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宿敵がしつこい  作者: 賽藤点野
1/5

第一回


 深夜の高層ビル群の町。その中でもとりわけ高いビルの屋上に、二人の男が対峙していた。


 双方とも歳は二十代半ばといったところ。一人は男にしては長い黒髪をビル風に晒していて、一人は赤いハンチング帽を深く被り目元を隠している。

「見事なもんだ」

 ハンチング帽の男が呟き、不敵に笑う。

「この俺様の変装を看破したばかりか、戦闘をせざるを得ないフィールドに追い込むとはな。満点評価をくれてやるぜ、ジョニー」

 対して、黒髪の男は表情を崩さずに言う。

「お前の変装なんかたかが知れてる。あんな殺気立った奴を新聞配達員と見間違うのは赤ん坊か警察ぐらいだ。ビリー」

 言ってくれるぜとハンチング帽の男がけらけら笑う。その表情にも、声音にも、動揺はひとかけらも無い。落下したら間違いなく即死するであろう屋上で、ナイフを持った男と向かい合っているというのに。

 対して、黒髪の男は表情こそ冷静を保ってはいるものの、心臓は大きく脈打っていた。丸腰の相手を逃げ場の無いところまで追いつめたはずなのにまるで安心できない。圧倒的不利な状況で楽しげに笑うハンチング帽の男を、黒髪の男は正直恐ろしく感じた。

 それと同時に、黒髪の男はある種の興奮を覚えていた。この状況に至ったのはただの偶然だったが、彼はこんな日が来ることを、何年の前から心の深いところで期待していたのだ。

 それはハンチング帽の男も同様だった。彼が笑っている理由の何割かは、喜びを隠さずに表に出しているからである。

 ダウンジャケットに手を突っ込みながら、ハンチング帽の男が辺りを見渡す。

「しっかし、こんな目立つところでいいのかねぇ? 臭ぇ仕事をしてる奴は、臭ぇ場所で死ぬのがお似合いだと思うが」

「そう言うな。これも礼儀さ」

 ゆっくりと、ゆっくりと黒髪の男がハンチング帽の男に近づく。

「何せ十年間も標的ターゲットに見つからなかった殺し屋だ。十年分は世界中に死体を晒してやらないとな!」

「ほざきやがる!」

 黒髪の男がナイフを構えながら突撃した。ハンチング帽の男が隠し持っていた拳銃を取り出した。


 彼らは宿敵。今夜このビルの屋上で、決着をつける。



 携帯電話のアラームがけたたましく鳴る。一昔、いや二昔ほど前に流行ったロックバンドの電子音アレンジだ。

 薄ら汚れたベッドにうずくまっていたその若い男は、手を伸ばしてアラームを止めた。

 男は身を起こして、寝癖だらけの黒髪を掻きながら大きく欠伸する。

「……二週間か」

 ぽつり、と男が呟く。それは男がこの国に来てからの経過日数だ。故郷とは大分時差があるため、来たばかりの頃は朝七時に起きることも億劫だった。十日以上かけて、ようやく生活リズムも整ってきたところだ。

 寝床から抜け出た男はスムーズな動作で洗顔、着替え、朝食を済ませる。現在男が住み家にしている部屋は、二歩進めばそれぞれの目的の場所に辿り着くほどの広さだ。男は別に金に困っているわけではないが、今回この国に滞在するのは一時的なもので、ここはその間の拠点にすぎない。シャワー付き。駅から五分。拠点に必要なオプションなどこの程度でいいと、男がこの国の土を踏んですぐに契約したのがこの部屋だ。

 男は鞄に『仕事』道具が入っているのを確認すると、それを肩に掛けて玄関のドアを開けた。

「あら、上松ウエマツさん」

 廊下に出たところで、横から話しかけられた。男が顔だけそちらに向けると、現拠点の家主である年配の女性が箒を持って佇んでいた。

「おはようございます、村越ムラコシさん」

 男は身体全体を村越に向け、丁寧にお辞儀した。

「おはようございます。……今から仕事ですか?」

 村越が男のことをジロジロと眺める。男は別に奇妙な恰好をしているわけではないが、何か気になることがあるのだろうか。男は感情をスーツに閉じ込めて、逆に村越を観察する。

「ねぇ上松さん、あなた先日の夜中にゴミ袋持って、どこか行かなかった?」

 村越は急にそんなことを聞いてきた。予想外の質問に男は一瞬硬直する。

「どうなの?」

「……ええ、すいません。家で少々生ゴミが出まして」

 男はなるべく表情を崩さずに答えた。やっぱりねぇ、と村越がため息を吐く。

「上松さん、あなたここに越してきて短いからしょうがないかもしれないけど、ここら辺はゴミの分別が厳しいところなの。十年ぐらい前にひどくゴミを荒らしていく人たちがいてねぇ……近所の住民と市の職員さんたちで協力して分別を徹底し出したのよ。部屋が狭いかもしれませんが、生ゴミはちゃんと生ゴミの日に出してください?」

「はい、気を付けます」男が再び丁寧に頭を下げた。

 ではお仕事がんばってください、と言って村越は男の横を通り過ぎて行った。廊下の掃除をしている途中だと思ったが、それはすでに済んだことのようだ。

「……捨てているところを見られていたか」

 警戒しないとな、と誰にも聞こえないような声で呟き、男は携帯の画面から時刻を確認する。

 扉に鍵を掛け、ゆったりとした足取りで拠点を後にした。男はこの国の路線の正確さに大きな信頼を寄せている。



 数十分後。男がいたのはあるビルの屋上だった。

 今日は雲一つない青空で、心地良い風が男の黒髪を揺らしている。

 しかしビルとはいえ、たかだか十階建ての廃墟だ。背伸びをして通行人に見つかってはことだと、男は身を屈めながら柵より少し離れた場所に待機し、下の様子を窺っている。

 その状態でしばらくすると、正面の駐車場に真っ赤な高級車が停まった。男は鞄から双眼鏡を取り出す。

 助手席から一人、後部座席から二人出てくる。後部座席から降りた一人を守るように、後の二人が左右に立つ。

 男は双眼鏡の倍率を上げ、中央の人物に焦点を合わせた。アルファベットの「ピー」を崩したような文字がプリントされた白いスーツを着て、毛一つもないスキンヘッドの頭にも同じピー・マークの刺青が彫られている。間違いなく今回の標的ターゲットだ。

 男は双眼鏡に目を当てたまま、手探りで鞄からハサミを取り出した。

 標的ターゲットが護衛に挟まれながら近付いてくる。目標地点ポイントまであと十メートル……五メートル……四、三、二、一。

 男は屋上の柵に結び付けておいた極細の糸を切断した。地上からは分からないが、この糸は隣のビルの七階の窓まで繋がっている。そしてその窓際には、土を敷き詰めた金属製の植木鉢が、同じ糸で括り付けてある。

 糸が切れたことにより支えを無くした植木鉢は落下、そのまま真っ直ぐ標的の頭に彫られたピー・マークへ落ちていき――

 男は双眼鏡から目を離した。人間の頭が生卵みたいに割れるところをわざわざ見る必要は無い。それに、護衛たちが建物を見上げる前に身を隠さなくてはならない。

 下からの騒ぎ声をバックミュージックに、男は道具を片付けた。これで仕事は終わりである。入念に下準備した割にはすぐに終わってしまったと、男は拍子抜けた気持ちだった。

「てか、殺し屋が必要なのか? この国」

 こんだけ治安が良ければプロに頼まなくても何とかなりそうなのに、と男は呆れたように肩を竦めた。


 男は、殺し屋である。普段は治安の悪い地域で、裏社会の人間やそれに関わりの深い政治家などを相手に仕事をしている、それなりに名の通ったヒットマンだ。

 それが今、『ちょっとしたこと』が理由で、故郷より遠く離れたこの国で食い扶持を稼ぐ羽目になっている。正直なところ、男はこの国に来てから実力の三割も発揮できていない。

 しかし、この治安の良い国を拠点に選んだのも、他ならぬこの凄腕の殺し屋なのだ。


「さて……今帰ると村越にもっと怪しまれること請け合いだな。ショッピングセンターにでも寄るかい」

 そう言って殺し屋――ジョニーは、ビルの階段を降りていった。



「十円のお返しになります。ありがとうございました」

 ジョニーは釣り銭を受け取り、スーパーの自動ドアを抜けた。もうすでに日は沈みかけ、夕闇から逃れるように人々が帰路についている。

 建物の影に隠れる橙色の光を見ていると、ジョニーの身に妙な疲労感が湧いてきた。大して働いてもいないのに、左手にぶら下げたレジ袋の重みが増したような気さえする。

「…………」

 ジョニーがこの国に来たのは、ちょっとしたことからだった。

 数ヶ月前、ジョニーはある出来事を経て人生における一つの目標を遂げた。その出来事は、ジョニーに心地の良い『余韻』を与えた。その後数日間の仕事を、殺し屋人生の中でも最高のモチベーションでこなすことができるほどに。

 そう、数日間は。アレが目の前に現れるまでは。


 何かを引き摺る音と、肉の腐る臭いがした。


「……………………じ」

 少々時間を使い過ぎたようだと、ジョニーは後悔した。もう少し日の出ているときなら、何事も無く帰れたかもしれないのに。

「ジョォオニィイイイぃ」

 ため息を吐いて、ジョニーは後ろを向いた。そこにいたのは、見飽きた顔。

 海を越えたこの国にまで来たのに、昨日遠くの山にまで行って埋めたのに、しつこく目の前に現れる、その顔。

「この国の土ン中は冷たかったぞぉ……ジョニーぃ」

「口を閉じろ。息が下水みたいな臭いすんだよ……ビリー」

 肌が緑に変色し、肋骨が剥き出しになり、片目が腐り落ちたかつての宿敵は、心底嬉しそうに笑った。

「お……おい、あれゾンビじゃないか?」

「本当だ! どこの墓地から来たんだ!?」

「言ってる場合じゃない。一体いるってことは、まだまだ出てくるかもしれないぞ!」

「私【教会】の人呼んできます!」

 辺りが急に騒がしくなる。路地を歩いていた者は皆近くの建物に逃げ込み、玄関、窓を閉める音が町中に響き渡る。

 日が完全に落ちた。通りにいるのは、ジョニーとビリーだけである。ジョニーはレジ袋を持ったままビリーを指差してやった。

「かつての暗殺者も堕ちたもんだな。あんな大人数の素人に姿を見せるとは」

「気にするなぁ、新生ビリー様はファンサービスに重きを置いてんだぁ。それに関係ねぇさぁ……」

 ビリーが一歩、身を引いた構えを取った。

「お前さえ殺せりゃぁ……関係はねぇええぇっ」

 人間離れした速度でビリーが飛びかかる。ジョニーはレジ袋でガードするが、それはビリーの恐ろしい力に容易く引き裂かれてしまう。

 しかし、それはジョニーの計算の内だった。

「なぁっ!?」

 袋の中身は炭酸飲料水のペットボトルだった。破裂したボトルからこぼれた炭酸水が目の中に入り、ビリーが怯む。ジョニーはその隙に鞄からハサミを取り出し、ビリーの脳天にそれを突き刺した。

 ハサミを引き抜くと、紫色の血が勢いよく吹き出した。

「あっ、ああ……あがががぁ」

 アスファルトにペイントを施していくビリーを余所に、ジョニーはハサミをティッシュで拭き取って鞄に戻した。

 ビリーが一つしかない眼球を飛び出させるような形相でジョニーを睨む。

「馬鹿なぁ! 何故だぁ……何故俺はお前に勝てんのだぁ……! くそぉっ…………だがぁ……次こそはぁ……俺ぇ…………がぁ……」

 紫の水溜まりにビリーの身体が沈んだ。

「…………」


 数ヶ月前。さる大都市の摩天楼で、ジョニーとビリーは『最後の』決闘に挑んだ。

 本気だった。全力だった。今までの人生におけるすべての力と経験を、ジョニーはその戦いに投じた。

 一進一退の攻防の末、屋上に立っていた人間は……ジョニーただ一人だった。


 そして、今。

 ゾンビとなって復活したビリーが、あの日終わった戦いの延長戦をジョニーに仕掛けてくる。

 あの頃より遥かに弱く、遥かに愚鈍になった宿敵を倒していく度に、ジョニーがあの日手にした清々しい『余韻』は――

 どうしようもなく、腐敗していく。

「……飲み物は自販機で買おう」

 破けたレジ袋と、おそらく死んでいないであろう死体をそのままにし、ジョニーは拠点へと向かった。

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