第29話 最後の戦い
日が暮れていく黄昏時。
山の端に沈みゆく太陽が掛かり、西の空は赤く染まっていた。
辺境伯の砦のそこかしこに、長い影が黒々と伸びている。
中庭を見下ろす砦のバルコニーに、金髪碧眼の青年ハインリッヒと、その隣には縄で吊るされたフローリアがいた。
王女はのど元にナイフを突き付けられている。
ハインリッヒは大きく息を吸い込むと、腹の底から声を出した。
「いい加減起きなさい、雑兵ども!」
魔力の込められた怒鳴り声が広い中庭に轟くと、気絶したままになっていた兵士たちが一人、二人と目を覚ました。
すぐに状況に気が付いて、ためらいがちに言葉を発する。
「あ、あれは……!」「王女様!」「なんてひどいことを……!」
ミーニャもまた、猫耳をぴこっと立てて目を開けた。メイド服のフリルを揺らして立ち上がる。バルコニーにまん丸な黒い目を向けると、ぶわっと尻尾の黒い毛が逆立った。
「にゃ……王女様になにしてるん? 許せへん」
ギリッと歯ぎしりするものの、人質として囚われているので動きようがなかった。
ハインリッヒはおかしそうに、くつくつと笑いながら兵士たちを見下ろす。
夕日に染まる金髪が血のように赤く揺れていた。
「日没とともに、王女の最期と、私が神になる瞬間を見届けさせてあげましょう!」
兵士たちがざわめく。
「なんだって!」「降伏したのに!」「王家の断絶が狙いか!」
「王家? 血筋? そんなもの、どうでもいいのです。私が欲しいのはただ一つ! 王女のすべてです!」
ハインリッヒの大声に、フローリアが、眉間にしわを寄せてうめいた。
「うっ……ハインリッヒ。本当に神になれると思っているのですか」
「ええ、そうですよ。父も兄も、みんな賛同してくれています」
「え? それは、いったいどういう……」
ハインリッヒは恍惚の笑みを王女へ向ける。
「言ったでしょう、一つになると。生前はお互いの無理解もあって争いになりましたが、私と融合してからは、完全な理解者となってくれたのですよ」
「そ、そんなことが……」
ハインリッヒは口の端を釣り上げて笑う。
「すべては私の中で溶け合い、一つになるのです。何もかもが理解しあった、理想の世界。それが私を神の地位まで押し上げる力の源泉にもなるのですよ。フローリア王女、当然あなたもね」
「くっ……! そんな望みは、きっとかないません」
フローリアは唇をかみしめて、睨みながら言った。
しかしハインリッヒはひょうひょうとした表情で、王女の言葉を受け流す。まるで戯言を言われたかのように。
「反発するのも今だけですよ。一つに溶けあえば、きっと理解してくれるでしょう。まあ、助けの来ない最後のひとときを、せいぜい名残惜しむことですね」
ハインリッヒがチラッと西の空を見ながら言った。日は急速に、山の端の向こう側へ沈んでいく。
フローリアは両手首を縛られて吊るされながら、桃色の髪を揺らして顔を上げた。すみれ色の瞳に悲しみの光を宿してハインリッヒを見る。そして呆れたように首を振るとため息とともに言った。
「まるで子供ですわ。なんでも自分の思うままにできると考える子供です」
「なんですって!」
ハインリッヒが、きつい目をして王女を睨む。しかし右手を振り上げたところで西の空をみた。まだ日は沈んでいない。
チッと舌打ちをして手を降ろした。
「日没とともに、花属性の力を私に捧げなさい!」
ハインリッヒはじれたように唇を噛みつつ、西の空を見続けた。青い瞳が夕日を反射する。
そのとき、バルコニーの後ろでガシャッと堅い音がした。
胸当てをした女騎士――ファナが剣を振り上げてハインリッヒの後ろから襲いかかる。気配を殺して隙を窺っていたのだった。
声は出さないが、裂帛の気合いを込めた呼気がヒュッと鳴る。
首筋を狙った死角からの一撃。かわせるはずもない。
しかし、ハインリッヒは西へと顔を向けたまま不敵にフッと鼻で笑っただけだった。
「――炎雷連弾」
彼の足下に放電する青白い玉が複数現れた。
その一つがファナへと飛ぶ。
切りかかる体勢だった彼女は、身をよじって交わそうとしたが、わき腹に直撃した。
「アァッ!」
弾かれたように後方へ吹き飛ばされる。整った顔を痛みにゆがめて床を転がった。
フローリアが悲痛な顔をして呼びかける。
「ファナさん!? 大丈夫ですかっ!」
「フローリアさま……ごめんなさい」
ファナは床に金髪を広げて痙攣しながら答えた。ぱちぱちと電気が放電する。感電したらしい。
ハインリッヒは笑みを浮かべて肩越しに振り返る。
「そこで大人しく、滅び行く王国を見ていなさい」
「ほんとにもう、どうしようもない人なのですね……」
呟くフローリアの声は悲し気に震えていた。
諦めたようにも見える王女の様子に、ハインリッヒは満足げに頷いた。ちらりと西の空を見る。もう日没寸前だった。
「――そろそろですね。愛しいフローリア王女、私の中で一つになりましょう」
ハインリッヒが王女の細いうなじに手をかけた。
彼女は苦痛に顔を美しくゆがませながら、囁くように祈る。
「く――っ。トラン……」
フローリアの絶望した呟く声きが広場に響く。
その瞬間、中庭に男の声が轟いた。
「そこまでだ! ハインリッヒ!」
上空から飛来して中庭に降りた男を、ハインリッヒは見下ろしてチッと舌打ちをした。
◇ ◇ ◇
黄昏の迫る中庭。
俺は地面に降りると、バルコニーにいるハインリッヒを見上げた。
彼は眉間にしわを寄せて不愉快そうな視線で見下ろしてくる。
「トラン……生きていたのですか」
俺は虹色のパンツを握りしめた手を掲げて言った。
「何度だって鮮やかに蘇ってやる! 洗濯したてのパンツのようにな!」
「なにゆーとーねん」
どこかからボソッと呟く声が、風に乗って耳に届く。
たぶんミーニャの声だが気にしない。
ハインリッヒはバカにしたように鼻で笑うばかり。
「パンツごときが戻ったところでなにができるというのです? 何度でも破り捨ててあげましょう!」
俺も鼻で笑って言い返す。
「貴様の能力はもう見切った。俺には通用しない」
「たわごとを。分かったところでどうにもなりませんよ?」
「貴様が神になるのなら、俺は神を見せてやる!」
「なんですって! ――なにか秘策があるようですね?」
「のこのことやられに来るほど馬鹿じゃないんでな」
「ほう。王女を巻き込んででも、というのですか?」
ハインリッヒはニヤリと笑って王女ののどへナイフを突きつけた。
「く――っ!」
――ダメだ。
威力が大きすぎてフローリアまで巻き込んでしまう。
躊躇する俺に気づいたのか、フローリアは美しい顔をゆがめて叫んだ。
「トラン! ハインリッヒは、どのみちわたくしを殺すのです! わたくしに構わず倒してください!」
「し、しかし――」
俺が決断できずに戸惑っていると、ハインリッヒが鼻で笑った。
「ふっ。非常に徹しきれないのが貴様の弱さですね――死になさい」
ハインリッヒが俺を指さした。
それだけで青白く放電する玉が奴の足元から飛んできた。
「なにっ!」
俺は息をのんだ。
すぐにパンツ魔法で防壁を張ろうとした。
しかし、右手に集めていた魔力は、別の魔法に使用していた。
すぐには魔法が使用できない!
しかも雷弾は早かった。
バルコニーから一直線に俺へと飛来する。
「くっ!」
無駄だと分かっていても、身をよじって避けようとした。
――と。
目の前に影が横切った。
猫耳に猫の尻尾。黒髪が横に流れる。
ズガァァァン!
俺の目の前で、両手を広げたミーニャが雷弾を体で受けた。
一瞬、青白い光が爆発する。
「ミーニャ!」
「にゃぁぁぁん!」
ミーニャは体を痙攣させながら、俺の斜め後方の地面へ叩きつけられた。
ハインリッヒの高笑いが響く。
「あはは! 飼い猫が身代わりになるとは、いい気味ですね!」
急いで駆けよって抱き起こす。
「ミーニャ! しっかりしろ! ミー……え?」
しかし俺の腕の中にあるのは、メイド服を着た丸太だった――。
次話は明日更新。
→『第30話 神のパンツは神を超える』




