4.サーシャの決意
急いで準備をして出たおかげで、サーシャは普段通り少し遅いくらいの登校時間に本校舎へと向かうことができていた。
寮から本校舎までの道のりは歩いて五分もかからない距離にある。
《トレルタ魔法士官学校》は貴族も多く通っている。
血は繋がっていないとはいえ、サーシャもまた地方貴族であるクルトン家の一人娘ということになる。
入学時にトップの成績で通過したサーシャは学校内でもちょっとした有名人だった。
魔法に関しては十年に一人の天才と呼ばれているが、実際サーシャの知識は全てかつての記憶によるものとなっている。
サーシャ自身は突出した身体能力を持つわけでも、魔力量を持つわけでもない。
フォルの記憶がなければ、きっとここにいることもないだろう。
その点については良かったと言えるが、過去の記憶を持っていたことが仇となってしまっている。
「……」
ちらりと近くを歩く同じ士官学校の制服を着た少女達を見る。
何か話していたようだが、サーシャに視線を向けられると、サッと目を逸らした。
何故か気まずい空気が流れる。
学校内ではすでに噂は広まっている。
――サーシャ・クルトンはあの《戦神》に選ばれた、と。
『あの戦神』という言葉には当然、良い意味があるわけではない。
あの、多くの人々が畏怖する存在であるアウロに、サーシャが突然補佐官としての指名を受けたのだ。
当たり前だが、目立ってしまって然るべきだと言える。
(……私は別に悪いことしてないのに)
魔法の実力に加えて戦神に選ばれた――図らずもサーシャまで他の者達から恐れられるような事態が発生してしまっていた。
周囲から向けられる視線に、サーシャも落ち着かない。
視線を向けられているのに、サーシャがそちらを見ると視線を逸らされる。
明らかに避けられている――イジメとかそういうものではない。
純粋に、サーシャという存在がより異質になってしまったというだけだ。
(このままだと私、ぼっちに……? い、いやいや! 教室に行けば大丈夫。と、友達だって少しは……)
いなくもない、というレベルだった。
入学してまだ間もないため、はっきり言ってしまえば、まだ仲の良い友達なんていない。
王都に来てからのサーシャは知り合いという知り合いがいなかった。
それこそ、サーシャがよく知る人物と言えばアウロということになる。
(何でこんな時にまだあの人のことなんて……!)
サーシャの表情が自然と強張る。
それを見たのか、近くにいた生徒が小さく悲鳴を上げて距離を置いた。
サーシャは慌てて笑顔を作るが、後の祭りだ。
(……はあ、来週までにはこの感じも落ち着いてくれたらいいけど――なんて、悠長なことも言っていられないかな)
サーシャは決意する。
来週までに答えを待ってもらう必要もない。
サーシャの答えはすでに決まっているのだから。
***
放課後――サーシャは一人、学校に近い騎士団の管理する支部へとやってきていた。
目的は騎士団長補佐官の指名を取り下げてもらうこと。
結局、登校中の雰囲気はクラスでも変わることはなく――ぎこちないクラスメート達とぎこちない一日を過ごす羽目になった。
あと一週間も――否、一週間が過ぎてもその状態が続くかもしれないと考えるだけでサーシャは憂鬱だった。
だからこそ、少なくともサーシャの直面している問題を解決したかった。
王都内は広く、端から端まで移動するには馬車が必要となる。
幸いに、アウロが現在滞在しているのはサーシャの答えを待ってか、学校のすぐ傍だった。
第二騎士団は魔物討伐を主流とする部隊――仕事となれば場合によっては王都にしばらく戻ってこないこともある。
昨日の今日でアウロとまともに話していないサーシャだったが、改めてはっきりと告げるつもりだった。
騎士団長補佐官にはならない、辞退する、と。
(……別に、私が辞退したって問題ないだろうし)
アウロは補佐官をほしがっているようだが、それはサーシャでなくても問題ないはずだ。
アウロ自身がもっと他人に気を使って話せるようになればいいのだから。
(あれでなれるのかな……)
思い返してみると、初対面であるはずのサーシャにもあの態度だ。
はっきり言ってしまえば、アウロのことを知っていなければ怖いとも思えるくらいの対応ではあった。
サーシャはそんな心配をしつつも、すぐに思い直す。
(ううん、考えるべきは私のことだよ。あの人は関係ない)
サーシャはそう言い聞かせて、深呼吸をする。
気が付けば騎士団支部の建物へとやってきていた。
士官学校のすぐ傍にある小さな方の支部だ。
アウロが団長を務める《第二騎士団》の支部であり、すぐ近くには《第一騎士団》の支部がある。
そちらは第二騎士団支部に比べると大きく、王都の中心を守る第一騎士団らしいとも言えた。
それに比べると、小さな第二騎士団の支部は明かりは付いているが人の気配はほとんど感じられない。
「……あの、すみません」
覗き込むようにサーシャは扉を開ける。
建物内も見た目通り狭く、そこにいたのは魔法士官の制服を着た女性が一人だけだった。
「はぁい、何かご用かしら――って、あら? その制服……《トレルタ魔法士官学校》の子?」
優しげな表情で、ふわふわとしたブロンドの髪をした女性はにこやかに微笑む。
少し緊張していたサーシャは、女性の雰囲気に幾分か緊張感が和らぐ。
実際、これから話す相手はアウロの方なのだが。
「あ、そうです。私、サーシャ――」
「サーシャ・クルトンちゃん!?」
ガバッと勢いよく女性はサーシャの手を握りしめる。
その勢いに圧倒されて、サーシャは一歩後退りをする。
だが、そのまま女性はサーシャの手を引いて建物の中へと引きずり込んでいく。
サーシャの名前を知っている――当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、サーシャを見る女性の目は何故か輝いているように見えた。
まるで救世主でも迎え入れるかのような雰囲気に、嫌な予感がする。
「あ、あの……?」
「あ、ごめんなさいねぇ。わたしはアルシエ・リドルフ。この支部の支部長をやっているわ。でも、アルシエって呼んでくれて構わないから」
「え、し、支部長ですか」
(受付かと思った……)
小さな支部だとは思っていたが、アルシエには確かに《支部長》と記載がある。
アルシエ以外には人は見受けられない。
さすがに一人でここの支部を担当しているとは思えないが、少なくともアルシエが支部長であることは事実のようだ。
アルシエはサーシャの反応を見てか、胸を張りながら高らかに宣言する。
「よく受付と間違えられるわ!」
「あ、ははっ、そうなんですね」
(間違えたとは言えない……)
「それで、サーシャちゃんが直接ここにやってきてくれたということは、補佐官の件を受けてくれるっていうことよね?」
「あ、いえ……」
サーシャがここに来たのは断るためだった。
アルシエが喜んでいるのはきっと、サーシャがその話を受けると思っているからのようだ。
喜んでいる人にサーシャの決意を伝えるのは少し憚られたが、サーシャの意思は変わらない。
「助かるわぁ。あの強面のヘリオン騎士団長があなたのこと、嬉しそうに話すんだもの」
「え、あの人が?」
――それは、またしても予想外の話だった。
久しぶりに会ったアウロは、初対面の少女にすら威嚇とも言える態度だった。
そんなアウロが、サーシャの件について嬉しそうに話していたというのだから。
「そう、そうなの。サーシャちゃんも驚くでしょう? 自分にしっかり意見をするあなたが気に入ったんですって。それに、あなたは魔法の実力も優秀だって言うじゃない?」
「そ、そんなことはないですけど」
「ふふっ、謙遜しちゃって。でも、ヘリオン騎士団長が自ら選んだ子だものね。とっても優秀な子っていうのはわたしにも一目で分かるわ!」
「あ、ありがとう、ございます?」
サーシャの気持ちは複雑だった。
断るためにやってきたのだ。
騎士団長補佐官なんて荷が重い、自分には《魔法士教官》という夢がある――思っていることを全て伝えるつもりだった。
それなのに、アウロがサーシャのことを嬉しそうに話していると聞いて胸が痛くなる。
同時に、サーシャも少しだけ嬉しく思ってしまった。
アルシエの話から察するに、アウロは普段から強面で話しかけづらい印象の男となってしまっている。
それが、サーシャと出会って少しだけでも変わったということなのだろう。
記憶でしかない親友のアウロの変化を、サーシャは素直に嬉しく感じたのだ。
(――って、違う! 私は断りに来たんだから……)
それでもサーシャの意思は変わらない。
揺らぐ心を抑えて、サーシャは辞退の意思をアルシエにも伝えようとする。
「でも、騎士団長補佐官に指名されて嫌じゃなかった?」
「え?」
「だって、そうでしょう? ヘリオン騎士団長って物凄い人だっていうのは騎士団の人達も分かっているのだけれど、やっぱり恐れている人の方が多いもの。サーシャちゃんは指名を受けて、正直嫌な思いとかしなかったかなって……」
「嫌だなんて、そんなことないです! いや、その……学校で目立ったりとかするようになったりしたのはそんなにいい気分じゃないですけど、私はあの人のこと――」
嫌いじゃないです――そう言おうとして思い出したのは、アウロの言葉だった。
――何より、俺はお前が気に入った。はっきり言って好きだぜ、お前みたいな奴は。
「……っ!」
(ち、違う違う! あれはそういう意味の言葉じゃないんだから……どうしてこんなこと意識して……!)
サーシャにとっては知っていてもほとんど初対面の人間だ。
けれど、面と向かってはっきりとそう言われたのは初めての経験だった。
意識するな、と自身に言い聞かせてもサーシャには難しかった。
「……サーシャちゃん?」
「と、とにかく、あの人のことは嫌いじゃないです。確かに強面だし、話し方も威嚇するみたいでどうかと思いますけど、あの人にだって良いところはたくさんあるんです!」
そうサーシャが言い切ったところで、ギィと扉を開く音が聞こえた。
サーシャが振り返ると、そこにはたった今話題の中心人物だった男――アウロ・ヘリオンが立っていた。
「な、い、いつからそこに!?」
「いや、丁度戻ってきたところだったんだが、ここに入ろうとするお前の後ろ姿が見えたからな。そんなに話したわけでもねえのに、随分と俺を評価してくれてるみたいだな」
「……っ!? ち、違います! わ、私はあなたの補佐官にはならないとはっきり伝えに来たんですよ!?」
「え、今の流れでならないっていうお話だったの……?」
サーシャの言葉を聞いて、驚きの声を上げたのはアルシエだった。
元々アルシエが勘違いしていたとはいえ、結果的にサーシャがアウロを擁護する形になっていた。
その状況で何故か補佐官にはならないと明言する――何とも支離滅裂で説得力のない話だと、サーシャ自身も感じてしまっていた。