第30話 神のパンツは神を超える
夕暮れの中庭。
魔王ハインリッヒと戦っていた俺は、やられたミーニャを抱え起こした。
しかしそれはメイド服を着た丸太だった。
はっと息をのんで、俺はハインリッヒへ目を向ける。
彼の頭上から下着姿のミーニャが音もなく落下していた。
尖った猫耳に、ピーンと立った猫の尻尾。ガーターベルトが目に眩しい。
ぶつかる寸前、口を真一文字に結んだミーニャが無言で包丁を振り抜いた。
――ザンッ!
黄昏のバルコニーに、真っ赤な血が半円状に飛び散る。
「くっ! なにっ!?」
ハインリッヒが切られた肩口を手で押さえつつよろける。
その隙に、ミーニャはフローリアを奪って横に飛んだ。
そのままバルコニーから中庭へ降りると、残像する早さで中庭の端まで逃れた。
思わず俺は、右手を突き出しながら叫ぶ。
「よくやった、ミーニャ!」
「にゃ」
フローリアを抱えたミーニャが誇らしげに小さく鳴いた。
ハインリッヒが青い瞳に怒りを宿して睨みつける。
「よくもやってくれましたね! 雑魚の分際で!」
「覚悟しろ、ハインリッヒ! このパンツで貴様を倒す!」
俺は虹色に光るパンツを高々と掲げた。
ハインリッヒが傷口を押さえながらも口の端をゆがめてあざ笑う。
「ふはは、バカめ! パンツごときで何ができるというのですか!」
「なんだってできる! 疑うというなら見せてやろう、次元を超越するパンツの輝きを!」
右手のパンツが目を開けていられないほどの眩しい光を発する。
強大な魔力が右手を包む。
さすがの輝きにハインリッヒが目の色を変えた。
「なにっ!? やらせませんよ! 死ね――四元崩壊破!」
ハインリッヒが両手を突き出した。
赤青緑黄の――火水風土を思わせる四色の光――が玉となって飛んでくる。
混じり合いながら激しい電光を発していた。
俺はひるまず仁王立ちのまま、右手の魔法を発動させる。
「神のパンツの偉大さを! 身をもって知り、そして散れ! ――神下着斬撃!」
俺の放った虹色のパンツが巨大な斬撃となって、虹色の光跡を引きながらハインリッヒを襲う。
ガッ――ガガッ!
二人の間で、二つの魔法がぶつかり合った。
四色と虹色の光がせめぎ合う、数刹那の拮抗。
だが、すべてを消し飛ばす激しい音が轟く!
ズガァァ――ンッ!
大気を震わす轟音とともに、俺の魔法が四色の魔法を打ち破った。
さらに俺のパンツが奴の鎧をバルコニーごと切り裂く。
「ぐわぁあああ!」
ハインリッヒは頭から足先まで深い傷を負い、崩れゆくバルコニーの瓦礫とともに中庭へと落下する。
受け身も取れずに地面へ叩きつけられ、辺りに赤い血が飛び散った。
彼を中心に血だまりができていく。
ただ、ある程度、威力が相殺されていたらしい。
顔と金髪を血で赤く汚しながら、怒りで釣り上げた目で俺を見てきた。
「な、なぜです……! なぜパンツごときに……しかも吸収できなかった……私は世界を作った神の力をほぼ手に入れたのですよ……!」
血の池に這いつくばるハインリッヒに歩み寄りつつ、俺は怒鳴るように断言する。
「言っただろう、神を超えたパンツだと! どれだけ魔法属性を吸収したところで、世界を作った神のルールを集めたに過ぎないのがわからないのか!」
「……な、なに? どういうことです……?」
俺はハインリッヒを指さしつつ、滔々と語った。
「教えてやろう! 神が『光あれ』と世界を作る前から、神はパンツを履いていた! 神のパンツは、この世界を作った神のルールの埒外にある! 文字通り、貴様の魔法とは存在する次元が違う! だから貴様がいくら神に匹敵しようと、俺のパンツを吸収しようとしても神のパンツはその上を超えていたんだ!」
「な、なんだと……ッ!」
ハインリッヒが血まみれの顔をゆがめ、愕然と目を見開いた。
少し離れた場所にいるミーニャが、ボソッと呟く。
「理屈はあってるんちゃう?」
「え、ええ……壮大なほら話にも思えますが、それを実践して示したトランはさすがですわ」
フローリアは桃色の髪を揺らしつつ感嘆の吐息を漏らした。
ハインリッヒは血と土にまみれて、苦しげに呻く。
「そんな、ばかな……ならば、あと一つを集めたところで、結局は……」
いい澱む彼に代わって、俺は大声で断言した。
「無駄だったな!!」
「くぅ……! パンツのような下賤な魔法が……!」
歯ぎしりをして悔しがるハインリッヒの苦渋に満ちた表情に、一筋の涙が頬を伝った。泣くほど悔しかったらしい。
そんな彼も次第に震えが弱くなっていく。呼吸も浅い。
俺は見下ろしながら堂々とした声で言い切る。
「貴様の敗因はただ一つ! パンツを恥ずべきものとしてあざ笑ったことだ!――パンツを笑うもの、パンツに泣け!」
「よくも、よくも……!」
ハインリッヒは声に悔しさを滲ませる。ただ血の池は刻一刻と広がっていく。
俺は最後の慈悲を込めて尋ねた。
「パンツに対して悔い改めて命乞いをするなら、助けてやるぞ?」
「だ、誰が……パンツになど……! こんなくだらない世界、消えてしまえええ!」
口の端から血の泡を飛ばしつつハインリッヒが叫んだ。
その瞬間、頭から足にかけての切り傷から黒い光が溢れた。
黒くて暗いのに見ていられないほどに眩しい。禍々しさを感じる。
「なにっ!? なんだ、この光は!?」
戸惑う俺に、イザベルが遠くから叫ぶ。
「逃げろ、トラン! 混沌にむしばまれるぞ!」
「どういうことだ?」
「ハインリッヒは、神に匹敵する力を小さな体に取り込んだ。人間の許容量を越えた法則、質量、ルール。世界を構成する因子が混じり合いながら暴走する!」
「よくわからないが、すごいことになりそうだな?」
「とてつもない爆発が起きるぞ! ――この砦はもうダメだ。今すぐに全員待避だ!」
イザベルの叫び声が砦に響くと、兵士たちが一斉に動き出した。
「やばいってよ!」「逃げろ!」「で、でもどこへ!?」
慌てふためく兵士たち。
フローリアが颯爽とドレスを揺らして俺の近くへ来た。
「行きましょう、トラン」
「逃げるって、どこまでだ?」
「それは……」
ばつが悪そうに美しい顔を曇らせて視線を逸らした。
それだけで極めて危険な状態だと察した。
――神に匹敵する力。
世界を構成する属性そのものを取り込んでいた。
「ハインリッヒの力は、世界を壊すぐらいあるんじゃないか?」
「……その可能性はあります」
「そうか。だったら俺のすべきことはただ一つだ」
「なにをなさるのです?」
「ここは俺に任せてフローリアは逃げてくれ」
フローリアは桃色の髪を振り乱して俺の腕を掴む。
「お待ちください! トランは十分責任を果たしました。トランこそ、逃げてください!」
「ん? フローリアには何か対策があるのか?」
「はい。私の花魔法でバリアを張れば、止められないまでも、衝撃は和らげることができるかと思います」
「バリア? どのくらいだ?」
「この砦を覆うくらいのバリアです。――聖樹防壁ですわ」
「ならばその確率を俺が高めよう」
「え?」
「俺はフローリアを今度こそ守ると誓った。だから任せてくれ!」
「な、何をされる気です……?」
フローリアの戸惑う問いかけに、俺は頭上を指さした。
すっかり日が暮れた藍色の空には、ちらほらと星が瞬き始めている。
「空高く持って行く。その上でバリアを張ってくれ」
「いけません! そんなことをすれば、トランが!」
ぎゅっと掴むたおやかな手に、俺の手を重ねてゆっくりと引き剥がす。
「神を越えた俺のパンツを信じろ――下着強奪」
俺の右手に虹色に光るパンツが現れた。
フローリアは眉を寄せて手を伸ばす。
しかし、それより早く俺は呪文を唱えた。
「――下着飛行」
俺は一瞬で空へと舞った。フローリアの手が空を切る。
すかさず横に飛びながらハインリッヒの体を抱え上げると、一気に上昇した。
「待って、トラン!」
「大丈夫だ、俺を信じろ! ――後は頼んだ」
地上でフローリアがもう一度何かを叫んだ。
でも、空高く飛翔していく俺の耳にはもう、悲痛な声は届かなかった。
どんどん上昇していく。
雲を突っ切り、星空が近づく。
赤焼けに照らされる雲がはるか下に見える頃、俺は体に異変を感じた。
――寒い。息が凍る。
息が苦しい。なぜだ!?
なぜだかわからないが空の高みは空気が薄く、気温も下がったようだ。
それでも俺は上空を目指した。
もっと高く。もっと遠くへ!
急速に夜空が広がり、星の輝きが増えた。
そして遙か西の丸一へ緯線の無効に、沈んだはずの太陽が垣間見えた。
――世界は丸いのか。
新事実に驚きを受けた。
しかし、驚くのもつかの間。
掴んでいたハインリッヒの体のあちこちが、ぼこぼこっと握り拳ぐらいの大きさで醜く膨れ上がった。
――もう、時間がない。
俺はパンツを握る右手にありったけの魔力を込めて叫んだ。
「下着贈与――神下着聖域!」
虹色の眩い光がハインリッヒの体を包んでいく。
その瞬間、ハインリッヒが虚ろな目をしながら微かに呟くのが聞こえた。
「フロー……リア……」
愛しき者へ、すがるような呟き。
そして完全な沈黙。こと切れたらしい。
――ハインリッヒもまた俺と同じように、絶世の美女へ心惹かれたライバルだったのかもしれないな。
俺は、彼に同情心を抱いた。
しかし、彼が死んだことにより、膨れ上がる魔力の激しさが増した。
数刹那、虹色の光が包んでいた遺体は猛烈な勢いで膨れ上がった。
魔力をさらに込めるが、ハインリッヒの暴走を留められない。
「これほどの力とは……――うわぁ!」
ズズン――ッ!
空に虹色の光をまき散らして邪悪な黒い光が爆発した。
俺は音と光と振動によって、急流に落ちた木の葉のようにもみくちゃにされ、意識を失った。
次話は明日更新。
→『第31話 愛する名を叫ぶ王女』




