9.望まないこと
サーシャが仕事を始めてから四日が経った。
代わり映えすることはなく、基本的には寮から支部の方へとサーシャが通う形になっている。
騎士団長補佐官としての仕事と言えば、主にアウロへの報告ということになる。
普通に話しているように見えるアルシエでも、アウロに報告するのは緊張するらしい。
そういう意味では、サーシャはとても貴重な存在だと言えた。
だが、当の本人は――今の仕事が全てではないとはいえ、魅力をあまり感じていない。
気になることがあるとすればアウロのことだが、サーシャがいなくても騎士団長としてやってきているのだ。
サーシャ自身もここ数日アウロと接してきてそれは感じている。
「大体資料纏めたらまたヘリオン騎士団長に届けてもらえる?」
「分かりました」
「サーシャちゃんがいてくれて助かるけれど、あと三日もしたらいなくなってしまうのよねぇ」
「学生に戻ったとしても、ここは近いですしお手伝いくらいはできそうですけど」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわ――って、戻る気の方が強い?」
アルシエとしてはアウロの補佐官になった場合のことを言っていたらしい。
アルシエから見てアウロとサーシャのやり取りがどう見えたのか分からないが、少なくともサーシャはやりたいとは思えていなかった。
「アルシエさんや学校長も、私が補佐官になることを望んでいることは分かってます。両親だって、私が補佐官に選ばれたのなら喜んでくれるとは、思います。でも、私がやりたいとは思えなくて……」
クルトン家は地方の貴族――だが、騎士団について知らないわけではないだろう。
第二騎士団と聞いてどう反応したのか分からないが、少なくともサーシャが騎士団長補佐官になることを望んでいるから許可したのだ、と。
そんな周囲の期待があっても、サーシャの考えは変わらない。
アウロの補佐官になったとしても、数年後には魔法士教官になれているかもしれない。
それはきっと、自分のためにはならないとサーシャは考えていた。
「そう……サーシャちゃんは思ったよりも頑固なのね」
「あ、でもまだ迷っているくらいで……決定したわけではなくて、その、すみません」
謝るサーシャを、アルシエは優しく抱き寄せる。
思っても見なかったことに、サーシャは少し動揺する。
ただ、何となく安心する気持ちがあった。
「いいのよ、むしろ謝るのはこっちの方だから」
「アルシエさん……?」
「サーシャちゃんがあのヘリオン騎士団長に選ばれたって聞いて、わたしは嬉しかったの。ヘリオン騎士団長にとってもそれがいいと思ったわ」
「あ……」
アルシエが喜んでいたのは、アウロの相手ができる人材が見つかったからだけではない。
アウロのことも、しっかりと心配していた。
「実際、わたしじゃヘリオン騎士団長と話すときも二人だとすごく緊張するもの。でも、サーシャちゃんとなら平気よ。きっとサーシャちゃんには人を優しくさせるような、そんな才能があるんだと思う」
(違う、私はそんなんじゃ……)
けれど、サーシャは答えることはできなかった。
アウロのことを知っているから、しっかりと話すことができる――サーシャにとってはただ、それしかないのだ。
それを評価されているのだとしたら、やはりサーシャは補佐官になるべきではないと考える。
「わたしもサーシャちゃんとお話ししていて、とても熱心に話を聞く子だと思ったわ。魔法士教官にも向いていると思うの。だから気にしないでね?」
「え……?」
「サーシャちゃんがわたしやヘリオン騎士団長のことを気にして断りにくいと思ってるなら、気にしなくていいってこと。サーシャちゃんの迷ってるって言葉が補佐官になりたい気持ちが少しでもある、とかなら別だけれど」
「……ありがとう、ございます」
サーシャは俯きながら答える。
アルシエはサーシャのことも考えていた。
サーシャの迷いは補佐官になりたいかどうかではなく、アウロのことだったが。
パッとアルシエはサーシャから離れる。
「それと、もし断りにくいとかだったら言ってね? わたしからもヘリオン騎士団長に……言ってあげるから」
「少し間がありましたけど……」
「わたしが言ったら怒られそうな気がしてねぇ……」
「ふふっ、そんな人じゃないですよ」
サーシャがそう答えると、アルシエは不思議そうな表情をする。
「たまに思うのだけれど、サーシャちゃんってヘリオン騎士団長のこと知ってたの?」
「へ、な、何でですか?」
「なんかそういう雰囲気があるっていうか……だから親しい感じがあるのかなーって。幼い頃に会ってる、とか!」
「そ、そんなわけないですよっ! 初対面ですから」
サーシャは笑って誤魔化す。
実際には生まれる前の――フォル・ボルドーの記憶として知っているだけだ。
サーシャが知り合いというわけではないが、アウロのことは知っている。
(言うつもりもないけど、言ったところで信じてくれる人はいないだろうし)
「それより、すみません。時間取らせてしまって。騎士団長に渡す書類の整理急がないと」
「慌てなくても平気よ。今日はヘリオン騎士団長はちょっと離れた地下水道の入り口を見に行ってるみたいだけど、数は少ないみたいだから午後にはもどってくるはずだし。そうだ、その時にでもサーシャちゃんの気持ちをわたしがビシッと――」
バタン、と大きな音を立てて扉が開く。
ビクリとアルシエが身体を震わせた。
「ひぃ、ごめんなさいっ!」
「アルシエさん……」
サーシャも苦笑いを浮かべる。
やってきたのはアウロではなく、女性だった。
肩で息をするくらいに急いできたようだが、アルシエとサーシャの方を見るなり息を切らしながらも言う。
「た、助けてください!」
サーシャにも、女性の雰囲気を見れば分かる。
何か緊急を要する事態が起こっている、と。