策してきたのだと正直に話した。


「ああ、観光客の人が多いけど、広いからそこまで気にならないし、博物館や美術館もあるから楽しいよね。私、あそこの大通りにある噴水を眺めながらゆっくりするのが好きだな」


 ミユさんは納得したように微笑む。

 ミユさんは先日のカジュアルな装いとは打って代わり、エレガントな雰囲気のロングドレスを着ていた。膝の上まで入ったスリットから白い足が覗いており、なぜか女の私までドキッとする。

 そして胸元には、今日もあのネックレスが輝いていた。


「ミユさんは……、お仕事中ですか?」

「私? 見ての通り」


 ロングドレスの裾をちょっと摘まんだミユさんは、まるでパーティーに行くかのように素敵だった。どこかで夜の仕事をする女性を『夜の蝶』と表現しているのを耳にしたことがあるけれど、目の前にいるミユさんはまさに蝶のように妖艶で綺麗だ。


「華やかですね」

「まぁね。でも、華やかなだけじゃないよ」


 ミユさんは肩を竦めてそう呟くと、苦笑いする。


「ねえ、梨花ちゃんは本当に真斗君の彼女じゃないの?」

「違います」

「ふーん。そっか……」


 ミユさんは期待外れとでも言いたげに、口角を下げた。

 人々の喧騒に混じり合い、横断歩道が青になったことを報せる電子メロディーが聞こえてくる。いつの間にか辺りは薄暗くなり始め、土曜日も仕事だったのか、会社帰りのスーツ姿のサラリーマンが目立ち始めていた。


「私が梨花ちゃんに『うちでバイトしないか』って聞いたとき、真斗君すぐに止めたじゃない? だから、違うって言ったけどやっぱりそうなのかなって勝手に思っていたんだけど、違うのかー」


 そう言いながら、ミユさんはどこか遠くを眺めるかのように視線を宙に投げた。

 その様子を見たら、なんとなく、ミユさんは昔恋人の男性にこの仕事に就くことを反対された、もしくは辞めてほしいと言われたことがあるのかな、と感じた。


 ミユさんは腕に嵌まった、アクセサリーのような細いデザインの時計を確認する。先日つくも質店に売却したのと同じ時計だ。


「あ。わたし、そろそろ行かないと。大事なお客さんを待っているの。じゃあね」

「はい、さようなら」


 ミユさんは笑顔で手を振ると、横断歩道を渡ってゆく。

 その背中を見送ってから、私は当初の目的の商業施設へと向かった。


 もうすっかりと冷え込んできたこの季節、店内には冬のあったか小物で溢れていた。マフラー、ストール、手袋、帽子……。ちょうど目に入ったラビットファーのマフラーは、もふもふでびっくりするぐらい手触りがいい。


「六五〇〇円か。買えない額じゃないけど……」


 今月のファミレスバイト代が入ったこともあり、お財布の中には一万二〇〇〇円入っている。

 健也と別れたこともあり、最近急にお金を使わなくなったので懐はちょっぴり温かい。だけど躊躇(ちゅうちょ)してしまうのは、飯田店長に借金してつくも質店で働かせてもらっているのに、こんなものを買っていいのだろうかという罪悪感があるから。


 実はファミレスのバイト代が入った先日、飯田店長に「お金、返した方がいいですよね」と借りたお金の一部を支払おうとした。けれど、それは止められてしまった。


「いいんだよ。梨花さんが来てくれて、真斗は助かっているはずだから」


 笑ってそう言ってくれたので、出しかけたお札は自分のお財布に再び舞い戻る。

 正直、そう言って貰えてホッとする自分がいた。お金云々の問題じゃなくて、真斗さんやフィリップとお喋りして過ごす(殆ど喋っているのはフィリップだけどね)は想像以上に楽しくて、居ごこちがいいのだ。


 散々迷い、ラビットファーはひとまずお預けにする。

 何か飯田親子に恩返しがしたいなと思い、今度つくも質店にアルバイトに行くときには、上野にある自分のお気に入りの和菓子、『うさぎや』のどら焼か『みはし』のあんみつをお土産に持っていこうと決めた。



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