第二十二話 脇目も振らず、目を閉じ、剣を振り、起きるは不運
試験五日前。良く晴れた朝。『こっち』の時間で五時。
今日も変わらず床で寝ていた悠磨は、「あー痛ぇ」と覇気の無い声で呟き、ゆっくりと起き上がる。
閉じかけている目をこすり、大きなあくびをしながら身体を軽く動かした。
それを五分ほど続け、次にストレッチ。全身に血を巡らすかのように、ゆっくりと大きく、起きたばかりの身体に負担をかけないように足や関節を伸ばす。
五時半になると、今度は筋トレ。腕立て、腹筋、背筋、そして体幹のトレーニングを一セット。
ちなみに、これにランニングをプラスしたものが、彼の『あっち』にいた頃の日課。だが知らない道を走ることを躊躇っているのか、今日はランニングをするつもりはないようだ。
「ふぅ……」
ここまでやり終え、彼は何故だか懐かしくて感慨深いような、そんな感情が心から湧いてきていた。
時間は六時ちょっと前。時間があったせいか、つい某少年漫画雑誌に手を伸ばしてしまったが、「まだやるべき事あんだろ!」と自分に言い聞かせ、その欲望を断ち切る。一度読んでしまうと止まらない、というか止められなくなって、昨日と全く同じことをしてしまいそうだから。そんな余裕は無いのにもかかわらず、だ。
メモ帳を開き、これまでにまとめた魔法についての情報をさっと見る。そして何か思いついたのか書き加えていった。
しばらくしてから、昨日本屋巡りの帰りに、スーパーマーケットらしき店で買った食材で朝食を簡単に済ませ、家を出る。
向かったのは図書館。『こっち』の時間で九時十五分。
そして今日も魔法の研究……ではなく、
(さて、筆記対策でもやっとかなきゃな)
今回は歴史コーナーの棚から、とりあえず目についたものを三冊とる。辞書みたいに分厚く古びたもの、文庫版の小説サイズのもの、そしてA4くらいのページ数が少ない雑誌タイプの三つ。
椅子に腰掛けて、その三冊の表紙をじっと見る。
(つーかさ、一週間で過去問どころか参考書もなく、普通の歴史本だけで対策するのは無理ありすぎじゃね? おまけに俺は運が悪いから、覚えたトコがそのまま出るなんつーことはまず起きねぇ。ま、だからって諦めたりはしねえけどさぁ……)
さすがにどうすべきか、と悠磨は悩んだ。とはいえ、心の中で愚痴っても仕方のない事だ。
考えるのをやめ、とりあえず読もうとまず雑誌っぽいものから手を付ける。
そして、十五分が経ち――
「……分からん。全然分からん」
相当ハイペースで三冊を読み終えた。ざっと読んではみたものの、理解するまでには至らなかったようだ。
(何なんだよ、西暦4517年って。ここは未来の地球かっつーの)
※ ※ ※
「もういいや。時間のムダだこりゃ。諦めよ」
一時間ほどかけて十冊も読んだが、結局理解は出来なかった。超速読でさらっと要点掴むつもりだったが、知らない単語も多かったのだ。
しかもこういう時は、意外と諦めの早い悠磨。だが、時間効率を優先しているため、仕方が無かった。
元の棚に本を戻し、少し周囲を見回した。すると、数学や物理、化学といった本が目に入る。
(ついでに数学と理科も読んどくか)
ついで、と言えるほど彼は理系科目には自信があった。というより、誰かが地球から持ってきたという仮説が正しければ、公式や計算の仕方はそれほど変わらない、というより変えようがないと思っているからだ。
三十分で四冊、目次から気になるとこだけを要点的に読み終え、
「ハハッ、何だよコレ……予想以上だな」
一体何が、彼をそう言わせたのか。
数学の公式、長さや重さなどの単位も同じ。ここまでは予想していた。
ニュートンやアインシュタイン、ファラデーといった地球の歴史上の人物がここに出ていること。歴史が違うはずなのに、何故かいることになっている。これはさすがに予想外だった。
だが最も驚いたのは、重力加速度が九・八Nと、地球と同じだということ。正確に言えば、九・八……もしくは九・七……と続いていくし、地球でも場所によって僅かに差が生じる。
が、この九・八は一般的な物理の問題で使われる定数。だからこそ、これをそのまま載せているのに疑問が残る。どうやってこの数字に決めたのだ、と。
(はぁ、俺は未来にタイムトラベルですか……?)
また一つ、悠磨を混乱させる種が出来てしまった。
(とりあえず重力は今度測っとくとして、やっぱ地球かここ? ニュートンやらアインシュタインやらがここにもいたって考えにくいし。じゃあパラレルワールド的なアレか?)
マンガ脳モードと理系脳モードが俊敏に切り替わりながら、思考は加速していく。
(タイムトラベルはどうやって? タイムマシンあるワケじゃねぇし。なら、俺が通ってきたワームホール的なアレで時間も歪んだとか? つーかホントに二千年経ったんならもっと科学文明発展しててもおかしくねぇよ。あ、でも『外』にいるモンスターが何かデっケェ事件でも起こして……崩壊しかけた的な? ま、技術が進んでて、アインシュタイン並みの天才がいたらタイムマシンなり作ってたかもしんねぇけど……やっぱ考えてもキリねぇな。いったん置いとくか)
一つ、たった一つの情報だが、それだけで悠磨の脳内はオーバーヒートでも起きるんじゃないか、と思うくらい相当量の情報処理を行っていた。
(地球から持ってきた説は? よく考えりゃ、地球から持ってきた情報とか本とかでつじつま合わせするためにこんなことしたとかありそうだな。)
今度はこれまで有力だと思った仮説から、推測を始める。
(そもそもこの説だとしたら、誰か先駆者でもいるのか? 俺みてぇに転移してきたやつとか。まさか……理事長? 話も通じてたし。アイツが何かしら関係あるっつーのは間違いねぇはずだ。理屈的にも直感的にも。理事長を問い詰めてぇとこだが今のまんまじゃまたはぐらかされて終わっちまう。さて、どうすっか……)
気になったところはメモをし、また本を取っては読み、再び思慮を巡らす。その繰り返しで、時間はあっという間に過ぎていった。
それらの作業がキリのいいとこまで終わると、悠磨は図書館を出て、いつもの商店街を通る。
途中で服屋を見つけ、いつまでも同じ服着てるっつーのはマズいな、と思って安物の黒などの地味なシャツやズボンなどを購入。
そして、ついでに隣にあった薬局で色々と必要な物を買い揃えた。
※ ※ ※
時間は午後七時。いつもの公園で、昨日までと同じように修行を行なっている。
今回は悠磨から攻めたりすることが多くなった。だがそれは、みずなに積極性が無くなったことを意味しているのではなく、ただ攻め続ければカウンターをくらってしまうことを学習したからだろう。
(ずいぶんと成長すんのが早ぇな)
悠磨が驚いたのは、立ち回り方だけではない。みずなの避け方が変わっていたのだ。
普通の人間なら、目の前に速いものが通ったりして反射的に目をつぶってしまうような場面でも、みずなはしっかり剣を見る。
そして、もう一度躱すことも反撃に転じることも出来る最小限の回避。間合いの取り方も丁度良い具合だった。
悠磨はみずなに回避技術を教えてはない。というより、教えようがないのだ。間合い、足の地面との接地具合、タイミング、姿勢、身体運びなど沢山の要素があるが、感覚だったり、その場その場で臨機応変に対応すべき――というのが悠磨の持論だから。
(昨日の発言が効いたのか、それともみずな本来の持ち味なのか)
相変わらずの成長の早さ。今まで何の剣術も教わらなかったから、変なクセがなく、スポンジの如く吸収してるんだろうな――と悠磨は推察する。
(とはいえ、ずっと俺と戦ってちゃ意味ねぇんだな。どうすっか……)
少し考えたが、思い付いたアイデアは一つ。
「さて。んじゃ、少し変えるか」
そう言って、木刀を左手で持つ。
「え……?」
「気ィ引き締めろ。始めるぞ」
「あ……うん」
悠磨が声を掛けるや否や、試合は再開される。
左下から右上へ斬り上げ。これをみずなは半身になって躱す。
そこから悠磨は横に薙ぎ払い。右から左へ。
みずなは判断に迷いが生じたせいか、コンマ数秒対応に遅れた。やはり逆になったことにより、混乱してしまったようだ。
そして選択したのは、木刀を垂直に立ててガード。木刀同士がぶつかり――
「え……?」
合わなかった。瞬時に悠磨は剣を引いたのだ。つまりフェイント。
どうしようかと迷ったその隙を突いて、みずなが持つ木刀の柄を狙った。それも、右手とほとんど大差のないパワーとスピードで。
みずなの手に直接当たらずとも、強い衝撃が剣を伝って響き渡り、武器が手から離れてしまった。
「早く拾え。もう一度だ」
「は、はい……!」
すぐさま地面に落ちた木刀を、ジンジンとまだ痺れが残っている右手で拾い上げ、構える。
そんなことに悠磨は気づきながらも、容赦なく左のまま攻める。
悠磨は左利きではなく、右利きでもない。両利きである。
箸やペンはもちろん、ボール投げや剣などほぼ全てにおいてどっちでも出来る。
運が悪いから、片方の腕や手を骨折などして使えなくなった時のためだ。そのために、両方使えるように努力した。両手骨折したらどうしようもないが。
数十分続けて、みずなの動悸が激しくなり、首や額から汗が伝う。疲労いの度合いは、目に見えていた。
なので、悠磨は休憩を入れる。本当はもう少し続けて、彼女の集中力やスタミナの持続時間を上げようとしたかったが、慣れないことをさせれば疲れて当然か、と思っていた。
数分経って息の整ったみずなは、ふと思いついたかのように、彼に問い掛ける。
「ねぇ、何で左手に変えたの?」
「何でってそりゃ、俺以外と戦う時どうすんだっつー話だ」
「え……?」
「じゃ、まず聞こう。俺が右の時と左の時、どっちが戦いずらかったか?」
「……左」
みずなは目をつぶって、これまでのを思い出し、そう答えた。
「次に、どうして左の方がやりずらかった?」
「うーん……動きが逆、だったから?」
「疑問に疑問で返すのかよ……まあいいや。その答えは、間違ってはねぇな」
「……?」
首を傾げるみずな。自分でやってて気づかなかったのか、という疑問は心の中に押し留めた。
「要するに、慣れてねぇっつー事だろ」
「あ、うん……」
「かと言って、慣れればもう平気っつー話じゃねぇんだな」
「…………えぇ?」
ほんの一瞬、みずなは返事に困った様子の顔をしたがすぐに切り替え、彼の話に意識を集中する。
それを見た悠磨は、少しばかり呆れた口調で答える。
「間合いの取り方とか身体運びとか、ずっと同じじゃダメだろ。モンスターと戦う時、今とおんなじように戦うか?」
「ううん……」
真剣な表情のまま、彼女は横に首を振る。
「だろ? 同じ相手と戦ってちゃ、動きに偏りが出ちまったり、変なクセがついたりする。そうなっちまったら意味ねぇからな。ホントは実戦で学んでいくのがいいんだが……」
そんなことをしている時間はない、ということは分かっていた。外に出るための手続きが面倒くさいからだ。
悠磨は「とりあえず」の声と共にみずなの正面に立ち、まだベンチに座っている彼女に向かって口を開く。
「左には慣れても、俺には慣れるな!」
「…………」
またよく分からない事言い出した――とでも言いたげな表情を浮かべるみずな。
悠磨はセリフ選びミスったな、と思いながら咳払いし、「そろそろ休憩は終わりだ」と落ち着いた声で言い放つ。
やがて両者の準備が整い、修行は再び始まった。
※ ※ ※
日が完全に沈み、真っ暗闇の中街灯の光だけが照らされる頃。時間は八時。
公園で修行を終え、筋肉痛を抑えるためにみずなと一緒にストレッチを行なっている。すると突然、
(誰だ……?)
人が来る気配を、悠磨は感じ取った。視線、足音、服の擦れる音、そしてそれだけではない『何か』、いわゆる第六感が。
「誰か来る」
「え……?」
「予定変更。今すぐ立て。俺の動きをまねろ」
「え、えっ……え?」
みずなは目を白黒させていた。何が何だか分からなかったが、とりあえず言われた通りに動く。
悠磨とみずなは、木刀を両手で持って、上段の構えから口や顎辺りの位置まで振り下ろす。これを前と後ろ交互に動きながら。つまり、剣道でいう正面素振りだ。
悠磨は修行中でも、常に周りに意識を配っていた。理由はシンプル。面倒事を避けるため。
ただでさえ運が悪い彼は、暗い中公園で何かしてるってだけで、不審がられ、誤解されること間違いない。まして女子と一緒にいるとなるとなおさらだ。
例えば、女子が襲われているとか、何か怪しい取引をしているとか、などなど他にも沢山挙げられるだろう。
なので、どんな人から見ても健全で、安全だと、何も心配する必要がないと、そう思わせる。
(これなら、剣道の練習中だって思うだろ。つーかここに剣道があんのか知らねぇが)
「あの……いつまで続けるの?……」
「さあ、あと何本だろうな」
「うぅ……終わったと思ったのに。もうクタクタだよ……」
「ま、これも修行の一つだ。勝手に終了だと思い込んで、気ィ抜いちゃダメってことだ」
「もう、身体が重い……」
「油断は禁物、だな」
そう言い、みずなを見ながら周囲を、特に後ろを確認した。
(……見られてんな。物陰かどっかからコソコソと。俺らを視るのが目的っぽいな。しかも――)
目を閉じ、視覚情報を遮断して、感覚を研ぎ澄ます。木刀を振りながら。
(あの時のとよく似てんな。けど今度は一人か。さて、どう動くべきか……)
相手に気づかれないよう落ち着き払った様子で、五感をフル活用して探りを入れながら、そう考えていた時だった。
(……あれ? 離れていくぞ?)
チクチクと刺さるような感じの視線が消え、ズッと微かに耳に入った足音から、そう推測した。その瞬間――――
「ングッ!? 痛――――ッ!!」
「あ、やわわあっ……ご、ごめんなさい!!」
みずなの振り下ろした木刀が、脳天をかち割らんばかりの勢いで悠磨の頭に直撃した。
「あ、いや、その……ユーく――師匠がマネしろってゆうから、その……わたしも目をつぶって、だから…………えっとその、ホントにごめんなさい!!」
「いや……平気だ。今のは完全に俺の不注意だから」
みずなはあわあわと、ものすごく焦った様子。直撃した時に思わず木刀から手が離れてしまった悠磨は、空いたその両手で打たれた頭を押さえていた。
「さっき油断するなとか偉そうな口叩いておいて、俺は何やってんだか……」
完全にブーメラン。後ろばかり気にし過ぎて、前の敵(?)から不意打ち(?)をくらった。
ちなみに、今まででみずなの攻撃がまともにヒットしたのはこれが初。
「ホント、俺は運が悪いなあ」
ため息交じりに、そう吐き捨てた。




