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鈍色

 作物を育てない雨がしとしとと降っていた。

 ドノラグのあちこちに、煉瓦作りの建物の残骸の山がある。そのうちの一つに、一人の少年が蹲っていた。

 齢は十五か、十六か。同じ年齢の子どもよりは、小柄で痩せ細っている。所々破れ、穴が開き、色褪せたマントに包まれた背中は濡れて、うっすらと背骨が浮き彫りになっていた。汚れた手元を見つめる瞳は、光の加減によっては冬の朝日のような金色にも見えるのだが、今は俯いているために琥珀色に落ち着いている。鴉羽色の髪から雫がぽたりと手に落ちる。

 その少年の名前はルイスという。彼は掘り出した紙束を急いで襤褸のマントの中に抱え込んで、舗装されない地面を素足で駆けた。泥が撥ねる。砂色のズボンに斑模様ができたが、今更気にすることでもない。

 ルイスは街の中心にある屋敷まで一目散に突っ走った。豪華な門構えを通り過ぎ、裏口のドアを乱暴に叩いた。一歩下がって、息を整える。

 雨足が強くなってきた。

 ちらりとドアの隙間から老婆の顔が覗いた。見えているのかどうか定かでない無感動な白い目でルイスを見下ろして、鼻を鳴らした。


「何の用だい」


 不快な嗄れ声だ。軽蔑の色が滲んでいる。


「さっさと領主を呼べよ。どうせ、おまえにはわかんねえんだから」

「ふん。生意気な餓鬼だこと。ああ、汚らしい。旦那様はこのような野良犬が屋敷の門を叩くのを、どうしてお許しになるのか」


 老婆は呪詛のように悪態をつき、小鼻を膨らませて引っ込んだ。

 雨は体温を奪う。ルイスはぶるりと身震いした。今夜は一段と冷えそうだ。

 しばらくすると、肥えた男がドアを開けた。


「何を持って来たんだ?」


 ルイスはマントを解いて、領主に紙束を見せた。領主は慎重に手に取り、一枚一枚確認する。

 それは楽譜だった。ところどころインクが滲んだり破れたりしているが、点と線とが合わさって、流麗な音を表わそうとしている。ルイスは楽譜が何を表すものか知らなかったし、そもそも文字も読めない。が、領主の反応にやっぱりな、とほくそ笑む。今日の収穫は上々だと思った。この男に鑑定眼があるのかどうか知らないが、この男の嗜好は知っている。ルイスにとっては今日の飯にありつけるかどうかが重要だった。

 領主は一通り目を通し終えると、


「礼だったな。おい!」


 老婆を呼びつけた。

 領主が体を傾けたので、扉の隙間から深紅の絨毯の敷かれた廊下が見える。いちばん奥には少し広まった空間があり、いくつか絵画が掛けられている。かつてルイスが持って来たことのある絵画もその中に混ざっていた。室内に置かれた調度品や、無闇に飾られた芸術品の数々はまとまりがなく、あまり趣味が良いとは言えないが、ドノラグの民に権力を誇示するにはちょうどいいだろう。


「ああ、旦那様はこのような餓鬼とどうして関わりを持ちなさるのか。この穢らわしい、意地汚い悪童」


 そういうことをもごもごと口の中で呟きながら、老婆が奥の部屋からやってきて、ルイスに麻の袋を押し付けた。よくも毎度毎度、同じことばかりぶつぶつと飽きないものだと思いながら半ばひったくるようにそれを受け取って、中を見た。堅そうな、黴の生えたパンを二切れとチーズの切れ端、干し肉が三枚――これにも黴が生えている。ここ二、三日、何も見つからなかったから、碌なものを食べていないのに。


「これだけ?」

「文句があるのなら帰ったらどうだ」

「……じゃ、せめて寒さをしのげるものをくれ。母さんが風邪を引いているんだ」


 食い下がるルイスに領主は鼻で笑った。虫のような小さな目がじろりとルイスを見下ろす。


「同情を誘うならもっとマシな嘘を吐くんだな」

「嘘じゃねえ! 熱があるんだ、信じてくれよ! 薬もねえし、暖かい上着も、何にもない。なあ、領主さま? あんたにだって情くらいあるだろ?」


 言い切る前にバタン、と非情な音を立てて扉が閉まった。間髪入れず、閂のかかる音がする。


「くそっ! この人でなし! 地獄に落ちろ!」


 その他思い付く限りの罵詈雑言を物言わぬ扉に浴びせ掛け、苛立ちのままに蹴った。怒りをぶつけたところで何か返ってくるわけでもなく、舌打ちする。土砂降りとなった鈍色の雨の中を走り抜けた。


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