銀映 第3話 黒衣の薔薇があざ笑うかのように
0
側にいるのが私の役目
側にいてあの方をお守り、支えるのが私の役目
なのに、何故、あの人がいるの?
分からない
理解不能
でも、側にいたい
これは……何?
理解不能
理解不能
1
たぷんと、洗面器に満たされた水が音を立てた。馬川・M・藤丸はその洗面器を運んでいる。ここはエ・ディットの部屋。運ばれた後、エムと和田政彦、ティンヴァとでエ・ディットの着替えを済ませ、医師である神崎・航一郎に来て貰っていた。
「エ・ディットさんの容体は、どうなんですか?」
エムは、エ・ディットの隣にある棚に洗面器を置いて、診断している航一郎に尋ねる。
「心配ない。ただの風邪だ」
汗をかいて、眉を潜めるエ・ディットの腕の裾を捲った。
「これを打てば、すぐ直る」
「薬は……嫌いだっ」
航一郎が注射を用意するのを見て、エディットが言う。
「俺は、もう……平気だ。だから、帰ってくれ……」
と、立ち上がろうとする。
「無理をするな。まだ熱は取れていない」
「そうですよ、ちゃんと先生の言葉を……」
エムも航一郎の言葉に同意したが、聞いちゃいない。
「あいつらに……貸しが……」
「こいつを押さえてくれ」
急に航一郎はエムに頼んだ。
「あ。はい!」
「こら、離せ……」
病人のくせに力はそれほど劣ってない。が、エムも航一郎も負けてはいない。
「お手伝いいたしますわ」
オートマータのティンヴァも加わって、航一郎はエ・ディットに注射を打つのを成功させた。
「ふう、こんな年にもなって薬が嫌いだとはな」
航一郎は額の汗を拭った。
それにエムは苦笑する。
「そうですね。意外です」
エムの苦笑に釣られて、航一郎の目が和らいだような気がした。
「起きたら着替えさせて、栄養のあるものを食べさせて置いてくれ。これはまだ、熱が下がらなかった時の解熱剤だ。他に何かあったら、第五セクションの516号室に来てくれ」
「分かりました」
エムの頷きを確認してから、航一郎はその部屋を去った。
「良かった、たいしたことなくて」
「そう、ですね」
ティンヴァとエムは小言で話を交わした。
2
彼、錬李飛は珍しく、悩んでいた。きっと、こんなに悩んでいる彼を見るのは、調査団のメンバーでも初めてではないだろうか?
食堂で、昼食を取っているときも、彼の眉は寄せられたままだった。
と、レンの前を一人の女性が歩いていく。それを見て、レンはぽんと手を打った。
「ああ、丁度いいところに。ビアトリス」
「!!」
ビアトリスが何か言ったようだが、聞こえなかったことにして、レンは話し始めた。
「ビアトリス、学園祭に行ってみないか? 重要な情報が得られるそうだ」
そういって、ビアトリスの肩にぽんと手をおいた。
「ちょっと付き合ってくれないかな?」
そのレンの言葉に、ビアトリスの顔が引きつる。
「今日はこれから、用事が……」
「君の担当の報告書がまだのようだが?」
その台詞にビアトリスの顔が青くなる。そう、彼女の報告書はまだ提出されてはいない。
「分かりました。お供させていただきます」
ビアトリスの言葉に、レンは微笑んだ。そして、一歩離れて彼女を眺める。
「では、……まずその服を何とかしないとな」
「はあ?」
「やはり、ここはスーツか……それとも……。いや、スーツで……」
困惑するビアトリスに、レンはやっと気が付いたようだ。
「ああ、これは私のポケットマネーで払うから。心配しなくても構わないよ」
「はい?」
「そうと決まれば、今すぐ用意しないと、遙との約束に間に合わなくなる」
「え?」
レンになかば、引っ張られるようにビアトリスは食堂を後にした。
3
エムは前回受け取ったネームプレートを胸に、キャンプの食堂を目指していた。
「もう、ビールとウォッカしか冷蔵庫にないなんて」
彼らしいと心の中で微笑むが、顔ではその細い眉が寄っている。エムは起きてきたエ・ディットの為に、冷たい飲み物を渡そうと考えた。が、冷蔵庫の中は、エムの台詞通り、酒ばかり。さすがに病人に飲ませるわけにはいかないとこうして、食堂のそばにある自動販売機に向かっていた。
「あ、あの人は……」
ノートタイプのコンピュータを片手に、歩いてくる政彦の姿が。
「あの!」
とっさにエムは呼び止めた。
「君は、確かエ・ディットの部屋にいた……?」
「はい……エム、です」
急にエムの緊張が高まる。そういえば、政彦は男性だ。
「どうかしたのかい? おれに何か用?」
優しく微笑んで見せた、政彦。
ごくりと息を飲み込んで、
「先日は、ありがとうございました!」
思ったよりも大声で、自分でも驚く。とたんに赤くなるエム。
「何だ、そんなこと。お礼なんていいのに。あ、エ・ディット、風邪だってね。たいしたことなくてよかったよ」
「あ、はい」
俯きながら、答えるエム。
「そう言えば、あの時、ダイブする前から調子悪かったってティンヴァが言ってたけど、君、知ってる? まさか、前日の大雨の中走り回った訳じゃあるまいしね」
「……前日?」
その政彦の言葉にエムは前日の事を思い出していた。彼は確か、こう言っていた。
『ちょっと頭を冷やしてくる』
そう、それは外へ出て行ったと言う証拠ではないのか?
そしてその原因を作ったのは、自分。
彼を、体が拒んでしまった。心は、彼のものだったのに、体を、自分の全てを知られるのが怖かった。
そう、それは自分が引き起こしたこと。
「……私は、知らなかったです」
胸が、軋んだ。
と、政彦がそんなエムをお構いなしに、声を出した。
「あ、そのう、ちょっといいかな?」
「え?」
にっこりと爽やかに。でも、僅かに緊張して。
「占い、したくない?」
しまった。これは話の本題ではない。心の中で政彦は涙した。
「お願いしても、いいですか?」
が、結果は上々? エムの答えは政彦の予想を裏手に取ったようだ。
「じゃ、コンピュータ室に行こう。あそこはあまり人がいないから」
政彦の言葉に頷くと、エムは彼の後に付いていった。もう、エムの頭はエ・ディットとの相性の占いのことで頭がいっぱいで、本来の目的は頭の隅に追いやっていた。
4
賑やかな歓声が学園内に響き渡る。今日は創設祭である。そのなかでも忙しそうに駆け回っているのは、ジュラ・ハリティ、その人だ。
「嬢ちゃん、ぼっちゃん。寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 世にも珍しい翼竜のアクロバット飛行よ!」
その声に応えるかのように、ジュラの翼竜、ゴールディはくるくると広い空を優雅に舞ってみせる。
「すごーい!」
「どうやって教えたんだろうね?」
小さい子供からは驚きと喜びの言葉で一杯だ。大人達も、その翼竜の動きに感心しているようだ。
「なかなか良いみたいね」
見物料金を入れたポーチは、ジュラを満足させる重さに近づいてきていた。と、観客の一人がジュラの側に来る。
「ジュラ、用事とはこのことか?」
調査員で医師の航一郎だ。どうやら、仕事を抜けてきたらしく、相変わらずの白衣を着ている。
「やっと来たのね。待ちくたびれちゃったわよ」
そのジュラの台詞に航一郎は、ふう、とため息が漏れた。
「で、用事はなんだ?」
待ってましたと言わんばかりに、
「ゴールディ、来なさい!」
と、翼竜を呼ぶ。
「?」
困惑する航一郎を腕に掴んで、ジュラは、
「さあ、翼竜で空谷村の大遊覧飛行を始めましょうか!」
無理矢理、翼竜に乗せてしまった。
「おわあああああ!」
航一郎の叫びは空しく、空に吸い込まれた。
「ねえねえ、メイ・カイ湖があんなに綺麗よ! て、全然風景見てないわね? 駄目よお、ちゃんと楽しまなきゃ!」
ジュラのはしゃぐ台詞に半ばウンザリとしながら、航一郎は言われたとおりに風景に目をやった。
地上よりも自然が残っている空谷村。その森や草原、湖からは生き生きとした精気を感じる。そしてその自然の中で、雄々しい恐竜たちが生活している様子は、とても素晴らしい光景だった。それにもうすぐ日が傾くらしく、青から朱へ変わる空も、美しい。
「綺麗だ……」
呟くように感想を述べる、航一郎。その言葉にジュラは満足そうに微笑んだ。
「あら? あそこにいるのって、レンじゃない?」
と、突然、ジュラが声を出した。
「何処だ?」
「ほら、あそこよ!」
そう言って指し示すのは、学園内のお祭り場所。昆虫のアリのように小さい人だかり。
「良くわからんな」
「本当よ! あの顔、あの服、間違いないわ。何でここに来ているのかしら?」
「さあな。聞いてみないと分からない」
「もう、全然興味ないんだから」
むっつりと膨れるジュラ。
「じゃ、そろそろ帰りましょう。千円でいいわよ」
「ああ、分かっ……何? 千円だと?」
「そうよ。誰がタダで乗せるって言いました?」
きりきりと痛むような胃を押さえながら、航一郎は渋々、夏目漱石の印刷してある紙幣を取り出した。
「まいどありー♪」
どうやら、ジュラの目的の一つが成功したようだ。
5
ぱちぱち。コンピュータにとあるパスコードを入力している音が部屋中に響き渡る。
政彦は片っ端から、パスコードを入力していた。
『エラー』
何度、その表示を見ただろう。
「これも駄目ですね」
政彦の隣にいるエムはペンでパスコードを消していく。もう、日が暮れて、部屋は薄暗くなっていた。
ぱちり。
エムは電気を付けた。たちまち、部屋は明るくなる。
「ごめん。今日はこの辺で終わりにするよ」
苦笑しながら、政彦は重い腰を上げた。
「それって、何ですか?」
エムは少し興味を持ったらしい。政彦に尋ねる。
「ちょっとね、拾ったんだ。これを」
そう言ってコンピュータから、マイクロチップを取り出し、エムに見せた。
「あ、何か書いてありますよ? 『EL-10』?」
「! 気付かなかった! もしかして、それがパスコードかも!」
そう言って、コンピュータに入力した。が、
『エラー』
どうやら、違うようだ。
「でも、何かのヒントにはなりそうだな」
ふと、視線に気付く政彦。
「あの、占い……」
じとーっとした視線を投げかけるエム。
「あ、今やるよ。何を占って欲しい?」
急いでコンピュータをしまうと、政彦はポケットからトランプを取り出した。
「ある人との、相性を……」
「OK、じゃ、早速始めよう」
政彦はトランプをきり、それをエムに渡す。
「君の占って欲しい相手を思い浮かべて」
そして、政彦の指示に従って、カードを並べ始める。
「それじゃ、結果を見よう」
そう言って一枚一枚、捲っていく。ごくりと息をのむエム。
「ちょっと大変そうだなぁ。ライバル出現のようだよ?」
「ライバル?」
「それに、いろいろな障害もあるみたい」
「障害……」
「でも、それが解消されたとき、幸せが訪れるって出ているよ」
「本当ですか!」
「頑張ってね」
政彦の言葉に、エムは力強く頷いた。
6
遠くに前夜祭の興奮した歓声が聞こえてきた。
ここは学園の体育館の裏庭。そこで、二人はいた。
「あなたが、志村ヨージね?」
ジュラは確かめる。
「ああ、そうだ。お前がジュラ?」
耳には三つ、ピアスが付けられており、前髪にメッシュの入っている茶髪を掻き上げた。
「あなたのことは、クラスの友達から教えて貰ったわ。情報屋のヨージってね。あたし達の知らないことまで、よく知っているって」
「光栄だねぇ」
「あなたに聞きたいことがあるの」
「何をくれるんだ? アンタは」
ジュラはヨージの言葉に頷きながら、財布からちらりと紙幣を見せる。福沢諭吉の頭が見えた。
「金持ちだなぁ。いいぜ。何を知りたい?」
「最近、オートマータを見たって情報ないかしら? 調査団や地上人が持っているものではなくて、もっと別なのを。それと、こんな銀の髪を持っているオートマータのこと、知らないかしら?」
そう言って、銀の髪が入った瓶を取り出し、ヨージに見せた。ヨージは顔を近づけて、じっくりと観察している。
「銀髪かどうかは知らないけど、図書館の職員がオートマータを見たって、言ってたぜ? 話によると、拾ったんだってさ」
「それは確かなの?」
「もちろん! それとも別なヤツから聞くかい? 俺の持っている情報は手に入らない」
「分かったわ。ありがとう」
そういって微笑んだジュラが渡したのは、500円玉。
「おい、これってなんだよ! 一万じゃないのか!」
そういうヨージの言葉を無視して駆け出すジュラ。
「待てよ! 冗談じゃないぜ!」
が、捕まらなかった。
「ゴールディ!」
ジュラは翼竜を呼ぶと、すぐさま跨り、大空へと飛び立った。
「くそっ! 冗談じゃないぜっ!」
一人、ヨージだけぽつりと残された。
7
「ここに呼んだのは、他でもない。君たちに頼みたいことがあるんだ」
レンはそう言って、切り出した。
ここはレンの個人の部屋。レンの他には政彦と航一郎がいた。と、急に扉が開いた。
「ごめんなさい。ちょっとここって、森よりも分かりづらいところね?」
ジュラが、エムと共に入ってきた。どうやら、外を歩いていたエムにここの場所を案内して貰ったようだ。
「それじゃ、私はここで……」
エムは戻ろうとしたが、
「君も、一緒にいかがかな? ここに来たのも何かの縁。ぜひ、君にも聞いて貰いたい。今は何も関係ないかも知れないが、後にエ・ディットの為にもなることだよ」
レンの何時になく真剣な物言いに、仕方なく頷くエム。
「では、始めよう」
合計四名になった部屋はやや狭く感じられた。
「我々は、前々からとあるオートマータを追っている。そのオートマータは銀髪の青年タイプらしい」
その言葉に、三人は頷く。エムはそのことは初めて聞くことだった。
「だが、ここで問題が出てきた」
ぐるりと皆の顔を見回すレン。
「私はこの調査団で一つのセクションを束ねる役目をしている。そのため、この調査にはそれほど時間を費やすことが出来ない。そこで、この調査を纏める者を指名したいと思う」
そして、レンは航一郎を見た。
「神崎先生。貴方にその役目をお願いしたい。いかがでしょうか?」
「……分かった。俺で良ければ、その役目を受けよう」
それに満足な笑みを浮かべ、握手を求めるレン。
「ありがとう、後は頼みましたよ」
「ああ、任せてくれ」
二人は握手を交わした。
「これから先は、神崎先生に指示を出すつもりだ。皆は神崎先生からその指示を受け取って欲しい」
「わかったわ」
「先生から聞けばいいんだな」
二人は頷いたが、
「あの、私は……」
おずおずと申し出るエム。
「君たち、今日の所はこれで終わりだ。また何かあったら伝えよう。ご苦労様」
そう言って、エム以外の者を追い出した。
残ったのは二人きり。
「君に、頼みたいことがあるんだ。いいかな?」
レンは囁くように優しく告げた。
「頼みたいこと、ですか?」
「ああ」
エムの言葉に頷いて見せた。
「君にはティンヴァの監視を頼みたい」
告げられる言葉は、意外な事実。
「何故? 何故、ティンヴァさんを?」
「もしものための、保険のようなものだ。先日、私が調べてみたんだが、どうやらあのオートマータはエ・ディットが個人で買ったものだと分かったのだよ。相手はマッドサイエンティストで有名な学者だ」
「!」
「もしかしたら、暴走を起こすかも知れない。何かあったら、これで知らせて欲しい」
そう言って、胸ポケットから取り出した携帯電話を渡した。
「これは私の持つ電話にしか、繋がらないものだ。注意して使ってくれ。では、そろそろ私も用事があるのでこの辺で失礼するよ。後は頼んだ」
そう言ってレンは、エムを部屋から送り出す。当の本人は、
「マッドサイエンティスト? どういうこと? もしかして……」
混乱しながらも、足早にその場を後にした。
エムは、エ・ディットのいる部屋へと戻ってきた。どうやら、買い物に出ていったらしく、ティンヴァはいない。エ・ディットは目を覚ましていて、本を見ている。
「あ、戻ってきたか? ティンヴァ」
エ・ディットの言葉は、皮肉にもエムに向けられたものではない。
「あっ、……エム、なのか?」
「はい」
やっと、エムに向けられた言葉が来る。
「すまん、……悪かったな」
「いいえ。いつものことですし、かまいませんよ」
そのエムの台詞を最後に、沈黙が部屋を支配する。
聞こえるのは、エ・ディットの持つ本を捲る音のみ。
少し、きつい台詞だったのか?
エムの心に後悔が募る。
「ごほ、ごほ」
エ・ディットが、その沈黙を破った。
「大丈夫ですか? エ・ディットさん!」
エムはとっさに駆け込み、エ・ディットの背中をさすった。
「あ、ああ。……もう大丈夫だ」
「良かった」
エムはほっと、胸をなで下ろす。
「でも、また熱が上がったんじゃないですか?」
そう言って、手袋を外し、その手をエ・ディットの額に当てる。エムの、ひんやりとした手がその額に伝わる。
「どうやら、熱はないみたいですね……」
と、その手を見ていたエ・ディットが口を開いた。
「エム、お前……その手、そこも怪我をしていたのか?」
そのエムの手には、何かで打ち付けられたように抉られたような傷跡が刻まれていた。
「あ……」
とっさに手袋を掴む手をエ・ディットが止める。
「どうして、お前はこんなに傷ついているんだ? 何があった? 顔だってそうだ。何で傷が?」
「そんなこと、どうだっていいんです」
「どうだっていい事ってないだろ!」
びくりと体が反応する。
あ、っとエ・ディットは言葉を漏らした。
「すまない。驚かすつもりは、なかったんだ。……駄目だよな、何時も裏目に出る……」
そんなことはない。
その、たった一言が出ない。
「誰だって、言いたくないことの一つや二つ、持っているからな……」
あなたに、知らせたい。
「言いたくなったら、何時でも言えよ。聞いてやるからさ」
知って貰いたい。
そして、やっと口に出来た言葉は。
「ティンヴァさん、マッドサイエンティストの方に造って貰ったそうですね……」
「それを、何処で知った?」
視線が、痛かった。
8
政彦は調査団のキャンプの前で、青年と女子学生、そして老人と不思議な団体を見つけた。
「お前達、何しに来たんだ? 関係者以外は立入禁止だぞ」
キャンプの入り口に立っていた警備員に呼び止められたようだ。
「どうしよう? これじゃ、話も聞けないよ」
女子学生がそう、老人に告げる。
「どうかしたんですか?」
思わず、政彦は話し掛けた。三人組は、急に声を掛けられ、驚いた様子だったが、落ち着くと女子学生が代表して政彦に事情を話し始めた。
「あの、今、調べ物をしていて。もしかしたら調査団の方に聞いてみたら、分かるかなって思って来たんです。後で他に5人ほど来るんだけど……」
もしかしたら、レンに頼めば何とかなるかも知れない。
「それじゃ、おれが中に入れるように聞いてくるよ、ちょっと待っててくれる?」
政彦はそう、彼等に告げるとさっさと中へ入っていった。
レンは部屋にはいなかったので、キャンプ中を探したが、それでも15分ほどで見つけることが出来た。
レンの隣には、見知らぬ人物が……。
「レン、その人は?」
政彦は駆け寄り、尋ねた。
「ああ、政彦か」
レンは政彦に気が付いたようだ。
「こちらはミス・レクトだ」
「初めまして、私はレクトと申します。以後お見知りおきを。政彦様」
そう言って、彼女は微笑んだ。レクトは、外見は青年を思わせるかのような身長に、スーツ姿でパンツを履いている。そして、短めに切られた癖のない髪を見れば、男性と間違えそうになるだろう。
まあ、その凛とした高い声を聞けば、すぐに女性だと気付くことだが。
「それでは、私はこの辺で。またお会いしましょう」
そう言って、レクトはどこかへと去っていく。
「そう言えば、私に用かな?」
レンが政彦に尋ねた。
「あっ! いけない。忘れてたよ。実は……」
政彦は先程見た、三人組の事を話すと、レンは快く力になると一緒に彼等のもとへと来てくれた。
三人組の名は学生の少女が五十嵐八百合、老人はダイム・ウィル・オーヴェル、黒髪の青年は、神代八雲と言うらしい。
彼等は、レンの用意した部屋で、一晩泊まることになった。
時間は少し遡る。航一郎のいる部屋にノックが響いた。
「どうぞ」
航一郎は個人で行った調査結果を纏めながら、応えた。
「失礼します」
入ってきたのは、先程レンの隣にいたレクト。
「あなたは?」
「レクトと申します。初めまして、神崎・航一郎先生」
何故か、彼女は神崎のことを知っているようだ。
「あなたのことは、レン様から聞いておりますわ。何しろ腕のいい医師だそうで」
「それはどうも」
航一郎はじっと見つめる。何を知っている?
「今日は御挨拶に来たんです。あの方も、くれぐれもよろしくと伝えるようにと」
「あの方?」
「あなたのことが、とても気に入ったそうですよ? 別れた家族のことも含めて」
「!」
「調査の方も頑張って下さいね。あなたの成果を期待してます。では、今日はこの辺で。お忙しいところをお邪魔して申し訳ありませんでしたわ」
そう言って、彼女は去った。
「何故、家族のことを知っている?」
翌日。
ダイム達は、政彦のガイドで調査団のキャンプ内を歩いていた。
「ここが、調査団の食堂。で、あそこが調理室。こっちには飲み物と煙草の自動販売機があるよ」
昨日も利用させていただいたのだが、それを知らずに親切に教える政彦を思い、三人は彼の後をついていった。と、食堂で休憩しているレンを見つけた。レンは立ち上がり、食堂の席を勧めた。
「何か飲みますか?」
レンは三人に尋ねる。
「あ、おれがいきましょう」
政彦はレンよりも早く、三人の注文を聞き、自動販売機へと駆けていく。
「ところで、ここでは天上人の人も働いてるんだな?」
八雲がレンに話し掛けた。
「ええ。人手が不足しているので、手伝って貰っているんですよ。あ、ちょっと煙草を吸ってもよろしいですか?」
レンはそう言い、同意を得てから、一本の煙草に火を付けた。
「お待たせ。持ってきたよ」
政彦は暖かい飲み物を三人に手渡す。
「レンは何にします?」
隣にいたレンに政彦は尋ねた。
「いや、いいよ。煙草を吸っているからね」
「そう? じゃ、おれの分を持ってくるよ」
政彦は再び、自動販売機へと歩いていった。
と、先程の警備員がやってきた。
「レンさん。来ました」
警備員に連れられて、少年少女の5人組が現れた。
「ありがとう」
警備員は頷き、担当場所へと戻っていった。
少年少女達の名は、石野守、緋月朝水、神谷心太、鈴原虎太郎、天野千恵という。
ダイム達と合流して色々と話しているようだ。
と、それが終わったらしい。レン達に話し始めた。
「すみません。あの、おれ達はこの石について調べているんだ。何か心当たりとか、ありませんか?」
守が代表して前に出る。
「ほう、これがその石かい? ……残念ながら、その石のことは知らないな」
レンはそういって、石を守に渡した。
「その、竜の民の伝承の事でもいいんだけど。何か知らない?」
今度は朝水が乗り出してきた。
「竜の民って、森に住んでる?」
政彦がそれに応える。
「うん」
朝水は頷いた。
「何か知らない? なんでもいいんだ」
朝水はもう一度、尋ねる。
「竜の民の伝承か。話には聞いたが、詳しいことはまだ、こちらでも調査中だよ。わざわざ来てもらったのに、残念だ。……そうだ、何か分かったら、君たちに伝えよう」
レンはそう、苦笑混じりに告げた。
「お願いします」
虎太郎は皆に代わって、深々と頭を下げた。
「あ、そうだ!」
と、千恵が声を上げた。
「なぁに~、まだぁ~?」
心太が疲れたような声を出す。
「ちょっと待って。これで終わりだから。……で、竜の民の伝承のこと、知らないんでしょう? だったら良いこと教えてあげる。伝承の一部にこういう文があるの。『与えられし妙薬 発展を促し』ってね。それってエンゲージの薬か何かのことじゃない?」
「それは、本当のことか?」
レンは、千恵に確かめるように尋ねた。
「本当よ。何だったらその伝承、教えてあげようか?」
「喜んで」
レンは千恵達から伝承を教わった。
9
がたん。
その扉は急に、大きな音を立てた。
「レン、これはどういうことだ?」
エ・ディットはレンの部屋にずかずかと入ってきた。
「ノックを忘れているぞ」
「そうじゃないだろっ!」
だん、と机を叩く。エ・ディットの隣には、エムの姿もあった。
「ティンヴァのことを何処で知った?」
きっ、と睨み付けるエ・ディット。
「お前なら知ってると思うが?」
レンはその表情を崩してはいない。彼の前には、例の『suzaku』が起動している。
「調べてどうするんだ? アイツは信用のおけるヤツに頼んで造って貰ったんだ。お前には関係ないだろ?」
エ・ディットが食ってかかる勢いで叫んだ。
「お前だけならいいんだ。だが、ここに連れてくる以上、充分に調査してからでないといけない。ここでは多くの者が住んでいるんだ。何かあった後では遅すぎるのだぞ?」
「ちゃんと書類は出しただろ?」
「用件はそれだけか?」
「だからっ!」
その言葉を、レンの冷たい視線が止めた。
「私にこれ以上、心配させないでくれ。そろそろ待ち合わせなんだ。これで失礼させて貰うよ」
有無を言わせない視線。それを残して、彼は去ろうとする。
「今後も頼むよ。エム」
レンはエムに囁いた。
「待てよ」
エ・ディットの声も空しく、残された。
10
ラインに乗って、また何かの情報が流れた。きらりと光が突き進んでいく。
ここはダイバー達の楽園、サイバーネット。
「たく、何を考えてるんだ! アイツはっ!」
がんがんとエ・ディットは地面を踏みつけた。
「荒れているなあ」
その横で黒猫の政彦が見ている。
「エ・ディット様、落ち着いて下さい」
ティンヴァも宥めるように言った。
「そうだな、さっさとアイツ等に喧嘩ふっかけてくるか」 そう言って、彼等はシフトを開始した。
辿り着いた先は、図書館のデータベース前。前日壊れた部分は、もう既に復元されていた。と、声がする。
「とにかく、またウイルスに感染しないよう、守らなくちゃね」
あの鎌を持った女性が意気込んでいる。
「それはそれは、ご苦労さんなことで」
エ・ディットは嫌みったらしく、拍手を送る。
と、札を持った少女が政彦の前に現れた。
「雷よ!」
札から巨大な雷鳴が!
どどーんっ!
「うわあああああ!」
避けられず、まともに受けてしまった。
「政彦様!」
遠くで、ティンヴァの声も聞こえた。
はっ、と政彦が気付いた時には、エ・ディットが鎌の女性を吹き飛ばしている所だった。自分はどうやら倒れていたらしい。
「次は何奴だっ?」
エ・ディットの叫び声が響く。
どうやら、ティンヴァもやられたらしく、政彦の側で傷を舐めている。
状況はこちらの方が不利のようだ。
政彦は重い体を感じながら、そう思っていた。
「ふん、やはりな。あれは気のせいだったか。……とにかくこいつらを始末しないといけないな」
エ・ディットはぱちりと、ティンヴァに合図を送る。ティンヴァは、政彦を安全な後ろの方へとくわえて運んだ後、すぐさま、エ・ディットの側へと駆け寄った。
「とっておきの技を見せてやろうか?」
エ・ディットはにやりと笑みを浮かべた。
政彦は重い体にむち打って駆けだしていた。
何故、このような事態になったのか?
何故、あのブラックホールは現れたのか?
話は少し、遡る。
「グライド!」
エ・ディットのかけ声をきっかけに、空中でエ・ディットの持つ黒いフロッピーを取り込み、炎を纏わせるティンヴァ。
黒い炎の固まりとなって、ティンヴァはダイバー達に向かっていった。
戦況はこちらが、勝ったかのように思われた。
が。
「クルルルルゥゥゥゥ!」
それは突如現れた蒼い鳥によって阻まれる。
鳥は蒼い炎を纏うと、ティンヴァの向かう先に立ちはだかるように。
ごうんっ!
ぶつかり合った。弾ける炎、飛び散る火の粉。
それが合わさった時、それは出現した。
ブラックホール。
それは、相手のダイバーだけでなく、エ・ディットとティンヴァをも飲み込もうとしていた。
「エ・ディットっ!」
政彦は重たい体を奮い起こす。
「馬鹿! 来るんじゃねえっ!」
エ・ディットのその声に、足が止まる。
「このことをアイツに、レンに……」
それが、エ・ディットから託された、最後の言葉。
エ・ディットとティンヴァを飲み込んだブラックホールは、それで満足したかのように、消滅した。
「どうなって、いるんだ?」
政彦は、早く、このことを伝えなくてはいけなかった。
エ・ディット達が、ブラックホールに飲み込まれた事実を。
その政彦の様子を遠くから見ている者がいる。それはまるで影のように揺らめき。
「やっと、見つけたわ。大いなる扉の鍵を……」
影はその言葉を紡ぎ始める。
「後は、捕らえるだけね?」
影が、笑った。
11
激しい轟音と共に現れたのは、金髪のやや逞しい青年、エ・ディット。
「っつうう。もっとお手柔らかにお願いしたいもんだ」
青年はそういうと、隣にいる深紅の髪の女性ティンヴァを抱え起こす。
「大丈夫か?」
「はい。特に異常はありません」
ティンヴァはそういって微笑んだ。
そして、頭を抱えながら、エ・ディットは辺りを見回した。
「って、何だここは? フランスの古城か?」
くすんだベージュで石造りの古城の一角。それが、エ・ディット達のいる場所だった。
「テインヴァ、現在地を教えろ」
テインヴァは頷くと、周りを見回した。静かなこの場所で、小さな機械音が響く。
「……わかりません」
ティンヴァは頭を軽く振った。
「ここはフランスではないことは確かです。私の持つどのデータにも、該当項目がありませんでした。それに、衛星からのナビゲーションシステムとの交信不能により、ここがどこなのかは、お答えしかねますわ」
そのティンヴァの答えに思わず、青年は顔をしかめる。
「どうなっているんだ……」
自分の服に付いた、僅かな埃を叩きながら、エ・ディットはぼやいた。
「お話を、聞きましょうか」
エ・ディットよりもいくらか若い騎士の青年が、いつの間にか現れた。
「私はヴォラーレ・ウッチェロ。シュパイエル王国で騎士隊長を務めています。あなたは?」
聞いたこともない地名に、戸惑いながらも、エ・ディットは答えた。
「俺はエ・ディット。こいつは、ティンヴァだ」
エ・ディットはティンヴァを指して紹介をした。テインヴァはその言葉に反応して、丁寧に会釈をする。
「エ・ディットさんに、ティンヴァさんですね。このシュパイエルへやってきたのは、どういったご用件ですか?」
騎士団長、ヴィの態度は、あくまで紳士的である。争う姿勢はない。エ・ディットもそれに従うように、紳士的に話を進める。
「ああ、いや、用件というより、おそらく……俺等は迷ったようだ」
苦笑するエ・ディットに少し考える様子をみせるヴィ。
「それにしても、ここをこのように破壊したというのに、無傷とは、かなり幸運でしたね」
そういわれて、やっとエ・ディットは理解したらしい。壊れた瓦礫は自分たちが壊したことに。
「そのようだ。……申し訳ない。悪気はなかったんだ」
少し大げさに困った素振りを見せるエ・ディット。
「いえ、それは構いませんよ。そちらに敵意がないことが分かりましたからね。今、この王宮にはとても大切なお客様が来られているので、少しいつもより厳重に警戒していたのです。来客なら、歓迎しますよ」
客間を準備させますから、ご心配なく。そう言い残し、ヴィはこの場を後にする。かなり手慣れた様子だった。
「この世界で暫く世話になりそうだ、ティンヴァ」
苦笑混じりでエ・ディットは呟いた。
それにティンヴァは頷いた。
もう一度、エ・ディットが辺りを見回したとき、
「ここにいると、風邪をひきますから、どうぞ中へ」
一人の兵士が彼等を城内へと招いた。
ここは、寝室。エ・ディット達が案内された部屋だ。おそらく、これでも一番下位にある寝室なのだろう。だが、この部屋にあるものは、こざっぱりとシンプルさを持ちつつ、きちんと整えられたものばかり。掃除も行き届いている。まるで高級とまでは行かないが、それでも並み以上のホテルのようだった。思わず、エ・ディットの口笛が鳴る。
「へえ、思ったよりもいい部屋だな」
「そのようですね」
エ・ディットの言葉に頷くティンヴァ。
「さーて、これからどうするか?」
と話し出すと。
「エ・ディット様。遅くなりましたが、擬態が解けてますわ」
ティンヴァが指摘する。
「そう言えば……」
気付くと、エ・ディットは黒いスーツ姿ではなく、ジャケットを着た、いつものラフな格好になっていた。ティンヴァも深紅の豹ではなく、オートマータの姿。
「じゃ、ここは現実世界か?」
「ですが、シュパイエルという国は、地球上には存在しません」
「衛星との通信は?」
「ありません」
ふう、とため息が漏れる。
「参ったな。いったいここは何処なのか分からないとはな」
「仕方ありませんわ。それに恐らく、あのダイバー達もこちらの国に来ているのでは?」
「そうだな。まずはそいつらを探すか」
くうっ、と一つエ・ディットは伸びをする。
「まずは一休みするか?」
その言葉に、ティンヴァは頷いた。
12
コンピュータが何かを読み込む音が響く。
『また、お会い出来て光栄ですわ、皆さん。私はベルティオの情報部担当、キーメイスと申します。早速ですが朗報です。先日、我が社の調査班が有力な情報を手に入れました。どうやら、我が社で追っているオートマータは長い銀髪を持ったオートマータだそうです。研究員と同じ白い服を着ていたそうです。ですが、話によるとこれは脱走時のデータであり、現在の状態は変わっていると思われます。また、何か分かり次第、皆さんにお知らせしましょう。皆さん、調査での報告、楽しみに待っていますわ』
その声を最後に、画面は止まった。
●次回GP
銀映K1 オートマータを探す
銀映K2 エ・ディット達を救う
銀映K3 誰かに関わる
銀映K4 ○○を調べる
銀映K5 俺様に付いてこい!