1.かつての親友に会いに行った結果
少女の名前はサーシャ・クルトン、歳は十五歳。
栗色の長髪を後ろで結んでいる。
年齢に対して表情は凛々しく、落ち着きがある。
青を基調とした学校指定の制服を着ている。
《魔法士官学校》に今年入学したばかりで、王都にやってきたのもごく最近だ。
そんなサーシャは今、王都を見渡せる丘の上にやってきていた。
目的は一つ――ある男に会うため。
「……いた」
頂上で、サーシャは一人の男を見つける。
座ってはいるが、少し遠目から見ても筋肉質な身体つきは良く分かる。
黒く短い髪は暗い中では分かりにくかったが。
すでに日は落ちて暗くなり始めているけれど、男は気にする様子もなく、一人で瓶に入った飲み物を飲みながら、点々と明るさの残る町並みを見下ろしていた。
まさか、本当に会えるとは――そんな風に思いつつも、懐かしい背中に少しだけ感動する。
その男に会うのは十五――いや、十六年振りくらいになる。
サーシャがまだ生まれる前の話だ。
そう、サーシャは他の人々とは違い、前世の記憶を宿している。
――というよりも、思い出してしまったのだ。
およそ五年前の話、サーシャは小さな村の田舎娘として、変わらないけれど平穏な日々を送っていた。
事件が起こったのはそんな当たり前の毎日を過ごしていたとき、村に凶悪な魔物がやってきたのだ。
――別に、珍しい話ではない。
小さな村が魔物に襲われることは。
ただ、不運にもその村の力では対抗できないほどの、《放浪型》の魔物がやってきてしまったのだ。
重症を負いながらも生き残ったのはサーシャただ一人。
そのときに、サーシャは前世の、《アルネリア王国》最強と謳われた魔導師であるフォル・ボルドーの記憶を取り戻したのだ。
痛みと、両親や村の人々を殺された怒りや悲しみにそんな過去の記憶――サーシャの心の整理がつくまでには時間はかかった。
不幸中の幸いだったのは、前世の魔導師の男としてのフォルの記憶が、少なからずサーシャの精神に影響を及ぼしたことにある。
サーシャは人よりも強い精神力を手に入れたのだ。
悲しくはあったけれど、魔導師としての記憶を取り戻したサーシャは、地方の貴族であるクルトン家に養子という形で引き取られ、今のように王都で学生生活を送っている。
そんなサーシャが会いに来たのは、前世で親友だった騎士――アウロ・へリオンだった。
(《戦神》……だっけ。随分と、かっこいい呼び方になったじゃない)
アウロのことを、フォルの記憶としてだがサーシャはよく覚えている。
一緒にバカなこともしたし、戦いのときも常に一緒だった。
ここでよく飲み明かした記憶も、サーシャには残っている。
そして、敵国であった《帝国》との戦いで、フォルがアウロ達を逃がすために犠牲になったことも。
フォルという魔導師がそれだけ仲間達を大切にしていたのはよく理解できていた。
サーシャとしても、前世の記憶とはいえそれを誇りに思う。
(それなのにこの男は……)
結果的に、フォルの活躍によって戦況は変化していた。
数日足止めを食らった帝国軍に対して、王国軍側は態勢を立て直し優位になったのだ。
その後――フォルが死に、サーシャが生まれた一年後には二国は和平を結んだのだ。
平和な日々の中、王国内でもっとも恐れられているというのは《戦神》であるアウロだった。
若い頃の活躍によって、騎士団長を任される身にもなりながら他人への愛想は非常に悪く、近づくだけでも威圧感があるという。
王都にやってきて最初に聞いた話が、そんなかつての親友の悪い評判ばかりだったのだ。
サーシャはそれを周りの人々の理解がないのではなく、アウロに問題があると考えた。
そうでなければそんな言い方はされないだろう。
(……そう思って来てみたはいいものの……)
なんと声をかけようか、いざそうなったときに迷ってしまう。
久しぶりの再会――というわけではない。
フォルの記憶を持っているだけで、サーシャはサーシャなのだから。
正直言ってしまえば別人と言ってもいいのかもしれない。
けれど、記憶にある親友の悪い評判ばかり聞かされてはいても立ってもいられなかった。
(迷っても仕方ないよね)
サーシャは意を決し、アウロに近づく。
「さっきからそこで何してんだ、小娘」
「っ! 気付いていたんですね」
(うっ、急だったから敬語に……)
フランクに話しかけてみようと思ったが、さすがにサーシャ自身も緊張した。
振り返ったアウロの顔は十六年前に比べれば、当たり前だが老けている。
整った顔立ちをしているが、伸ばしているのか剃っていないのか、無精髭が見える。
年齢で言えば三十後半あたり――けれど、サーシャの記憶と比較してもアウロであることはすぐに分かった。
「当たり前だ。俺を誰だと思ってる」
「王国第二騎士団の騎士団長様、ですよね?」
「……分かってるなら邪魔をするな」
(むっ……初対面の女の子になんてこと……)
やはり噂通り、アウロの態度は悪かった。
以前は多少なりとも口調は荒かったが、表立って感じるほどではなかった。
今は敵意に近いものまで感じてしまう。
「しかもその制服……《士官学校》のだろ。学生が夜にうろつくんじゃねえ」
「ここは私のお気に入りスペースなんですっ」
「! なに……?」
睨み付けるようにサーシャを見るアウロ。
思わず一歩後退りしてしまうが、サーシャはそのまま引くことなく続ける。
「騎士団長様の許可がなくても、ここにいるのは自由ですよね?」
「……ちっ、こんなところに何の用があってきたんだか」
(や、やばい。なんか煽ってるみたいになってる……?)
「よ、夜風にあたりに来ただけですよ!」
「夜に登るようなところじゃないだろ」
全くもってその通りだった。
サーシャの目的はアウロに会いに来たのだから、この言い訳は苦しい。
サーシャ自身、「私はフォルの記憶を持っています!」とか宣言するつもりはない。
目の前の男はそんな風に言うだけでもサーシャに暴力を振るいそうな雰囲気があったからだ。
だが、同時に懐かしい雰囲気を感じたサーシャは、そのままアウロの隣に座り込む。
「……」
「……」
(ぐっ、座ったのに一言もないとか……コミュニケーション苦手か!)
サーシャもガツンと言ってやる、というつもりで来たのだが、いざ並んでみると言うことが出てこない。
やっとのことで捻り出したのは、
「何か悩み事でもあるんですか?」
そんな当たり障りのない言葉だった。
ただ、アウロはサーシャの言葉を聞いて驚きの表情を浮かべる。
「初対面で聞くことか」
「うっ、そ、そうですけど……そういう感じがするんです!」
「俺にそんなことを聞く奴はお前が初めてだ」
(嘘つけ、私の記憶だと結構聞いてあげたのに!)
あくまでフォルとしての記憶だが。
アウロが手に持っていた瓶は酒瓶だった。
それをまた口に運び、小さく息をはく。
「悩みなんてねえさ。俺はただ、たまにここで飲みたくなるだけだ」
「……ここで?」
「ああ、昔の……ダチとここでよく飲んだからな」
(あ、それ私――なんて言えないよね……)
「そうなんですね」
「ああ……今でも思い出すさ。あいつがいたら、もっとこの国をよくできたんじゃないかって……」
(そんな買いかぶりすぎ――ってえ?)
「それって、自分の活躍でも足りてないって思っているってことですか?」
「そういうわけじゃねえ。ただ、そいつがいたらもっとよくできたことがあるんじゃねえかとか色々と――って、何でお前みたいな初対面の小娘にこんな話聞かせなきゃなんねえんだ」
(ま、まさかこの人……フォルが死んだことをまだ若干引きずってる……?)
予想外のことだった。
話してみればアウロの口調は多少なりとも荒いが前と変わらず国のことを考えている騎士らしい男。
だが、今の話を聞く限りではアウロはフォルの死を引きずっている。
もう十数年も経つというのに――
「そんな風に考えていたら、その人も浮かばれないと思いますよ」
「なに……?」
ポツリと呟いたサーシャの言葉に、アウロが反応する。
「俺は別にそいつが死んだとも言ってないが」
「あ、あー! そうですよね! す、すみません。そういう話聞くと、もういないのかなーとか思ったりして。私も家族も友人もみんな、一度失ってるので」
「……そうか」
アウロはサーシャの言葉を聞いて、少しだけ驚いた表情を浮かべたが、一言そう答えるに終わった。
(ガツンとも言えず励ましにもならないし……こ、こういうの難しいかも)
「小娘、名前は?」
「え、サーシャ、です」
「姓は?」
「クルトンですけど……」
「サーシャ・クルトン――クルトン家にいたな」
「え、知っているんですか?」
「貴族のことくらいは、な。その名前、覚えたぜ」
そう言うと、アウロは立ち上がり、サーシャの頭をぐしぐしと撫でる。
その力で、サーシャの頭が揺れた。
「な、何するんですか!」
「はははっ、俺のことを知っていてこんな風に話しかけてきた奴は久々なんだよ」
「あ、それですよ! 恐がらせるつもりがないなら、きちんと騎士として人々に尊敬される態度を取ってください!」
「言うじゃねえか。ま、考えといてやるよ」
アウロはそう言い残すと、ひらひらと手を振ってその場を去っていく。
最後の最後だが、アウロにがつんと言ってやることはできた。
サーシャ自身、記憶にあるアウロに近い何かを感じていた。
「さて……言いたいことは言ったし、私も帰ろうかなっ」
サーシャもその場を後にする。
前世の記憶の繋がりだが、サーシャは少しでもアウロがいい方向に向かってくれれば良いと考えていた。
そのわずか一週間後、サーシャはアウロの補佐官として異例の学生のまま《特別士官》に選ばれることになるとは、このときまだ予想すらしていなかったことだ。
設定等々ある程度まとめたので、短編分を一話として連載始めてみようかと思います。