3.サーシャの悩み
サーシャは最近、よく夢を見ることがある。
それは決まって自分のことではなく、かつての自分――フォルとしての記憶だった。
その日は澄んだ青空で、きっと丘の上から見る夕焼けは綺麗なものになるだろうと予感させた。
(ああ、またこの夢……)
眼前に広がるのは、迫り来る敵の軍勢。
王国軍は数の不利を覆すことができなかった。
全体で見れば戦況は有利に進んでいた。
――帝国側はあえて、戦力を分散させずに戦力を中心に集中させていた。
だからこそ、各所の戦線では優位に進められていたと言える。
「あれを一人で止めるだと……!? 馬鹿なことを言うな!」
フォルの隣でそう声を荒げたのは、まだ騎士としても若いアウロの姿だった。
「一人じゃないさ。他にも戦ってくれる者はいる」
「そんなことは分かってる。だからこそ、どうしてお前が残るんだ!」
「あの数に今攻め込まれたら、それこそこちらは手の打ちようがない。足止めは必要だよ」
「それなら俺が――」
「君では無理だ、アウロ」
「……っ!」
フォルの言葉を受けて、アウロは表情を曇らせる。
フォルはどこまでも冷静だった。
感情的になるようなことはしない。
フォルが残れば足止めするくらいのことは十分にできる。
だが、アウロではできない――それだけの話だ。
敵もフォルという魔導師がいることは先の戦いで分かっている。
フォルの強さはそれこそ一騎当千とも言える力を持っているが、敵はそれ以上の軍勢で迫っている。
王国最強の魔導師と呼ばれているが、人間のスタミナに限界があるように、魔力にも限界はある。
あの数を相手にするのはフォルでも無理だ。
「こんな時に、俺はお前の隣には立てないのか……」
悔しそうに言うアウロに対して、フォルは笑いかける。
「――」
(あれ、この時なんて言ったんだっけ……)
フォルが親友であるアウロと最後に交わしたはずの言葉なのに、サーシャはそれを思い出すことはできなかった。
***
「……っ!」
ビクリと、身体が小さく跳ねる。
サーシャは頭を押さえながら身体を起こした。
「またこの夢、か……」
アウロの話を聞いてから、本当によく昔の夢を見る。
昔といっても、サーシャ自身のことではない。
サーシャはフォルの全ての記憶を思い出したわけではない。
最初は断片的に、やがて鮮明に思い出していった。
それでも、思い出せないこともいくつかある。
今見た夢のように、きっと最後に交わしたはずの言葉を思い出せないのだから。
それがサーシャがフォルの記憶を宿しているだけで、あくまでサーシャはサーシャだと確信させることでもあった。
「会いに、行かなきゃよかったかな……」
ぽつりとサーシャは呟く。
騎士団長にまで上り詰めたアウロが、サーシャを騎士団長補佐官として迎え入れたいとやってきたのだ。
学生の身分でありながら、実際に魔法士として騎士団に配属される場合は《特別士官》と呼ばれる。
一応制度として存在はしているが、実際に適用されるのは今回が初めてらしい。
士官学校にいる生徒なのだから、将来的には騎士団に配属される可能性だってある。
だからこそ、学生をわざわざ引っ張ってくる必要はないとも言えた。
アウロが気に入ったから――などと言っていたが、実際には他にも理由がある。
サーシャの魔法の実力がすでに他の学生とは一線を画していることは、大きな理由の一つだろう。
かといって、入学したばかりの学生が騎士団長に指名されるというのはやはり異例のことではあった。
(ましてや、あの人にだなんて……)
アウロはきっとサーシャのことを物怖じしない、優秀な魔法士官候補と見ているのだろう。
一週間の通達までの期間は、サーシャについて調べたからなのかもしれない。
サーシャに実力がなければ、アウロもこのように選ぶことはなかったかもしれない。
アウロにとってはそのようなことでも、サーシャはアウロのことをよく知っている。
フォルの記憶の中にあるアウロのことを、だ。
「うぅ……義父様も義母様も簡単に許可するなんて、私がどこに配属されようとしてるかきっとまともに知らされてないんだ」
そうに違いない――サーシャは確信してきたが、今更それを報告したところでサーシャへの指名が変わることはない。
それに、サーシャが《戦神》と呼ばれるアウロの部下になるということを、両親はどう思うだろう。
二人からアウロの話を聞いたことはないが、アウロのことをどう思っているか聞くのは少し怖かった。
「来週また答えを聞くって言われたって、私の考えは変わらないよ」
いきなり言われて決めるのは無理だろうからと、学校長であるセインから来週再び意思の確認が行われる。
最終的にはサーシャの判断に委ねられるということだ。
アウロはそのとき、何も言わなかった。
「私には何考えてるのか分からないよ……」
うつむき加減でサーシャは小さくため息をつく。
フォルだったのなら、こんなときアウロが何を考えているのか分かったのかもしれない。
けれど、サーシャはフォルではない――それは決定的に違うことだった。
「……はあ――は?」
サーシャは再びため息をつきながら、ちらりと時計を確認したとき、すでに登校時間に差し掛かっていることに気付いた。
「…も、もうこんな時間! ああもうっ!」
サーシャは慌ててベッドから降りると着替えを始める。
士官学校は全寮制で、校舎からそれほど距離はない。
けれど、朝食を食べている時間はなかった。
「これもあの人のせいだ……!」
サーシャの悩みと朝食が食べられなかったことをアウロのせいにして、サーシャは急いで部屋をあとにするのだった。