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第二話 ため息は幸運を逃がし、不運を呼び寄せる 

 



 飛んで来る刃を躱した謎の男はのんびり牢から出ると、見下すように笑い、口を開く。



「おやおや、そいつをかばうのかい? 君たちを殺しかけたんだよ?」

「何言ってやがる。てめェが元凶だろ? 末端殺す意味は無ェし、何より貴重な情報源だからな。てめェ含めて」

「クフフ……。それじゃ、僕を捕まえようってかい?」


 挑発的な笑顔と発言で、余裕な素振りを見せる。

 対して悠磨も口角を吊り上げ、



「そうだな。手始めに、てめェを捕まえるとすっか」


 全く引けを取らない態度だ。

 と、声の反響が消えた刹那――――



 上半身を前に大きく倒し、急接近。腰からタガーを引き抜き、刃が鈍く光る。

 だが敵の対応は、応戦ではあっても近接戦闘にさせなかった。



「空間を裂き、異層を開け、空裂斬くうれつざん!」



 いかにも詠唱らしき言葉に悠磨は推測した。魔法だ、と。

 突如、右から異質な気配を感じる。


 何も無かったところから、空間の穴のようなものが生じた。

 瞬間、ナイフが現れ、悠磨に襲いかかる。


 自分に向けられた殺気に超敏感に反応し、身体は反射的に跳び退く。



 敵の手の付近にもワープゲートのようなものが生じ、ナイフを持っているのも視認できた。この攻撃は単純に自分で投げて、好きな位置に放てるものだと悠磨はすぐに理解したようだ。



「てめェ、空間操作でもできんのか」

「クフフ、そうだよ。これが僕の魔法さ!」


 敵は自慢げに語る。平気な顔でバラすあたり、よほど腕に自信があるのだろう。



「最強の能力だと、君も思うよね?」

「そうかも、な!」


 再び悠磨は接近。

 対して敵も近づかせまいと、声を発さず(・・・)に空間を歪ませ、ナイフを振りまく。


 一つ、予想外の出来事が起き、目を見開いて驚愕を露わにしてしまう。


 が、瞬時に切り替え、右上からの三本のナイフを見切って躱した。

 すかさず接近を試みるも、敵の第二撃は放たれていた。


 バックステップで数歩下がる。しかし次は左後方から攻撃が繰り出される。



 近づこうが離れようが、どこからでも攻撃が襲い掛かる。

 ならばシンプルに接近戦だ、と。


 しかし敵も想定内だったのだろう、近づかせまいと前方から攻めに来る。

 あえて視界に入るため、気が散る。それも狙いなのだろう。



 悠磨は右のタガーを敵へ向ける。すると再び生じるワープゲート。敵は何の声も発していないのにだ。



(あァ!? また声出さずに魔法出しやがったぞコイツ!)


 一瞬で手を引っ込め、同時に左手から繰り出す。しかし、読んでいたかの如くワープゲートは刃の軌道の先にあった。


 チッ、と舌打ちし、後方へ下がる。



「クフフ、やけに反射速度は速いようですねぇ」

「まぁな」


 現実にこんなものがあるなんて予想外。

 魔法の存在を知って数日、いきなり空間操作ときた。

 そんな奴と戦った事なんて一度たりともあるはずがない。

 勝ち目は正直に言って薄い。

 けれども、それでも、彼は戦う。

 知るべき事を知るために、得るべきものを得るために。



「そんじゃ、そーいうてめェは、どうなんかな?」


 すると悠磨は、もう一本のタガーを左手に持ちながら、間合いを詰めに行く。



(何かタネがあるはずだ。リスクもあるはずだ)


 また、同じように空間の穴からナイフが飛んでくる。右からだ。

 が、悠磨は最小限の動きで回避し、一切スピードを緩めずに間合いを詰めていく。


 次のゲートは真正面。ただ、ナイフの投擲はされず、まだ手に持ったままだ。

 刹那の判断で、悠磨はダンッと壁を蹴り、右に。その瞬間――――




 敵のナイフが飛んで、刺さった。



「その手は君が二人目だ」


 心の中で敵が、読み通りと呟いて。




 しかし、出血は無い。そもそも突き刺さっていたのは壁だ。

 今確かに、横に飛んだはずだ――と敵は思っていたからこそ、予想通りにいかず、焦りが生じた。


 その一瞬の隙を、悠磨は見逃さない。



 悠磨は、横に跳んだ後、さらに壁を蹴って敵の頭上にいた。

 ただし横に跳んだ時と右の壁に着けた時はわざと(・・・)足音を強く生じさせ、上に着けた時は脚をタイミング良く曲げ、ほとんど音を立てなかったのだ。


 最初にあえて大きな音にすることで、相対的に二回目の跳躍と着地は聞こえづらくなり、さらに頭上は隙だらけだ。まずないだろう、という思い込みと横に来る、という予測が視界から外れさせた。



 重力により落ちかけた瞬間、再び壁を蹴って急降下。

 はっと彼の存在に敵は気づくも、魔法が間に合う距離ではない。


 悠磨は、何の躊躇いもなく敵の眼を狙った。




 キイイィン――――。

 しかし、そこに鮮血は撒かれず、金属音が響く。敵のナイフに阻まれたのだ。


 うまくいなされ、悠磨は若干バランスを崩し、両手両足で地につけてしまった。立ち上がる間も無く、敵の短刀が振り下ろされる。


 瞬時に左に転がり、身体を起こす。

 振り向きざま刃を振るうも、空を切った。



「言っておくけど、魔法が無くても僕は強いよ?」

「へぇ、なら正々堂々勝負してほしいなァ。魔法使わずによォ」

「それはお断りするよ。早く君たちを皆殺しにしないといけないから」



 言うと敵は、はぁ~とため息を吐き、不気味に笑う。


 これを隙と捉えた悠磨は、一気に距離を詰めた。

 けれど敵は一切動揺せず、再び声を発して魔法を発動。


 先ほどと同じように、空間の穴が作られる。

 同時に悠磨の頭の中で、疑問が生じた。



(一回の発動で、三つくらい作れるってことか? しかも時間差で)


 本当に声無しで発動できるなら、最初からそうすればいい。そうしない理由は、それができないからではないのか、そんな事が頭をよぎる。



(……やってみるしかねぇな)


 接近。ワープゲートはすぐ右にあり、ナイフが飛び出す。

 ナイフの向きを見切った悠磨は、タガーの腹で防いだ。ただし悠磨の横っ腹スレスレで。


 弾かれたナイフは宙を舞う。しかし地面に落ちなかった。

 あるのは、悠磨の手だ。視界の端だけで軌道を捉え、指と指の間に上手く挟んだのだ。



 計三本。

 すぐさま、一本を投げる。真っすぐ一直線に敵へと向かった。


 だが敵は魔法すら使わず、手持ちの短刀で弾いた。



 ただし、投げたのは一本。残りの二本はまだ右手だ。

 すかさず悠磨は、残りを居合斬りの如く左腰から振り抜くように投げた。



「フッ、甘い!」


 敵も余裕綽々の態度で防ぐ。


 と、弾いて顔を上げると、もう目と鼻の先。

 とっくに悠磨の間合いだ。


 悠磨は右手のタガーで横一閃。敵は身体を後方に反らして避けた。

 だが、そこで終わらない。腰を落として重心を前に、すかさず第二撃。左手の刺突だ。


 対して敵は半身になり、悠磨の左側に躱される。




「…………!」


 だが、これら一連の動きは囮だった。敵は予想外で視覚外からの攻撃に、声こそ漏らさなかったものの驚く表情がうかがえる。

 悠磨は回転しながら左足で敵の足をはらい、バランスを崩させたのだ。


 直後、身体をその勢いのまま右踵かかとで回し蹴り。

 それでも見事な体勢の立て直しで、敵の短刀を持ったままの右腕に防がれる。


 ならば、と身体を捻り、左足を上げる。再び蹴り技のつもりか。

 もう一回、今度は両腕で防ごうとしたのを視認した瞬間、悠磨は脚を引っ込める。これはフェイントだった。



 瞬間、死角を突き右手での素早い刺突。

 だが敵の反応も早く、腕を引っ込め、半身になって回避。

 刃は相手の衣服を掠めるだけに終わってしまった。


 けれども悠磨の連撃は止まない。

 伸ばした腕を、抱き込むように曲げる。刃は敵の懐へ吸い込まれていった。



 キイン――と音が鳴る。今度は短刀にはばまれる。

 すると悠磨は右手の力を瞬時に弱め、刃同士の拮抗から離れる。代わりに力を込めたのは左だ。



 一瞬で左のタガーを逆手に持ち、くるっと身体を一回転させ、勢いを乗せた一撃。

 しかし軌道上に、敵の姿はない。バックステップで距離を取られていた。



 どうやら悠磨の連続攻撃は、ほとんど見破られてしまったようだ。


 その後もひたすら距離を詰め、果敢に攻め続ける悠磨。

 けれども敵は、悠磨の攻撃の手が緩んだ一瞬の隙を突いてワープゲートを作り出し、ナイフを投出する。


 なかなか思うように攻めきれず、防戦一方にはならないものの圧倒的に劣勢だ。

 短刀の剣撃と全方位全距離攻撃のコンビネーションはそれほどに素晴らしかった。そこは素直に褒め、認めるしかない。



 悠磨の息が僅かに上がる。けれどこれは演技。不利だけど強がっているフリだ。

 ここで敵の口が開かれる。



「まだ本気出してないでしょ。ずいぶん余裕ぶってるね? この僕に対して」


 やっぱ気づかれたか、と悠磨は思う。とはいえ、余力を残してるのは事実。

 今はまだ探り探りの状態だ。戦いながら敵の情報を少しずつ集めている。癖、弱点、隙、ささいなことも見逃さずに。


 かといって生ぬるい攻めじゃ何も出てこない。ボロを出させるほど強気に攻め、かつ致命傷を負わないように引き際を上手く見極めているのだ。

 あわよくば勝利を得ようと、勝つための手段も模索している。


 要はあらゆる事をひたすら考え続けているのだ。敵を目の前にして。




「お互いさまだろーが。つっても、俺はただの時間稼ぎだが」

「へぇ、考えることは一緒だったね」


 悠磨の時間稼ぎは援軍待ち。現にタタタッ、と十数人の足音が響いている。

 とはいっても、これはほぼハッタリ。足音が聞こえてきたから、敵を焦らすためにそう言っただけだ。

 では敵の場合は、敵の時間稼ぎの意味は何なのか。



「フフッ、これはどこにつながってると思うかい?」


 瞬間、悍ましい寒気がした。まるで心臓をギュッと握られたような感覚。

 最悪の状況が頭に浮かんだのか。悠磨は考えるより先に敵へと接近する。銃を構えながら。



 もし仮にワープゲートがどこでも繋がるとしたら、最短で殺す方法は何か。

 自分だったらどうするか。

 悠磨の答えは、体内だ。

 心臓を握りつぶす、肺を貫く、脳みそを潰す、など。

 対抗手段は、一切無い。



 だが悠磨の刃が届くより早く、敵の手は生じた空間の穴に突っ込まれ――――




「ガ、バッ…………!」


 後ろから、血を吐いて倒れる音がした。




「クフフッ、まずは一人」



 悠磨の予想は、自分が殺されること。肺や心臓などに繋がり、直接潰されると思っていた。

 だが実際に潰されたのは、悠磨ではなくスパイ。



 悠磨は、両手に持つタガーを投げる。

 まず右手のを、敵の首目掛けて。次に左手のを、敵の右足首狙って。

 投擲直後も、そのまま猛スピードで距離を詰める。



 だが二本のタガーはワープゲートを通り、一本は悠磨の右側から飛び出た。


 すると彼は右腕で防ぐ。ぐさりと突き刺さっても一切スピードを緩めずに距離を詰めにいく。


 しかし、投げたのは二本だ。

 もう一本はどこだ、と考えたその瞬間、



「ガ――ガッ……!」


 遠くから断末魔が聞こえてくる。聞き覚えのある声だった。



 けれど、気にせず即座に目の前に敵に意識を戻す。

 敵を倒す、今はその事しか悠磨の頭にない。



「僕のワープに、制限なんかないよ?」


 ワープの使用回数に限度があると悠磨は考えていた。実際、これまでは一個ずつしか作っていなかったからだ。



 ナイフが悠磨へと向かってくる。合計で九本だ。


 躱す、躱す、躱す。驚異的な反応速度で、かつ最小限の動きで回避。

 しかし、死角から一本が迫るのを感じる。


 一本は右腕に刺さる。悠磨のタガーの数センチ横だ。

 


ッ……!!」

「やっと余裕が無くなってきた感じ?」


 嘲笑いながら言い放つその男は、魔法を発動するような素振りを見せつつ短刀を握り直す。放たれる殺気から、次で仕留めるつもりだと悠磨は感じた。


 そんなことでも躊躇うことなく、悠磨は敵へ向かって走る。

 敵は腰を落とし、半身になって短刀を後ろに引く。明らかに刺突系の構えだ。そう見せかけて魔法の可能性もある。

 互いに読み合い、揺さぶり合う。この駆け引きはどちらに軍配が上がるか。


 相手の間合いに踏み込んだ。魔法の兆しはまだない。

 と、凄まじい速度で悠磨へ迫る一筋の刃。その刹那―――― 

 



「な……!」


 自分の腕に刺さったナイフとタガーを勢いよく抜き取り、血飛沫ちしぶきを振りまいた。

 さすがの敵も呆気にとられ、数コンマ固まってしまう。


 一瞬だったが目潰しし、この隙に悠磨は敵右腕へ一閃。ドボドボと血が流れ出る。

 脈狙いだったが撒かれた鮮血は予想より少ない。脈を斬り裂くことはできなかったようだ。



 敵が後ろへ下がる。


 けれど悠磨の攻めは止まない。

 ナイフはあえて落とし、いつのまにかタガーは彼の右手にあった。


 開いた左手で拳銃を素早く握り、さらに畳み掛けるように早撃ち。



 弾丸は非常に早い。発射されてから見て躱すのは、悠磨にとってもかなり困難。

 にもかかわらず、怯んでいたにもかかわらず、ワープゲートで弾丸を飛ばされた。


 ゲートの出口は、悠磨の頭の右側。反射的に身体を逸らしつつ、タガーを傾けて軌跡上に置く。


 結果、弾丸は僅かに上へ逸れた。



 数コンマ遅れれば、致命傷になっていた。考えるより先に身体が、本能的に動いたといった方が正しい。

 やはりと言うべきか、幾多の不運を潜り抜けて来ただけあって、死線や修羅場といった身体の不運察知能力は常人を遥かに超えていたようだ。




「痛い! くっ、そ!」


 敵は顔をしかめて、そう吐き捨てる。


 まともにヒットしたのは一振りだけ。

 それでも攻撃をくらうのは予想外だったらしい。ワープが自由に使えれば、ダメージを負わすなんてほぼ不可能と思っていたからだ。


 再び悠磨の接近。だが真っすぐ前にはワープゲートが現れる。

 即座に横へ跳び、壁に足をつける。死角になっているので、敵にはこちらの動きが見えない。

 先程は上に跳んだ。だがあれは、一回こっきりの不意打ちだ。二度目は通じない。似た手口であってもだ。

 読み合いのポイントを絞れない。だから彼は反射勝負に出る。



 しかし違った。情報不足か、はたまたそれ故の焦りがあったのか。読み違えてしまった。

 敵のそれは悠磨への攻撃ではなく、自分が逃げるためのものだったのだ。



「でも、もう目的は達成した。君は次会った時に殺してあげるから!」

「逃がすか」


 壁を蹴り、一直線の刺突。

 けれども僅かに届かず、ワープで逃げられてしまった。



「……チッ」


 心の底からの、舌打ちだ。

 気配も殺気も一切感じなくなった。




 ポケットから包帯を取り出し、右腕の傷口に巻く。


 すると微かに聞こえる声。弱々しい声だ。



「あ、が……」


 スパイは懸命に息をしていた。恐らく潰されたのは肺。

 だがまだ生きているという事は、片方だけだったのかもしれない。


 悠磨はゆっくりと近づき、腕で支える。するとスパイの男は途切れ途切れでも懸命に話そうとする。



「もう、あんたしか、いない。頼む、――――を、助……て、く……」


 肝心の名前は、空気を出し尽くしてしまったのか、声に出ていない。

 けれど悠磨は、口の動きだけで分かっていた。そして、コクリと無言で頷いた。



 穏やかに息を引き取った、とは全く違う。もがき苦しみ、目を開き、口を大きくあけたまま、醜い表情で死んだ。

 これが現実。フィクションのそれとは大きく違う。

 けれど悠磨は動揺なんてしなかった。

 嫌というほど見慣れていたから。本当に、思い出したくもないくらいに。



「チッ、胸くそ悪ぃ」


 とはいえ、仕方のない事だ。魔法における差は歴然。まして空間操作という、現実でしっかりと見たのは初めてのものだ。必要以上に警戒し過ぎていた。



「運が悪かった、で済む話じゃねぇよ……」


 これ以上嘆いても、仕方のないこと。

 大きく深呼吸をして、切り替える。



「こりゃ、ガチで魔法のこと調べなきゃな。大至急で」


 悠磨が短い時間と限られた道具で苦労して得た知識では、全く話にならない。

 今までの方法では、何もできない。もっと根本から、考え方も改めるべき―――と。


 そう思った悠磨は、落ちたナイフなどを拾い集め、僅かながら切り裂いた敵の服、さらにはほとんど乾いた血だまりを拭き取って回収した。

 何の役に立つか見当もつかない。しかしそもそも、魔法のことだって理解し切れてない。だからやれることは全てやりつくすしかない。



 敵の空間魔法についての情報が得られた。少しだけ。

 ポジティブに考えようにも、それだけだ。


 と、気持ちを整理していると、



「貴様あ! そこで何をしている!」


 騒ぎを聞き付けて慌ててやって来た看守に誤解され、強制的に捕らえられる。

 正直悠磨には、反抗するだけの気力も体力も残っていない。

 結局、成すがままに独房に入れられてしまった。




 ※  ※  ※




「はぁ……ったく、俺は運が悪いなあ」


 ベットにだらんと身体を横に倒し、呟く。



「あれだな。プリズンをブレイクるか。とりあえずブレイクっちゃうか」


 悠磨は小声でぶつくさ呟いている。

 とても、あの激しい戦いと、人が亡くなるのを見た後とは思えない態度だ。

 だが、良くも悪くも、慣れてしまっているようだ。どちらとも。


 すると看守の一人が警備用の金属棒を持ちながら牢屋の前に立ち、話しかける。



「もうすぐ偉い方が来る。それまで大人しく待ってるんだな」


 それだけ言い残すと、看守はすぐに持ち場へと戻っていった。



 ※  ※  ※




 そして一時間後。理事長が来た。




「あれれ? これまた、大変なことになったねぇ」

「もう少し早く来てくれれば、こうはならなかったかもしれませんね」


 からかうように言い放つ理事長に対し、悠磨も少し皮肉を交えて返した。

 けれども客観的に見ればわかる通り、立場は理事長の方が有利だ。


「さて、ここから出たいかい?」

「ベットが寝心地いいんで、ここで過ごしまーす」

「うーん、それはちょっと困るねぇ」


 わざとらしく理事長は困り顔で頭をかいた。



「今なら、学校に犯罪者が来た、なんてイジメを受けずに済むよ? 今回の出来事は秘密にしてあるから」

「学校のイジメ程度なら、気にするほどの事でもありませんが」

「ずいぶんと強い精神力をお持ちのようだね」

「あんなの、俺にとってはレベルの低い不運、としか感じないので」


 これは強がっているわけではなく、ただの本音のようだ。



「脱走なんてされたら、僕の信用はガタ落ちになっちゃうし」

「それはそれで面白いかもしれませんねぇ」


 そんな皮肉交じりに、それは考えてなかったな、とさりげなく嘘のアピール。


 フッと笑った悠磨に対し、理事長も笑う。ただし悪戯する子どもかのようなニヤニヤ顔だ。



「さてさてそれにしても、まーた借りが増えちゃったねぇ〜」

「何のですか?」

「冤罪を解消する、というね」


 はっきり言うと、これ以上借りを作るのは好ましくないのだ。

 いざとなれば「覚えてません」とか言ってはぐらかすことも出来る。書面での契約などといった物的証拠になり得るものは無いから。



 最も厄介な不運になり得る、それが一番の懸念だ。


 裏付ける情報が無い、掴みどころが無い、底が見えない。ないないづくしだ。

 完全な敵対はリスクとデメリットがデカい。理屈的にも直感的にもそう言える。

 かといって、ただ従うのもどう扱われるか読めない。


 だからこそ、利用されて思惑通りに動かされる手駒にはならずに、ビジネスライクに、対等で、一応の協力関係を維持する。




「なら、ちょっとした情報教えるからチャラ、ってなら考えますよ」

「その情報次第、かな」


 正直悠磨は言うべきかどうか迷っていた。だが、ここにずっと閉じこもっていても何一つ解決しない事はよくわかっている。

 情報とは手札であり、切り札である。要は使い方の問題だ。


(うまくエビ鯛してぇとこだが、コイツ相手すんの疲れるんだよな……。しかも今めっちゃ疲れてるし)


 海老で鯛を釣る、ということわざのように、この情報でさらに情報を得るために、疲れたフリして身体を起こし、理事長との会話兼交渉に臨んだ。




 ※  ※  ※




 独房に入って二時間もしないうちに釈放となった。というか、えん罪なのだが。


 自分が少しずつ話しながら、理事長がこれを知っているかどうか、何かしら関連のある情報を持っているか、探り探りで教えるも、釈放以外のものは何も得られなかった。隠しているのか、もしくは本当に知らなかったのかを知るすべは無いが。



(ま、借りを作らなかっただけまだマシか)


 うまく気持ちを切り替えて、自宅へ帰るために商店街を歩いていると、



「あ、ユーくん!」


 みずなと出会った。

 彼女はタタタッと近づいてくると、首を傾げながら悠磨に尋ねる。



「ねぇ、今日は修行やらないの?」

「いや、まあいいけど。つーか何でそんなに楽しそうなの?」

「え、だって……」


 するとみずなはパッと明るい笑顔で、



「強くなってるって、実感するから!」



 そのセリフに、疑念は頭の中で、さらに増していく。



(みずなの強くなりたい理由は、マジで『助けたい』だけなのか?)





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