四季駅前でのこと
バスは四季駅前に到着した。残念ながら彼女は停車ボタンを押すことはできなかった。前方に座っていた子供がいち早く押してしまったのだ。
「あ~残念です……。でもこれも勝負の世界ですから仕方がありませんね……」
「勝負?」
「冗談ですよ」
停車ボタンが押せなくとも彼女は楽しそうだった。
僕は1000円札を両替して彼女の分の乗車賃250円を支払い、自分の分はICカードで支払った。彼女はICカードにも興味を示した。僕にとっては半ばうんざりするほど繰り返してきた日常も、彼女にとっては新鮮で、僕たちは同じ場所にいながら違う世界を見ていた。次の目的地へと向かうバスは彼女の目にはどのように映っていたのだろう。
そう考えていると彼女は口を開いた。
「あのバスがどこまで行くかわかりますか?」
「冬美ヶ浦っていう港町までいくはずだよ」
「港町……なんだか楽しそう!」
「いや……別に観光地ではないし特別楽しいことはない……と思う」
そうですか……と気落ちする彼女を見て後悔した。僕にとって楽しくなくとも、彼女にとっては驚きや感動に満ちた世界であるかもしれないのだ。軽々しく僕の価値観で楽しいことはないなどと言うべきでは無いと反省する。
「あ……でもね!ここと冬美ヶ浦の中間くらいにショッピングモールがあってね!そこは色んな店があるし観覧車もあるんだよ!」
彼女に笑って欲しくてこんなことを言ってみる。
「観覧車!」
彼女はこの日一番の笑顔を僕に見せてくれた。
「私、高いところは苦手なんですけど……観覧車は大好きなんです!ずっと眺めてても飽きないくらい!」
観覧車でなくとも彼女が何かに飽きる姿なんて想像できないが、彼女は観覧車の魅力について熱弁した。
「大きな円がゆっくり廻って……それぞれのゴンドラにはそれぞれの世界があって……ゴンドラから見える景色やゴンドラに乗っている人たちのことを考えるんです。それだけで時間が過ぎてしまいます」
この時、僕と彼女は違うゴンドラに乗っていた。同じゴンドラに乗らなければ同じ景色を見ることが出来ないし、同じ世界を共有することは出来ない。
「あの……、あなたはこれからどこへ行くんですか?」
「本屋……だけど……」
「お友達と?」
「いや……一人……だけど……」
彼女はもじもじしながら控えめに僕に願い出る。
「ついていってもいいですか……?この辺のことは何もわからないので……」
もちろん僕はOKした。というか、もしよければ一緒に本屋に行かないかと僕の方から言うつもりだったのだ。勇気がでなくて言い出せなかったけど……。
僕はどうしようもなく恋に落ちていた。彼女の誕生日、初めて出会ったあの日から。
僕は彼女と同じゴンドラに、少しでもいいから乗りたかった。彼女と同じ景色を見つめて、彼女と世界を共有したいと願った。
僕たちは本屋へ向かって歩き出した。
「あ!残ったお金お返しします!」
「帰るのにもお金が要るよ」
「あ……」
彼女は赤面した。
「いつか返してくれればいいから。あ、返すといえば!こないだ西谷さんに借りた傘を返そうと思うんだ。今日は持ってないんだけど今度西谷さんの学校に行くからその時に」
「あの傘は差し上げます。そのつもりであなたにお渡ししたので」
「いやでも……あの傘かなり良いものなんじゃ……」
「おそらく私……、しばらく学外の人と接触できなくなると思うんです……。だから傘は……。あ、お金は必ずお返します。寮長に事情を話して学校関係者に持っていかせるので」
学外の人と接触出来ない……、ヴァーリア女学院の規則は厳しいことで有名だが、傘を返すためにほんの少し僕と会うことも許されないというのか。僕は困惑していた。
「私、無断外出して来たんです。きっと、ものすごく叱られます!」
カラ元気ともとれる調子で彼女はきっぱり言った。
「大丈夫なの?」
「大丈夫です!それよりも今は楽しい気持ちでいっぱいなんですよ!あなたと本屋さんに行くのがとっても楽しみなんです!」
彼女はいつでも前向きだった。
僕が彼女に婚約を申し込むことになる日までずっと。




