10.今、必要なことは
アルシエとサーシャが現場へと向かった。
場所はサーシャが初めて仕事をしたとき、アウロに報告しに行った地下水道の入り口だ。
その近辺で遊んでいた子供達の一人が、地下水道内に連れ去られたという。
子供達の母親の一人が話を聞いて、すぐに支部の方へと駆け付けたのだ。
「白い糸のようなもので、あそこから引っ張られたと……」
「白い糸……虫系の魔物の可能性は高いわね」
アルシエが状況を確認していた。
子供達の一人が連れ去られてからすでに十分以上経過している。
地下水道内に魔物がいる可能性はあると言われていたが――まだ封鎖は間に合っていなかった。
ただ、地下水道の中から外にいる子達を襲ってくるとは誰も予想していないことだった。
確かに子供達は地下水道の近くにはいたが、中にまでは入っていないという。
「近付かないようにとは言っていたんですが……」
アルシエと話している母親の一人は、子供を連れ去られたわけではないようだ。
一人の女性が近くでへたり込み、それをもう一人の女性が支えている。
子供を連れ去られたのは、へたり込んでいる女性の方だろう。
(連れ去られてから十分近く……魔物がその場で子供を殺さなかったのだとしたら、まだ生きている可能性はある。けど……)
ここにいるのはアルシエとサーシャだけ。
まだアウロは戻ってきておらず、すぐに連絡する手段もない。
連絡を受けた近くにいた第一騎士団の騎士が地下水道に人が近付かないように見張っているが、中に行くようなことはない。
そもそも、暗闇の広がる地下水道の中を少人数で進むのは、第二、第三の被害を起こすことに繋がるからだ。
現状、第二騎士団の団員も到着していないこの状態で、対応できる人間がいるとすれば――
(私なら、もしかしたら……)
サーシャは一つの考えを巡らせる。
だが、地下水道の奥地に魔物が潜んでいる――それを考えると身体が震えた。
(私は……)
サーシャは、同じ年代の少女に比べれば大人びた雰囲気はある。
それは過去の記憶――フォルの記憶を持っているからだ。
それでも、サーシャはサーシャであることに変わりはない。
かつて魔物に友人と、家族を全て殺されたという事実は変わらない。
魔物に対して恐怖感を覚えていても、不思議はなかった。
(私には、できないよ)
――力はあっても、その勇気がない。
それに、サーシャは魔法士官としても知識と技術に優れているだけで、強い魔法を連続して使えるようなタイプではなかった。
(私がフォルだったのなら、きっと迷いもしなかったのに)
フォルにはそれだけの力がある。
仲間達のためにその命を躊躇うことなく犠牲にできる男だ。
サーシャにはそんな覚悟はきっとできないだろうと考えていた。
そんなとき、サーシャのすぐ近くで、二人の少女が泣いている声が届く。
まだ十歳に満たないくらいの少女達。
連れ去られたのは、その友達ということになる。
「わ、わたしが手を、離さなかったら……うぅ……」
「違う、違うよ。わたしが追いかければよかったの」
「……っ」
少女達に、サーシャは自身のかつての姿を重ねる。
魔物がやってきたときに、サーシャにも力があればと、何度もそう思った。
友達や家族のためにもっとできることがあったはずと、サーシャは何度も悔やんだことがある。
それはきっと、忘れることはできないことだ。
(あの人がいれば……ううん、そうじゃない。今、行かなかったらきっと私はまた後悔する)
サーシャはぎゅっと手を握る。
魔法士教官になりたかった理由の一つに、サーシャは教えることが好きだということがあった。
サーシャの知識や技術で優秀な魔法士官が増えれば、それだけ多くの人達が助かることに繋がるかもしれない。
サーシャ一人の力ではきっとそうはならないだろう。
けれど、サーシャはそれでも夢を見ている。
――今必要なのは、夢ではなくその力だ。
(……誰だって、そんな悲しい思いはしたくないよね)
サーシャは二人の少女達へと近付いて膝をつくと、二人を優しく抱き寄せる。
「お姉さん……?」
「大丈夫、あなた達の友達は――私が助けるから」
「っ! ほんと?」
「うん、約束する」
「お姉さん、騎士の人……? さっきの騎士の人、危ないから誰も入るなって……」
少女の質問に、サーシャは立ち上がって答える。
「騎士じゃないけど、大丈夫だよ――お姉さん、強いから」
サーシャはくるりと反転すると、地下水道の方へと向かう。
アルシエが驚きの声を上げてサーシャの下へとやってきた。
「ちょ、ちょっとサーシャちゃん! 何するつもり!?」
「今から助けに行きます」
「な……ダメよ、一人でなんて。危険すぎるわ。今からヘリオン騎士団長に連絡を取るからっ!」
「それでは間に合わないかもしれないです! 魔物が子供も連れ去ったのは、その場ですぐに殺すつもりはないからです。今ならまだ間に合う可能性があります」
「……気持ちは分かるけど、サーシャちゃんを一人では行かせられないわ。あなたの身もこちらで預かっている状態なの。危険なことはさせられない。これは命令よ」
アルシエはそうはっきりと口にしたが、表情を見れば分かる。
言いたくもないことを言っているのは、サーシャのためだ。
サーシャもまた、アルシエの言葉に反論する。
「……私は現状、ヘリオン騎士団長の直属の部下である《特別士官》ということになります。アルシエさんには、命令権はありません」
「……そんなこといつの間に覚えて……! とにかく、サーシャちゃんはヘリオン騎士団長を呼びに行って――」
サーシャはアルシエの言葉を聞くと、右手を空に掲げた。
ふわりと小さな緑色の球体が作り出され、それが空高く浮かび上がる。
緑の光は――花火のように空で輝いた。
「な、何を……?」
「これで、ヘリオン騎士団長はここに来ると思います――すみません、嫌なことを言わせてしまって」
「あ、サーシャちゃん!」
アルシエの制止を振り切り、サーシャは駆け出す。
地面を蹴ると同時に、身体の中に流れる魔力を噴出する。
魔力の使い方を、サーシャはよく理解している。
「な、はや――」
アルシエの驚きの声もすぐに届かなくなる。
地下水道の入り口を見張る騎士もサーシャを止めようとするが、サーシャはそれを難なくかわす。
暗闇の中に、サーシャの姿は消えていった。