4. 神田淡路町 まつや
私は元来、食べ物に頓着する性格ではなかった。
それが今のようになったのは、ひとえに『鬼平犯科帳』や『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』の作者である時代小説家、故・池波正太郎の遺した様々な食に関するエッセイを見たからだ。
池波正太郎は、大正の末年に生まれ、戦前の日本橋兜町にある株式仲買店を皮切りに、様々な職種を経験した。
同時代の作家のなかでも、山の手や地方の富豪であった人々が、書生として現実を離れ、遊離空想の世界で自らの筆力を高めていったのと違い、
彼の物語の根本は、戦前戦後を実業に即してたくましく生き抜いた、彼自身を含む庶民の喜怒哀楽にこそあった。
そんな彼が絶賛しているのが、ここ、神田淡路町の『まつや』だ。
救世軍の本部があった神田は、かの戦争においても戦災の被害を受けず、奇跡的に往時の町並みが残った、一種特殊な地域である。
その中でまつやもまた、戦前の蕎麦屋はかくあったのであろうという姿を濃厚にとどめている。
引き戸をガラリと開けて入れば、そこは常に満員御礼だ。
顔も見知らぬ人々が、すべての机に相席となり、酒をのみ、蕎麦を手繰っている。
休みの日、ここで友人と酒を頼み、突き出しの味噌と、後は一品、二品。
ちょっとしたつまみを肴に飲む気持ちは、こたえられなかった。
そうしていると、隣に座っていた老人が、「よう、学生さん」と口を挟んでくる。
話題は様々だ。
そして酒が切れてくれば、再び一本。
真っ白の酒器に入って届く酒はあくまで清らか、そして口解けがよい。
昔からの日本酒でありながら、舌もちの悪いことは一切ない。
薬くさく、悪酔いの元になるいわゆる大衆酒とは、そこからして違う。
そして蕎麦。
ここの蕎麦は、味がよい。そして量もよい。蕎麦は腹を満たすものだということも、しっかりと分かっている量であり、味だ。
江戸前蕎麦ならではの濃い味は、近所の藪蕎麦に似ていながら、まったく違う。
個人的にはこちらの蕎麦のほうが好きだ。
変に民芸趣味を気取ったり、江戸前の風景を売りにすることも一切ない。
「酒を飲んで、蕎麦を食って、満足して帰ってくれ」
という、歴代店主の声が蕎麦に篭っているかのようだ。
往時、ここでは『酒揉み』という、古い蕎麦を出していたという。
池波が足繁く通ったころ、その蕎麦は事前に頼めばまだ食べられたそうだが、今ではどうだろうか。