第3話
私のお仕えする方は、大変お可愛らしい。
豊かに波打つ黒髪に、陶器のように白く滑らかな肌。その頬は薔薇色に染められている。零れ落ちそうなくらい大きな瞳は、魔族特有の赤紫色だ。小さな鼻や、ふっくらと唇が紅く色づく様はまったくもっていじらしい。私の半分も満たない大きさの、柔らかな手を伸ばして抱っこをねだる姿や、恐怖のあまり瞳に涙を浮かべて縋ってくる姿は、魔族にそもそも存在するのか怪しかった、庇護欲と母性本能をかき立てる。その様子を見たくて、多少の意地悪をしてしまう事は内緒である。
「君、この前妹君様のために、ワクスガルトを捕まえてきたらしいね」
本城と離宮を繋ぐ長い回廊を歩いていると、前からやって来た男が興味津々といった風に声をかけてきた。優しげな垂れ目と泣き黒子が印象的な男である。面識があるようでないようで、やっぱりあるような。だがそれよりも、進路を邪魔された事に私は憤りを感じた。
全く、急いでいる時に限って…。
そう思ったのが態度にも現れたようだ。思いの外冷たい声が出た。
「それがなにか?」
「いや…、僕の妻がその噂を聞きつけて、我が家にも1頭欲しいと言い出してね」
思い出した。魔界一の暴れ馬を手懐けた優男、カーク・エドウィン。またの名を、魔獣王エドウィン。ありとあらゆる魔獣を愛し、愛玩動物として飼い馴らすのを趣味とする変態だ。いままでに彼が挑んだ魔獣は千とも2千とも言われ、生き字引のごとき知識を有するカークは、事典の編纂を任せられるほどの魔獣愛護者もとい変態なのだ。挙句の果てに、魔界一手の付けられない狂暴な姫君を、いとも簡単に飼い馴らしてしまった時には、魔界中が安堵の溜め息と変態の眼差しを向けたものだ。
それがなんの因果か、私はこの男に気に入られているらしく、こうして魔獣に関する相談をちょくちょく持って来ては、私にたいそう不愉快な思いをさせていた。
「それはようございました。それで、私とどのような関係が?」
突き放すような声で対応する。しかし、魔獣の事ならまだしも魔族の機微にはとんと疎いカークは、全く気づかない様子で答えた。
「それがね、ワクスガルトを捕まえるったって、地中の奥深くに棲んでいるでしょう?ましてや倒した記録はあれども、捕まえた記録なんてのは皆無に等しい存在だ。そこで君に捕獲方法を尋ねようと思って」
「はあ、なるほど」
「で、どのような方法を使ったんだい?やっぱり巣穴を潜って行ったの?」
「まさか。簡単な話ですよ。ワクスガルトの雄は繁殖期になると、地中から這い出て番を探すのはご存知ですね?そこを狙うのです」
他人の不幸を見つけた魔族のように瞳を輝かせるカークに、私は淡々と手順を話す。
その内心、早くしないと私の食べたいくらい可愛いらしいロザリア様が、お昼寝から目を覚ましてしまうではないか、と苛々する。あのお方は、普段は大人びていらっしゃるのに、寝起きだけはかなり甘えん坊になって、私がお側にいないと寂しがるのだ。ああ可愛い。ぐうの音も出ないほど可愛い。略して、ぐうかわ。
ところがどういう訳か、カークは浮かべていた微笑みを引きつらせた。
「えっと……。僕の聞き間違いかもしれないからもう一度確認するけど、つまり君は繁殖期で最高に気が立っている雄を狙って捕獲しろと言っているのかい?」
「ああ、雌の方がお好みでしたか?それならば、子育て期で地表に出てきた雌を――」
「……それって、繁殖期の雄より凶暴になっている時だよね」
「では、子供の方を?まあ出来なくはないでしょうけど、お勧めはしませんよ。ご存知の通り、生まれたての子供は地中深く岩漿に守られているばかりか、酸の体液で体を覆っていますからね。触れた瞬間、溶けます」
「…………」
この男の魔獣愛も、所詮私のロザリア様に対する愛情には、遠く及ばなかったようだ。カークは、奇妙な微笑みを浮かべたまま、完全に固まってしまった。さすがにいかなる変態であろうと、ワクスガルトの捕獲には尻込みをするらしい。なんたる腰抜け。いい気味である。
愛らしいロザリア様が所望とあらば、例え火の中水の中、天界にまで乗り込んで差し上げる覚悟はできている私とは、土台月と陸上でへばっているスッポンほどの差があるのだ。
もっとも、可憐な外見に比例して繊細な心をお持ちのロザリア様は、どこぞのじゃじゃ馬のように、頭のおかしい注文はしないが。それどころか私の身の心配をしてくださるのだ。ああ、可愛いったらありゃしない。
「では、ごきげんよう」
そう言うと、石像のように固まったままの男を放置して、優秀な侍女兼教育係は颯爽と立ち去るのであった。
「失礼いたします」
3回のノックの後、扉を開ける。するとそこには、淡い水色の天蓋付きベッドの上で、薄手のブランケットに包まって眠る、小さな主がいた。元々黒一色であったこの寝台も、ロザリア様が嫌がり別の色にして欲しいと、初めてわがままらしいわがままを口にしたため、一晩で取り換えさせた代物であった。私としては、前の寝台で眠る怪しい美少女然としたロザリア様の方がよかったのだが、ご本人が非常に喜ばれている手前、泣く泣く諦めざるを得なかった。
足音を消して忍び寄るが、よほど熟睡しているらしく、私の気配に全く気づく様子もない。その穏やかな寝顔に、私はひっそり微笑みを零した。
「ロザリア様、お時間でございます」
「ん……」
「起きてくださいませ」
「………」
「無視をしたって同じ事ですよ」
「死んでます、起こさないでください……」
「では早速ノルデベルゲンの先の峰、サガンの業火にて火葬のご用意を」
「やあ、おはよう!今日はなんてすがすがしい朝なんだ!」
「お昼ですけど」
私の言葉が終わるか終らない内に、埋もれていたブランケットの中から、蒼ざめたロザリア様が飛び起きた。頬は引きつり、口元には涎の跡が残り、髪の毛に至っては鳥の巣状態だ。それでも威厳を保とうと、背筋を伸ばしてベッドから降りたロザリア様は、しっかりとした足取りで歩き出す。
「なにをしているのだ、君。早くしたまえ!」
そして、ベッドの前で、忍び笑いを堪える私に向かって、精一杯威張って見せた。その足が僅かに震えているのがまたおかしい。
――ああ、やっぱり退屈せずに済みそうですわ。
私は元の無表情に顔を戻すと、可愛らしい主の背中に続いた。
「ところで、ロザリア様。塔への行き方を覚えておいでで?」
「あ」