第二回
◇
雨が降っていた。分厚い雲が頭上を覆い、普段から寂れた趣のある市街地が、より一層悲壮感を醸し出している。
時折、冷たい風が吹く。通りに人気は無く、歩いているのは黒い傘を差した黒髪の殺し屋、ジョニーだけである。
雨はその日が初めてではないのに、ジョニーはまるで、自分がどこか違う世界に迷い込んでしまったような、得体の知れない不安を覚えていた。
だから、最初は幻覚だと思った。
仕事を終え、自宅へと戻る帰り道。そこにいるはずの無い人間を見たときは。
雨に打たれる緑色の肌。腹部の肉が削げ落ち、剥き出しになった肋骨。下水をじっくりコトコト煮込んだような、吐き気のする臭い。
ゾンビだった。話には聞いていたが、ジョニーが実物を見るのはそのときが初めてだった。しかし、右目の腐り落ちたその生気の無い顔には、見覚えがあった。
「……よぅ、ジョニーぃ……」
数日前にジョニーが殺したかつての宿敵――殺し屋ビリーだった。
持っていた鞄を落とし、跳ねた泥水がズボンに付着する。ジョニーはそれに気付かない。
「……馬鹿な。お前は五日前……」
「だからこうして甦ったのさぁ、お前への復讐のためになぁ」
五日前、ジョニーはビリーの死体をビルの屋上に放置したが、何の報道もされないまま死体は消えていた。ビリーの手の者か、または奴に恨みを持つ人間が処分したものだと考えていたが……いや、そんなことはどうでもいい――ジョニーは唇を噛んだ。
「……何故だ」
「はぁ?」
「何故またお前が、俺の前に出てくるんだ……?」
「いやだから復讐ぅ……」
「俺とお前とのことは既に終わっただろうっ!」
街に怒声が響く。傘が傾いて右肩が雨で濡れるが、ジョニーはそれに気付かない。
「俺とお前とは五日前のビルで終わった。後腐れもなく、さっぱりと……だのに、何故お前は俺の前にいる? 何故また俺に戦いを挑む……!?」
声を震わせるジョニーを見て、ビリーはただ首を傾げて言った。
「知るかぁ。延長戦だろぅ?」
「……っ!!」
ジョニーは絶句した。丹精を込めて育てた花が汚泥のこびり付いた靴で踏みにじられたような、そんな不快感が胸に広がった。
「さぁ、覚悟はいいかジョニーぃ!? 俺が下見してきた地獄の底にぃ、てめぇを案内してやるぜぇ!」
ビリーがジョニーに向かって突進した。石畳にヒビが入り、雨水が弾ける。人間離れした恐ろしい力で地面を蹴ったのである。
対するジョニーは、初めて見るゾンビの身体能力に完全に不意を突かれていた。鞄を地面に落としてしまったため、武器も取り出せない。そして何より、宿敵が復活した衝撃でジョニーの心は酷く荒れていた。それは殺し屋として最悪のコンディションだった。
「っ、来るな……来るんじゃねぇ!」
このときのジョニーは隙だらけだった。商売敵はもちろん、武器を持った素人に殺されてもおかしくないほどに。
しかし――
「あがぁっ!?」
「え」
ジョニーが咄嗟に投げた傘がビリーの胸を貫き、紫色の血を吹き出しながらビリーが倒れた。紫は雨水に薄まり、石畳を流れていく。
「ば……馬鹿ぁ……なぁ……」
恨めしそうにビリーは右腕を挙げたが、やがて力尽き、動かなくなった。
ジョニーは雨に濡れがなら呆然とその状況を見ていたが、数分経ってもビリーが動かないと分かると、小さく呟いた。
「…………弱い」
◇
【滞在15日目】
近年建設されたばかりの真新しい駅ビル、その構内に点在する喫茶店の一角で、ジョニーは携帯電話の画面を覗いていた。
画面には、今朝方更新されたばかりのニュースの一覧が映っている。閲覧数の多い順に上から並んでいて、『十代の自殺者過去最大へ』、『月信党、野党内最大支持率を達成』、『黄昏クロウズ泥沼! 6連敗』などと見出しが打たれている。
ジョニーは携帯から顔を逸らし、店内の様子を窺った。
新発売のドリンクをテーブルに置いて談笑に興じる学生のグループ、ノートパソコンのキーを叩き何かしらの作業をする会社員、カバーのかかった文庫本を開いて一人の時間を楽しむ若者など、様々な客が様々な利用法で喫茶店に来ている。
つくづく、この国は奇妙なところだと、ジョニーは思う。
テレビでも新聞でもネットでも、ニュースのトップを飾るのは夢も希望も無いような暗い内容ばかりだ。しかし、町を歩くときやこのような施設を利用するときに、人々の間にそんな絶望的な雰囲気はまったく流れていない。今朝のトップニュースこそ『若者の自殺者』がどうのこうのというものだったが、今あそこでキャラメルクリームダブルベリーモカスペシャルを飲む学生達が店を出てすぐにビルの屋上から身を投げるとも思えないだろう。
もっとも、裏社会を生きてきた自分が、この表舞台だけを見て世の中を決めつけるのもどうかしてるがな、とジョニーは笑ってブレンドコーヒーを口に運んだ。
すると、誰かがジョニーの正面に座った。飲み物をテーブルに置く動作も無く、本当にただ座っただけ、という感じだった。
さて仕事だ、とジョニーは携帯を閉じた。
「お待ちしていました。えーと」
「……沢井、です」
正面の人物はたどたどしく答えた。ジョニーの住む拠点の家主、村越と同年代くらいの女性だが、その恰好はまた大分違った。髪は丁寧にパーマがかけられ、舞踏会にでも出るかのような派手な紫の服を着ている。辺りを見渡す視線が「何でこんな安っぽい店で待ち合わせを」とでも言いたげな感じだ。
「沢井さんですね。何か飲むものでも注文しましょうか?」ジョニーができるだけ穏やかな口調で言った。
「……結構です。それよりも」
沢井が少しだけ身を乗り出した。
「本当に、殺せるのですか?」
「…………」
ジョニーがこの国のことを奇妙だと思うのは、こうやって仕事を受けるときもそうである。
以前は、仕事の相手というのは主に裏社会のヤクザ者や政治家といったものだったが、この国ではあまりそういう界隈から依頼が来ることは無い。
彼らがすでに専用の用心棒や業者を懐に抱えている、というのもあるが、そもそも殺し屋を雇う必要性がこの治安の良い国ではあまり無いのだ。彼らの抱えるトラブルの大半は、金や密談で解決できてしまう。
逆に、以前はあまり相手にしなかった客層がこの国に来てから増えた。それは、今目の前に座っている婦人のような『少々裕福な一般市民』である。
彼らが殺し屋を雇う理由は、裏社会で仕事をしてきたジョニーにとって、至極くだらないものである。遺産分与、出世競争、浮気の報復……そんな個人の些細なトラブルを、彼らは殺し屋を雇ってまで解決させたいというのだ。あくまで、自分達の手は汚さずに。
明日の朝を確実に起きれるという治安の良さが、逆に市民を狂わせているのかね、と、仕事を引き受ける黒髪の殺し屋は他人事のようにそう考える。
「どうなんです? 殺せるのですか?」
中々返事をしないジョニーに、沢井が苛立たしく「殺せるのか」を繰り返した。
「声を小さく、沢井さん。周りに聞こえてしまいます」
ジョニーの忠告に、沢井はハッとして手を口に当てた。ジョニーはコーヒーをもう一度口に運び、いかにもな微笑を浮かべて沢井に言う。
「写真を窺いましょうか」
「……これです」
沢井は高級そうな革財布から葉書サイズの紙を一枚取り出した。そこには、一人の若い女性が写っている。
ジョニーはそれを手に取らず、ただ見つめてその人物の特徴を脳内にインプットする。十秒ほどして、「もう結構です」と言い沢井に写真を仕舞うよう促した。
「あの、それで、お代は……」
写真を財布に仕舞った沢井が、聞きづらそうに言った。
殺しの依頼費をケチろうとするのも実に一般人という感じだなと思いつつ、ジョニーは表情を変えずに受け答える。
「もちろん、仕事の済んだ後に振り込んでいただければ結構です。値段はそのときのレートにもよりますが、最近は仕事が少ないので幾分……」
ジョニーが話をしている途中で、喫茶店内に轟音が響いた。それと共に、砂煙が巻き起こる。
何だ、とジョニーが席を立った。正面に座る沢井は、もうすでに軽いパニックを起こしている。
何かを引き摺る音と、肉の腐る臭いがした。
「……コーヒーブレイクはここまでだぜぇ、ジョニーぃいぃ!」
「お前かよ」
突然現れたゾンビのビリーに、ジョニーは自分でも驚くくらい冷めたリアクションを取った。
「う、うあああ! ゾンビだああ!!」
「どっから来た!? 上から降ってきたんだ!」
「ちょっ、わたしのベリベリフラペチーノ潰されてるんだけど! マヂありえなーい!!」
「んなもんどうでもいいだろ逃げろ! 【教会】の奴はいないのか!?」
喫茶店内の客が我先に逃げ出す。その後ろを店員達が「ゾンビが出ましたがまたのお越しをぉお!」と言いながら続く。ジョニーは正面の席をチラッと窺ったが、案の定、沢井の姿はとっくに無かった。
「残念だなジョニーぃ、最後の晩餐がコーヒー一杯になっちまうなんてよぉ」
ビリーが腐った緑色の顔を歪めて言う。ジョニーはスーツに付いた埃を軽く落とした。
「まだ二口しか啜ってねぇよ馬鹿。仕事の邪魔しやがって」
「そうかぁ? じゃあたらふく飲ましてやるよぉ……てめぇの血をなああぁ!」
ビリーは踏みつけていたテーブルをジョニー目がけて蹴り飛ばした。ジョニーの視界を丸い板が覆う。
その隙にビリーは横に移動し、死角からジョニーに脇腹めがけて緑色の拳を突き出した。
ビリーの作戦に気付いたジョニーは、床に落ちていたキャラメルクリームダブルベリーモカスペシャルのグラスを拾い、咄嗟にそれでガードした。
グラスはあっさりと割れ、破片が辺りに飛び散る。ビリーの拳はジョニーのスーツを少し破っただけで、身には触れずに空振る形になった。ジョニーはそのまま床に後ろ向きに倒れてしまう。
「ぎひゃひゃぁ! 盾にするならもっとマシなもんを用意するんだったなぁ! トドメのぉ一撃ぃ!!」
ビリーは突き出した手をそのまま頭上に上げ、ジョニーめがけて振り下ろす。
しかし、その前にジョニーがグラスの破片を拾い、倒れた体勢のまま投げつけた。
「ぼげぇ!?」
グラスの破片はビリーの喉元に深々と突き刺さり、そこから紫色の液体が噴き出した。
ビリーはジョニーの頭を力なく「ぺちん」と叩き、血を吹き出しながら店内の床に沈んだ。
ビリーが動かなくなったのを確認すると、ジョニーは立ち上がり、安物の財布から四百円だけ取り出して机の上に置いた。
「釣りは結構」
【滞在16日目】
ジョニーはボーリング場で、レーンからボールが戻ってくるのを待っていた。今日はいつものスーツ姿ではなく、できるだけ一般人に溶け込むよう念入りにセレクトしたラフな恰好をしている。
今ジョニーは遊びに来ているわけではなく、このボーリング場の常連である標的が来るのを待ち構えているのだ。
しかし仕事のために来ているとはいえ、頭上のモニターに表示されているジョニーのスコアは散々たるものだった。
仕事をする際、またその準備をするときは恐ろしいほどの手先の良さを見せるジョニーだが、何故かその他のことになると非常に不器用になる男なのだ。つい先ほども、放ったボールが一メートルも進まぬ内にガターに落ち、後ろにいる児童に「ママー、あのお兄さん下手くそだよ」と言われたばかりである。
目的は見失っていない。見失ってはいないが、標的が現れる前にスペアくらいはとってやろうとジョニーは思い始めていた。しかし、ボールが戻ってくる前に標的の男がボーリング場の自動ドアをくぐってきた。
「……何で残念がってるんだ俺は」
そう言いつつ、ジョニーは標的の男をしっかりと観察する。
しかし、どうにも様子がおかしい。男はうろたえたようにドアの近くで立ち尽くしている。
いや、男だけではない。周りにいる人が皆、怯えた顔でこちらを見ている。
まさかバレたか――ジョニーは冷や汗を流したが、視点を動かして、皆が驚いている原因が分かった。
ボール排出機から、ビリーが顔を出していた。
「ネクストボールですぅ、お客さまぁ!」
「…………」
ジョニーは無言でビリーの頭を掴むと、それを思い切り引っ張った。
「え、ちょ、お客さばぁ!?」
そしてそれを胴体から引っこ抜き、レーンに向かって放り投げた。
「あああああああああああああぁ!」
ビリーの頭は紫色の線を引きながら真っすぐ転がっていき、軽快な音と共にピンを薙ぎ倒した。
頭上のモニターに『ストライク』の文字が表示された。
【滞在17日目】
拠点のベッドで横になり、ジョニーは時間を潰していた。
殺し屋の仕事は、標的と鉢合うタイミングも考慮する必要があり、それ一日のどの時間にも取れなかった場合は、日を改めなくてはならない。その日は自然と休日となり、それが今日であった。
さっきまで携帯電話のメモ帳機能を使い一週間のスケジュールを整理していたジョニーだったが、それもすぐに終わってしまい、今は天井のシミをぼんやりと眺めている。
「……驚くほどやることが無いな」
そんなことを呟いたとき、不意に玄関のチャイムが鳴った。
村越かと思ったが、ジョニーはすぐにあること思い出した。そういえば、今日はネットで注文していたカップ麺の箱が届く日じゃないか。
料理のできないジョニーにとって保存食は命綱だ。それに、乾燥した食べ物に舌が慣れているジョニーには、カップ麺は思いがけないご馳走なのである。
ジョニーは喜々として起き上がり、玄関に向かって扉を勢いよく開けた。
「はいどうもぉ、ゾーン便ですぅ……」
宅配員の恰好をしたビリーが箱を抱えて立っていた。
「まんまと引っかかったなジョニーぃ! あの世でてめぇの胃袋を掴んだ『天の川製麺(株)』を恨みやがぁっ」
印鑑がビリーの額に突き刺さり、紫色の血が噴き出した。
ジョニーは血が付かないように気を配りながら箱を引き入れ、扉を閉じた。
「うっそぉ……」
額に【上松】の傷を付けたビリーが後ろ向きに倒れた。
【滞在18日目】
「まずいことになった! 非常にまずいことになった!」
ジョニーは叫びながら、人込みの中を疾走する。
何事かとジョニーを見つめる通行人達だったが、すぐに事態を把握してジョニーの後を追うように逃げ回る。
彼らの後方からは、ビリーを先頭に、何十体ものゾンビが追いかけてきていた。
数分前である。ジョニーがいつものように買い物を済ませ拠点に戻ろうとしていたところ、これまたいつも通りビリーが目の前に立ち塞がった。
今回ビリーはバスの運転手に扮しており、実際にバスの運転席に座っていた。
ビリーは窓ガラス越しにジョニーにウィンクし、スピーカーを使って話しかけてきた。
「えーぇ、次はぁ終点地獄駅ですぅ。お乗りになりますかぁ?」
「いいからさっさと降りてこい、殺すから」
ジョニーはため息を吐きながら、鞄からハサミを取り出した。
「はいぃ、分かりましたぁ……」
ビリーが不敵に笑い、バスの降車口が開いた。
「…………は?」
バスの中からぞろぞろとゾンビの大群が降りてきた。
そして現在に至る。
ここ十数日間でゾンビ殺しに慣れたジョニーも、さすがに何十体もの大群にはノータイムで逃げ出したのだ。
「どうなってんだよあれは! どっかにゾンビの住処でもあるっていうのか!」
まさかいつもそこで治療してもらってるんじゃないだろうなと思いつつ、ジョニーはただひたすら前に向かって走る。周りの人間も大体そんな感じだ。
市民を何人も追い抜くと、ジョニーはあることに気が付いた。五十メートルほど前方で、水色の変な形の服を着た集団が道を塞ぐように並んでいる。ジョニーの横を走る男性が叫んだ。
「ああっ、【教会】だ! 【教会】のエクソシスト達が来てくれた!」
それを皮切りに、辺りで「本当だ!」「助かった!」と声が上がる。集団の先頭に立つ人物が微笑し、片腕をバッと上げた。
「皆様ご安心を! この【世界退魔協会】本部親衛隊、斎藤が来たからにはゾンビの群れなどぅ!?」
「邪魔だどけ!」
ジョニーが先頭の男に膝蹴りをかました。
「えええええ!?」周りの人達が一斉に叫んだが、ジョニーは構わず男を倒して先に進んだ。
またしばらく走っていると、街路樹が両脇に並ぶ広い通りにやってきた。そこを歩いていた人達も後方のゾンビの集団を見るや否や慌てて逃げ出していく。
「っ! 待てよここは……」ジョニーが通りの真ん中で立ち止まった。
何人もの人がジョニーの横を走り去った後、数分後にビリー率いるゾンビ集団が通りに到着した。
ジョニーはもう逃げようとせず、ハサミを握ってそれに対峙する。ビリーが口角を歪めて言った。
「どうしたぁジョニーぃ? ついに諦めたかぁ?」
「違うな」ジョニーが鋭い目つきでビリーを睨んだ。「元々お前達は始末するつもりだった。ちょうど良い空間が見つかったからここで待っていただけさ」
「へぇ……ならぁ、頑張ってもらおうじゃないぃ」
ビリーがスッと手を上げる。それを合図に、ゾンビ達がぐるりとジョニーのことを囲んだ。
――これは危険な『賭け』だが――ジョニーが目を瞑る。
今やらないと、死ぬのは俺だ――目を見開いた。ゾンビ達が飛びかかってきていた。
第一撃を、ジョニーはしゃがんで避ける。真っすぐ拳を突き出したゾンビが正面のゾンビの首をへし折り共倒れになるが、すぐに第二陣のゾンビ達がやってくる。
ジョニーはそいつらの攻撃を一つひとつ躱しながら、的確に急所へハサミを突き刺していく。五体、十体と次々にゾンビが倒れ、ジョニーの身がビリーに迫っていく。通りのアスファルトは紫色の血でどんどん染まる。
「っ!」
ゾンビの残りがビリーともう一体になったとき、そのもう一体の爪がジョニーの左腕をかすめた。すぐにハサミでそいつの喉元を突き刺すが、そのときに生まれた隙をビリーは見逃さない。
「おぐっ!」
ビリーの拳がジョニーの鳩尾に食い込み、ジェットコースターのような勢いでジョニーの身体が街路樹に叩きつけられた。
ジョニーは血を吐き、街路樹に垂れかかる。そのときスーツの懐から、ヒビの入ったコンクリートのブロックが、ごとり、と地面に落ちた。
「……あらかじめブロックを腹に入れてぇ、パンチを防いだかぁ」
言いながらビリーはゆっくりとジョニーに近づき、やがて見下すように目の前に立ち塞がった。
「宿敵との対決なのにフェアじゃねぇなぁ、ええぇ?」
「…………フェアじゃ、ないだと?」
ジョニーが呻くように言った。
「どの口が言いやがる。数か月前にぶっ殺してやったのに、いきなりゾンビになって何度も何度もリベンジをふっかけてくるてめぇの方がよっぽどズルイだろうが」
「そんな怖い顔すんなってぇ。言うだろうぅ? 運も実力の内ってなぁ」ビリーが余裕の笑みを持ってジョニーの首を掴んだ。「ま……その運が幸運なのか不運なのかは知らんけどぉ」
もう片方の手を、ジョニー目がけて振った。
「死ねぇジョニーぃ!」
そのときだった。ジョニーの靴底が突然外れ、中から飛び出した金属の板がビリーの脚を切断したのは。
「!?」
突然のことにバランスを崩すビリー。ジョニーはその一瞬を見逃さない。
逆にビリーの首を引っ掴み、身体を捻ってビリーとの体勢を逆転させ街路樹に叩きつける。しかし攻撃はそこで終わらない。
どこに隠し持っていたのか、細身のナイフを取り出し、ビリーの両腕、片脚に突き刺して身体を完全に街路樹に磔にした。
「…………っ!」
「驚いたか? お前と戦ったときには見せなかった、新しい奥の手だ」口元に付いた血の跡をジョニーは拭った。「見せたくなかった」
「……はぁ! さすがだねぇ殺し屋ジョニーぃ!」
ビリーが空に向かって高らかに笑った。
「今回は俺の負けだぁ! しかし今回はなぁ! 次復活したときはもっともっと周到な作戦を考えてぇ……!」
「そうもいかないんだよ。ちょっと閃いてな」
ジョニーは言うなり、街路樹の脇に落ちた自分の鞄を漁り出した。
「……? 何をしてぇ……」「あった」
ジョニーが取り出したのは、百円ショップで購入した安物のライターだった。
「え……っ! まっ、まさかぁ!」ビリーが叫んだ。
ジョニーはライターを点け、ビリーの身体の古ぼけた衣服に引火させた。
まるでガソリンを撒いていたかのように、ビリーの身体は一気に燃え上がった。
「うああああああああああああああやめろおおおおおおおおおおおおお! 火はぁあああああああ火は駄目なんだあああああああああああぁ!!」
爆発音のような声量で絶叫するビリーを、ジョニーはどこか悲しそうな目で見つめる。
「そうもいかないんだ。……見てらんねぇんだよ、今のお前」
やがて声は死にかけの虫の鳴き声ように小さくなり、ジョニーは街路樹に背を向けた。
そして声は無くなり、火柱は街路樹全体に燃え移った。ジョニーは鞄を持って歩き出す。
「あばよ、ビリー」
【滞在19日目】
ジョニーが拠点で目を覚ますと、ビリーが斧を振りかぶっていた。
押し合いへし合いの末、ビリーの首が床に転がった。
【滞在20日目】
「本当何なんだよあいつ……」
拠点で携帯電話の画面を眺めながら、ジョニーはため息を吐いた。
「切っても駄目。埋めても駄目。焼いても駄目。どうやったら死ぬんだ? ゾンビって。普通に日中にも出て来るし……」
ぼやきながら、携帯の画面を操作する。今ジョニーが見ているのは、ネット上の悩み相談サイトだ。検索履歴には『ゾンビ 殺し方』『ゾンビ 処理の仕方』『ゾンビ 被害』『天の川製麺』『ゾンビ しつこい』と単語が並んでいる。
「しかしこうして見ると、案外ゾンビの被害って多いんだな。国際問題ってやつか」
実際、ジョニーがこの国に来る前、ひいてはビリーとの決戦をする前から、ゾンビ関連のニュースをよく耳にしていた。奴らの被害は、もう大分前から世界で起きている現象なのである。
ならば、その具体的な対処法も一つや二つ転がっているのではないかと、ジョニーは相談サイトの検索結果をひたすら閲覧する。
そうしていると、高確率である『ワード』が目につくことが分かってきた。
「【教会】……【世界退魔協会】……なんかつい最近聞いたような気もするが、こいつらが何とかしてくれるってわけか?」
ジョニーは半信半疑だったが、今はゾンビに対して万策尽きたという感じだ。数分だけ考え、そのサイトに載っている【教会】の電話番号にかけてみることにした。駄目で元々、という心持ちだった。
その電話が、更に大きなトラブルに巻き込まれるきっかけになるということを、ジョニーはまだ知らなかった。