第二十三話 不運の感じ方は人それぞれ
試験四日前。またまたよく晴れた朝。和やかに輝く朝日が部屋を照らしていき、鳥のせせらぎが耳に入ってくる。
昨日から再開した日課を始めようとして、ふと何かに気づいた。
(……あれ? 五時、だよな?)
なんとなく、違和感を感じ取る。腕時計で確認するが、『11:01』と表示されているので、悠磨の推測が正しければ『こっち』の時間で約五時で間違ってない。
(春で五時ってこんな明るかったっけ? つーか今ここ何月? 自転周期は? 二十四時間なのか? てか季節とかあんのか?)
頭に浮かんだのは、些細なことに対する疑問、だったのだが、次々と謎が湧きだしてくる。というか、これらは前にも一度思ったことだ。
(そういや、ここって雨とか降るのか? いや降るよな? じゃねぇと水無くなっちまうしな)
すると、頭に雷が落ちたかのように、ひらめく。電球がピカッと光るような、そんな表現が出来そうなくらいありきたりな動作と表情をしながら。
(シールド傘みてぇにすっか!)
何故急に!? と隣で誰かが聞いてたらそうツッコミたくなるだろう。それだけ突拍子のないことだったが、止める者はここにはいない。不運以外に。
「よし早速ぅあァァ――!?」
即座に立ち上がって、踏み出した右足の一歩目が滑り、その勢いのまま大きく振り上げる形となってしまう。オーバーヘッドの如く繰り出されたそれは、中途半端な速度と高さのせいで、身体が上下逆さまになり、頭を床に打ちつけそうになった。
「ふんッ!」
咄嗟に手をフローリングにつけ、力を込めて押し出す。
逆立ちの状態になるのかと思いきや、その勢いを敢えて止めず逆に強め、上体を持ち上げ、同時に足を振る。
結果的にバク転のように全身を後回転させ、スタッと足から鮮やかに着地――かと思いきや、
「うぶっ!? 痛ってぇ……」
また足を滑らした悠磨。盛大に尻餅をつき、情けない声を発した。
靴下を履いていたので、フローリングでは滑りやすくなっている。そんなことは当然知っているし、普段から気を付けているはずなのに、今勢い任せに行動したせいで忘れていたのだ。
「ぷ、アハハハッ! ったく、俺は運が悪いなあ!」
自分のバカげた行動に思わず吹き出して笑い、結局いつもの口癖を呟いた。
※ ※ ※
家で日課をこなし、家を出たのは五時半。
軽く息切れする程度のペースで走り続け、向かったのはいつもの公園。
そして、公園に入るや否や――
「シールドォォォ!!」
右手を前に突きだし、そう叫んだ。
手のひらの中央から円形の魔法陣が出現し、透明な膜が円状ではなく、傘のように湾曲していく。
半径は五十から六十センチメートルほど。小さめの傘と同じくらいの大きさだろう。
完全に開ききるまでにかかった時間は約一秒。
(いや、まだまだだな。イメージ強くするんだったら、やっぱ叫んだ勢いのまま叫んだ方がいいよな。必殺技みてぇでカッケーし!)
そう思って腹式呼吸のように、背筋を伸ばして大きく息を吸い込み、お腹を使って声を出そうとして、
(……ここじゃ近所迷惑になっちまうな。てかぜってぇ苦情来るわ。俺は運が悪いから)
落ち着きを取り戻し、肺に溜めた空気を「はぁー」と一気に吐き出した。
(どっか山奥篭ってガッツリまほトレしてぇけど、すぐ近くになさそうだしな……)
ちなみに、まほトレは魔法トレーニングの略。筋トレみたいな言い方だが、意味合い的にも筋肉が魔法になっただけで、大差ないと悠磨自身は感じているのだろう。
その後同じイメージで、声は少し抑えつつ魔法の練習を幾度となく繰り返していた。
そして新たに思いついたことを書き込んだり、これまでの情報をもう一度確認しようとしてメモ帳を取りだす――
(あ……家に忘れた)
つもりだったが、慌てて家を出てきてしまったため忘れてきたようだ。
(しゃあねぇ、スマホ使うか……)
ズボンのポケットから取り出そうとするも、普段入れてある左ポケットには入ってない。
どこかで落としたのか、とこれまでの行動を思い出すと、今どうして無いのか分かった。
(ヤベぇ、スマホ置きっぱじゃん。何でこう、タイミングがいっつも悪いんだよ。ったく、俺は運が悪いなあ)
紙のメモ帳に書いた記録は写真で保存してあるのだが、持ってこなければ何の意味もない。仕方がないので、思いついたことはしっかり記憶するなど、頭の中だけでうまく情報整理を行っていた。
※ ※ ※
悠磨が気づいたとき、二時間も経っていた。
まだ朝飯を食べてないことに気づき、帰り道に唯一開いていた、昔ながらのコンビニのような店に寄って、食パンや野菜類をいくつか購入。
家に着き、手洗いうがいを済ませ、八枚切り一斤の食パンの袋を開ける。
中から一切れ取り出してみると、香りはごく僅か、ポロポロとパン屑がこぼれる。早速口にしてみると、
「……味ねぇな」
ほぼ無味無臭。安物だから仕方ないか、今度マーガリンかなんか買ってくか――と思って一分ほどで食べ終える。
だが、「俺は運が悪いなあ」と呟くほど不満に思うことは無かった。
悠磨からすれば、「食えれば何でもいい」のだ。不運故に、高級な料理なんてもってのほか、下手すれば食いたくても食えない、なんて日もあった。
だから、賞味期限や消費期限はチェックこそすれど、食べる時には一切気にしない。食べられれば何でもいい。カビが生えたり腐ったりしていても、どうしようもない時はそれで食い繋いでいた。
じゃあそんなことして、腹を下したり食中毒にならないのか。
確かに彼は運が悪い。けれども身体は人間と思えないほどに丈夫なのだ。実力、と言えるかどうか微妙だが。
まだ幼かった頃は、実はそこらへんに生えている野生植物を食べていたらしい。らしい、というのも、彼の母からの話だからであって、悠磨自身は全て覚えているわけではない。
特に自力で歩けるようになった一、二歳くらいの時は、公園や森などに生えた草木を、どんな見た目であろうと触って、においを嗅ぎ、そのまま口を開いては葉っぱや花を咥えていたのだ。
時に吐き、時には意識を失いかける事もあった。
一番ヤバかったのは、あの日本三大有毒植物で有名なトリカブト、その中で特段危険なヤマトリカブトを口にしてしまった時だ。今思えば、親はどうしてそんな場所に連れてきたとも考えられるが。
不幸中の幸い、という言葉が彼に相応しいかどうかは一旦置いておくとして、ともかくまだ歯が生えきっていなかった歳で、噛み千切ることはもちろん、飲み込むことも出来ず、おかげで毒は葉や花などから滲み出たごく少量しか体内に入らなかったそうだ。
そして、数日経ったら何事もなかったかのように元気になり、あっさり退院した。後に人類最強の子どもという噂がその病院内で広まったとか。
ちょくちょく目を離してしまう親の責任もあるかもしれないが、それ以上に昔から悠磨は非常に好奇心旺盛だったのだ。両親に呆れられるほどに。
そして身体も桁外れに丈夫なのだ。医者達に呆れられるほどに。
食べ物のことから連想して、何故かそんな昔話を思い出してしまい、
(ホント、よく生き延びれたな俺。懐かしいな)
過去の映像が頭を過り、複雑な気分でそう思った。
※ ※ ※
午前九時半。今回は先に買い物を済ませようと考えたのか、図書館には向かわず、商店街に並んでいる数々の店の内、文房具屋に入る。
悠磨からしてみれば『あっち』にいた時、筆記用具などは百円ショップに行けば大抵の物はそろってしまうのでほぼ行かないし、最近では閉まっていく店ばかりだな、と思うほど。
ペンや墨汁など必要な物を買い揃え、文房具屋を後にし、再び商店街を歩いていると、
(まだ見てんのかよ。ホントしつけぇな)
また監視されている、と身体が感じ取る。今日はみずなと一緒ではなく、一人で行動中だ。
(狙いは俺、か?)
どこからかは分かっているが、殺気を向けられているのではなく、かといって好意的な視線でもない。おまけに情報が足りず、どう動こうかと判断しかねていた。
※ ※ ※
修行は昨日より少し早め、六時半より開始した。昨日誰かに見られたこともあってか、警戒を強めての事だった。
悠磨は右に左にと木刀の持ち手を変えながら、剣撃の速度に緩急つけたり、トリッキーな動きでみずなを混乱させつつ攻めていく。
対するみずなは、それに負けじとしっかり見極め、考え、彼の大振り後の隙にカウンターを狙ったりした。
ただしこれほど拮抗してたのは、開始五分までだった。
十五分を過ぎたあたりには、みずなは時々膝に手をつき、肩を上下させるほどに呼吸が荒くなり、頬には多量の汗が伝う。対して悠磨は、汗一つ垂らさず、涼しい顔して向き合っていた。
三十分続けて、やっと「休憩だ」と告げる悠磨。
疲労困憊な状態のみずなは、へたりと地面に座り込んだ。
そして彼は、次の課題は体力だな、などと考え、地面に木刀を置く。みずなの息が整うのを待つ間、昨日の事もあって警戒してるのか、辺りを歩き回っていた。
五分が過ぎようとしたころ、まだみずなには疲労の色が浮かんでいたが、ゆっくりと立ち上がる。その後木刀を手に取ろうとしたが、そこには悠磨の置いたのもある。
「あれ? 私のってどっちだっけ?」
どちらも同じ木刀だし、そもそも悠磨が管理しているので専用のものではないはずだが、散歩から帰ってきた彼は二本ある木刀の内一本を颯爽と手に取る。
「ああ、こっちのが俺だ」
何で分かったの? と言わんばかりの視線を投げかけるみずなに対し、「気づかなかったのかなあ」と悠磨は思い、木刀の柄の部分を見せながら口を開く。
「俺のは『洞爺湖』って書いてあるからな」
「え? とーやこ……? どういう意味?」
「知らんけど、なんかカッケーじゃん?」
「………………」
悠磨の返答に対し、みずなは無表情で黙り込んでしまった。
「あの、何かツッコんでくれ……」
「えっと……反応に困る……」
ごもっもとだよな、と悠磨は思う。
「え、えっと……もしかして、師匠って『とーやこ流』とか?」
そんなみずなの的外れな返しに、思わず悠磨は噴き出して笑ってしまった。
「ぷふっ――アハハッ!! いいなそれ!」
「え……!? ち、違うの?」
「『洞爺湖仙人』はいるけど流派じゃねぇから。そもそも、俺の好きなマンガからちょっと借りただけだから。勝手にだがな」
「…………まんが?」
首を傾げ、ポカンとした表情を浮かべるみずな。
悠磨は、彼女のマンガが何かを知らなさそうな反応をしたせいか、途轍もない焦りが湧き上がり、
(え、マンガを知らねぇのか? いや、もしくはマンガがこの世界に無ぇのか? ちょっと待てマジで待てそれはやめてくれ待ってくれ、いやこの決断を下すのはまだ早い。まだ――)
「あの……ユーくん?」
いきなり黙り込んだ彼を不思議がりつつ、みずなは話しかけた。
悠磨はヒートアップしていた思考を抑え「ゴホン」と軽く咳払いをし、冷静になる。
「ああ、何でもない。忘れてくれ」
「そ、そう……」
少し気まずい空気が流れたが、その後悠磨は強引に修行を再開させた。




