第二十四話 前門の虎、後門の狼、上門の鴉、そして空から不運
「どうですか、あの隣にいる男は」
「『天倉ゆうま』、と言うらしい」
ある書類を見ながら、黒装束を着て仮面を被った二人は話し合っている。
「『ターゲット』の方はどうですか?」
「気づかれてはいないはずだ」
「やはり、アイツは要警戒ですかね」
「そうだな……。そういえば、この前見た感じはどうだった」
「ずっと木刀を振ってただけですが……」
その怪しげな男二人は、ある建物の二階の窓から、ある人物を観察していた。
「それにしても、ターゲットは護衛でも雇ったのですか?」
「いや、同い年で、同じ高校の入学試験を受ける。それだけしか、今のところ情報はない」
「それって、少なすぎませんか、不自然なくらいに」
「確かにそうだ。家族構成、出身中学、それらの情報が一切ない。情報統制された、いやもしくは機密情報。それほど重要人物なのかもしれない」
「外から来たって可能性は?」
「なるほど、無きにしも非ずだな。だが『外』の人間が『中』に入るにはそれなりに権力を持つ人物でなければ不可能だ」
「あの理事長って線はありませんか?」
「ああ、あれならやりかねない」
「だとすれば、相当強いに違いないかもしれません。早めに手を打っておきますか?」
「それはまだ待て。ターゲットに感づかれて、本来の目的を果たせなくなっては元も子もない」
「では、このまま予定通りに計画を進める方向で?」
「そうだな。それが一番手っ取り早いだろう」
※ ※ ※
情報交換をし終えた二人は、再び持ち場へ戻るために、別々の道を進んでいく。
路地裏の光がほとんど差し込まない狭い通り道を、一人の男は全く足音を立てずに歩いていた。
(あの男、『天倉ゆうま』というのか。一体、奴は何者なんだ……?)
周囲の警戒をしつつ、頭の中で情報整理を行っていた。
建物の隙間に入り込む風が、黒の布を靡かせる。すると――
カンッ、コロロロ――。唐突に音が響く。
余りにも急な音に、ビクッと思わず反射的に振り向いた。誰かいるのか、と。
だが視界に入ったのは、空き缶一つ。どうやらそれが風によってどこからか落ち、転がる音だった。
「(何だゴミか。焦ったなあ、全く。ビビらすなよ――)」
『よォ』
「!?」
不意に声をかけられる。上から降りてきながら。
『なァに驚いてんだァ?』
真っ黒のコートを着た男と鉢合わせた。
非常に暗い場所なせいか、ハッキリと確認出来ない。一瞬見て分かったのは、フードを被っている上に、黒いマスクをつけていること。
「クソッ、何者だ!」
全く気配を感じさせずにここまで接近されるとは、かなりの手練れ、と直感で感じ取った彼は、問いと同時に懐からナイフを出し、突きの一閃。
こういう状況は先手必勝、殺られる前に殺れ。そう考えての行動だった。
反射的に繰り出したそれは、突然の出来事に動揺したにもかかわらず、一分の隙も無くとても洗練された動き。それなりの訓練を積まなくては出来ない、簡単に見切れるはずがないものだった。
だが、その黒いコートを着た男は容易く刃の軌道を読み切り、軽快な身のこなしで後ろに下がりながら半身になる。
一瞬、フードに隠された目元が露わになる。左目に傷痕がついていたのを確認できたが、それだけで誰なのかまでは分からなかった。
(誰か知らんが、ここまで来るという事は、敵に違いない。殺すか、捕らえて訊きださなくては……!)
敵がバックステップしようとする挙動を確認する。
逃がすか、避けるよりも速く――と強く思い、黒装束の男は地を蹴り、前へ身体を傾かせたまま相手に向かってニ撃目。ナイフが右から左へ、身体を抱き込むように右手で横薙ぎ。僅かに差し込む光を反射させ、周囲の闇を払いのけるかのような銀色の斬撃。
しかし、その攻撃は空を切った。
焦りが攻撃を余計に速めてしまったのか、もしくは暗いせいで距離感を掴み損ねたのか、敵が後方に下がるより早く、届くより先に斬りつけてしまった。
思わずしまった、と。ほんの僅かな、しかし手練れ同士では致命的な隙が生じる。
瞬間、強烈な悪寒が全身を痺れさせた。
それは殺気。空気をも震えさせたと錯覚するほど、冷酷で不気味な威圧感。
さらに黒装束の男は感じ取った。マスクの微かな動きから、口の両端を不吉に吊り上げ、邪悪で猛獣染みた笑みを浮かべたのを。
「く……ッ!」
まるで凍ってしまったかの如く硬直した身体を無理矢理動かし、前のめりだった体勢を整える。その一方で黒コートの男は、迷うことなく接近。
敵の武器が何か分からず、迎撃か後退かに一瞬迷い、選んだのは応戦。迫ってくる敵へ向き、再びナイフを強く握りしめた。
しかし、その刹那の逡巡を見抜いたのか、素手で躊躇うことなく距離を詰める黒コートの男。
互いの距離は目と鼻の先。だが有利なのは、数コンマ対応に遅れるも、若干リーチのあるナイフ使い――黒装束の男か。
逆手持ちに切り替え、敵の目を貫こうと刺突。フードによって目が隠れるということは、敵にとって死角も同然。躱せるはずが無い、そう考えての攻撃。
が、寸分の狂いも無いタイミングで黒コートの男は体勢を低くし、ナイフの攻撃範囲の下を潜り抜ける。
斬撃は、またも空振りに終わった。
まるでその正直すぎる動きを嘲笑うかのように、黒コートの男は片手でナイフを持っている右の手首を掴む。さらに、見た目とは裏腹に屈強な握力が、骨を軋ませ、ナイフを手放させた。
さらに猛獣が餌に喰らい付くかの如く、虎視眈々と待っていた大きな隙を見逃す事なく、もう一方の手で彼の腹部に掌底。
「グガッ――ハッ……」
強烈な打撃に呻き声を上げ、息が詰まった。その衝撃は止まらず、身体をわずかに浮かせる。
その瞬間に、黒コートの男は足を払って頭を掴む。そして容赦ない勢いで地面に顔面が減り込みそうなくらい叩きつける。仮面によって直接的なダメージとはならなかったが、衝撃で鼻が潰れ、血を垂らした。
俯せになってしまい、同時に右腕を背中側に回される。
『少しでも変な動き見せたら、腕をへし折るぞ』
冷徹な声で、その男はそう言い放った。
(クソッ! 理事長の手下か!? 何故ここにいるとバレた……いや、今はこの状況をなんとかせねば。計画を知られてはマズイ! 何としてでも逃げ切らなければ……!)
そう考えた彼は、僅かに左手を動かし、素早く別の武器を取ろうと――――
ゴキッ――。鈍く嫌な音が、身体に響き渡る。
「があぁ――…………ガッ――!?」
彼は一瞬理解できなかった。自分の身に何が起こったのかを。
迫り来る苦痛と共に、脳は視覚と触覚の情報から把握した。
黒コートの男は腕の骨を折った。瞬時に、いとも容易くだ。その直後、もう片方の手で彼の喉を押さえつける。さらに、微かに動かした左手は、敵の足で押さえられてしまう。
激痛で叫ぶことさえさせない。他の仲間に気づかせないようにするためか――そう黒装束の男は考えた。
『言ったろ。変な動き見せたらへし折るってよォ』
マスクをしているせいか、声がはっきりとしていない。様々な人物の情報集めをしている彼なら、声だけである程度誰かを絞りこめる。だが、この濁り具合、この口調、仮にマスクがなかったとしても声の主を判別するのはかなり難しいだろう。
一つ分かることがあるとすれば、あまりにも不気味で、禍々しい凶悪な殺気を放ち続けていること。
(クソッ、どうにか仲間に伝える方法があれば――)
『てめェの仲間はここには来ねェよ。どういう意味か分かるかァ?』
「……!?」
何故心の中を読まれた、といった驚愕の表情を無意識のうちに浮かべてしまい、瞬時に悟られまいとポーカーフェイスに戻す。とはいえ、仮面に隠されているため顔を視認することは出来ないはずだが。
そんな事を知ってか知らずか、平然とした態度で彼は言葉を続ける。
『逃げようとも考えるなァ。てめェは俺の質問に、素直に答えりゃいい。ウソをつくんじゃねェぞ。すぐバレっからな。答えねェなら、まず指、次に腕。そうだなァ、てめェのナイフで目ン玉抉り取るってのもいいなァ』
そう告げながら黒コートの男は、そばに落ちていたナイフを持つ。
『さァて、拷問タイムといこうじゃねェか!』
その冷酷無惨で狂気全開の発言と、先程までの威圧的なものとは異なる、全身が押し潰されんばかりの圧迫感に覆われる。放たれる殺気は、これまで体験した中でも比べ物にならないほど異質の極み。
心臓の鼓動が、異常なほど増す。それらと腕の痛みが、本能で絶望を、恐怖を感じる。
息が苦しくなっていく。その言葉の圧迫によるものか、物理的に喉を絞められているからなのか、酸素の不足が脳の正常な判断を鈍らせ、意識が朦朧としてくる。その時――
額からの痛みと同時に、狭小だった視界は広がった。
つまりは、仮面を剥ぎ取るように顔と仮面の間にナイフを刺し込み、取り除いた。皮膚をも抉り取ろうとする勢いで。何の躊躇いもなく。
実際、額の皮が剥けて、血が流れ落ちている。
『目ン玉抉るにゃ、まず邪魔な覆面剥ぎ取んねェとなァ?』
言っていることは本気だった。そして理解した。答えなければ死、いやそれ以上に残酷な死を招く――と。
残虐と狂気の死神、その幻影を視てしまったのだろうか。
そう考えていた彼は白目をむき、泡を噴いて意識を失った。つまりは自滅した、ということだ。
『何だァ? この程度で壊れんのかよ。面白くねェなァ。毒とか飲んで自害する覚悟もねェのか? プロのスパイにしちゃ情けねェなァ!』
そう言い放つも、黒装束の男は無反応。
なので、その男の身体を仰向けに動かし、半開きになっている口を自分の手でさらに開かせ、歯を見る。
さらに彼はそいつを壁際まで運び、コートから縄を取り出しつつ、呆れ口調で呟く。
『さっさと情報引き出してェっつーのに、俺ァ運が悪いなァ』
※ ※ ※
(あれ……? 監視がいなくなった……?)
商店街をみずなと一緒に移動中、悠磨はふと気づく。
(どういう事だ? 何で一人も居ないん――)
べチャリ。カラスのフンが彼の頭に落ちた。
空からフン。まさしく不運。
普段ならまず鳥の下を通ったりしないし、万が一何かが落下してきても素早い反応で避けられる。だが、他の事に意識を向けすぎるとこうなってしまうのだ。
(何だこのベタ過ぎる不運は……)
カアーカアーと馬鹿にしているような鳴き声を発しながら、不吉色の鳥は飛び回って、やがてどこかへと行った。
悠磨は背負っているリュックからポケットティッシュを取り出し、頭を拭きながら、
「ったく、俺は運が悪いなあ」
溜息交じりに、暗い声でそう呟いた。
ちなみに隣にいたみずなは、軽く引いていた。




