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宿敵がしつこい  作者: 賽藤点野
3/5

第三回


 市営公園の広い敷地内に、図書館がポツンと佇んでいた。

 「楽しい町づくり」というキャッチコピーの下に近年リニューアルされたもので、当時名の売れていたデザイナーにより設計された円筒形の外観は、とても公共の施設とは思えない奇妙な雰囲気を醸し出している。市の名物として住民達にも親しまれているその図書館だが、今は平日の昼間ということもあり、利用客は暇を潰している高齢者が数人といったところだ。館内に勤める司書も、本の整理をしながら退屈そうに欠伸をしている。

 そんな図書館の駐車場に、一台の軽自動車が止まった。

 国内で量産されている何の変哲もない車だ。しかし、その中から出てきた若い男は図書館の外観にも劣らぬような妙な恰好をしていた。

 白いワイシャツのようなものを着ているが、ところどころに装飾が施され、シャツというよりは、中世の貴族が着る洋服の下着という感じだ。下に着用している水色のズボンにも似たような装飾があり、制服のようにシャツとズボンとでセットになっているようだ。

 一方で、服装にはおおよそ似合わないような黒縁の眼鏡をかけており、その奥の細い眼から図書館を一瞥する。

「さて、仕事です」

 首にぶら下げた糸の長い十字架のペンダントを揺らしながら、男は図書館へ入っていった。



「お待たせしました上松ウエマツさん」

 突然後ろから話しかけられ、ジョニーは弄っていた携帯電話を落としかけた。

 振り向くと、黒縁眼鏡をかけた変な恰好の男が、微笑もせずにこちらを見ている。ジョニーが固まっている間に、男は慣れた動作で懐から名刺を取り出し、ジョニーに渡す。

「【世界退魔協会】東洋支部所属、一等工作師の土屋ツチヤです」

 ジョニーは名刺を受け取る。土屋と名乗った男が口で言った情報以外には、電話番号などの連絡先しか書かれていない。

 土屋の丁寧なのか適当なのか判断のつき難い態度に面食らったジョニーだったが、とりあえず今一番気になっていることを土屋に言った。

「……なぜ私が上松だと?」

「今この図書館には高齢の人達ばかりいます。電話の相手は若い男だったと聞いていたので」

 土屋はテンションを上下させることなく言い、ジョニーの許可も取らずに正面の椅子に座った。

 こいつが、【教会】の人間。

 ジョニーは自分が呼んだのであろう目の前の人物を訝しげに見つめた。

【教会】という響きからして、街頭で神の教えを問う聖職者のような人物か、もしくは、ゾンビ退治のプロらしくアクション映画にでも出るような屈強な人物が来ると予測していたが、今現在、それらとはまるで違うタイプの人物が目の前に座っている。

 その場にいるのにまるで通行人、いや、空気のような男だ。それこそ、掴みどころの無いような。

「用件を窺いましょうか」

 空気が手を組みながら言った。

「…………」

 まだ【教会】、ひいては土屋を信用したわけでは無いジョニーだったが、今はゾンビに対して手が尽きた状態だ。少しだけ間を空け、ビリーの襲撃について説明した。当然、自分が殺し屋だということと外国から来たということは伏せて。


「なるほど。同じゾンビに立て続けに襲われている、というわけですか」

 ビリーの頭でボーリングした件を大分省いて説明したところで、土屋が口を開いた。

「ええ、ここ数週間ほぼ毎日です」

「うーん、まずいですね」

 特に慌てる風でもなく土屋が言った。

「まずい、とは?」

「ゾンビっていうのは普通、知性が無くただ闇雲に人間を襲うだけの生き物です。でも時々生前の記憶があり、確かな目的を持って行動するような個体がいます。こいつらは狡猾な手段で獲物を狙いますし、他の野良ゾンビを従えてコミュニティを形成したりもします。こうなると大分面倒なわけです」

「ああ、実際に先日、ドリームチームに襲われましたよ」

 一昨日の街中でのことだ。なるほど、あれは確かに面倒だったとジョニーは一人頷いた。

「もうすでに軍団になってましたか。そうなると、適当に追っ払って様子見というわけにはいきませんね。……冗談です、睨まないでください」

 土屋に言われ、うっかり気持ちが表情に出ていたことにジョニーは気づいた。殺し屋として失態だと思ったが、目の前の空気男なら本当に適当にやりかねないとジョニーは心配でならなかった。

「賢いゾンビに正面から挑んでも損するだけですね。ここは一つトラップでも張りましょうか」

トラップ、ですか」

 まだ眉間に皺が寄ってないか気にしながらジョニーは答えた。

「はい。餌を使ってゾンビを誘き寄せ、トラップで十分にダメージを与えてからトドメを刺すという寸法です。ああ、餌というのは上松さんのことです」

「改めないでください、分かりますから……しかし意外ですね。【教会】と名乗られるだけあり、祈りや呪文などを用いてゾンビを撃退すると思いましたよ」

 ジョニーは皮肉のつもりでそう言ったが、土屋は目を閉じてはあ、と息を吐いた。

「わたし達が名乗るのは【世界退魔協会】で、【教会】というのは一般の人が考えた愛称ですよ。あくまで魔物の駆除業者であり、宗教団体ではありません」

「魔物?」土屋が話した言葉の単片にジョニーが反応した。「何ですかそれは、ゾンビのことですか?」

「ゾンビのことでもある、と言っときましょうかね。我々が相手にしてるのはゾンビだけではなく、魔物という大きな生物群のひとくくりなのですよ」

「ゾンビみたいな奴が何種類もいるということですか?」

 顎に手を当てながらジョニーが聞いた。

「ええ、色々と。でっかいコウモリだとか、首が二つある蛇だとか。まあこれらはゾンビと比べるとあまり数が多くないので、一般の人の目にはほとんど触れませんが」

 土屋が急に言ってきた生物の羅列に、ジョニーは反応し切れなかった。目の前の空気男が嘘を吐いているようには見えないが、裏社会を生きてきたジョニーも初めて聞くことだった。そんなファンタジーな生物が、自分と同じこの世界にいるというのだろうか。

 しかし、現にゾンビは存在し、自分は襲われている。ならば、魔物という生き物が存在することもあるかもしれないと、ジョニーはとりあえずその話を聞き入れた。

 今大切なのは魔物の存在の有無より、その倒し方なのだ。疑わなかったというよりは、どうでもよいという気持ちが強い。

 土屋の話は続いていた。

「魔物どもに共通して言えることは、なぜか人間だけを襲ってくることと、身体が恐ろしく頑強だということです。大抵の武器、兵器は効果を成しません。大げさに言えば原子爆弾でも倒せません。まあ、試した人はいないと思いますがね」

「いやしかし……私を襲ってきたゾンビは普通に刃物や鈍器などで傷つけられましたが」

「それはゾンビが不完全な魔物だからです」ジョニーの疑問に土屋がすぐさま返答した。「ゾンビや吸血鬼のような魔物は、人間や従来の生物が何らかの要因で魔物化したもので細胞は魔物よりも脆いもんです。だから普通の生物と同じように傷つけることも可能です……が、再生力は純粋な魔物と同等かそれ以上のもので、どんな深手を負っても回復し、決して死にません。仮死状態になるだけです」

 仮死状態、という単語にジョニーは心の中で苦笑した。ゾンビ……一度死んだ人間が仮死状態になるとは、面白い冗談だ。

 ジョニーは両手を組み、最も肝心なことを土屋に聞いた。

「魔物が厄介な存在だということは分かりました。それで、実際にどうやって倒すのですか? 火で焼いても効果が無かったようですが……」

「【退魔物質】を使います」

 たいまぶっしつ? とジョニーが聞き返す前に土屋が懐から小瓶を取り出し、机の上に置いた。銀色に輝く砂のようなものが、瓶底から半分だけ詰まっている。

「これは?」

「純銀をベースに数種類の物質を化合させて作ったもので、わたし達は聖銀と呼んでいます。魔物の肌に付着すると火傷のような症状を与えることができ、刃物などに添加させて魔物を切り付けると、その傷口は塞がらなくなります」

 目を丸くするジョニーに土屋は話を続ける。

「他にも、いくつかの植物の汁を調合したものや、猛獣の爪を砕いて粉にしたものなども、魔物にダメージを与えることができます。それぞれ効果は異なりますが、わたし達はこれらの物質をまとめて【退魔物質】と呼び、仕事に活用しています」

「これを使ってゾンビを殺せば、もう復活してこないと?」

「左様」

 土屋が小さく頷いた。

「……純銀の化合物と聞きましたが、具体的にはどんな物質を? 一般家庭でも手に入りますか?」

「すいません、わたしは『調合師』の経験を積んでいないので詳しくは……着席ください」

 土屋に言われて、ジョニーは自分が立ち上がって身を乗り出しているのに気づいた。しばらく間を開けて、ジョニーはゆっくりと椅子に座る。

【退魔物質】とやらを自分でも作れたらすぐにビリーを殺せると思ったが、そう上手くはいかないらしい。ジョニーは土屋にも分かるように苦笑してみせた。土屋の表情は変わらなかった。

「よろしいですか?」

「……ええ」

「では先ほどの話の続きですが、この【退魔物質】をトラップに用います。まずはワイヤーをですが――」

 土屋がビリー討伐作戦を口頭で説明し始め、ジョニーはそれに耳を傾けた。


「――では約束通り、準備ができ次第上松さんの電話にコールを入れるので、いつでも出れるようにしておいてください」

「分かりました。よろしくお願いします」

 ジョニーと土屋の二人は、図書館の駐車場にいた。日はまだ二人の頭上にあり、土屋が図書館に入ったときから大した時間は経っていない。

 作戦は明日から三日以内に、近所の礼拝堂跡地で行われることになった。

 どこか誘き寄せるのに良いところはないかと土屋に聞かれたとき、ジョニーは少し考えてからその廃れた礼拝堂を挙げた。ジョニーなりの【教会】に対する皮肉だったが、土屋は特にこれといった反応もせずその場所で了解した。

 土屋の表情は話を始めてから一環として変わらず最後まで何を考えているか分からなかったが、ジョニーはこの土屋という一人の人間に感心していた。

 通行人のような適当な態度をしている男だが、仕事に関しては無駄なことを何も言わない。必要とあれば客に自分達の情報を提示し、スムーズに仕事が済むよう話を進める。

 それに、明かす情報の数は、客を見て決めているとジョニーは感じた。ジョニーのように一度ゾンビと戦っている者には魔物や【退魔物質】についてそれとなく説明するが、ただ襲われているだけの一般人には、おそらく退治する場所と日程の約束くらいしかしないのだろう。説明しても意味が無いからだ。

 そして、ジョニーにも全ての情報が明かされているわけではない。土屋は【退魔物質】について詳しくないと言ったが、自分達が仕事で扱う薬品の成分、作り方を知らないなんて、自身も「仕事」に多くの道具を用いるジョニーにとってはありえないことだ。

 あくまで自分達の切り札は隠しつつ、優位性を保ちつつ、客が満足するように駆け引きする――それは、ジョニーが普段「仕事」をするときに心がけていることとまったく同じだった。

【教会】に電話を入れたときにはまるで考えなかったが、殺し屋と【教会】の仕事は案外似たようなものなのだろうか? 片や頼まれて人間を殺す仕事、片や頼まれて魔物を殺す仕事だ。

 ならば、普段相手にしている客にも自分が土屋のような人物に映っているのだろうか。それは何か嫌だなとジョニーは苦笑し、今一度土屋の方を見た。

 ハッとした。

 先ほどから石膏の彫刻のように表情が変わらなかった土屋が、笑っていたのだ。

「……あなたにも事情があるでしょうし、身の内を明かせとは言いませんがね」

 固まるジョニーに土屋は言った。

「襲われた際の状況説明はなるべく正直に。『一般の人』というのは普通、何度もゾンビを殺せませんよ?」

 ではまたと土屋は最後に言い、自分の車に乗り込んでエンジンを入れた。

 走り去っていく車の後ろ姿を眺めていたジョニーだったが、それが視界から消えると駐車場のアスファルトを蹴りつけた。

 そんな動作をしてしまった自分に、さらに腹が立った。



 ビリー討伐の打ち合わせをした、翌朝。

 ジョニーの携帯電話から二昔ほど前に流行ったロックバンドの電子音アレンジがけたたましく鳴り響いた。

 ジョニーはベッドから上体を起こし、顔をしかめながら携帯を開く。

 画面には「クソッタレ空気野郎」と相手の名前が表示されていた。土屋である。

「……早いな」

 目をこすりながらジョニーは通話ボタンを押し、携帯を耳に当てた。

「もしも――」

 ぷつっ、という音と共に通話が切れた。

「……?」

 ジョニーは怪訝そうな顔で携帯を見る。電話の先で土屋が何か言ったようにも思えたが、画面には「通話終了」としか表示されていない。どちらにせよ通話時間は数秒にも満たなかった。

 土屋のことだ。準備ができたら電話にコールをすると言っていたが、本当にコールだけ入れに来たのかもしれない。ジョニーは携帯をベッドに放り、寝間着を脱ぎ出した。

 早いとは言ったが、ジョニーの方も準備は整っていた。土屋と図書館で話をしてからすぐ拠点に戻り、荷物をまとめ、靴や服などに武器を仕込んだ。

 ジョニーは【退魔物質】とやらを持っていない。当日の自分の役目は餌であり、トドメを刺すのはおそらく土屋になるだろうが、餌は餌なりに、できるだけの手伝いはしてやろうと思った。

 それはビリーに対するけじめ……ではなく、目の前で自分の技術スキルを見せて土屋をビビらせてやろうという、ジョニーなりのどうでもいいプライドだった。

 図書館で話して以来、土屋に「一本取られたまま」という気持ちがジョニーの中に残り、それがずっと晴れない状態が続いている。何かしらの形で、土屋にお返しがしたかったのだ。

 もちろん、他人の前で能力を見せるのは、自分が殺し屋であるとばれる危険性が高い。しかしジョニーは別に構わないと思った。土屋が自分と同じような思想で仕事に臨んでいるのだとしたら、奴にばれることは大きな問題にはならないだろう。それよりも今は、この「敗北感」を晴らしたい。そんな気持ちだった。

 武器を仕込んだ服に着替えると、ジョニーは鞄を持って玄関を出た。まだ日は昇っておらず、切れかかった蛍光灯がわずかに廊下を照らしている。この時間帯は村越ムラコシもまだ起きていないらしく、人の気配はない。そしてビリーの気配も。

 約束した礼拝堂は歩きだと三十分はかかる。ジョニーは駐輪場にある村越の自転車に跨がった。腰が悪くなってしばらく乗っていないと、鍵も掛けてなかったのだ。構うことはないだろうとジョニーはペダルに力を入れた。


 潰れた店舗が建ち並ぶ町外れの通りに、その礼拝堂はそれらの建造物の親玉のように佇んでいた。

 白く塗られた壁は所々が剥げ落ち、窓のステンドグラスには全て厚い埃が積もっていて中の様子も窺えない。村越の話では、ジョニーの来る五年ほど前に勤めていた牧師が亡くなり、以来管理する者も現れず放置されているとのことだ。

 可笑しいのは、当時空き家になったこの施設を行政が解体しようとしたところ、近隣住民が反対運動を起こしたらしい。その運動に自らも参加していた村越が自慢げに語っていたが、誰も管理する気のない礼拝堂をなぜ守ろうとするのか、ジョニーには分からなかった。結果、皆が救った孤児みなしごはもう修復ができないほどボロボロになってしまったが、そういう経緯があるため行政はいつまでも尻込みしている。

 この国には「ワビサビ」なんて文化があると聞いたが、徐々に崩れいく建物を見て風情でも感じたかったのかな、とジョニーは笑いながら礼拝堂の正面に自転車を停めた。

 近くに土屋の姿はなかった。

「……出迎えもなしか」

 ジョニーはしばらく礼拝堂の外観を眺めていたが、ふっと息を吐いてその中に入っていった。

 まだ日が低いこともあり、室内は暗く視界が悪い。ジョニーは持参した懐中電灯を点け、ゆっくりと進んでいく。

「土屋さん、どこですか。上松です」

 ジョニーは少し歩く毎に土屋のことを呼ぶ。打ち合わせ通り土屋が建物内に罠を仕掛けたというのなら、その設置場所を知らずに動き回るのは賢いとは言えない。ジョニーは早く土屋と合流したかった。

「……ん?」

 ふと、ジョニーは床に懐中電灯の光を反射するものがあることに気付いた。拾ってみると、それは銀色の糸のようなものだった。

 その色には覚えがあった。土屋が先日見せた【退魔物質】、確か聖銀と呼んでいたのと同じものだ。つまりこれが、土屋が罠に使うと言っていたワイヤーなのだろう。

 しかし、ワイヤーはただ床に落ちていた。

 土屋は、室内に張り巡らせて使うと言っていた。

「土屋!」

 ジョニーは自分が叫んだのと走り出したのとどっちが先だったのか分からなかった。

 懐中電灯で前方だけを照らしながら、全速力で駆けていく。もう罠なんか気に掛ける隙はない。そして、多分それに引っ掛かることもない。

 広間に出た。奥に大きな十字架が立て掛けられている壇があり、その下に数人掛けの長椅子が五つほど等間隔で並んでいる、そこまで広くない空間。

「土……」

 パキ、と何かを踏み割る音がした。足下を照らしてみると、どこかで見たような黒縁眼鏡があった。

 懐中電灯を広間の奥に向ける。よく見ると、十字架には何者かが磔にされている。

 彫刻ではない。その人物の足下には、ポタ、ポタと液体が滴り落ちている。

 その人物の服も、同様の液体で濡れていた。中世の貴族が着る洋服の下着のような服が。


「オハヨウ、上松サン」


 背後からの声にジョニーは振り向いたが、反応が遅れて懐中電灯を叩き落とされてしまった。

 ガシャン、という音と共に明かりが消え、礼拝堂内部に暗闇が戻る。

 ジョニーは飛び退くようにその場から離れ、懐からナイフを取り出し低姿勢で構える。

「シャシャシャぁ! 嬉しいねぇ! お前の方から俺のとこに来てくれるなんてよおぉ!」

 暗闇の中で聞き飽きた声が鳴った。広間中に音が反響し、音源の正確な位置が分からない。

「お前のやる気に免じてぇ、今日という今日は楽しい殺し合いしようじゃねぇかぁ……ジョォオオォニィイイイイぃ!!」

 姿の見えないゾンビ、ビリーが闇の中で高らかに叫んだ。

「……朝は静かにしやがれクソが」

 ジョニーはなるべく平静を装いながら言った。

 良いとは言えない状況だ。いや、最悪と言ってもいい。

 深い暗闇の中、ビリーはどこにいるかも分からない。相手は怪力持ちのゾンビで、不意打ちで一撃でも喰らえばジョニーの命はない。

 ジョニーの持参した光源は先ほどの懐中電灯一つで、今それは手元から離れている。床に落ちた音から察するに、それも壊れてしまったかもしれない。こうなると、鞄や服の中に入れてきた武器達がもはやただのガラクタだなとジョニーは苦笑する。

 そして、頼みの綱だった土屋は、もういない。

「……バレてたってわけか。盗み聞きとは趣味が悪いな。そういうところは生前と変わらないようだ」

 考える時間を確保しようと、ジョニーはなるべくビリーとの会話を続けようと試みる。内容に意味はない。ただ話が続けばよかった。

「バレるぅ? 何のことだぁ?」

 闇の中からビリーが言った。ジョニーが眉をひそめる。

「とぼけるな。俺たちの作戦が分かってたからそこにいる土屋を……」

「そいつは俺の『住処』に勝手に入ってきたから始末してやっただけだぁ。いそいそと変なもんまで設置しようとしてたしなぁ」

「なに……?」

 ジョニーは一瞬、ビリーが何を言ったのか分からなかった。

 住処。住処とは何だ。疑問符が頭上でグルグル回るジョニーを余所に、ビリーが笑う。

「何だ、知ってて来たんじゃねぇのかぁ? この礼拝堂は俺のマイホームだよぉ。この国に来てからずっと使わせてもらってるぜぇ。何せてめぇの拠点に近いし、他の人間ともめったに合わないからなぁ」

 今日だけは別だけどなぁ何だぁあいつは浮浪者かぁ、というビリーの言葉はジョニーの耳には入ってなかった。

 ここが奴の住処だと。

 この国に来てからずっと使っているだと。

 俺はそれを知らなかった。知らなかったからここを狩りの場所に指定した。

 そしてもちろん土屋も知るわけがない。

 つまり、土屋は――

 風を切る音が聞こえ、ジョニーはハッとしてナイフを縦に構えた。瞬間、木材の折れる音と共に身体全体に衝撃が走る。

「ぐっ!」

 ジョニーは膝が着きそうになるのを必死に耐える。周りではバラバラと埃と木片のようなものが散っている。

 ジョニーは、ビリーが何をしたのかすぐに分かった。奴は広間にある長椅子の一つをこちらに投げてきたのだ。どうやらビリーには、この闇の中でジョニーの姿が見えているらしい。

「まだ『大砲』の弾はあるぜぇ。耐えてみるかぁ? それとも避けるのにチャレンジしてみるかぁ? ジョォニィイよぉ!」

 ビリーが二発目を放る。それのぶつかる寸前にジョニーは身体を捻って躱すが、床にぶつかって折れ飛んだ木片のいくつかがジョニーの顔を掠める。頬からつぅ、と血が流れた。

 ビリーが飛び道具を持った今、同じ場所に居続けるのは得策ではない。しかし、この暗闇の中ビリーがどこに潜んでいるか分からず、運悪く正面でぶつかり攻撃を喰らって即死、という危険もあり、字の通り闇雲に動くわけにもいかない。

 つまり、今のジョニーにはまるで手の打ちようがなかった。

「……クソッ。あいつも俺もクソだが行政も近隣の住民もクソだ。こんなボロ廃墟守りやがって。おかげで、この有様だ」

 悪態を吐き、息を荒くしながらジョニーは次の攻撃に備える。メキメキと、ビリーが三発目の椅子を床から剥がしているだろう音が聞こえた。

 ふと、ジョニーはなぜ今自分はこんなに苛ついているのだろう、と疑問に思った。今まで殺し屋の仕事をしていて幾度も生命の危機に見舞われたし、奴に襲われることなど最近では日常茶飯事だったというのに。

 しかし、吐かずにはいられなかった。そうすることで、自分を鼓舞するかのように。

「なぜ誰も使わない建物を残しておく……牧師のお化けの賛美歌でも聴きたかったのか? こんな意味のないものを……意味…………っ」

 ジョニーは目を見開き、ある方向へ首を向けた。そちらは他方同様暗闇が続いているが、先ほど懐中電灯で照らしたことで、ジョニーには「何が」あるかが分かる。

「意味のないものだと……?」

 ジョニーが呟いたのと同時に、背後から三発目の椅子が飛んできた。

 ジョニーはその場を離れ、椅子が床に衝突する。しかし、ジョニーは椅子を避けたのではない。目を向けていた方向に走り出したのだ。

「なにぃ?」

 ビリーの声が後ろから聞こえた。椅子の飛んできた方向でビリーが大体どこにいるか分かったので、ジョニーは躊躇わずに前方に向かって走った。

 もっとも、その先にビリーがいても強行突破するつもりだったが。

 何度かつまづきそうになりながらも、ジョニーは「そこ」に辿り着いた。無酸素運動で荒れた呼吸を急ぎ整え、顔を上げる。

 十字架に磔にされた土屋の姿が目に映った。初めて見る、眼鏡の着けていない顔は、より石膏の彫刻のような印象を覚えた。もう動くこともないので、あるいは本当に彫刻なのかもしれない。

 土屋の顔が見えたことで、ジョニーはあることに気付いた。時間経過で日が少し出てきたのか、埃だらけの窓からわずかに光が入り、いくらか室内の様子が分かるようになっていた。

 後ろを向くと、ビリーが壇のすぐ正面にいた。指を差しながらケラケラ笑っている。

「なんだぁ? お祈りでもするつもりかぁ?『神様、怖いゾンビから僕を助けてください』ってよぉ」

「……まあ、そんなところだ」

 言うなり、ジョニーは持っていたナイフを床に投げ捨てた。目を丸くするビリーを余所に、ジョニーは土屋の身体から「あるもの」を取り上げる。

 それは、土屋が首にぶら下げていた、糸の長い十字架のペンダント。ジョニーは糸を両手で掴み、十字架をヒュンヒュンと振り回し始めた。さながら、鎖鎌のように。

「……はぁ? 何やってんだぁ?」

「何をやってると思う? 当ててみろよ。当てられたら俺の負けだ」

 ヒュンヒュンヒュン、と十字架が空を切る音が礼拝堂内に静かに響く。しばらく黙っていたビリーだったが、やがて怒ったように大声を上げた。

「バァカがぁ! 十字架なんて効いてたら俺はゾンビも殺し屋もやってないわぁ!!」

 床を蹴り、ビリーがジョニーに飛びかかる。ジョニーは振り回していた十字架を、ビリーに投げかけるように振るう。

 窓から入る明かりの量が少し増え、二人の姿をさらに鮮明にした。


 土屋は自分達を駆除業者と名乗り、宗教団体ではないと言った。

 実際、土屋は仕事一辺倒のような人間で、特定の宗教に対する熱い信仰心があるようにも見えなかった。

 しかし、教徒ではないのだとしたら、なぜ土屋は十字架を首にぶら下げていたのだろう。

 ゾンビ、土屋が言ったところの魔物を退治するのに祈りや呪いを使わないのだとしたら、信仰のアイテムを持つことなど無意味ではないか。

 しかし、あの男が無意味なものを、仕事のときに持ってくるだろうか。

 土屋が、仕事に対して自分と同じような人間ならば。

 ジョニーはそれに賭けた。神頼みならぬ、土屋を信用しての賭けだった。


「……っぐあぁあああぁぁああああぁああ!?」

 賭けは当たった。

 ビリーの右腕に触れた十字架は、まるで熱したアイロンを当てかけたように、その表皮に酷い火傷を負わせた。

 その効果にビリーは仰天したが、それだけでは終わらなかった。

 遅れて飛んできた十字架の糸が、まるでプリンをナイフで切るかのように、あっさりと右腕を切断したのだ。

 腕は宙を舞い、広間の床に三回ほどバウンドして転がった。ビリーは傷口を押さえて絶叫する。

「なっ……何だそれは……それは何だぁああぁあ!」

 しかし、ジョニーは何も言わずに黙っていた。

 目を丸くして。

 ジョニーはある程度の確信を持って土屋の十字架を使用したが、ビリーを少し怯ませる程度の効果しかないと踏んでいた。作戦としては、怯ませた後に懐から新しく武器を取り出し、それで追撃するつもりだった。

 だから、ジョニー自身も驚いていた。

 初めて使う、【退魔物質】の威力に。

「く……クソが! 治らねぇ……俺の腕が治っているという『実感』がねぇ……! なんだそれは!? そんなちっぽけな十字架が!」

「……あ? なんだお前その口調。お前普通にしゃべれるのか?」

 まだ驚きから抜けられないのか、ジョニーがやっと口にした一言がそれだった。

「…………クソ!」

 ビリーがしゃがむような動作をし、ジョニーは再び十字架を構える。

 しかしビリーはジョニーを襲わず、窓のステンドグラスを破って外へ飛び出した。割れた窓から太陽光が一気に入ってきて、ジョニーは眩しさから顔を覆う。その後すぐに顔を上げたが、もうすでにビリー姿はなく、朝日が照らす礼拝堂の中には、ジョニーと粉々に散った長椅子、そして十字架に磔にされた土屋しか残っていなかった。

「……逃げた? あいつが俺を放って? 自分の腕も放って? ずっと使っていた拠点を捨てて……?」

 ジョニーは割れた窓を見て独り言のように呟くと、自分の持つ十字架にゆっくりと顔を向けた。そしてまたぽつりと言った。

「……【退魔物質】最高…………」



 礼拝堂の前に数台のワゴン車が停まっていた。ボディカラーは水色で、車体の側面には【世界退魔協会・東洋支部】と字が打たれている。

 礼拝堂内部の広間では、車と同じような水色の制服を着た数名の人間が慌ただしく動いていた。バラバラになった椅子も、土屋の死体もすでに片付けられている。ジョニーは残った椅子に腰掛け、右手で十字架をカチャカチャ弄っていた。

 そんなジョニーに、制服の一人が話しかける。

「はじめまして。【世界退魔協会】東洋支部、支部長の山代ヤマシロです」

「支部長?」

 ジョニーが顔を上げて制服を見た。綺麗かつ自然に整った髪には白髪が多いが、顔の皺は少なく、実年齢のよく分からない男だ。おそらくこの男も魔物退治屋なのだろうが、穏やかな表情がまるで本物の牧師を彷彿とさせた。

「土屋くんの件は、本当に残念でなりません」

 山代がジョニーの持つ十字架を見て言った。

「あの若さで才能もあり、仕事に私情を挟まない貴重な逸材でした。明日にでも退魔師の課程に進めるだろうと思っていたのですが……運がなかったのでしょうなぁ」

 山代は目を瞑り、ふぅと息を吐いた。「運がなかった」という言い方は冷たいようで、ひどく的確な表現だなとジョニーは思った。

「失礼。貴方を襲ったゾンビには、すぐに討伐隊を派遣しましょう。撃退するまでは貴方にも護衛をつけて……」

「いや、いい」

 山代の言葉をジョニーが遮った。山代がちらりとジョニーを見る。

「いい? いやいや、そういうわけには。そこまで危険なゾンビを放っておけませんし、これは我々の責任です。上松さんが気に病むことではありません」

「そういうことじゃねぇよ。アイツは俺にしか殺せない、それがはっきり分かった」

 ジョニーは、いつも使っている他人行儀な口調ではなく、素の口調で言った。

「それと、俺のことは上松じゃなくてジョニーと呼んでくれ。いや、それも本名じゃないが、上松よりはいくらか『名前』だ」

「……では、ジョニーさん。今後どうされるのですか?」

 山代は動揺せず、穏やかな口調でジョニーに尋ねた。ジョニーは手で弄っていた十字架のペンダントを首に掛け、椅子から立ち上がった。


「ゾンビや【退魔物質】について色々と教えてくれ。俺は【教会】に入る」


 ジョニーがこの国に来てから三週間目の朝のことだった。

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