5
◇ ◇ ◇
つくも質店のある無縁坂は、坂を上れば地下鉄大江戸線と丸ノ内線の通る『本郷三丁目』駅、坂を下れば地下鉄千代田線の『湯島』駅がある。
アルバイトをしてからの帰り道、私はいつも湯島駅を使っていた。
情緒溢れる坂を下れば、ものの五分程度で湯島駅まで到着する。その湯島駅だが、実は上野公園の最寄り駅のひとつであることを知る人は、この辺りの地理に詳しい人でなければあまりいない。
その日、いつものようにつくも質店からの帰り道に無縁坂を下った私は、道路の向こう、不忍通りを挟んで反対側に池が見えることに気がついた。上野公園の中にある、不忍池だ。
珍しく昼間に手伝いに来たので、まだ日は高かった。いつもなら夕方で薄暗いので気が付かなかったけれど、つくも質店から上野公園は意外と近いのだ。
横断歩道を待つ間、そこから見える不忍池を眺める。池にはたくさんの蓮が生えているのか、緑色に繁っているように見えた。
時計を見ると、時刻は三時半。日の入りが早い季節とはいえ、まだ時間はある。そう思った私は、少し寄り道をすることにした。
「さすがにファミリーとカップルが多いなぁ」
湯島駅側から上野公園に入ると、最初に目に入るのは広大な不忍池だ。
道路の向こうから見ると蓮だらけのように見えたけれど、池が大きいのでそれはごく一部に過ぎなかったようだ。両側に池を眺めるように通った遊歩道を歩くと、左側のたっぷりと水を湛えた池には、ちらほらと手漕ぎボートやスワンボートが浮いているのが見えた。
あのスワンボート、楽しそうに見えて漕ぐのが自転車みたいでめちゃくちゃ大変なんだよなぁ、なんて、数年前に山中湖に家族旅行で行ってボートを漕いだ日の事が思い浮かび、口許が綻ぶ。
その池の遊歩道を歩き始めてすぐ、私は気になるものを見つけた。池の合間の中島のような場所に、八角形の不思議な建物があるのだ。水色の屋根に赤い柱、白い壁はなんとなく中華風な感じ。もちろん、中国になんて行ったことはないけれど、イメージ的にね。
近づいてみると、それは神社だった。参道の脇にある掲示を見ると『不忍池辯天堂』と書かれている。七福神の一柱、「弁財天」を祀っているという。音楽と芸能の守り神らしいのだけど、『芸能』に文才も含まれるだろうか? 含まれているといいなと思いながら、せっかくなのでお参りしておいた。
その後、参道を逆行するように上野駅方向へと歩いてゆくと、すぐ近くに上野動物園の入り口があることに気が付いた。『弁天門』と書かれている。
上野動物園には『表門』と『池之端門』があるのは知っていたけれど、こんなところにも出入りできる門があるとは知らなかった。弁天門からは週末の余暇を動物園で過ごした子供連れの家族が出てくるのが見える。中のお土産屋さんで買ってもらったのか、母親に手を引かれるワンピース姿の女の子は腕にペンギンのぬいぐるみを抱きしめていた。
「久しぶりに行きたいなぁ」
動物園に行ったのなんて、いつが最後だろう。小学校のときの遠足が最後のような気がするから、かれこれ十年近く行っていないことになる。そう言えば、上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれたなんてニュースが以前やっていたことを思い出す。もうあれからだいぶ経つから、あの赤ちゃんもすっかり大きくなったことだろう。
私は時計をチラッと確認する。辯天堂に寄ったので思った以上に時間を使ってしまったようで、時刻は四時半を指していた。寒さが身に染みるようになってきた今の季節、いつの間にか陽も傾き、西日が人々の行き交う公園の通りをオレンジ色に照らしている。
「これは後日、仕切り直しかな」
後日ネットで調べて知ったけれど、そもそも上野動物園は午後四時で入園終了らしい。このときはそんなことは知らなかった私だけれど、この夕暮れの時間帯にこれから動物園を回るのは無理だと思って泣く泣く諦めた選択は、結果的には大正解だったようだ。
つくも質店にお手伝いに来ている限り、また昼間の時間帯にここを寄ることもあるだろう。
私は周囲を見渡す。なんとなくの人の流れはあるけれど、正確な駅の場所を確認するために鞄からスマホを取り出した。地図アプリを確認すると、今いる大きな上野公園の中には、博物館や美術館もあると表示されていた。
(今度、ゆっくり回ってみようかな……)
街に出てわいわいする休日も楽しいけれど、ゆっくりとこんなふうに過ごす休日も悪くない。なんなら、仲良しの亜美ちゃんを誘ってもいいかもしれない。
少しだけ寄り道して公園内にあるコーヒーチェーン店でラテを購入すると、店員さんに笑顔で手渡された。紙コップ越しに、冷たい手がほんのりと温まる。一口含むと、口の中に甘い味わいが広がった。
「よし、帰るか」
暫く休憩した私は、紙カップ片手に人の流れに乗って駅へと向かった。




