19. 森下町 みの家
都営新宿線、森下の駅を出てすぐのところに、ビルやコンビニに挟まれて建つ和風の建物がある。
そこが都下でも古くから桜鍋――馬肉を食わせる店、みの家だ。
馬は乗ってよし、賭けてよし(とはいえ私は賭けないが)、かつては軍の主力でもあった、人間にとって欠かすべからざる家畜だ。
であると同時に、滋養があり、食べやすく、虫も湧きづらい、優秀な食糧でもある。
かつてメソヒッポスという、犬程度の大きさの有蹄動物から進化した馬という生き物は、人類が地上を席巻するとともに、気の毒なことに一度絶滅の危機に瀕した。
北米大陸の原生種は完全に絶滅し、ユーラシア大陸でも馬は一度ほぼ全滅した。
わずかに西アジアに残された一部の種のみが遊牧民族に珍重されて生き延びたものらしい。
そんな人間の被害者筆頭といってもよい馬を食べるなどとなんと恐ろしいと言われるかもしれないが
だが、これが旨いのだから仕方がない。
昔風の土間で履物を脱ぐと、大きな座敷間に長テーブルが二列、おかれている。
この店は畢竟、全員が相席と呼んでも差し支えないのだ。
これは昔ながらの東京の店の設えで、密談には不向きだが明るく酒を飲むにはちょうど良い。
そこで時に先客の背をまたぎ、「あいすみません」などと言いながら席に着くと、まずはビールだ。
夏冬共に心地よい風景であるし、冬は冬で鍋を手あぶり代わりに燗酒を飲むのも良いが、私はどちらかというと夏が好きである。
昔の建物の特権か、風が心地よく吹き抜ける店内で、外の暑さを玄関先の打ち水で冷やし、入って冷たいビールを呷るときの冷たさ、心地よさ。
熱い桜鍋をふうふう言いながら食べる時に飲むビールの旨さ。
この快味。
馬刺しには、普通の『肉刺し』と『あぶらさし』がある。
あぶらさしとは馬のたてがみ下の部分で、脂身とも言えず、しかして馬肉ともいえず、
なんとも奇妙で、味わいある甘い肉だ。
口の中でとろりとなる肉を、ビールで、あるいは酒で流すときの心地よさといったら他にない。
馬肉たたきもいいし、煮込みもいい。
鍋が来るまでの時間をこれらで繋ぎ、来たら早速鍋だ。
付け合せの葱、しらたきなども、甘い味噌の味を吸って滋味深い。
私の年長の友人で、風邪を引きそうなとき、マスクをつけて店に来ては
「あぶらさしに桜なべを1人前。 これで風邪など飛んでしまうのです」
と言い張る人がいたほどだ。
桜なべは切り落とし、ロース、ヒレの3種類だ。
昔は2種類だったように思うが、今となってはいずれも「これは!」という安価な値段で出してくる。
そしてたっぷりと肉を食べ、飯を入れ、酒を飲み、十分に腹がくちくなったところで
外に出たとき。
東京の夜に月が懸かっていたりすれば、もはや何も言うことはない。




