バスでのこと
「その……お財布を忘れてきてしまっていて……バスの乗車賃を貸していただけませんか?ごめんなさい……いきなりこんな失礼なお願いをして……」
彼女は不安そうな目で僕を見ながらそう言った。
なるほどそういうことか。彼女のようなお嬢様が僕なんかに借金を申し出るなんて余程の事情があるのかと思ったが、財布を忘れて外出するというなんともそそっかしい、ある意味お嬢様っぽい理由だった。
「いくら貸せばいい?どの停留所から乗ったの?」
「えーと……」
彼女は考えこんだ。難しい顔をして一生懸命考え込んでいたが、思い出せそうになかった。そもそも普段バスなんて乗らないのだろう。
「整理券持ってる?」
「持っています!整理券と一緒にお金を入れるんですよね?」
口ぶりから察するに、やはり彼女は路線バスに乗り慣れてはいないようだ。
彼女は制服の胸ポケットから整理券を出した。これで彼女がバスを降りるために必要な金額が分かる。僕も彼女もホッとして安堵の表情を浮かべた。
「どこで降りるの?」
「えーとその……決めていないんです……」
基本的に乗り物に乗るという行為は目的地にたどり着くための手段だ。しかし、彼女には目的地がない。このまま乗り続けていては乗車賃は膨らんでいくばかりだ。
「とりあえず、僕と一緒に降りませんか?ここから4つ先、四季駅前で降りるつもりなんだけど……」
「はい、そうします。何から何までありがとうございます」
「い……いいよ気にしなくても!」
彼女はぺこりと頭を下げた。彼女の艶のある綺麗な黒髪に目を奪われてしまう……。
僕は心を落ち着かせ、財布の中身を確認した。四季駅前で降りるためには250円必要だが、あいにく小銭は10円玉と1円玉数枚ずつしか持っていなかったので僕は1000円札を彼女に渡した。
「細かいのなかった。両替して使うといい」
「両替……」
「あとで僕がやってあげるよ。あと……」
僕は言い淀んだ。
彼女は小首をかしげ不思議そうな顔をする。
「どうしましたか?」
僕は意を決した。
「あの……隣に座っても……いい?」
彼女はハッとした表情を浮かべる。
「ごめんなさい!ずっと立ちっぱなしでしたよね!どうぞお座りになってください!」
僕は彼女の隣に座った。彼女からほのかに漂う甘い香りが僕の鼓動を早めていく。
「このボタン!降りるとき押すんですよね!一回やってみたかったんです!」
「僕も小さい頃は降車ボタンを押すの楽しかったよ」
「今は楽しくないんですか?」
彼女は小さな子どものように笑った。
僕も小さい頃は降車ボタン一つでこんなに楽しそうに笑っていたのだろうか。




