第9話 フローリアのおてんば
時は少し戻って。
昼過ぎの森の中。
俺は眠っているフローリアを背負って、道なき森を駆け抜けていた。
前方には袋を背負ったミーニャが駆けている。
手に持った包丁を素早く振るって、横に這った枝や茂みを切り捨てていく。王女の邪魔にならないようにするための配慮だった。
王女フローリアは俺の背中でよく寝ていた。
疲れていたようで、揺れる大きな胸と共に規則的な寝息が首筋にかかる。
その確かなくすぐったさが心地よかった。
――と。
フローリアが「んっ」と呻いて身じろぎした。ふくよかな胸が背中に当たる。
目が覚めたようだ。
俺は前方を走るミーニャに呼びかける。
「ミーニャ、少し休もう」
「わかった――近くに水のにおいがする」
ミーニャが顔を反らして、くんくんと匂いを嗅ぐと、斜め前に向かって走り出した。
俺も下草を踏みつけてその後を追う。
そしてすぐに小川の流れる少し開けた場所に出た。
大木の傍を清流がちろちろと音を立てて流れている。
俺は大木の傍にフローリアを降ろして背をもたれさせる。
「どうだ? 怪我の方は?」
「問題ありません。もう治りましたわ――ただ、民たちを置いてくることになったのが気がかりです」
少し寂しさをにじませて微笑んだ。美しい顔に疲れが見える。
自身が傷ついたこの状態でも、民の心配をするフローリアは、本当に心優しい人だと思った。
俺はうまい言葉が思いつかず、気軽に言った。
「なに、すぐに取り返せばいいだけだ」
「さすがトラン。頼りにしていますわ」
フローリアは心底信じ切った笑みを浮かべていた。
俺は頷きつつ尋ねる。
「そこでだ、フローリアさま」
「トラン、昔言ったはずですわ。フローリアで構いません」
「わかったフローリア。――でだ」
「なんでしょう?」
「今後、どうする? 俺は山を下りてきたばかりでいまいち状況が把握できていない。近隣の国に助けを求めた方がいいか? それとも、魔王になったハインリッヒを倒しに行くか?」
俺の問いかけにフローリアは眉間にしわを寄せてうつむいた。考え込んでいる様子。
細い顎に指先を当てて、ぽつぽつと話した。
「まだ魔王軍はこの国を完全に支配したわけではありません。国の西、辺境伯の納める一帯はまだ抵抗を続けているはずです。王都が落ちた以上、時間の問題ですけれど……」
「なるほど。西へ行けばいいんだな――ミーニャ、辺境はここから遠いか?」
俺は視線をミーニャに向けた。
食事の用意を始めていたミーニャの猫耳が、ピコッと動く。
手を止めて顔を上げると、日の高い青空の西へ黒い瞳を向けた。
「森を突っ切れば一週間で着く」
「そうか。パンツ魔法を合わせればもっと早く行けるな」
「ん。たぶんそう」
「よし。まずは昼ご飯だな」
俺の言葉に、なぜかフローリアが恥ずかしそうにほほを染めた。
「あの、お願いがあるのですが……」
「ん? なんだ、フローリア?」
フローリアは視線を逸らしつつ、指先をもじもじと絡ませる。
「あ、あの……食事の前に、身を清めたいのですが……」
「なるほど。それは配慮が足りなかった、すまん」
考えてみれば、着替えることもできずに汚れたままだったのだ。
王女と言う身分からしたら、耐えがたいのだろう。
それなら恥ずかしそうにするのも頷ける。
「わかった。俺はたき火の用意をしつつ、周りを見張っている。――ミーニャ、沐浴の手伝いを頼めるか?」
「ん」
ミーニャは素早くリュックを背負うと、フローリアを抱えて茂みの向こうに消えた。
俺は枯れ枝を周囲から集めてきて、燃えやすいように積み重ねた。
さらに手のひらを枯れ枝へと向ける。
「――下着生成」
燃えやすい綿のパンツを作って、たき火に組み込んだ。
それから火打石を数回擦る。火花が散ってすぐに燃え始めた。
「よし。あとは……食事の用意もしておくか」
俺はミーニャが途中で放置していた食材を切っては鍋に入れていった。
ぐつぐつと煮込まれる食材。スープからおいしそうな匂いが立ち上った。
あとは煮込めばいいだろう。
フローリアたちはまだ帰ってこない。
そこで俺はズボンをずらして自分のパンツを見た。
ステータスが浮かび上がる。
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名前:トラン 属性:パンツ
職業:賢者Lv92
戦闘スキル:【パンツ属性魔法:極級】【投擲:初級】
補助スキル:【狩猟:中級】【逃走:初級】【料理:初級】
筋力:C 敏捷:A 知恵:SS
HP:1230 MP:4600
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賢者のレベルが二つ上がっていた。
あれだけ大量の魔物とバルバドスを倒したから当然か。
あと、ずっと走っていたせいか【逃走】なんてスキルを覚えていた。
敵から逃げる確率が上がるらしい。
フローリアを連れて逃げている今は、とても嬉しいスキルだ。
なんとしてでもフローリアを安全な場所まで連れて行こうと決意を新たにした。
しばらくして、フローリアが帰ってきた。
くすんでいた桃色の長髪がしっとりと輝くように濡れている。肌の白さも際立っていた。汚れを全部落としたようだ。
服装も軽装の白いワンピースに着替えていた。
履いているパンツも、清浄なオーラを放っている。履き替えたようだ。
俺は鍋のスープをかき混ぜつつ言った。
「よし。まずは食べよう。食べて少し休んだら、また移動だ」
「わかった」
ミーニャはメイド服を揺らして、てきぱきと動き始めた。
鍋のスープの様子を見て、少し手を加えた。俺の味付けではダメだったらしい。
それからパンに腸詰を挟んで、たき火の傍に置いて焼いた。
肉の油が焼けて香ばしい匂いを立てる。
俺は薪を集めてたき火の傍に積み上げると、フローリアの隣に座った。
フローリアが桃色の長い髪を揺らしつつ俺を見る。
「二人とも走り続けたので疲れていませんか?」
「パンツ魔法のおかげで疲労は少ないな」「ん、大丈夫」
「それはよかったです。わたくしの体調がよければ、花魔法で癒せましたのに」
「フローリアは花属性だったな。回復が使えるのか」
「ほかにもいろいろ。幻惑や眠りの香りを漂わせたり、毒の花粉や、蔓で縛ったり」
「かなり特殊な属性みたいだな」
「ええ、通常の呪文では効果が弱くて……使い方を探るのが大変でしたわ。トランのおかげです」
フローリアは思い出すかのように、ふふっと含み笑いをする。
その笑顔に出会った頃のような懐かしさを感じ、俺は気になっていたことを尋ねた。
「こんな大変な時に聞くのもあれなんだが……俺が学院から逃げ出した後、どうなった?」
「ええ、大丈夫でしたわ。寄ってたかって才能のある子供をいじめて退学に追いやったんですもの。国として正式に抗議いたしました」
「その、……フローリアもいじめられていたが……」
「我が国の大賢者候補であったトランを追い出したのですもの、他国の人たちはやりすぎたとでも思ったのか、わたくしへの嫌がらせはなくなりました。もし、わたくしまで逃げるようなことがあれば、それこそ外交問題ですから」
すみれ色の瞳に凛々しい光りを宿してはっきりと言った。
俺は心の底に残っていたしこりがほぐれていくのを感じた。思わず微笑みながら言う。
「そうか……やはりフローリアは強い人だったんだな。よかった」
「強いだなんて、そんな……」
フローリアは寂しそうな表情でうつむいてしまった。
――褒めたつもりだったのだが、俺は言葉を間違えたらしい。
俺は頭を掻きつつ考えながら、とぎれとぎれに言葉を口にした。
「えっと、すまない。きっと俺が逃げた後で、フローリアは、苦労したんだろうな」
「……そうですわ。頑張ろうにも、色あせた日々を送ってまいりました」
「い、色あせた……よくわからないが、例えばどんな日々を?」
俺の言葉に、フローリアは儚げにほほ笑んだ。
「いなくなったトランのことを、ずっと考えておりました。ただひたすら窮屈な王宮の中で、窓辺から外を眺めているばかりでした」
「そうだったのか……それはすまなかった――ん?」
ふいに視線を感じてミーニャを見た。
ミーニャはなぜか黒い目をまん丸に見開いて俺を――というか王女を見ていた。
気になったので尋ねる。
「どうした? ミーニャ?」
「王女さま、冒険者してたやん」
猫耳を揺らしつつ、呆れた顔でボソッと呟いた。
今までおしとやかな雰囲気を纏っていたフローリアが、急に顔を真っ赤に染めて声を荒らげた。
「な、なに、なにをおっしゃいますの、ミーニャ! わたくしが冒険者なんて、そんなはしたない振舞いをするはずがありえませんわ! おほ、おほほほほ!」
フローリアは口を手の甲で覆って、お嬢様のように高笑いした。
――なんだか、真実味が増したように思われた。
無表情に戻ったミーニャがボソッと呟く。
「――おてんば姫騎士フローラ」
「ちょ、ちょっと! ミーニャ!」
フローリアが意外に素早い動きで起き上がると、桃色の髪を乱しながらミーニャに飛び掛かった。
真っ赤に染めた顔は必至な形相だ。
口を押えられたミーニャは、
「ふにゃ……」
と、もごもごとなにか続きを言っているようだが聞き取れない。
俺は、ふむっと一人ごちる。
――フローラと言うのは偽名だろう。冒険者をしていたのは間違いないようだ。
そして二つ名で呼ばれるぐらい活躍したのだろう。
素直にすごいことだと思えた。
「すごいじゃないか、フローリア。恥ずかしがることじゃない。きっと、庶民の生活を知りたくて、冒険者になったんだろう?」
「えっ! ――ええ! その通りですわ! おほほほほ」
フローリアはミーニャの口を押えつつ、すみれ色の瞳をぐるぐる動かしながら答えた。高笑いで誤魔化すように。
――なんだか追及するのは悪い気がした。
俺は口をつぐんで、たき火に薪を追加した。
それから一息ついた後、たき火を消してフローリアを背負った。
ミーニャも荷物を背負う。
また西へ向けて森の中を走って行った。
次話は明日更新。
→『第10話 ハーピィの苦しみ』




