商売は黒字、気持ちは赤字
ゆっくりと車を降りて永貴に言われたよう溶けかけのの氷の上を滑って転ばないように気を付けて歩く。永貴は少し寒いのか、コートの前をすべて閉じて口元まで隠している。
一方エトは永貴に買ってもらった服を着て楽しそうに歩いている、靴も滑らないように滑り止めがついているので多少はしゃいでいても大丈夫なようだ。
「やっと入り口だ……エトは待機。恵理那とイリヤは着いてきてくれ」
「「はい」」
という二人の返事と――
「わかりました」
という少しいつもより元気さに欠けたエトの返事を聞いて永貴は入り繰り前のインターホンのボタンを押した。数秒後、カメラ付きのスピーカーから声が流れる。
『なに用でございますか?』
「奴隷商人の神原永貴だ、この家も主の依頼で商品を持ってきた。これは名刺だ」
胸から奴隷商人であることを示す名刺を取り出しカメラの奥にいるであろう人物に見せつけると、しばらくして返事が返ってきた。
「了解です、神原様。今使用人が向かいますのでお待ちください」
数分後、扉が開き中に入ると、燕尾服を着た二人の男性がビシッとした感じの綺麗な立ち方で立っている、だがその二人は怪しげな白い仮面を付けているため表情も素顔もわからない。
そして同じ仮面を二つ、永貴に手渡してきた。
「恵理那、イリヤ、これをつけろ。いいというまで取るなよ」
「はい」
「わ、わかりました」
二人ともさっと仮面をつけて小さな目の穴から永貴を見失わないように付いてくる。奥に進むと永貴の身の丈よりも数倍ある大きな扉があり、その扉が二人の燕尾服の男によって開けられた。
中にいるのは奴隷らしき少女三人と、同じように仮面をつけた男女数人、真ん中に座っている男が今回の依頼人である北の富豪で有名な男、陸山氏だ。
国家の一角を担う重要人物であり、イギリスの大富豪バーナーズ=リー・デリック卿と日本唯一のつながりを持つ者で国家の一角を担う中、慈善事業にも大量の資金を投資する慈善家であり、彼の設立した孤児院や不当な理由で家を失くしたものを受け入れるホームは世界的にも大評判だという。
「お久しぶりです陸山氏」
「おお神原氏、確かに久しぶりだ。何年振りかは覚えてはいないが久しぶりだな、前回の君の持ってきた奴隷は今まで買った奴隷よりも格別だった、今回も期待しているぞ!」
「はい、今回の注文は二人、ハーフではありますが、注文通りの金髪の女を一人と、黒髪の端正な顔立ちをしているというものが手に入りました」
「ほう、それは楽しみだ。名は何という?」
「黒髪のほうが恵理那、金髪の方はイリヤと申します」
「仮面を外して顔を見せてもらおうか」
陸山が促し、永貴が二人に仮面をとるように指示すると、二人はゆっくりと今までつけてきた仮面を顔から外し、フードをとって陸山と目を合わせる。
それを見た陸山は大満足のような顔でこう告げた。
「最高だ神原氏! 私の注文は金髪の女だったが黒髪のものも申し分ない、これは聞かれてはならない話だが妻よりも奴隷のほうが愛しているといっても過言ではないからな。せっかくの君からの気持ちだ、一流の奴隷商人のセンスで選ばれた注文以外のオリジナルの届け物だ、大切にしよう! それで金額はいくらだ?」
「これほどの上玉であり私は商人です、大体の金額は想定済みでしょう?」
「ふむ、私もこれだけの奴隷を買い取っただけあって大体の額は予想がつく、三百二十万でどうだ?」
この金額は永貴にとっては大きな黒字だ。買取りの時予算を下回ったうえにもともと予定していた予算よりも二十万多い。
だがここで我慢をせずもう一歩踏み出すのが一流の奴隷商人である。取引相手が怒らないように、自分が損をしないような、ギリギリの一歩を踏み出す。
「さすがは陸山氏、いい査定をしてくれています。ここからは交渉になりますが、三百五十万でどうでしょう?」
「はっはっは、貴方は実に一流だ。神原氏、私はあなたに交渉で勝てる余地がない、何かしら言いくるめられて払わされるだろう。しかもこんないい商品を用意してもらい、こんな北の辺境の地まで来られたものを無理やり返すなど陸山の名が廃る。だがただ引き下がるというのはもっと名が廃る、三百四十万だ」
「陸山氏、三百五十万にはしっかりと理由があるのです、今回用意させていただきましたイリヤのほう、奴隷となってからなんと数日、誰にも買われたこののない新品なのでございます。恵理那の方は一度買われてはおりますがそれも庭師として買われただけ、こちらのほうで検査をいたしましたところ間違いなく二人は穢れの一つない処女でありました」
「な!? これは珍しい、処女の女奴隷など二度出会えるかどうかの代物……三百五十万出そう!」
「ありがとうございます――」
永貴の計画通り、まずイリヤは王道奴隷商会が新品を仕入れる最高にいいタイミングで仕入れに行ったことによって得た奴隷であり、恵理那を商会で四人見たときに経歴と顔立ち、少しばかりの匂いを感じることで確実な確証を得て選んだものだ。多分だが、王道奴隷商会も恵理那が処女だということを知らなかったのだろう、普通は本人から聞くぐらいしか確かめる方法はないが、永貴は生まれもった感覚でそれがわかる、これが奴隷商人の世界を登り詰めてきた理由の一つでもある。
「ではこれから二人は大切に扱わせてもらうことにしよう」
「そうなれば二人も幸福でしょう、それでは失礼させてもらいます」
「ああ、神原氏」
「なんですか?」
「この前デリック卿に君のことを話したらぜひ会ってみたいと言われた、気が向いたら私に連絡をしてくれ、談話の席を用意しよう」
「心から光栄でございます……」
陸山に向かって一礼し、大きな扉を抜けて玄関かあ外に出る。門の外で待っていたエトに近づいて頭を撫でて、少し寂しそうな顔をしているエトの顔を覗き込む。
やっぱり、辛いんだろうなと永貴は思った。いくらなんでも、まだ子供だから、だからこそそばにいてやりたいという気持ちが湧いてくる。
エトと車に乗って一度ハウスに戻りながら、一言も話さず窓の外を眺め続けるエトの後ろ姿を、永貴は見ることができなかった。