第6話 王女奪還
爽やかな春の早朝。高い青空を小鳥が斜めに横切っていく。
俺とミーニャは王都を遠くに視認できる丘の上にいた。
王都は高い石壁に囲まれており、周囲には田園畑が広がっている。早起きの農夫はすでに畑に出て作業していた。
少し焦りを感じつつ、俺はしゃがんでいるミーニャに声をかける。
「王都の街門はまだ開いてないな」
「ん。パンとお茶」
肉を挟んだパンと作り置きの冷めたお茶を、にゅっと出してきた。
受け取りながら礼を言う。
「ありがとな。でも、急がなくて大丈夫か? それとも何か作戦が?」
「ん。トランの魔法で壁を越える。門を開ける前に騒ぎを起こせば、門は閉じられたままで魔王の軍勢が入ってこれない」
「なるほど。そういう作戦か。わかった――ミーニャも食べておけよ?」
「ん。がんばる」
ミーニャは小さく口を開けて塩漬け魚をパンに挟んで食べていた。はむ、はむっと気合いを入れてかじっていく。
一生懸命に食べているが、頭の上の猫耳だけは警戒するように、ぴーんと立っていた。
食事が終わると荷物を背負う。
するとミーニャが「ん」と小さくのどを鳴らした。
「どうした?」
「荷物が少し軽くなった」
「そうか。よかったな」
ミーニャが黒い瞳で王都の方角を見る。
「王女様はきっとお城か処刑広間にいる。……でもいいの?」
「なにが?」
「あたし一人で突撃してもいい」
「何を言うんだ――俺は」
ミーニャは黒い瞳を光らせると、俺の言葉を遮って強い口調で言う。
「トランは今ならまだ引き返せる。今ならまだ、平穏な人生を送れるはず。――それでも、行くの?」
ミーニャの問いかけは、日常に戻れなくなるという注意と確認だろう。
ただ俺は、なんだそんなことかと、肩をすくめるしかなかった。
なので思ったままを口にする。
「俺は感じている」
「え?」
「あの高い壁の向こうから、天上の蓮のような、穢れなきパンツの波動を感じている」
「……変態やん?」
「かつての昔、守ると約束した波動だ。彼女は俺を守ってくれたのに、俺は逃げることしかできなかった――平穏な暮らしが何だ! このパンツを失ったら生きる価値を失うも同然! ――あの時の約束を果たすためなら、世界中のパンツを敵に回すことだって辞さない! だから俺は行くとも! 行って王女とパンツを救い出す!」
俺の決意は田園を渡る風に吹かれて消えていった。
ミーニャがボソッと呟く。
「なんでパンツやねん」
「何がだ?」
「ううん。なんでもない――案内するから来て」
ミーニャが黒髪をサラッと揺らして頷く。俺を見る黒い瞳には信頼の光が宿っていた。
「いや、大丈夫だ。汚れなきパンツの波動を目指せばいい」
「……さすがトラン」
「行こう――下着小飛行」
俺たちの体が軽く浮き上がる。
そして全力で駆け出した。
田園風景が後ろへと飛ぶように流れていく。
顔を上げた農夫が目を丸くしていたが、気にせず駆け抜けていった。
ぐんぐんと王都の街壁が近づいてくる。
俺は道の先にある門を避けて畑の中のあぜ道へと折れた。
チラッと肩越しに振り返ると、ミーニャはぴったりとついてきていた。メイド服のフリルが激しくたなびき、めくれたスカートからは細い足が素早く動いていた。
壁の上を見て衛兵が少ない場所を探す。
外壁の真ん中あたりまで来ると人の少ない場所を見つけた。
しかし四階建てはある高さ。
俺は走りながらミーニャに話しかける。
「越えられそうか?」
「にゃ。大丈夫」
しっかりした意志を感じて、俺は前方に集中した。
石を組み上げられて作られた堅牢な壁。いつになく高く感じる。
――これを越えたら、もう後戻りはできない。
だが俺は一瞬の躊躇すら見せず、壁の近くで思いっきり地面を蹴った。
爽やかな朝の青空に向かって飛翔する。
壁が迫る。
俺は壁の上端に手をかけて、勢いよく乗り越えた。
胸壁のある広い壁の上に降り立つ。
振り返るとミーニャも飛んできていた。
ただ、荷物が邪魔だったのか、飛距離が微妙に足りない。
俺は街壁の上、胸壁の間から身を乗り出して手を伸ばした。
その時だった。
鋭い声が街壁の上に響く。
「侵入者だ! 誰か来てくれ!」
俺はミーニャに向かって手を伸ばしたまま、目だけで声を確認する。
視線の先にはトカゲの顔をした男――リザードマンがいた。槍を構え鎧を鳴らして、全力で走って来る。
――やはり王都にも魔王軍の魔物兵士たちがいるようだな。
俺はミーニャの手を掴んで引き上げると、勢いそのままに一回転した速度を加えてリザードマンに向かってミーニャを投げた。
空中でメイド服が激しく揺れる。
「にゃ」
ミーニャは空を飛びながらも素早く包丁を抜き放った。
朝日を浴びて白刃がギラリと光る。
そのまま尻尾をぶわっと逆立てて、リザードマンに襲い掛かった。
「う、うわぁ!」
リザードマンは飛んでくる猫獣人に向かって槍を突き出したが、包丁の一閃が穂先を切り落とした。
続く包丁の一撃で壁の上に鮮血が散る。
一拍置いて、リザードマンは膝から崩れ落ちた。真っ赤な血だまりの中、ピクリとも動かなくなる。
包丁の血を拭って鞘に収めるミーニャに、俺は近づいた。
「大丈夫……そうだな」
「ん。問題ない」
「じゃあ行こう」
騒ぎを聞きつけたのか、魔物兵士がぞろぞろと集まって来る。
俺はミーニャの手を掴んで、壁の上を蹴って街中へと飛んだ。
小鳥のように上空を斜めに過ぎ去る。
眼下には外壁に囲まれた石造りの美しい街並みが広がる。
階層の高いレンガや石造りの建物が多い。
大通りだけじゃなく細い裏路地まで石畳で舗装されていた。
さすが数万人が暮らす王都だった。
パンツフライトの魔法が効いていて、かなりの飛距離を稼いだ。
追手ははるか後方。
「と、飛んだ!」「風の魔法か!?」「あの距離は半端ない魔力量だぞっ!」
後ろの方や街の方から衛兵たちの騒ぐ声だけが聞こえてきた。
俺は無視して大通りに着地すると、王女がいるという処刑広場へ向かって走った。
石畳の上に俺たちの靴音が響く。
ミーニャもメイド服を揺らして後ろをついてきていた。
まばらな人影を軽々とよけて駆け抜ける。
人々は興味がないかのように俺たちをチラッと見るだけで、また暗い顔を地面に向けていた。
そして石畳で舗装された広場へとついた。
高い建物が周囲を囲み、奥には王宮が聳えている。
その手前に一段高くなった舞台があった。
朝日が閑散とした広場を照らしている。
不思議なことに、これだけの広さがあるにも関わらず町人どころか野良犬一匹いなかった。
ただ広場奥の舞台上に、桃色の髪の女性が一人、鎖のついた首輪で縛られているだけだった。
一目見ただけでわかった。
――フローリア王女だ!
十年ぶりに見たフローリアは、想像していた以上に美しかった。
どれだけ成長していようとも、高嶺の花のような可憐な気高さは変わらない。
抑えようもなく俺の胸が高鳴る。
しかし舞台へ近づくにつれて、ひどい仕打ちを受けていることに気が付いた。
着ているドレスは薄汚れ、なだらかだった頬は痩せこけている。
破れたドレスの隙間からは、すらりとした白い太ももが見えていた。
カッと頭に血が昇る。
さらに速度を上げて広場を駆け抜けた。
後ろから「にゃ」と咎めるようなミーニャの声が聞こえてきたが、構ってはいられない。
――守りたかった美しさを、一度は逃げた約束を。俺はフローリアを守りたい!
ついに舞台へとたどり着く。
勢いのままに舞台へと飛び乗った。
一拍遅れて、メイド服の短いスカートを揺らしてミーニャも舞台上へ。
しかし助けるためにフローリアへ近づこうとしたとき、野太い声が広場に轟く。
「はい、来たぜ! 馬鹿二名!」
その声と同時に、広場周囲の建物から魔物の兵士たちが波のように押し寄せた。
あっという間もなく広場が魔物兵士で埋まる。
敵の数は千人を軽く超えているように思われた。
次話は明日更新。
→『第7話 三魔将バルバドス』




