6 危険人物
静まり返った部屋の中で、一つのため息が零れた。もちろん、アレクでもルルシャロワでもない。
その人は、アレクの前にあるソーサーをほっそりとした指で引き寄せると、それに口をつけてゆっくりと嚥下した。今更だが、どうして気付かなかったのか。侍女が陛下と同席できるはずがない。それに陛下に出された飲み物──例え本人が用意したとしても──をリーナが飲むだろうか?
否。断じて否である。
「りー、な……?」
「主は相変わらず頭が固いのだな」
語る口調は老いたもののように。確かにリーナの声ではあるものの、中身はリーナではない。ではここに居るリーナは、何者なのか。
「何の用だ……!」
困惑するルルシャロワの側で立ち上がり、アレクはルルシャロワを後ろ手に隠す。
その行動で、陛下は彼女が何者なのかを知っていると理解した。それも危険な人物として。
リーナの姿で、それは微笑んだ。
「おやまぁ、呆れたことだ。やはりとは言うべきか……主が五つの頃には妾の存在を知ったというに。隠し通すも大概にせい」
「貴様に言われる筋合いはない!」
「主のことも、主の父も、その父も。妾が面倒を見てきたというになぁ。時の流れは寂しいものだ」
「失せろ。ルルシャロワの前に出るな!」
アレクの怒声にもさざ波を立てず、少しも歯牙にかけない。
そこで漸く、リーナはルルシャロワを見た。しかし、ちらりと一度目を向けただけで、リーナは視線を手元に落とす。
「妾は全てに潜むもの。隠し事など出来ぬよ? その娘、何かと混じっておるなぁ。まるで毒のようじゃのう……」
彼女はソーサーとカップを机に置き、わざとらしく一拍開けた。
「主の妹のように、なぁ?」
「ふざけるなッッ!!」
「くっ、ははは……!! 愉快も愉快。そんなに触れられるのが嫌かぁ? 妾は一時も忘れたことなどないぞ。あの日、あの時、主が何をしたのかを!!」
言い返すことも出来ぬまま、アレクは手を強く握りしめる。部屋の温度が上がっているのは気のせいだろうか。
「侍女が王の向かいに座ることになぁんも感じなかったものなぁ? その娘が貴様の弱点なのだろ。手は出さぬよ、今は、な」
一方的に言いたいことを言い、リーナの体はゆっくりと傾いた。
「リーナッッ!?」
ルルシャロワは泣きそうな顔でリーナに駆け寄る。幸い床に落ちたわけでもないから外傷はない。ただ、強く揺さぶっても目を覚まさないのだ。
「リーナ、リーナッッ!!」
「落ち着け。深い眠りに落ちているだけだ」
「でもッッ!」
「一度部屋に戻れ。これは王としての命だ」
酷く取り乱した娘の姿に、アレクは父としての決意を固めざるを得なかった。
「わかり、ました……」
そうしてリーナは医務室へ運ばれ、ルルシャロワは自室へと連れていかれた。残された部屋で、アレクは呟いた。
「……伝えるべきなのだろうな」