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宿敵がしつこい  作者: 賽藤点野
5/5

第五回


【世界退魔協会】東洋支部施設内の廊下を歩いていた吉田ヨシダは「記録課」とプレートに書かれた扉を見つけ、それを乱暴に開けた。

「ひょっ!?」

 中にいた若い女性が机から顔を上げた。吉田と同じ色の制服を着ているが、女性用のためか多少デザインが異なる。

「な、な、な、な、何でしょうか吉田隊長! あっ寝てませんよ! 私寝てませんから!!」

「寝てない奴は寝てないことを主張しねぇ。これやっとけ」

 吉田は一枚の紙を雑に放った。女性は慌ててそれを掴み、机の上に置いてあった眼鏡をかける。

「新会員……ですか?」

「見りゃ分かるだろ。おれはおやっさんに用がある。明日までに記録しとけ」

 そう言って部屋から立ち去る吉田に女性は「了解です」と返事した。

 女性はマグカップの底に溜まったコーヒーの残りを飲み込みながら、今一度吉田からもらった資料を眺める。

「…………『ジョニー』?」




 入会試験を終わらせたジョニーは、先ほど知り合った大島オオシマという退魔師と共に「寮」まで来ていた。

「いや~、試験お疲れ様ですぜ兄さん。あ、ジョニーさんだっけ? 後の大まかな手続きは吉田の旦那が頼んでくれるだろうから、今日はゆっくり休んでくだせぇ」

「……ここでか」

 そう言うジョニーの目の前にある建造物は、以前は大型の倉庫だったであろうものを無理矢理ペンキで色付けしたような代物だった。申し訳程度の明かりとして付けられたネオンライトも建物の安っぽさ際立たせている。ジョニーの反応を見て、大島がヘラヘラと笑う。

「ま、見た目はご覧の有様だけど、中はちゃんと部屋分けされてるし、トイレやシャワーも完備してますぜ。見た目はこの有様だけど」

「……何でわざわざこんな倉庫から改造してるんだ。宿舎が作れないほど経営難なのかこの組織は」

 あ~それはっスね~~と大島が頭をボリボリと掻く。

「自分らが入るずっと前だからよく分からないんスけど、何でもこの支部を作るとき、山に捨てられたボロの科学研究所を再利用するって話になりましてね。当時はリサイクルが流行ってたとか何とか……。で、建物はそのまま改装して支部の本棟になり、薬品とかを保管してた倉庫を寮として使うことに相成りました」

「……その流れでどうして倉庫が寮なんだ」

「それは自分も分からねっス……」

「分からねっスか……」

 あんたが分からないならしゃあないかと言って、ジョニーは寮の入口であろう扉に手をかけた。

「あ、ジョニーさん。あんたの部屋は『一ノ十三』号室ですぜ」

「? 何だ、決まってるのか」

「まあそこは寮ですから……あともう一つ」

 大島はジョニーに顔を近づけ、内緒話をするように言った。

「同じ部屋の子ですがね、色々と問題ある子なのでお気をつけて……」

 じゃあ自分はこれでと大島は顔を離し、ヘラヘラ笑いながら去って行った。一人取り残されたジョニーは、大島の最後の一言で固まっていた。

 もっとも、それは大島が注意したこととは違う理由であったが。

「相部屋なのか……」



 大島の言った通り、外装はあの有様だったが内部はちゃんとした宿泊施設になっていた。いや、立派な施設と言ってもいい。少なくともジョニーが普段暮らしているアパートよりは。

 寮の中央には人が五人くらい通れそうな広い通路が伸びていて、その左右にそれぞれ部屋の扉が十個ほど並んでいる。照明は外にあった安っぽいネオンライトなんかではなく、エル・イー・ディーを用いた新品のものだ。建物を作ったのは昔の人間だが、利用しているのは今の人間ということなのだろう。

 入口の脇に上へと続く階段があり、壁に書かれた案内板によると、どうやら三階建ての施設のようだ。三階建てといえばジョニーの拠点も同じだが、外から見建物の高さから一つのフロアの天井が大分高いと思われる。奥行きもあり、それぞれの部屋も中々の広さがあるだろう。

「こんだけやるなら、マジに新築で建てりゃいいのになぁ」

 そう呟きながらジョニーは一ノ十三号室を探す。番号からおそらく一階の部屋で、出入りが楽そうでよかったとジョニーは適当に思った。これだけ天井が高いと、階段の上り下りの苦も拠点の比ではない。もっとも上から順番に一、二、三と数える変則的な建物だったら別だが。

 一ノ十三、と木札の付いた扉を見つける。グローバルに失礼なことだと苦笑しつつジョニーはドアノブを掴……もうとした手を止めた

 周囲を見回す。全員早寝なのか残業中なのか、ジョニーの他に【教会】の人間だと思われる人間はいない。ジョニーはため息を吐いた。

 ジョニーは懐から金定規を取り出し、扉の隙間に差し込む。ブチッ、と何かが切断される音がしたのを確認すると、ジョニーは扉を開けた。

 ジョニーの思った通り、入口の頭上にはある仕掛けがあった。ジョニーが部屋に入る前に切ったものはこの仕掛けに繋がる糸で、そのまま扉を開けていたら、仕掛けの横に設置されている駕籠かごのようなものが傾き、その中身がジョニーの頭にかかっていただろう。

 罠だ。仕組みから察するに、「今この部屋の中にいる」同居人とやらが仕掛けたと

思われる。

 それにしても、とジョニーは頭上の駕籠を手で取り外す。自分を嵌めようした割には、随分と単純なトラップだ。自分もまだまだ舐められているらしい、と苦笑して駕籠の中身を取り出した。

「……アルマジロ?」

 の、ぬいぐるみだった。より正確に言うには、アルマジロと戦車とを足し合わせたような珍妙な品だった。


 瞬間、部屋の奥から弾丸のようなものが飛び出しジョニーの腹部を襲った。


 しまった、二重のトラップだったかとジョニーは思ったが、すぐにそれは違うと気付いた。自分めがけて飛んできたものは弾丸ではなく、人間だったからだ。

 その人間――ひどく小柄で薄い茶髪をした少年は、ジョニーを押し倒すと、満面の笑みを浮かべて叫んだ。

「すっっっっっっっっっっっっっっっっっごいねぇ! ついにこのボクのルームトラップを無傷で突破するなんてねぇ! 成長したねぇ『ツッチー』!!」

 少年はジョニーの襟首を掴んで、その小さな身体のどこから出してるかも分からない力でガクガクと揺さぶった。すでに腹部に大ダメージを受けていたジョニーは慌ててその少年を掴み外そうとする。

「待て待て待て待て落ち着け!」

「えぇぇぇぇ~~? なんでよツッチーぃいいい」

 少年がジョニーをガクガク揺さぶる。

「俺を見てみろよく!」

「ツッチーをー??」

 少年がジョニーをガクガク揺さぶる。

「俺はどう見える! 俺はツッチーか!」

「……………………ツッチーじゃないねぇ」

 少年の手が止まり、ジョニーがフーと息を吐く。

「じゃあおじさん誰? ねぇええええ」

 少年がジョニーをガクガク揺さぶる。

「だから落ち着けェ!」

「落ち着いてるよーいつも通りだよー」

 なおさら困るとジョニーは少年を力任せに引き剥がした。その勢いで少年は壁にぶつかりそうになるが、慣れた動きでクルリンと受け身を取った。ツッチーとやらもよく引き剥がしていたのだろうか。

 ジョニーは息と襟元を整えながらゆっくりと立ち上がった。

「えーと、だな。おじさんはジョニーってもんで、今日からここで寝泊まりすることを命じられた男で、年齢はお兄さんだ」

 自己紹介の片手間に、ジョニーは部屋の中を見渡してみる。中央には「仕切り」の役割があるのか水色のカーテンが掛けられていて、左右の壁際にそれぞれベッドが安置されている。他にもサイドテーブル、壁掛けの本棚などもあった。入口の横には洗面台があり、おそらくこれは共用だろう。シャワールームや台所などはさすがに付いてないが、宿泊所としては十分の設備と言える。

 同居人がこの少年でなければ。

「へー……ボクの名前は菊地キクチでねぇ、【退魔協会】の二等工作師ってやつをやってるよ」

 え、と思わずジョニーは少年――菊地に聞き返してしまった。こいつも退魔師? こんな子供が?

 確かによく見ると、菊地は【教会】指定の水色の制服を着ている。この組織にはリトルリーグでもあるのだろうか。大島や吉田の着ていた服とは、多少デザインが異なるのが気になるが。

「それでおじ……おにい? ジョニぃ……ジョ兄さん」

「与えられたワードから新たな呼び名を構築するな」

「ジョ兄さんが誰かは分かったけどねぇ、ツッチーは?」

 ジョニーは菊地の横を通り過ぎ、仕切りのカーテンの前まで歩く。

「お前が使ってるのはどっち側だ?」

「左。右はツッチーの分だったけど、昼頃になんか人がいっぱい来てねぇ、ツッチーの荷物盗ってっちゃったよ?」

 ジョニーは職員が掃除したと思われる右のベッドの方に歩く。なるほど、確かにツッチーとやらの私物は一つもなかった。

「ツッチーについては俺も知らんが、親が病気か病気以外かになって故郷くにに帰ったんじゃないか」

「そうなの? 家族はいないとか話してたのになぁ」

「何はともあれ」ジョニーは荷物を床に降ろし、ベッドに横になった。「今夜からこのベッドは俺の砦だ。ま、長居するつもりはないからあまり相手しなくていいぞ。俺もそのつもりだから」

「ん~~つまならないなぁ……ツッチーいつもボクのトラップに引っ掛かってくれて面白かったのにねぇ……」

 ツッチーの苦労がシーツに染みこんでいるようで少し寝心地が悪くなった。

「……あ! ならば!」菊地がポーンと手を叩いた。「これからはジョ兄さんを罠に嵌めればいいってわけだねぇ!」

「わけでねぇ」

 砦を築く際に結んだ和議は早々に破棄された。

「大体罠に嵌めるって……」ジョニーは腰を痛めた年寄りみたいに起き上がる。「あの程度の仕掛けで俺を嵌めようと思ってたら、糸代が無駄にかさむだけだぞ」

 菊地がポカンと口を開ける。

「え? でも、ツッチーはしょっちゅう嵌まってたよ?」

「俺としてはツッチーは罠解除が面倒でわざと嵌まってたと思いたいが…………いや。それはどうでもいい。お前は罠を仕掛ける腕は悪くなさそうだが、それだけなんだよ。『ただ仕掛けてるだけ』だ」

「? でも罠って仕掛けるもんでしょ?」

 ジョニーの話がよく分からないようで、菊地は首を傾げる。

「いいか、罠を仕掛ける上で一番大事なのは、罠そのものの質より、『罠に嵌まる人間』だ。その人間がどう動くか? 何を考えるか? それを理解してないと、ファーストクラスの罠もただのあばになる」

「人がどう動く?」

 親指を咥えて呟く菊地を見ながら、ジョニーはあくびをする。

「ま……ヒントを与えるとしたら、さっき俺がアルマジロ人形を見つけたときだ。あの直後のお前のタックルは、完全に『不意打ち』だった。……後は自分でお考え」

 言うと、ジョニーは菊地に背を向け、再びベッドに横たわった。菊地は咥える指を人差し指と中指に変え、まだ何か考えているようである。

 ジョニーの頭の中でも色々な考えが渦巻いていたが、先程の攻防戦での疲労もあり、シーツに包まるとすぐに眠りに落ちた。




「知ってたのか?」

 支部長室の机を叩いた吉田が言った。その正面に座る初老の紳士、山代ヤマシロは特に気にすることもなく鞄に荷物を詰めている。

「もう日が暮れるよ吉田くん。上の我々が帰らないと、また残業する子が出てくる」

「とぼけてんじゃねえ。あの野郎のこと、あんたは知ってたのかって聞いてんだ」

「あの野郎? ああ、ジョニーさんか」山代が微笑む。「合格したのだね。では今日からジョニーくん、というわけだ。次に会うときにお祝いしないとな」

「おやっさん」

 吉田が再び机を殴打した。山代はふぅ、と小さく息を吐く。

「キミはまずその短気を直さないとな。その欠点はキミの素晴らしいところを全て隠してしまう」山代は鞄を床に置く。「私が彼について知ってるのは、黒髪の男で、呼び名はジョニー、それだけさ」

 吉田はしばらく山代を睨んでいたが、やがて鼻息を一拍鳴らし、手を机から降ろした。

「『森の試験』をやらせたが、どっかの誰かからもらった名刺で大暴れしやがった」

「そりゃあすごい」

 山代が笑いながら言った。忌々しいように吉田が顔を逸らす。

「魔物の知識に関しちゃてんで素人だが……戦闘技術だけならそこらの奴らより上をいっている」

「ほうほう」

「…………【退魔物質】についての知識を教えりゃ、【罰点バッテン】に加わっても遜色なく戦えるだろうよ。忌々しいことにな」

「……はーあ」

 山代が呆れたようにため息を吐いた。

「キミの素晴らしいところの一つに、どんな嫌なことでも口に出せるというものがある。私に何か言いたいんだろう?」

 吉田は一度山代の方を窺い、また背を向けて大きく息を吐いた。

 そして山代の方に向き直り、両手を机に置いた。

「いいかげん動くべきなんじゃないか? 支部長殿よ」

 それに山代は何の反応も示さないが、そんなことは分かってるとばかりに吉田は話しを続ける。

「あのクソ野郎に期待してるとかじゃねえぞ。別にあいつが【罰点】に入らなくても俺はどうでもいいしむしろそれがいい。だが……これは契機じゃねえか? なあ」

 大きな顔を近づけながら吉田は力説する。

「下の連中は徐々にだが力を付けてきてるし、【退魔物質】だってショボい駆除仕事するには腐るほど溜まってる。大島の野郎は魔ネズミを一時間程度で狩ってきて、食堂で欠伸をする毎日だ」

 吉田が毛深い指を一本示す。

「一週間だ。一週間ありゃ十分準備できる。……あの野郎も覚えは良さそうだから鉄砲玉くらいには使える」

 吉田がバンッと両手で机を叩いた。

「『奴ら』の居場所は分かってるんだ! 今こそ根元からぶった切ってやるべきだろ! なあ!?」

「…………」

 山代が椅子を回して後ろを向く。

「おやっさんっ!!」

「あまり机を叩かないでくれ。最近は備品だって安くないんだ」

 素っ気なく返す上司の背を、吉田は顔面を強ばらせながら睨み続けた。

 しかしそのうち、顔から力が抜けて、この男にしては実に情けない表情になった。それこそ、今にでも泣きじゃくってしまいそうな顔に。

 そして悔しそうに背を向けると、廊下への扉に向かってフラフラと歩き出した。

「三日」

 失望した背中にそんな声が掛けられた。吉田が驚いた表情で振り返る。

「奴らに三日与えたら、その間に何人が殺される? 奴らの一匹が何百人も殺す。そして奴らは何千体もこの国に巣くっている」

「……おやっさん」

 山代が前を向いた。

「四日だ。それ以上は奴らにやるな」

 吉田の表情に力が戻っていき、それに加えて輝かんばかりの笑顔がその顔に現れる。

「この【世界退魔協会】一等退魔師、吉田にお任せあれ!! 山代隊長!」

 そう叫ぶと、吉田は力強い足取りで支部長室から出て行った。

「……今はお前が隊長だろう、バカめ」

 残された山代が頬杖をついて言った。

 ふと、山代の視線がある一点を捉える。山代は微笑すると、そちらに向かって歩いて行く。

 支部長室の古びた本棚にひっそりと佇む、小さな写真立てを取り出す。そこには一人の中年女性が写っていて、写真を持つ男と似たような笑顔を見せている。

「心配かい?」

 写真を優しく撫でる。

「大丈夫。忘れてない。自分のやるべきことは分かっているさ。それまで……見守っていてくれ」

 山代は写真を本棚に戻すと、床に置いていた鞄を持った。




 本棚があるのなら拠点から読み物でも持ってくるんだったな、と壁掛けの本棚を眺めながらジョニーは思った。

 ジョニーの言う「読み物」とは小説などではなく、各種参考書のことである。物語を読み解くのはあまり得意ではないが、単純な知識や技術を知ることは好きで、仕事帰りの足で本屋に立ち寄りまとめ買いをしたりする。できもしない料理の本も五冊ほど拠点の本棚で傾いている。

 ジョニーは部屋中央のカーテンを開ける。すでに同居人の姿はなかった。昨日の時点で菊地が退魔師だということは三信七疑だったが、空のベッドを見る限り菊地にもちゃんと仕事があるようだ。時計を見る。午前八時半。

 そういえば九時にあの髭ダルマに呼び出されてたな、とジョニーは思い出し、あくびと伸びを同時に行いながら部屋を出た。

「まったく、いつ来ても悪趣味なホテルだ……」

 一ノ十三号室の扉を閉めてすぐに、神経質そうな声が聞こえてきた。ジョニーが振り向くと、入口のところで、一人の男を囲うように【教会】の者が数人たむろっている。先ほどの声の主はどうやら中央の若い男のようだ。

「少しは西洋本部の建設様式を見習え。我々はまず外面から……っ!」

 話している途中で男が急に黙った。ジョニーにはすぐその理由が分かった。男は自分を見つけて黙ったからだ。

 驚きの表情で数秒間固まっていた男は、取り巻きを押しのけてジョニーの方にダッシュした。突然のことでジョニーは男に襟元を掴まれるのを許してしまう。何か最近襟元を掴まれてばかりだなと思った。

「き……さま! 何故ここにいる!『また』私に屈辱を与えに来たのかっ!」

 目玉が飛び出んばかりの表情で男が叫ぶが、困ったことにジョニーは男に覚えがなく実際その問題は口に出た。「え……誰」

「ふざけるなっ! 四日前の黄氏オウジ市中央広場でっ! よくも足蹴にしてくれたなっ! この【世界退魔協会】本部親衛隊の斎藤サイトウの顔を!!」

 四日前といえば町中でビリーとゾンビな仲間達に襲われたときだったか、とジョニーは記憶を辿る。なるほど確かに【教会】らしき人間を見たような気もするがやっぱり目の前の男は思い出せずそれも口に出た。「人違いじゃないですかね」

「とぼけるか……? あのとき偶然にも魔物共がどこかに消えたからいいものの……貴様のせいで何人も死ぬところだっ!」

 斎藤がもう二言三言叫んだところで、見覚えのある髭が寮の入口に顔を出した。

「朝からうるせぇぞ何してんだ」

 吉田は入口近くの退魔師数人を押し退けながら、ジョニーと斎藤のもとに近づいた。斎藤が吉田の顔をジロリと睨む。

「……何だ吉田。私の邪魔をする気か」

「吉田『さん』だろガキが。用があんのはてめぇが掴んでるそれだ」

 そう言って吉田はジョニーの服を掴んで斎藤から引き剥がした。物扱いか俺はとジョニーが苦言を呈する前に吉田が話す。

「おい今日から訓練だと言っただろ。さっさと来い」

「え? でもまだ八時三十……」

「おれが来いって言ったら来るんだ早くしろ」

 言い捨てると、吉田はジョニーに背を向けて廊下を歩き出した。ブラック宗教法人めと文句を言いつつジョニーもその後に続く。

「…………っおい! 待て!」

 ジョニーの後に斎藤の叫びが続いた。

「おい吉田……今何と言った? 訓練? 訓練だと……? まさかではないがその男……」

「ああ、新会員だ」

 吉田の返答に斎藤の顔がみるみる紅潮した。

「馬鹿な馬鹿な馬鹿な!! 何を考えてるんだ貴様!? そんな乱暴な野蛮な得体の知れない人間を組織に迎えるつもりか!? 支部長は何と言っている!!」

「おれ以上に賛成だ」

「馬鹿なァ!!!」

 頭を抱え絶叫する斎藤を尻目に、吉田とジョニーがスタコラと廊下を歩いて行く。

「まっ、待てっ!! まだ話は……」

「キリがねぇ、大島止めろ」

「あーいさー」吉田が呟くのと同時にどこから来たのか大島が斎藤の背後に現れた。「へーい久しぶりだね斎藤くん! 本部のお土産話聞かせてや!」

「なっ、離せ大島! 離せぇ!」

 斎藤が大島に羽交い締めにされている間に、吉田とジョニーは素早く寮を抜け出した。

 後には斎藤のやり場のない怒声だけが残った。



「まず始めに言っておくことがある」

 訓練場に着いて早々吉田が言った。

 訓練場内部は市民体育館くらいの広さで、所々に射撃練習用だと思われる的や、数種類の植物が詰められた箱がいくつか設置されている。寮のような、環境に優しいエコロジー倉庫ビルディングを想像していたジョニーは、思ったよりまともな施設にホッとしたところだ。

「退魔師、というのは具体的に三つに大別される。率先して魔物と戦闘を行うその名の通りの【退魔師】。罠を仕掛けたりして退魔師の戦闘サポートに回る【工作師】。そして退魔物質を調合したり、後方で治療などに当たる【調合師】だ」

「なるほど、その中からやりたい仕事を選べと」

「話は最後まで聞け。これらはそれぞれ三等から始めて一等まで、三段階のランクがある。特に退魔師は特殊なクラスで、工作師・調合師でそれぞれ一等以上のランクを取れないと配属できない。つまり最初から退魔師として行動するのはできないってわけだ」

 吉田がジョニーを指さす。

「お前も例外じゃない。どんな経歴だろうとここで働くには、工作師・調合師いずれかの三等クラスから始めてもらうぞ」

「ヒラでも何でもお好きに。ゾンビの倒し方さえ分かるならな」

 その言葉に返す風でもなく、吉田は傍らにあった箱を一つ持ち上げ、ジョニーの目の前に置いた。中を覗くと、幅の薄い両刃のナイフのような物が詰まっている。

「これは入り立ての奴が使う退魔武器の一つだ。退魔物質の金属を用いた刃で、それ以上でもそれ以下でも無ぇ。訓練所ここでの練習用にも使っている」

「退魔武器体験版ってところか」ジョニーは箱から一本だけ刃を取り出し、まじまじと眺める。「玄人プレイヤーのあんたはどんなのを使ってるんだ?」

「教える必要はねぇ。が、刃系は突き詰めりゃシンプルなもんだ。武器の形が変わるくらいで、それぞれに大きな違いは無ぇ。上位の退魔師でも未だにそのナイフを使ってる奴もいる」

 複雑なのはこれだ、と吉田は懐から液体の入った瓶を取り出した。

「これは薬剤系の退魔物質で、撒いて使ったり、武器に塗りつけて使ったりもする。刃系よりも応用が利くが、使う度に量が減るからその都度調合しなければならん」

 ジョニーはそれも観察しようと手を伸ばしたが、吉田は瓶を持った手を上に上げる。ジョニーが諦めたのを見ると、吉田は瓶を懐に仕舞った。

「今からこいつらの使い方を教えるわけだが、刃系に関しては『人殺し』のてめぇに言うことは無いだろう。それともリンゴの皮むきから教えてほしいか」

「一つ気になることがある」ジョニーは持っていた刃を元の箱に投げ入れた。「昨日から思ってたことだが、退魔武器にゃ銃みたいな『飛び道具』は無いのか? 退魔弾でも作って遠くからぶっ放せばいいのに、何だってわざわざナイフ片手に突っ込んでいく? 公式戦のルールでもあるのか?」

「退魔物質は『熱』に弱いからだよ」

 吉田は特に表情を動かすことなく返した。答え慣れているという感じだ。

「どんな理由か、刃系だろうと薬剤系だろうと、退魔物質は熱を帯びると効果が薄れちまう。具体的に言えば、摂氏六〇度を超えるとほとんど威力は無くなる。だから火薬で高速射出したり、爆風と共に飛散させて使うというのは無理だ」

 吉田の返答にジョニーはまた質問する。

「だがそれは……例えば魔物が火でも纏って突っ込んできたらマズいんじゃないか? 攻撃が効かなくなるだろ?」

「そうはならない。魔物共も熱に弱いからな」吉田は変わらず淡々と答える。「もっとも文頭に『退魔物質の次に』が付くが……奴らは火のような熱を持つものを避けようとする。太陽光を避けて昼間もあまり活動しないくらいだ。自分から火達磨になるなんて御免だろうよ」

 なるほど、とジョニーは納得した。

 以前ジョニーは町中でビリーのことを焼き殺そうと試みたことがある。その際ビリーは今までなかったような激しい拒絶反応を見せた。殺せないにせよ、ゾンビに熱を使うのは間違った選択ではないようだ。

「ちなみにさっきの話の続きだが」吉田が言う。「熱を帯びなければ飛び道具として退魔物質を使うのも一応可能だ。刃系の退魔武器をやじりにして弓で放ったりな。ま、そういう使い方をしてる奴は一人しか知らんが」

 吉田はそう言って肩を竦めると、ジョニーに背を向けて訓練場の奥に歩いて行った。質問は終わりだということらしい。

 吉田は小型の箱をいくつか持ってきた。中には乾燥させた植物や、粉末の詰まった透明の袋などが入っている。

「今から主に使っている三種類の物質を調合してもらう。【聖銀せいぎん】、【金丹きんたん】、【朽水きゅうすい】の三つだ。効果は……まあ出来てから教えてやる」

 そう言いながら吉田は小さなメモをジョニーに渡した。メモには物質の名前と横にグラム数、その下に工程らしい文章が書かれている。

「料理番組みたいだな。完成されたものはちゃんと用意してるか?」

「さっさと作れ。おれは忙しいんだ」

 冗談の通じねぇ奴だ、とジョニーが肩を竦めた。「ま、とりあえず一度実物を見たし【聖銀】からやるか。確か純銀がベースで……」

 ジョニーは小箱から材料を取り出し始めた。


「……なんか、胡椒みてぇなのが二、三粒だけ出来たんだが……」

「お前水の分量のところ読んだか? 勘でやってるんだったらこいつを喰わせてやるぞ」

「……【聖銀】って調合する材料が多いんだな。ここは手早く出来そうな【金丹】から」


「……緑丹だなこれ、色合い的に」

「……書かれてる材料をその数入れるだけで物ができるわけねぇだろ。工程も読め」

「……いきなり固形物から作るから駄目なんだ。【朽水】からやろう」

「名前に水が入ってるがそれも固形物だぞ……てか材料に液体ねぇだろ……」


「おお! 見ろ! それっぽいのが出来たぞ!」

「だから固形物っつってるだろ!! 人の話も聞け! てかあの材料でどうやって水分作った!?」


 ジョニーが退魔物質作りを始めて一時間。机の上はジョニー作の前衛芸術展が開かれていた。

 ジョニーが小箱に手を入れる。

「うーん、料理本とか読むだけで、実際に作るとどうなるか知らんものだったが、こう、違う物質を合わせて違う物質を作り出すってのは中々面白いもんだな。コツも覚えてきたしよ」

 言いながらジョニーは箱から取り出した材料を試験管に放っていく。その様子を眺めながら、吉田は口をポカンと開けていた。

 やばいこいつ。覚えが悪い。

「……ふざけんなおい!! あと四日しかねぇんだぞ!!」

「は? 四日? 何のことだ」

「大事なことだ!!!」

 訓練場に吉田の怒声がいつまでも鳴り響いていた。





 ビリーの心は復活して以来最も高揚していた。


 先日、駅近くの路地裏を手負いの体で歩いていたビリーは、いきなり前から歩いてきた何者かに襲われた。

 その何者かは『ドーヴェル』と名乗り、ゾンビならぬ魔物達を治める王だと、自分を称した。

 その言葉を信じる間もなく無理矢理部下に任命されたビリーは、ドーヴェルに連れられ『ここ』にやって来た。

 そして滞在時間が二時間を経過した現在、ビリーは再びドーヴェルと向き合っていた。

「気に入ってくれたかな? 我が城は」

 身体に合わせた巨大な椅子に腰掛けるドーヴェルは、獣じみたその顔に笑みを浮かべる。

 城、とドーヴェルは表したが、そこは地上十階以上もあるビルの廃墟だ。

 窓のガラスは一つ残らず割れていて、コンクリートの壁も舗装が剥がれ落ち、所々にヒビも入っている。

 城の周り、かつてこの建物の敷地内だった所は、手入れのされていない雑草が生い茂り、それは建物の入口にまで及んでいる。まるで自然の野原の真ん中に、空からビルを落としてきたような有様だ。

 そんな場所を「気に入ったか」と聞かれたビリーの顔は、建物の様相とは真逆に、明るく綻んでいた。

「ああ……すげぇ、いや、すげぇですよここは……こんな所があると知っていたなら、この国に来てすぐ菓子折片手に訪れましたでしょうに」

 ビリーの返事を聞いてドーヴェルが豪快に笑う。

「この趣の良さが分かるか。思った通り、お前は見所のある奴のようだ。うれしいぞ」

 趣味はゾンビ心にも理解しかねんがな……という気持ちを顔に出さないようにしつつ、ビリーはちらりと後ろを伺った。

 ビリーの背後にあるのは、暗闇。

 闇は小刻みに震えていて、時折大きくうねる。

「そもそもこの国に魔物を運び入れたのはこのわし」椅子の手摺で頬杖をつきながらドーヴェルが言う。「主たる儂の城に『こいつら』が集うのは当然のことよ。お前のような、はぐれ者もいるわけだがな」

 ドーヴェルが顔を歪めて微笑む。開いた口から、鋭利な歯が覗いた。

「……勝てるぜ、ジョニー」

 ビリーもドーヴェルと同じように、笑みを浮かべた。


 瞬間、暗闇に潜む何百体もの魔物の目が輝き、部屋を真っ赤に照らし上げた。


「この愉快な仲間達と共に、地獄をガイドしてやるぜ」

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