6.仕事の始まり
結論から言ってしまえば、サーシャは試用という形ではあるが補佐官になるという話を受けた。
ただ、いきなりアウロに従って仕事をするというのも難しいだろうということになっている。
お互いに様子見という状態だった。
(まあ、実際断れる約束もしたことだし……)
バタン、とサーシャはロッカーを閉める。
狭い個室のような更衣室から出ると、
「まあまあ……とっても可愛いわ!」
「あ、ありがとうございます」
手を合わせて喜んでいるのはアルシエだった。
サーシャは小柄だが、幸いにもサイズの合った制服はあった。
士官学校のものとはまた違い、黒を基調とした騎士団の制服。
外での活動が主流となる《第二騎士団》の制服だ。
サーシャがアウロとのお試し補佐官を約束した後の話は早かった。
アウロはすぐに士官学校のセインのところへと赴き、「こいつ一週間借りてくぞ」と言い放った。
実際には手続き等々色々と必要になるはずだが、その辺りはすでに準備されていたらしい。
サーシャが頷けば、すぐにでも配属できるようにしていたのだ。
ただし、今はあくまで試用期間という形だ。
入学して間もないというのに、《特別士官》に指名されて一週間の休学。
基本的には士官学校の近くにあるアルシエが管理する支部を中心に活動するとのことだが――
「改めて、サーシャちゃんのことを歓迎するわ。やらないって言ったときはどうしようかと思ったけれど」
「す、すみません――って、まだ正式に決まってないですって!」
「あらぁ、そうだったわ。わたしったらつい嬉しくて……」
(こ、断りにくくする作戦じゃないよね?)
外堀を埋めた上で情に訴えかけられると負けてしまいそうになる。
合わなければやめる、という点だけはサーシャは今度こそ譲る気はなかったが。
「基本的にはこの一週間は私がサポートするから。いきなりヘリオン騎士団長の補佐官を――と言ってもよく分からないでしょうし」
「はい、お願いします」
騎士団長補佐官――サーシャの持つフォルの記憶だと中々に忙しいイメージがある。
フォルはそもそも実力のある魔導師であり、戦時は《魔法士団》に所属していた。
魔法士団は魔法に関わる事柄の研究や調査が基本となる。
騎士団に配属された魔法士官も、細かく分ければ魔法士団側の所属ということにはなるのだが、サーシャは特別士官という立場でありまた扱いの難しい立場にあった。
便宜上、発生する責任は全て第二騎士団の団長であるアウロが負うことになり、特別士官というのはそれなりのリスクがあることになる。
(そこまで考えてるのかな、あの人……)
絶対考えてない、とサーシャはすぐに結論付けた。
サーシャの知るアウロはバカではないが、物事をそこまで深く考えるタイプではない。
もちろん、状況判断はしっかりとできる男ではあったが。
「さてと、サーシャちゃんは初日だし、まずは資料整理とかしながら説明しようかしら」
「えっと、リドルフ支部長。質問が――」
「アルシエでいいわ。そんな堅くならないで、リラックスしていきましょう?」
「それでは、アルシエさん?」
「ふふっ、そういう感じでいいわ」
アルシエの雰囲気は相当緩い――というか、管理系の仕事となると性格的には穏和な方が向いているのかもしれない。
「サーシャちゃん」と初めから呼ばれ続けていたために、サーシャは突っ込む機会を失ってしまったが。
「それで、サーシャちゃんの質問っていうのは?」
「その、一週間のうちに補佐官の仕事をすることもあるんですか?」
「! それを心配するということはとてもやる気があるということでいいわね!?」
「違いますよ!? 最終的には、私と騎士団長の相性……?って言えばいいんでしょうか。それによるかと思うので」
「もちろん、サーシャちゃんにある程度説明したらやってもらうつもりよ。まあ、ヘリオン騎士団長とまともにお話しできるサーシャちゃんなら心配ないと思うけど」
(どれだけ恐れられてるんだろう、あの人は……)
目の前にいるアルシエですら、先日アウロがやってきた時点では緊張していた。
強面の無愛想な男が騎士団長としてやってきたという事実に不安が残る。
そのツケがサーシャに回ってくるのではないか、と。
(ま、まあ合わなければ断るだけだし)
本来ならば――最初から断るはずだった話をかなり譲歩している状態にあることに、サーシャ自身気付いていなかった。
アルシエの説明のもと、サーシャは仕事を始めることになった。
基本的にはサーシャの思っていた通り、支部での仕事は団員達の仕事の状況確認や報告書の整理。
場合によっては依頼を受けて、必要な部署へと回す必要もある。
《第二騎士団》は魔物に関する事柄が主流――言葉通り、それ以外のことは別の騎士団へと仕事回すことになる。
ただ、民衆の多くは騎士団ごとの違いを把握しているわけではない。
日々やってくる依頼にはまったく関係のないものもあるわけだ。
「依頼書っていうのは毎日結構送られてくるの。直接来る人もいるんだけど、わたしの仕事は主にその整理ね。人員の配置なんかも考えるんだけど」
「色々とやることはあるんですね」
「ふふっ、地味だけどやりがいのある仕事だとは思うわ。ちなみにサーシャちゃんの補佐官としての仕事はヘリオン騎士団長への報告から他部署との連携なんかもあるから、コミュニケーション力が問われる仕事になるわね。サーシャちゃんにはピッタリだと思うけれど。まあ、これはあくまで王都内での仕事ってことになるけど」
「私、そんなに自信ないんですけど……」
「またまた謙遜しちゃって!」
アウロだけでなくアルシエからも高評価なのは疑問だった。
何せ、サーシャはまだまともに仕事をしているところを見せていない。
アルシエが持っている情報と言えば、サーシャがアウロに指名されたということと、魔法面に関しては士官学校では天才的だと評価されているということだけだ。
それも入学時点のものであり、これらの情報だけではサーシャが優秀ということには繋がらない。
(やっぱり、あの人に認められたってだけで評価されてるのかな……)
学校長のセインやアルシエも含め、サーシャがアウロの補佐官になることを皆歓迎している。
それはきっと、あの《戦神》と呼ばれたアウロが自ら選んだ人材だから――そういう評価が大きいからだ。
(ううん、こんなこと気にしないようにしないとっ)
やるからにはサーシャも真面目に取り組むつもりだった。
それで合わなければ辞めればいい――至極簡単な話だ。
書類整理を中心としていたが、目立ったのは《魔物》に関する報告書。
近年、凶暴化しつつある魔物の種類がいるだとか、古びた砦に住まう凶悪な魔物がいるだとか――大体は第二騎士団の団員からの報告だ。
そして、団員では対応できないものについては騎士団長であるアウロが対応する。
仮にアウロでしか対応できない事案であった場合、それはかなり危険な状態にある案件だということだ。
(これだけ見ると、やっぱり危ない仕事の方が多いように見えるけど……まあ、それだけ強くなったってことなのかな)
サーシャの知るアウロの強さは、実力はあるがまだまだ未熟というところだった。
それが果たしてどれほどのものになったのか、サーシャには分からない。
ここ数日、アウロはこの近辺で活動しているようだ。
サーシャを勧誘するために居座っているのかとも思ったが――だからといって、アウロに仕事がないというわけではない。
団員が対応しきれなかったものについては、基本的に騎士団長であるアウロが処理をする。
場合によっては地方へ遠征することも少なくはないという。
それについて行くことになれば、現地での調査など仕事の幅はさらに広がる。
そういう意味では、色々な経験を積める《騎士団長補佐官》という仕事も悪い気はしない。
(……そう思うことにしようっ)
とりあえずポジティブに、サーシャは考えるようにした。
資料の整理をしながら、サーシャはアルシエの話を聞いていた。
主に仕事のことに関してだ。
「アルシエさんは魔法士官なんですよね」
「そうよ。ふふっ、騎士には見えないかしら?」
「まあ、あまり……」
「サーシャちゃんは正直ねぇ。こう見えて、わたしは元《魔法士教官》なのよ?」
「えっ、そうなんですか!?」
サーシャは今までにないくらいの食いつきを見せる。
将来目指している職務の先輩が目の前にいるのだから当然だ。
「あまり長い期間はやってなかったけれどねぇ。サーシャちゃんのその反応を見るに……魔法士教官になりたいのかしら?」
「そうなんですよ。魔法の話をするのは好きですし、人に教える仕事っていうのもやりがいがありそうで」
「サーシャちゃんなら確かに向いていると思うわ」
「そう言っていただけると嬉しいです! ――でも、ずっと魔法士教官でいられるわけじゃないんですよね……」
元魔法士教官で、今は第二騎士団の支部長をやっているアルシエ。
基本的に騎士団という組織に所属する以上、サーシャにはどういう意図があるか分からないが異動というものは存在する。
向いている者が向いている仕事をすればいいと思うのはあくまでサーシャの考えでしかない。
「まあ、サーシャちゃんくらいになればずっと魔法士教官でいられると思うけど。わたしは一つのことをするよりも色々と経験してみたいから異動願いを出したわけだもの」
「え、魔法士教官を辞退したったことですか……?」
「人に教えるのも楽しいけれどねぇ。色々なことをやってみたくなるものよ」
穏やかな雰囲気のアルシエだが、考えていることは色々あるようだった。
実際、アルシエの仕事の話はまともであり、教え方も上手い。
書類整理を中心としながら、今度は整理した書類についての処理について学ぶ。
「団員から報告を受けた書類は未完了の場合は複製して他の支部と連携するわ。完了したものは本部に報告するの」
「区分けしておいて後でまとめてっていう感じですか?」
「そうね。緊急性があるものは除いて本部への報告は大体週に一度くらいかしら」
騎士団本部となると王都の中心部にある――それなりに距離はあるため、向かうのも週に一度なのだろう。
ここまでは主に支部ということになる。
サーシャも補佐官として活動することになったとしても、書類整理の仕事は特に多くなるだろう。
(あの人そういう仕事苦手だろうし……)
それはきっと、今も昔も変わらない――サーシャがそんなことを思っていると、
「じゃあ、この書類をヘリオン騎士団長のところに届けてもらおうかしら」
「え、ここに戻ってくるんじゃないんですか?」
「戻ってくるとしても結構先だと思うわ。それに、サーシャちゃんさっき補佐官の仕事のことも心配してたでしょう? 一応、ヘリオン騎士団長と話す機会もあった方がいいと思ってねぇ」
「し、仕事の心配をしてたわけじゃ……ありますけど。その、騎士団長はどこにいるんですか?」
「今は王都の地下水道の方を見に行ってるはずよ」
「……地下水道、ですか?」
アルシエの話を聞いて、サーシャは眉をひそめる。
王都内でアウロが向かった場所が地下水道となると、何となく起こっていることが予想できてしまったからだ。




