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銀映 第4話 汽車の窓から覗く流れる景色のように

 

 さっとカーテンを開けた。日差しがカーテンの隙間から部屋の中へ溢れるばかりに、差し込んでくる。

「エ・ディット様、もう朝です」

 ティンヴァは、カーテンを纏めながら、ベッドで微睡むエ・ディットに声を掛けた。その顔は微笑んでいた。いつもとは違う、暖かい笑みを浮かべて。

「もうそんな時間か? もう少し……」

 目を擦り、エ・ディットはもう一度、ティンヴァを見た。気のせいだったのかも知れない。

「ダメです」

 いつもの表情のない顔でティンヴァは言った。

 うーんと唸ってから、エ・ディットはようやく起き上がる。

「あーん? ここって、キャンプだよな?」

 寝ぼけているらしい。

「いいえ。異世界の国、シュパイエルです」

「シュパイエル?」

 そう、彼等は空谷村にはいない。

 ここは異世界(エルカース)

 

   1

 

『そうか……分かった。この仕事が終わったら、すぐそちらに向かおう』

 馬川・M・藤丸の持っている携帯電話のスピーカーからレンの声が響いた。

「早く、お願いします」

 エムは涙ながらに言った。

 思い出されるのは、先程の事態。

 

 

『エ・ディット! 起きて下さい! 起きてっ!』

 そのエムの声は空しく、部屋に響いた。和田政彦の知らせにすぐ駆けつけたのだが、エ・ディットはいっこうに目覚めなかった。

『エム、エ・ディットに点滴を取り付ける。そうしなくては流石のエ・ディットでも、体力がもたないからな』

 神崎航一郎は、泣き崩れるエムに優しく声を掛けた。

『こんなのは初めてだよ、全く』

 政彦も複雑な面もちでエ・ディット達の様子を見守っていた。

『とにかく、俺は点滴を持ってくるから、エムはレンに連絡をしておいてくれ』

 

 

 そう、航一郎に頼まれ、エムはレンに連絡をしていた。彼等は、一体、どうしてしまったのだろう?

 

 

 志村ヨージは喫茶店にいた。

「やっぱ、兄ちゃんの言う通り、止めといた方がよかったか?」

 ある女性と待ち合わせをしているのだが、もう、約束の時間を1時間も過ぎていた。

 そして、ヨージの前に置かれたカップは、もう空になっている。カップの底に僅かにこびりついたコーヒーだけが、かつての中身を示すものだった。

 と、ヨージの持つ携帯電話のベルが鳴る。

「はい? もしも~し」

 やる気のない声で電話に出た。

『あ、私だけど』

 電話の相手は待ち合わせの女性。

「一体、何してんだよ。もう、俺、一時間も待てるんだぜ? やっぱさ、この話は……」

『ごめんなさーい。仕事が急に入っちゃって。今、喫茶店の側の白い車の中にいるの。そこじゃ、話しにくいからこっちで話さない?』

 ヨージはふっと、喫茶店の窓から外を覗いた。道路の歩道に寄せて、白い軽が止まっていた。

「分かったよ、今、そっちに行く。……ちゃんとくれるんだよな?」

『ええ。もちろん』

 即座に女性は答えた。

 その言葉に頷き、足早に喫茶店を出た。

「ごめんなさいね」

 軽の窓が開き、女性が顔を出した。黒髪で体の線が細めの女性。それが、

「遅いよ、マヤ」

 天亜(あまあ)マヤ、ヨージと待ち合わせをしていた女性の名だった。ヨージはそう言って、反対のドアから車に乗り込んだ。それを確認して、マヤは車を動かした。車はゆっくりと林の方へ向かって走っていく。そして、人気のない場所でやっと、マヤは車を止めた。

「ここなら、ゆっくりと話せるわね、ヨージ?」

 そう言って、振り向いたマヤの手に持っているのは、黒光りする小さな拳銃。女性でも使えるように軽量化されたものだ。それをヨージにぴたりと近づけた。

「な、何だよそれ!」

 仰け反るようにヨージは後ずさりを始める。

「さあ、話して。貴方のオートマータの情報をね」

「い、いやだ。こんなの、脅迫だ!」

「もう一度、言うわ。あんたの持っている情報を私にちょうだい」

「言うもんか!」

「ざけんじゃねえっ!」

 急にドスの利いた低い声が車の中で響いた。それはどう考えても、男性の持つ声。びくりとヨージの顔が強張る。

「あん? こっちがせっかく下手に出てやってんのに、何様のつもりだ? ガキの分際で」

「あ、あ……」

 かちりと安全装置を外し、ヨージの額に付けた。

「吐くのか、吐かないのか、はっきりしろ」

「い、言います言いますから、助けて」

 マヤはにやりと笑うと、やっとその銃を離した。

 

 

 一方、キャンプ内。レンが来るまでやることのないエムは政彦を連れて、公衆のテレビ電話の前に来た。

 目的は、『彼』に会うため。

「誰に電話するんだい?」

「あまり会いたくない人です」

 嫌な顔で、エムは政彦の声に答えた。

 そして、エムは手慣れた手つきで次々と番号を打つ。

 トゥルルルル、トゥルルルル。

 相手を呼び出すベルが響く。と、画面に人が現れた。

『誰かと思えば、エムですか?』

 現れたのは若い眼鏡の男性。

「久しぶりですね、父さん」

 それはエムの父親だった。

『何か用なんでしょう?』

「ええ、尋ねたいことがあるんです」

 そう言って、エムは話を始めた。

「ティンヴァレス・ロー、HS-5をご存知ですか?」

『オートマータですか? まあ知ってはいますが』

「貴方の作ったものですよね?」

 エムは画面に詰め寄った。が、

『いいや、あれは他の者が作ったものですよ。残念だったねぇ』

 そういって、エムの父は笑みを浮かべる。

「えっ?」

 信じられないものを見たかのように、エムは目を見開いた。

『そうそう、後ろにいる君』

 エムの父はエムの後ろにいた政彦を見つめて言った。

「はい?」

 政彦は何事かと、応える。

『君はエムの新しい恋人ですか?』

「へ? い、いいえ。只の仕事仲間です」

 政彦はそう、答えた。

『ほう? 仕事ねぇ。じゃあ、あのことも知っているのですか?』

「はあ?」

 気のない政彦の返事。

 その父の言葉にエムはとっさに反応した。

 かちりと電話を切った、はずだった。

「な、何で、何で切れないんですっ?」

 かちり、かちりと何度も回線を切るボタンを押すが、全く利かない。

『君からの電話だからね。もっと話したいと思ってね?その電話からは切れないですよ』

 エムの父は笑みを絶やさない。

「行きましょう、マサさん。もうここには用がないです!」

 急いでその部屋を出ようとする。

 がちゃり。

 開かない。

「え?」

 エムの頭の中は、その時、真っ白になった。

『知らないなら、教えてあげますよ。エムは……』

「止めてっ!」

 彼はエムの声に耳を傾けてはいなかった。

『男ですよ。正真正銘のね』

 それは、真実。

 その言葉にぺたりとエムは座り込んだ。

「まさか?」

 政彦にとって信じられない言葉だった。

「嘘でしょう? エムさん?」

 その政彦の言葉にエムはただ、俯くだけだった。

 

 

 一方、エ・ディット達は、異世界の王宮を観光していた。いや、迷子になっていたのかも知れない。帰る方法が見つからず、気分転換にと歩いていた。

「エ・ディット様。あそこに樽があります」

 第一発見者はティンヴァ。

「こんなところにか? ……面白そうだな、ちょっと開けてみるか?」

 エ・ディットの声にティンヴァは頷き、ばこんと勢いよく開けた。

「小さなメダルとか入ってるか? 酒だったら飲んでしまおうぜ」

「子供が入っています。少年のようですわ、エ・ディット様」

 樽に入っていたのは、入れ墨をした少年だった。

「子供? ……この世界じゃ、子供が樽の中にいるのか?」

 エ・ディットは考えるように腕を組んで、それを眺めていた。

 と、樽の縁に置いたままのティンヴァの手を少年は掴んだ。

「姉ちゃん、俺と楽しいことしてみぃ~へん?」

 その少年の台詞にエ・ディットは豪快に笑った。当の本人、ティンヴァは、その表情を変えずに、

「『姉ちゃん』は私に対する呼びかけと判断しました。『楽しい事』とは?」

 と、尋ねる始末。

「具体的に言おうとすると、塵に還される類のことや」

 少年は気にもせずに答えた。

「理解不能です。ですが、私はエ・ディット様の物ですので、具体的な要求は我がマスターにお願いしますわ」

主人(マスター)?」

「はい」

 ティンヴァは真面目に頷く。

「ティンヴァ、顔が見たい。出してやってくれ」

 先程の笑いがようやく収まったエ・ディットは、ティンヴァに命令を出した。

「わかりましたわ。エ・ディット様」

 捕まれている手とは逆の手で、ティンヴァは少年の腕を取った。僅かに持ち上がるが、ティンヴァの腕が何故か軋みをあげた。と、少年が自ら立ち上がった。

「姉ちゃん、俺、石喰やてわからん?」

「石喰?」

 聞き慣れない単語に思わず、エ・ディットは声を出した。

「ほら、な」

 そう言って少年は掌から石を生やして見せた。そして少年は、すぐさまティンヴァに向き直った。

「俺、細かい事気にせんから。アバンチュールでも勿論いいで」

 その少年の剣幕に押されるようにティンヴァは後退していく。

「あ。申し訳ありません。エ・ディット様」

 しまいにはとうとう、後ろにいたエ・ディットとぶつかってしまった。

「俺、もうすぐ寿命なんや……」

 突然、少年は神妙な顔つきで語り始めた。

「すまないが……」

 エ・ディットはその気配を察したのか、ティンヴァを抱き寄せると、

「これは俺の物で、他のヤツに譲る気はないな」

 そう、少年に言い放つ。

 その言葉が効いたのか、少年はよろよろと後ずさりし、樽の中へと入っていった。

 が、蓋がない。

 それに気づき、少年は再び出て、それを拾った。そして、ついでにとティンヴァに懐から取り出したヴェールを掛けてやる。

「姉ちゃん、シュトゥットガルドの人なん? 変わった耳飾りしているけど、この国では目立つ思う……」

 少年はどさくさに紛れてキスをした。

 そして、反撃を恐れて飛び退くと、すぐさま樽に乗り込み、ガン! と横倒しして転がっていった。

「さよなら俺の運命の(ヒト)ぉー……」

 大きなその歌と共に、少年を乗せた樽は遠くに消えて行った。

「一体何だったのでしょうか?」

「さあな?」

 まるで狐につままれたような表情で、エ・ディットはティンヴァの声に応えた。

「あっ!!」

 ふと、先程の事をやっと理解したのだろう。エ・ディットは叫ぶ。

「アイツ、俺の相棒に手を出すとは……今度あったら覚えておけよ!」

「はい、覚えておきます」

 エ・ディットの言葉に即座に答えるティンヴァ。

「はあ?」

「先程の少年の事ですよね? 特徴及び声のサンプルまで全てのデータを内部メモリーにインプットしました」

 どうやら、自分のことと間違えたらしい。

「いや、ティンヴァ、あのなあ……」

「はい。どうかなさいましたか? エ・ディット様」

 微笑まれてしまった。これでは何も言うことが出来なくなってしまう。

「ティンヴァ、ちょっとこっちに来い」

 かわりにエ・ディットはティンヴァを抱き寄せた。

「あのガキのキスじゃ、物足りないだろ? 口直しだ」

 そう言って、ティンヴァのヴェールを捲り、キスをした。少年の時よりも強く、情熱的に。

 ティンヴァは全てをエ・ディットに任せ、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 空谷村では、やっと学校が終わったジュラ・ハリティと航一郎がキャンプで合流していた。

「何だか大変なことになってるようね?」

 ジュラは航一郎から一通りの事を聞いた後で、人ごとのように呟いた。

「そうだな。後は他の手の空いた者に頼んでおいたから、我々はその、ジュラの言うヨージとやらに会いに行こうと思うのだが?」

「いいわよ。きっとまだ学校にいると思うし」

 航一郎の提案にジュラは頷き、首に下げている呼び子を手にした。

「いや、それはいい。こっちに来い」

 翼竜の空中遊覧に懲りたのか、航一郎はジュラを連れて、一台のジープの前に来た。

「レンから前もって借りたジープで行こう。これの方が安全だ」

 そう言ってドアを開け、ジュラを押し込むと自分も運転席に座り、エンジンを始動させた。

 ブルルルン。

 ジープはなめらかに進み、キャンプを後にした。

「やっぱり、ゴールディの方が早いわ」

 ジュラはぶつくさと愚痴を零す。

「……そうか?」

 カーブを曲がりながら、航一郎が答える。

「そうよ! ゴールディだったらこんな風にちんたら走っている間に往復出来るくらいだわ」

「ああ」

「そうそう。空からの方が絶対早いわ!」

「んー」

「……ねえ」

「ん?」

「ちゃんと聞いてる?」

 ジュラは航一郎の顔をのぞき込むように、尋ねた。

「ああ、さっきから聞いてはいるぞ」

「……じゃ、さっきあたしが何て言ったか覚えてる?」

「『ちゃんと聞いてる?』だろう」

「そうじゃなくって、その前!」

 ジュラはむきになっている。

「……なんだったかな?」

「もう! ちゃんと聞いてよね! あたしがせっかく話てあげてんだから。今度やったら、お金貰うわよ?」

「それは困る」

 困ると言っておきながら、それほど困った素振りをしない航一郎。

「決まりね。今度やったら、千円貰うわ」

 それを見て、ジュラは決めた。が、

「あれ?」

 と、急に声をあげるジュラ。

「どうかしたのか?」

「あれ、見て! なにかしら?」

 ジュラの指さす方向には何もないように見える。

「何もないように思うが? あの黄色い標識か?」

「違う。もっと遠くよ」

「もっと遠く?」

 ジュラの声に従うように航一郎は目を細めて遠くを見た。前方の道路に何かが置かれている。

「何だあれは?」

「わからないから聞いてるんでしょう?」

 ほら、見たかと自慢げにジュラは言った。

「とにかく、近くまで行ってみるぞ」

 そう言って、少しジープのスピードを上げた。見る見る内にそのものが近づいてくる。

「ゴミ袋?」

「こんな所にか?」

 ジュラのボケに思わずつっこみを入れる航一郎。

「人?」

 やっとそれを確認できる距離になり、そしてその人のすぐ側でジープを止めた。急いで降りる航一郎達。

「大丈夫か?」

 いち早く駆け寄った航一郎が声を掛けた。その人はまだ幼い、10歳ぐらいの少年のようだった。短い茶髪に眼鏡を掛けた少年。その右足からはぽたぽたと赤い血がこぼれ落ちていた。どうやら誰かに撃たれたようだ。

「ちょっと、どうしたのよ、この子」

「さあな。おい、しっかりしろ」

 ジュラの問いに返事をしてから、怪我をした少年を起こす航一郎。

 と、少年が瞳を開けた。澄んだ青い空と同じ蒼い瞳。

「……お父さん……」

「お父さんが何?」

 ジュラは少年に語りかける。

「お父さんはどこ……」

「ここにはいないわよ」

「……お父さんを、助けて……」

「だから、いないってば!」

「おいおい、そう力むな。お前の父親はどうしたんだ?この傷は、一体誰から撃たれたんだ?」

 力むジュラを押さえつつ、航一郎は優しく少年に呼びかけた。

「お父さんと、逃げたんだ。でも、やっぱりアイツ等に見つかって……。ねえ、僕はどうなってもいいから……お父さんを助けて! きっと奴らに捕まったんだ……僕なら大丈夫、オートマータだから……だから、お父さんを……」

 そう言って、少年は再び、気を失った。少年は自分をオートマータと言っていたが、それは嘘だと二人にはよく分かっていた。その右足から流れる血は、まさしく人のものであり、オートマータの体内にあるオイルとは全く違う。

「とにかく、この子をキャンプに連れていく。お前はどうする?」

「そうね。……あたしが行っても意味なさそうだし、あたしだけで学校行って調査してくるわ」

 ちょっと考えてから、ジュラはそう、航一郎の問いに答えた。

「分かった。では後で調査報告してくれ。俺はジープで彼を連れていく」

「OK。じゃ、あたし、ゴールディ呼んで行くわ」

「頼む、そうしてくれ」

 二人は二手に分かれた。

 

 

「とにかく、何とか帰る方法を見つけないとな」

 ここはエ・ディット達の泊まっている一室。ティンヴァとエ・ディットはお互い、向かい合わせでイスに座り、これからのことを思案していた。

「そうですね」

「やっぱり、衛星との通信は……」

「依然、交信不能です」

「参ったな。どうやったら帰れるんだよ、全く」

 手詰まり。さっきから何度も話をしているが、一向にその糸口が見つからなかった。

「はあ、もうすぐ今日という日が終わるというのにな……これじゃ、埒があかないな」

「そうですね」

「全く、この格好だって、ネットに入ってるんだったら、擬態しろってな」

「……擬態は出来ると思われますが」

「なに?」

「擬態は出来ると申しておりますわ」

「出来るって? 本当か?」

「可能性は高いと思われます。ここはそれでもネットの中。私の現在のステータスも依然ダイブしたままです。出来ないことはないと思われます」

 ティンヴァのその言葉にエ・ディットは唸った。

「んんー、じゃ、今試してみるか?」

「はい、分かりましたわ」

 そう言って、二人は立ち上がった。

「とにかく、擬態擬態擬態擬態……」

 呪文のように呟きながら、エ・ディットは念じた。

「分かりましたわ、エ・ディット様。擬態擬態擬態擬態擬態……」

 同じように唱えるティンヴァ。

 ぱぁん!

 と、たちまち二人は擬態した格好になった。

「おっ! やれば出来る……」

 その時、

「失礼します」

 可愛らしいメイドがそのドアから入ってきた。

「夕食の準備が整いましたので、王宮の方へおいで下さい……きゃ?」

 やはり、驚かれてしまった。

「あ、いやこれはその……」

 エ・ディットは突然の事態に言葉を詰まらせる。そんな彼をはらはらと見守る獣のティンヴァ。

「ごほん」

 エ・ディットは、ひとつ咳払いをした。

「いや、これは俺のペットなんだ」

 そう言って苦笑してみせる。

「はあ、珍しいペットですね?」

 メイドもそれに反応した。悪くはない。どうやら何とかなったらしい。

「王宮の方へどうぞ」

 メイドのその声に二人は頷いた。メイドがその部屋を出るまで、二人は一言も発することなくそれを見守ることしか出来なかった。

「全く、油断も隙もありゃしねえ」

「同感です」

 メイドの去った後、二人はもう、へとへとになっていた。

 

 

 こつこつとノックが部屋に響く。

「どうぞ」

 短くレンはそう答えると、そのドアは動き始めた。

「今、いいか?」

 航一郎はレンの前に歩み寄る。

「何かありましたか? 神崎先生」

 コンピュータを操る手を止め、航一郎を見るレン。

「それが……」

 と、航一郎の話が始まる前に、またノックが。来客が来たらしい。

「先生はそちらのソファに座っていて下さい」

 そう言って、来客を迎えた。

「どうぞ」

 レンの声にドアが反応した。

「失礼します」

 南近成は、丁寧に会釈をし、レンの前に着く。

「その、チーフ。誠に申し上げにくいのですが、どうやら俺は感染したようです」

「エンゲージ、か」

「はい……」

 ぱたりと、ノートタイプのコンピュータのディスプレイを閉じた。

「検査はもう、済ませたのか?」

「いえ、これからです」

「そうか。では、まずリカバーに行き、精密検査を受けてくるように。それと、これからは無理をしない程度にキャンプで待機してもらおうか。感染を防ぐため、なるべく自室にて調査を続行。それでいいかな?」

「……はい、分かりました」

 冴えない顔は病気のせいか? ただレンの言葉に近成は頷くだけであった。

 と、またノックが来る。

「今日は来客が多いようだ」

 レンは苦笑して、立ち上がった。そしてドアノブを回す。

「どうぞ」

 そう言って開けた先には、ビアトリスがいた。

「チーフ、出来ました! 報告書です!」

 ビアトリスは持っていた書類の束をレンの胸に押しやった。

「ご苦労様、ビアトリス」

「それと、その、これを……」

 脇に抱えていた紙袋をレンに渡そうとした、その時だった。

「ああっ!」

 小さな叫びが、ビアトリスの後ろでしたかと思うと、あっという間に紅茶が彼女を襲った。

「きゃあああ!」

 そのビアトリスの悲鳴に航一郎は反応した。

「大丈夫か?」

 航一郎はビアトリスの様子を診る。

「マヤ、君か?」

 レンは茶を零した犯人を睨み付けた。

「すみません、急にビアトリスさんの腕が出てきたので……。大丈夫ですか? ビアトリスさん」

「大丈夫よ、これくらい」

 マヤの持つ布巾で茶をふき取るビアトリス。

「念のために、きちんと診て貰った方がいい。先生、ちょっといいですか?」

 レンは航一郎を呼ぶと、ビアトリスを含めた三人でその部屋を後にした。

 後に残ったのは、近成とマヤ。

「いい気味。多少、あの子には痛い目を見て貰わないとねぇ」

 近成はその台詞に、何かを感じた。

「ねえ、あんたエンゲージになったんでしょう? 近頃、仕事を放って置いて、遊んでばかりしてるから、発病するのよ。私達の目的はエンゲージの解明でしょう?」

 マヤはそう言って、冷笑を浮かべる。

「あんたもいい気味」

 片づけた後、マヤは早々に立ち去った。

 最後に残ったのは、近成だけ。部屋の中では、沈黙が支配し始めていた。

 

 

 場所は変わって、溟海学園図書館。そこにジュラは来ていた。

「ヨージの情報によるとここにいるはず……」

 なぜかジュラは紙袋を手にしていた。と、前方にターゲットの一人である図書職員を発見した。

「まずはあの人ね!」

 不敵に笑みを浮かべ、素早くその職員に近づいていく。

「あの、一つお尋ねしたいんですが……」

 ジュラはあらかじめ、目薬で潤ませた瞳で職員に訴えた。

「あら、何かお探し?」

 そう言って金髪で眼鏡を掛けた女性職員が、立ち止まった。

「そうなんです。その……この図書館で見かけた銀髪の方に、これを渡したくて。でもなかなか見つからなくって」

 ほろりと涙を零す。

 ジュラは心の中で『我ながらいい演技だわ』と自分の演技に酔いしれていた。

「銀髪の方? 男の人よね?」

 女性職員は確認した。どうやら知っているらしい。

 ビンゴ!

 心の中で叫ぶジュラ。

「はいそうです」

 はやる気持ちを押さえ込みながら、慎重に答えた。

「それなら、あの本棚の奥にいるわよ。頑張ってね」

 職員はジュラの思惑に全く気付かずに答えた。

「ありがとうございます。では」

 短く切り上げ、すぐさま言われた本棚に直行する。

「よかったわね、(とおる)君……」

 一人残った職員は、そっと目頭を押さえつつ、ジュラを見送った。

 そうとは知らずに、ジュラは本棚の奥に駆け込んだ。と、長い銀髪が見える。

 見つけたわ、お金!

 いや、それは違うのでは?

 とにかく、ジュラはその少し前で立ち止まり、息を整えた。

「あの……ちょっといいですか?」

 もう、ジュラの顔はにやけまくりである。

「はい、俺に何か用?」

 そして、本棚の奥から現れるのは……

「!」

 ジュラは凍り付いた。そこにいたのは樽のようなふくよかな男性。しかも銀髪を長く伸ばしていて、小さな眼鏡を掛けている。いわゆるもてなさそうな、そんな彼だった。そう、ジュラの目的の人ではない。

「間違えました!」

 すぐさまその場を立ち去るジュラ。

「ちょっと、聞いてないわよ! あたしが見たのはもっといい男よ?」

 そう叫びながら、走っていく。が、途中で誰かにぶつかった。

「あっ! ごめんなさい」

「おっ、気を付けろよ」

「って、ヨージ?」

 ぶつかった相手は運良く(?)ヨージだ。

「あん? あ、ああお前か……」

 何かおかしい?

「ちょっと、どうしたのよ。何かあたしに言いたいこととかあるんじゃないの?」

「あ、いや。特に……」

「それよりも!」

 とにかく情報の正確さを確認するのが先だ。

「ちょっと、例の情報、違うじゃない! 聞いてんの?」

「聞いてるよ」

「変な男しかいないじゃない!」

「……行ったのか?」

「そ、そうよ」

 何時になく真剣なヨージの眼差しに、ジュラはただならない雰囲気を感じ取っていた。

「あの女はいたか?」

「あの女?」

「黒髪の痩せた女……いや、たぶん男」

「なにそれ? 知らないわよ」

「そうか……ならいいんだ」

 心なしか前に会ったときよりも元気がない気がする。原因はなんだろうか?

 ジュラは紙袋から一つ、包みを出した。

「ちょっと元気出しなさい? 何か調子狂うじゃない。これでも食べれば?」

 その包みをヨージに手渡した。

「何だよこれ?」

「決まってるじゃない、チョコよ」

 ジュラはさも当然のように言ってのける。

「……サンキュ。お前って意外に良いトコあるじゃん」

「意外は余計よ」

「そうだ、一つ教えてやるよ」

「何々?」

 ずずいっと寄っていくジュラ。

「前に言ったオートマータさ、図書館にはいないぜ」

「えええええええ! じゃあ、何処よ?」

「知らない。兄ちゃんに聞けば分かると思うけど」

「兄ちゃん?」

天羽春斗(あもう はると)。ほら、黒髪で華奢な図書職員。男なんだけど妙に可愛いヤツ」

「あ、彼ね? 分かったわ」

 そう言って、すぐ戻ろうとするジュラ。

「あ、そうそう」

「何よ、また何かあったの?」

「今日、何故か見かけてないんだよね。兄ちゃん」

「それを早く言ってよね!」

 ジュラの額に大きな青筋が浮き上がった。

 とにかく、今回の作戦は失敗に終わった、ようだ。

 

 

 あれから暫くしたキャンプにて、近成はレンの部屋をようやく出ていくのが見えた。彼が向かうのは第5班・リカバーズの一室。近成はノックをしてから、部屋に入った。中にいるのは先程会った、航一郎。

「それでは、よろしくお願いします」

「うむ」

 航一郎はそれに頷くと、近成を座らせ、検査の準備を始めた。その手に一本の注射を持って。

「先ずは採血から始める」

 近成は航一郎の指示に従い、採血されるのを静かに見守った。


 

「エ・ディット様」

 暗がりの一室。

「何だ? どうかしたのか? ティンヴァ」

 二人はベッドに入っていた。ぎしりとベッドが軋む。

「ひとつ疑問があります」

「疑問?」

「キスをエ・ディット様から教えて貰いました。ですが、どのようなときに行うのか、どうしてその行為をするのかが理解不能です」

「お前って、難しそうなこと考えてるんだなあ」

「難しいことですか? 私は正確に理解したいだけです。せっかくエ・ディット様から教えて貰った行為を生かさないのは、私のデータが無意味になります」

「はいはい。じゃあ、教えてやるよ」

「はい」

「ここが暖かくあるときがあるだろう?」

 こんこんと優しく、ティンヴァの胸をノックするように叩く。

「はい」

「それじゃあ簡単だ。それを他人にも味あわせてやりたいからやるんだよ。その時にやってやるんだ」

「はい。分かりました」

 そう言って微笑んだ。

「ここが暖かくなったら、ですね」

「そうだ。じゃ、練習でもしてみるか?」

 からかうようにエ・ディットは言う。

「はい、エ・ディット様」

 真面目にティンヴァは答えた。

 外では、満月の月が二つ、重なり合うように見えた。

 

 

 空谷村では、桜が満開だった。また、はらりとはらりと花びらが舞う。

「桜……」

 呟くようにエムはそれを眺めていた。

 エ・ディット達がネットにダイブして、もう4日が経っていた。だが、エムにはすることがないように思われた。

「あ。もう、誰? 窓を開けっ放しにするなんて」

 そう言って、廊下の窓を閉めようとした瞬間。

 ぶわ!

「なに?」

 強い風と共に、桜の花びらが大量に運ばれてきた。キャンプの廊下は一面桜の花びらに埋め尽くされた。

「ああ、もう。早く片付けないといけないですね」

 ため息を零しながら、エムはちりとりと箒を取りに行こうとした。

「でも」

 立ち止まる。

「綺麗、ですね」

 少しの間だけ、そのままにしてもいいかもしれない。

「エ・ディットが見たら、何て言うでしょうか?」

 ふと笑みが零れた。

「きっと、綺麗なんて絶対に言わないですよね」

 ぱらり。

 また、数枚の花びらが舞い降りてきた。と、共に滴が廊下に落ちる。

「あれ……」

 いつの間にか零れる涙。もう、それは止められない。

「どうしたんでしょう? そんなつもりはなかったのに」

 また、落ちる。滴と花びら。

「エ・ディットの声が、聞きたい」

 暫く、エムはその場に立ちつくしていた。

 そして、花びらはまた、舞い散る。

 

 

 一方、ここはレンの部屋。そこで政彦はレンを待っていた。もうすぐ仕事を終えて、部屋に来るはず。

「遅いな、レン」

 呟く政彦。 

 と、やっとレンが現れた。

「すまない、仕事が手間取ってね」

「構いませんよ。ところで前に伝えて置いたことですが……」

「学園内でエ・ディット達と同じ状況の者を調査、だったか?」

「ええ」

 レンの声に政彦は頷いた。

「それについては、一緒に調べようかと思っているんだが、どうだろう?」

「一緒にですね? おれは構いませんよ……え?」

 ふと疑問がよぎる。

「一緒にって、どういうこと……」

「私もダイブしようと言っているんだ」

「ええええええっ!」

 驚きのあまり、政彦はソファから落ちた。

「そんなに驚かなくてもいいだろう?」

 その驚きように流石のレンも笑みが零れた。

「だって、その、聞いてませんよ」

「そうだったかな? まあ、とにかく、そろそろ始めるとしよう」

 そう言ってレンはハンドヘルドコンピュータを腕に取り付けた。起動させて、各項目をチェックし始める。

「はい、そうですね」

 政彦も同じくダイブの準備を始めた。

「そういえば、珍しいですね。それ」

 そう言って政彦は、レンの左腕に付けられたハンドヘルドコンピュータを見つめた。

「まあね、これじゃないと、どうも調子が出なくてな」

 そう言って苦笑するレン。

「さて、ダイブしてもいいかな?」

「はい、いつでもいいです」

「では」

 ダイブ・イン!

 

 

 回線がひしめく世界、サイバーネット。暗闇の中で、ラインは一際、輝いて見えた。

「そういえば、どんな擬態か聞いてなかったなあ」

 政彦は黒猫の前足を使って、器用に頭を掻いた。

 と、目の前に一人の女性が現れる。

 体に張り付くようなメタリックのライダースーツ。アメジストの長い髪を纏め、そして、髪と同じ色の瞳で、政彦を捉えた。

「もしかして、レン?」

「もしや、マサ……か?」

 囁くように小さい声で、お互い尋ねた。どうやらその女性は、レンの擬態の姿のようだ。そして、女性のレンの声は女性にしてはやや抑えた低めの声だった。

「ま、参ったな……」

 冷や汗を浮かべながら、レンは呟いた。

「どうかした?」

 とすり寄る政彦。

「ひっ」

「はい?」

 レンは小さく悲鳴を上げて、後ずさった。政彦はいまいち状況が把握出来ないでいた。

「す、すまない……どうもこういう動物とかは苦手でな」

「でも、こればっかりは……ねえ?」

「いや、今回だけは勝手に変えさせて頂く」

 きっぱりとレンは答えた。

「でもどうやって……」

 そう反論しようとしたのだが。レンは構わず、ぱちりと指を鳴らした。するとたちまち、政彦の姿が黒スーツの青年へと変わった!

「えっ? えっ?」

「ちょっと、いじらせて貰った。そうでなければ、これからの調査に支障を来すからな」

「ええ?」

「それは一日しか持たないから、安心してくれ。ではブラックホールが出現した場所に行くとしよう」

「あ、はい」

 慣れない擬態に少々、手間取りながら政彦は移動を始めた。

 

 

 政彦の案内により、彼等は目的地である、その場所へとたどり着いた。そこにあるのは小さな歪み。ぱちりと小さな稲妻が散る。

「おや、先客がいるようだ」

 レンは前方に一人のダイバーを見つけた。冷たい氷のような鎧を身に纏う騎士。それが、先客だった。

「そのようですね」

 政彦は頷いた。と、騎士のダイバーの口が開いた。

「貴様、何者だ?」

 何もない空間から人振りの剣が現れる。騎士はそれを構えて、レン達を見据えた。

 氷の剣。

 騎士の身を包む甲冑と同じ冷たさを持つ、氷の刃。それが彼の武器のようだ。

「私の名はコウメイ。……面白い、私とやり合うつもりか?」

 レンはサイバーネットでは『コウメイ』と名乗っているらしい。騎士にそう言い放ち、レンは冷笑を浮かべた。

「勝つのは目に見えているが。……なるほど、溟海学園図書館のダイバーか。まだいたとはな」

「!!」

 一瞬で相手の騎士のパーソナルデータを読みとる。それには流石の政彦も驚きを隠せなかった。騎士は少々焦りながら、でも落ち着いた表情でレン達を睨んでいる。

 と、そんな緊迫した空気を消す者がいた。

「あら、さっきも変なプログラムが来たって言うのに。今度は人?」

 影だ。ゆらゆらと、まるで彼等をあざ笑うかのように揺らめいている。その声はどうやら女性。

「ふふふ。心配しなくても、あの子達は自分で戻ってくるわ。それじゃないと鍵の意味がないもの」

「鍵だって?」

 政彦が思わず尋ねた。

「あなたには意味は無いわよ? だから、あなたたちは帰りなさい。それとも」

 影の口が三日月にゆがんだ。

「ここで死にたいの?」

 影の声に暫く沈黙していたが、

「わかった、彼等は戻ってくるのだな?」

 レンはその影に確かめるように念を押した。

「あら、いい子ね。素直な子は私、好きよ?」

 そう言って、影はその女性の耳元近くまで、その顔を近づけた。

「現実の世界のあなたもなかなかだけど、今のあなたの方が素敵だわ」

 ねえ、レン?

 最後の言葉は直接、脳に響いた。側にいた政彦にもその声が聞こえた。

 急にレンの顔が凍り付く。

「戻るぞ」

 短く、レンは告げた。その声は、震えているように感じる。レンと政彦はその場を去った。

 

10

 

 その後、エ・ディット達は図書館のダイバー達と合流を果たしていた。

 今は人気のない場所で彼等は集まっていた。

「本当に戻れるのか?」

 エ・ディットはじろりと金髪の青年を見る。

「やってみなくては、分からないでござるよ?」

 負けじと見返す、ござるを使う金髪の青年。その顔には汗が見えた。

「分かった。では始めるか」

 そう言ってエ・ディット達は擬態を開始する。たちまち、いつもの見慣れた黒のスーツ姿と深紅の獣になった。

 それを見て、ダイバー達も擬態を始めた。黒いコウモリのような翼を持つ女性。過去の新撰組を思わせる武士。もう一人は外見はそれほど変わっていないが、その手には札のようなものを持っている。栗色の髪の少女は腕にアームギアを付け、ゴーグルが顔を覆う。

 そして、最後の一人。両耳にアンテナをつけたオートマータの青年は空高く飛び上がり、蒼い光と共に大きな翼を持つ、一羽の鳥になった。ゆっくりと栗色の髪の少女の腕に降り立つ。

「準備はいいな?」

 エ・ディットはダイバー達に尋ねた。

「始めましょう」

 札を持つ少女のかけ声で、それは始まった。

「グライドっ!」

 エ・ディットの声と共にティンヴァは赤い炎に包まれた。

「ジオ、GO!」

 栗色の髪の少女の声に応えるかのように、蒼い鳥のダイバーも蒼い炎を身に纏う。

 彼等の作戦はこうだ。

 もう一度あの原因になった攻撃を再現する。そうすればまた、あのブラックホールが現れて、元に戻れるのではないか? そんな金髪の青年の提案を実行する事にした。

 弾ける炎。巨大なエネルギーが火花を散らす。

 そして、再び現れる未知の空間。前回は暗闇のような暗い空間だったが、今回は純白を思わせる白の空間。

 それを確認した瞬間、彼等はまた、そのホワイトホールに飲み込まれた。

 

 

「戻って……来たのか?」

 エ・ディットはゆっくりと辺りを見回す。そこはまさしく、見慣れたサイバーネット。変わりなくラインは暗闇の中で輝いている。

「そのようです」

「では、ライズしてみるか?」

 エ・ディットの声に頷くように、彼等はライズを始めた。

 

 

 ピピピ。

 ネットに繋がれたコンピュータが鳴り出した。それは、現実の世界に戻ってくる事を告げるもの。

「エ・ディット!」

 エムは叫んだ。

「ようやく戻ってきたか」

 点滴を外しながら、航一郎は安堵し、

「よかった、一時はどうなるかと思ったよ」

 政彦も安心した表情を浮かべる。

「全く困った話よね?」

 ジュラは言う。

「とにかくやっと戻ってきたんだ。労りの一言も掛けてやらないとな」

 そう言って、レンは笑う。

「……あ。戻って、来たのか?」

 まだいくらかぼんやりしているエ・ディット。

「エ・ディット……」

 エムが駆け寄る前に、それは動いた。

「エ・ディット様!」

 ティンヴァだ。

 ティンヴァはエ・ディットに抱きつくように彼の顔をのぞき込むと。

「!!」

 キスをした。

 ずきりと、エムの胸に痛みが走る。

「へえ、お熱いことで」

 ジュラは冷やかす。

「エ・ディット。調子はどうだ?」

 それに構いもせずに、航一郎が尋ねた。

「まだ、ぼーっとしてるが、大したことないぜ」

 そのエ・ディットの声に苦笑するレン。

「では、さっそく溜まった資料の整理を頼もうか?」

「げ。マジかよ?」

「冗談だ」

「んなこと言うなよ。びびったじゃないか。全く」

 そう言ってエ・ディットは、その腕にティンヴァを抱きながら怒っていた。

「とにかく、今日はゆっくり休むといい。仕事は明日からな?」

 レンはそう言って、仕事があるからと足早に出ていった。

「さーて、あたしもさっさと行こうっと」

 ジュラも後を追う。

「あ、おれも調べることがあったんだっけ」

 政彦も出ていく。

「さてと、行くか」

 航一郎も使った点滴を転がしながら、その部屋を出ていく。

「エム……」

 エ・ディットが優しく声を掛ける。

「心配かけたな」

 が、その言葉を全て聞き終えないうちに、エムは大きな音を立てて、ドアを締め、出ていった。

 また、ちくりと痛みが込み上げる。と、同時に涙も。

「嬉しいはずなのに、何で、苦しいんですか?」

 エムの痛みは、誰にも分からない。いつの間にかエムは外に出ていた。相変わらず、桜が舞っている。

「可愛そうに……」

 声が聞こえた。ふとエムはその顔を上げる。桜の木の下で、その人はいた。

「あなたは?」

 金の髪に澄んだ蒼い瞳。どことなく誰か知っている人のように感じながら、女性に尋ねた。

「私は……そう、ルナ。あなたの力になってあげましょうか?」

「え?」

「すぐには答えられないわよね? また来るわ。その時にあなたの返事を聞かせて」

 そう言い残すと女性は、舞い散る花びらと共に。

 消えた。

 残されたのは、はらはらと舞う花びらの音と、涙の乾いたエムの複雑な顔だけ。

「ルナ?」

 もう一度、エムは呟いた。

 

11

 

 静かな部屋。ここは航一郎の一室。カーテンで部屋は暗い。その部屋にはベッドが一つ置かれていた。現在、そこには一人の少年が寝ている。航一郎が保護した、あの自分をオートマータと言い張る少年だ。

「お父さん……」

 少年は呟き始めた。

「お母さん……ジオ……」

 最後のは兄弟の名前かも知れない。それを繰り返しながら、寝ていた。航一郎はそっとベッドの布団を直してやり、静かに部屋を出ていった。

「ふう。一体、何があったんだ?」

 航一郎は自分の机に向かう。

「とにかく、彼が目覚めるまで待たねばならないようだ」

 ふっと机の引き出しに目が止まる。がらりとそれを開け、そこから一枚のカードを取り出した。懐かしそうにそれを眺めていたが。

 かたん。

 少年の寝ている部屋から音が聞こえた。

 すぐさま航一郎が駆けつける。

「どうした?」

 扉を開け、航一郎は声を掛けた。

「あ、あの。その……」

 側に置いてあった眼鏡を掛け、少年はしどろもどろに答えた。

「トイレ行きたいんだけど」

 少年の告白に苦笑しながら、航一郎は少年に駆け寄った。

「こっちだ」

 少年を抱えると、航一郎は目的地まで彼を軽々と運んだ。

 

 

「名前は?」

 暖かいミルクの入ったカップを航一郎は少年に渡す。

「マサキ……マサキ・ミスカトニック」

 カップを受け取り、はっきりと答えた。

「では、マサキ。その怪我は誰にやられたんだ?」

 航一郎は、コーヒーを一口飲んでから、優しく尋ねた。

「誰かはわかんない。沢山、人がいたから」

「追われているのか?」

「たぶん、そうだと思う」

 そして、ミルクを飲み干し、今度はマサキが航一郎に向き直った。

「お父さんは? 僕と一緒だったんだけど」

 心配そうにマサキは尋ねた。

「いや、マサキのいた所には誰もいなかった」

「じゃあ!」

「おそらく、マサキを追っている奴らに、捕まったのだろうな?」

「助けなきゃ! お父さんを助けなきゃ!」

 一生懸命に立ち上がろうとするが、怪我の痛みですぐに座り込んでしまう。

「僕はどうなってもいいよ……オートマータだから、心配しないで。だから、早くお父さんを助けて!」

「そう言われても、相手が分からないのでは、手の施しようがない。マサキは何処から逃げてきたんだ?」

「……わかんない。何かの研究所だと思う」

「とにかく、今はマサキの怪我を治すのが先決だ」

「でも……」

「マサキのお父さんも、きっと無事だ」

 航一郎の言葉に俯くマサキ。

「そうだ、最後に一つ。マサキのお父さんの名前は? 後で調べてやろう」

「ケインだよ。ケイン・ミスカトニック!」

 マサキは元気に答えた。

 

12

 

 一方、ここは政彦のアパート。政彦は一人でダイブの準備をしていた。

「とにかく例の単語を調べてみないとね」

 政彦はヘッドマウントディスプレイを起動させて、すぐさまダイブを始めた。

 

 

 政彦は擬態の姿を確認した。いつもの黒猫だ。

「よかった。あのままだったらどうしようかと思ったよ。あれじゃ、ちょっと慣れないから」

 苦笑する。

「さて、あの言葉を調べてみようかな?」

 そう言って、政彦は公開されているホームページを中心に検索を掛けた。

「えっと、EL、ELっと」

 それは思ったよりも早く見つかった。

「これだ!」

 さっそく政彦はそれをダウンロードしながら、読んでいった。

「えっと、なになに。『ELとは、Emotion Life Projectにより、生み出されたオートマータに付けられる略称である。現在、この略称を付けられているオートマータは19体あるが、その内4体は暴走、紛失等の事故により所在不明』……なるほどね、じゃあそのプロジェクトについて調べてみよう」

 と、また、検索を掛けた。が。

「な、何これ……」

 膨大な量の資料。件数にすると1万件を越す。どうやらこのプロジェクトは沢山の資料があるようだ。

 くらりと政彦は倒れそうになる。

「とにかく、今日はこれで帰ろうかな」

 そう政彦は決めて、いち早く立ち去った。

「どうしよっか、これから」

 苦笑しながら、ライズを始める政彦。大量の資料をどうやって見ていくか。それとも、諦めて別の方向を調べるか。政彦はこれからのことをどうしようかと、思案始めた。

 

13

 

「研修ですか?」

 レンは電話の相手に尋ねた。

「ですが、今行う必要があるのでしょうか? ……はい。目的は息抜き、ですか。そうですね、息抜きも必要かも知れません。……はい。分かりました。ではその手続きをこちらで行っておきます。では、また」

 そう言って電話を切ろうとしたが。

「はい? トップが来る?」

 ぴくりとレンの眉が寄った。

「はい、はい。分かりました。他の者にも伝えておきます。はい。では、また連絡します、女史」

 そう、締めくくってレンは電話を切った。

 

 

「え? 研修?」

 そのレンの突然の提案にジュラは声を上げた。

「それで、場所はどこなんですか?」

 政彦は尋ねる。

「KTV。正確には空谷テレビ放送。空谷村唯一のテレビ局だ。ローカルだがね」

「知り合いを連れていってもいいのか?」

 航一郎も尋ねた。

「ああ、構わないですよ、先生。ですが、後で人数を教えて下さい。昼食などの準備もありますから。それとエ・ディット」

 ここには珍しくエ・ディットとティンヴァもいた。

「君は必ず参加すること」

「なんだよそれ」

「上司命令だ」

「だからなんでだよ?」

「では、後の細かいことは各自に渡したプリント通りだ。はい、解散」

「無視するな! レン!」

 ふう、とレンはエ・ディットの様子にため息を零した。

「エ・ディット」

 まじめな顔でその名を呼ぶレン。

「な、なんだよ?」

 エ・ディットの額から一筋の汗が流れた。

「本当は言わないで置こうと思ったのだが」

「?」

「私のリサーチの結果、KTVの近くにはゲームセンターがある」

「わかった。いこう!」

 がらりと態度を変えるエ・ディット。

「エ・ディット……」

 エムは苦笑した。どうやら、エ・ディットはゲームセンターが好きならしい。そのことを知ることが出来て、エムは少し嬉しかった。

 研修は今日から約1ヶ月後だ。

 

14

 

 マヤはコンパクトなノートタイプのコンピュータを起動させた。いつものメール確認である。

 ぴっという音と共に、メールが一通届いているのを告げた。

 かちりとそれを開いてみる。どうやら、映像ファイルのようだ。それを確かめて、慎重に起動させた。

 画面一杯に中年の男性が現れる。

『やあ、諸君。イギスのジョシュアだ。調査の方はいかがかね? 諸君に朗報だ。調査員の一人が重要な手がかりを手に入れた。どうやら、あのオートマータは溟海学園の図書職員が匿っているそうだ。とにかく図書職員を当たってくれ。きっと何かを手に入れられることだろう。また何か分かったら諸君に報告しよう。では、またいい結果を待っているよ』

 そう中年の男性、ジョシュアが言うとそのファイルは自動的に消滅し始めた。

「ふふふ。私の情報が役に立ってるみたい」

 そう言って満足そうに微笑むと、そのコンピュータをしまった。

「あのオートマータは私が頂くわよ?」

 

 

 ●次回GP

銀映K1 KTVに研修だ!

銀映K2 オートマータ調査を続行!

銀映K3 ルナに関わる(エム専用)

銀映K4 マサキに関わる

         (ジュラ・航一郎専用)

銀映K5 他の人に関わる

銀映K6 何かを調べる

銀映K7 立て! 立つんだ! 俺様!

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