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◇ ◇ ◇
その日、私は一人で店番をしていた。いつもなら真斗さんがいてくれるけれど、今日は大学院の研究が忙しいとか。
まだお手伝いを始めて三回目だけれど、つくも質店のお仕事はネットがメインのようで直接お店を訪れる方は少ないようだということはわかった。
とは言え、直接店舗を訪れる人もたまにいるので、誰かしらの店番を置いておきたいというのが本音のようだ。
「ねえ、フィリップは何に宿る神様なの?」
「トケイ。オレ、スゴクカッコイイトケイダゾ」
「いつからここにいるの?」
「サンネンクライ」
「三年間、質入れされてるの?」
「ソウダ。マサルハイマガンバッテル」
「マサル?」
「オレノモチヌシ」
「ふうん?」
「モウスグクルゾ」
一人ぼっちの店番だけど、シロもいるしお喋り好きな緑色のインコ──フィリップがずっとお喋りしているので時間はあっという間に経つ。
パソコンモニターを覗いてネットで注文があった商品の配送先を確認すると、長野からだった。東京都文京区本郷にあるつくも質店だけれど、お客様は日本全国のようだ。
宅配便の伝票に丁寧に宛先を転記していると、ガランっと引き戸を開ける音がして私は顔を上げた。
「あ、おかえりなさい」
「ただいま」
一言だけ返した真斗さんは、カウンターを越してこちらに来るとドサリと鞄を床に置いた。壁の掛け時計を見ると、まだ六時だ。
「早かったですね」
「残りは家でも纏められる内容だから、帰ってからやろうと思って。誰も来なかった?」
「はい。いらっしゃいませんでした」
「ん、よかった」
よく見ると、走ったせいか髪の毛が少し乱れていた。多分私にひとりぼっちで店番させるのが心配だから、急いで帰ってきてくれたのかな。いつもぶっきらぼうな態度だけれど、裏では色々と気遣いをしてくれて優しい人なのかもしれない。
真斗さんは無縁坂を登りきった場所にある日本の最高学府、東京大学の大学院に通っており、現在修士課程の一年生だと言っていた。
修士課程は二年間しかない。一年生とはいえ、学会発表や修士論文の準備はとても忙しそうだ。今まで店番を手伝ってきた真斗さんが学業に忙しく時間を作るのが難しくなってきたことも、私が雇われることの一因のようだ。
ちなみに専攻は都市デザイン工学という、私には聞き慣れないもの。研究テーマの内容を聞くと、自然と融合する都市をデザインするとかなんとか言っていたけれど、全くわからないから理解するのは諦めた。
そして、なぜ私が初めて無縁坂を通りかかった際に真斗さんは和装姿だったのか。先日、私はその事について真斗さんに聞いてみた。
「真斗さん、五月祭のとき和装姿で歩いてましたよね」
「…………。は?」
ちなみに『五月祭』というのは東京大学本郷キャンパスで毎年五月に行われる学園祭の名称だ。
質問した瞬間、だいぶ狼狽えたように真斗さんの鉄板ポーカーフェイスが崩れる。どうやら、真斗さんはあの日眼鏡をしていなかったこともあり、そのときに無縁坂ですれ違ったのが私だという認識は一切なかったようだ。
しらばっくれる真斗さんを散々追及すると、やっと教えてくれた理由は意外なものだった。オチケン──正式名称、落語研究会に入会している友人に学園祭での客寄せチラシ配りを手伝えと頼みこまれ、無理やり着せられた和装姿で手伝った後につくも質店に帰る途中だったということだ。
うん、その友人の気持ちはよくわかる。
真斗さんはとても整った見目をしている。だから、あの和装姿でにこやかに客寄せすれば女性客がたくさん来てくれそうな気がする。
普段の様子から、果たしてにこやかに接客することかどうかは不明だけど。とにもかくにも、あの姿は滅多に見られない貴重なショットだったらしい。
くぅ! 写真を撮っておけばよかった。
「似合っていたからもう一回着て下さい」
目を輝かせる私に対し、真斗さんは物凄く嫌そうな顔をする。
「ふざけんな。断る」
冷たく一蹴されてしまった。つれないねぇ。もう見られないなんて残念だ。
「マナト、オカエリ、オカエリ」
「おっす、ただいま」
スニーカーを脱いでいる真斗さんの元に緑色のインコ──フィリップが飛んで行き、トントンと躍りながら喜びを表す。
ところでこの『フィリップ』という名前、最初に聞いたときは大笑いしてしまった。
だって、インコに『フィリップ』だなんて、意外すぎて。ディズニーの有名映画、『眠れる森の美女』の王子様の名前だよ? よくよく聞けば命名は真斗さんらしく、笑われたことにふて腐れていたので悪いことをしてしまった。
フィリップはバサリと羽ばたいて奥の台所に向かった真斗さんの肩に飛び乗る。シロも真斗さんの足下に寄り、すり寄っている。
若い男性が肩に緑のインコを乗せて足下に猫を従えたこの光景も相当笑えるんだけど、笑うと絶対に怒られちゃいそうなので黙っておこう。
私は台所からこちらに戻ってきたシロを抱き寄せると、お腹のあたりをくしゃくしゃと撫でて遊ぶ。「ニャー」と小さな悲鳴が聞こえた。