第28話 絶望の中の光
俺は羽箒のような柔らかい物音を聞いて目を覚ました。
地面に寝ているようで、背中にごつごつした感触がある。
どこか薄暗い場所で、遙か上方に赤やけた一筋が見えていた。
赤い塊の雲が通り過ぎるのをぼんやりと眺める。
――違う、地上じゃない。ここは谷だ。断崖の底だ。
ようやくハインリッヒに負けて谷の底に落とされたんだと思い当たった。
空が赤いのは夕焼けだろう。
夕方になるまで気絶していたらしい。
ゆっくりと上体を起こして、頭や腹を触って確認する。
上着の腹――ポケット辺りに焦げた穴が開いていたが、不思議と体はどこも怪我をしていなかった。
ああ、そうだ。ポケットにはパンツが入れっぱなしだった。
ウィズダの魔法除去パンツのおかげで助かったらしい。
だが立ち上がる気になれなかった。
背を丸めて膝を抱え込む。
膝がしらに顎を載せて溜息を吐いた。
――ハインリッヒには俺のパンツがまったく通用しなかった。もう一度戦っても勝てる気がしない。
フローリアはまだ生きているだろうか。ひどいことをされていないだろうか。
それだけが心配だった。
でも助けようにもパンツでは勝てない。
そもそもハインリッヒの属性はなんだ?
考えれば考えるほどため息が出る。
「いったい俺はどうすれば……」
「目が覚めたか」
ふいに岩陰から声がした。ハスキーな女性の声。
声の主へと目を向けると、ハーピィのゲーラが壁にもたれて座っていた。翼にくるまっている。
「ゲーラが助けてくれたのか」
「貰ったパンツの借りを返したまでだ」
「助かった。恩に着る」
礼を言った途端、俺の腹がキュルルっと鳴った。
――食べなければ、魔力や体力は回復しない。もう一度戦うためにも食べなければ。
俺はゲーラに尋ねた。
「なあ、ゲーラ。俺の背負い袋は落ちてなかったか?」
「これか?」
ゲーラは岩陰から麻の袋を引っ張り出した。
ミーニャから受け取った袋に間違いない。
「それだ。ありがとうな」
袋を受け取って中を見る。
パンと干し肉だけかと思っていたが、布巾にくるまれたパンが一番上に載っていた。
開けてみると、切れ込みを入れたパンに、ソースを絡めた焼いた肉と葉野菜が挟まれていた。
一口かじると、肉の旨味と絡んだソースが口に広がる。うまい。
葉野菜もまた、シャキシャキした歯ごたえで心地よかった。
思わず頬張りながらつぶやいてしまう。
「うん、うまいな、これ」
「うまそうだな……」
美しいゲーラが物欲しそうな目で見てくる。
挟みパンはもう一つあったのでゲーラに渡した。
「遠慮せずに食ってくれ。たぶん日持ちはしないだろうから」
「うむ。そこまで言うなら食べてやろう」
尊大な口調とは裏腹に、目を輝かせて手を伸ばしてきた。
受け取ると、いそいそと包みを広げて肉挟みパンを取り出す。
待ちきれない様子で勢いよく頬張った。
何度か噛んだ後、目を丸くして叫ぶ。背中の翼がバサッと広がった。
「なんだ、これは! とてもおいしいぞ! しかもパンで挟んであるから手が汚れないし、肉と野菜を同時に取れて栄養バランスもいい!」
「なにより歩きながら食べられるのがいいところだな。手軽だ」
「これは素晴らしい――はむっ」
ゲーラは、はしたないぐらいに勢いよく食べ続けた。
翼をパタパタと嬉しそうにはばたかせて。
俺も一口かじってよく味わう。
胃に落ちたパンと肉が全身へと染み込んでいく感じがした。
――少し気力が湧いた。
でも再び戦ったところで勝てそうにない。
勝利への希望を持つためには情報が必要だ。
そのためには……。
口内の残りを飲み込みつつ、魔王の配下であったゲーラをじっと見ながら尋ねる。
「なあ、ゲーラ。ハインリッヒの属性はなんだ?」
「うん? 私の知るところでは、無効属性のはずだが」
「それが奴は俺のパンツをこの世から消した」
ゲーラは俺の言葉を疑っているのか驚いているのか、片方の眉だけを器用に上へ上げた。
「無効ではなく、消滅属性だというのか?」
「そう思ったんだが、その後、奴は火と土の上位魔法を使った」
「なに!? そんな人間、存在するのか?」
「魔王なら複数の属性が使える可能性もあるんじゃないか?」
人知を超えた存在――魔王ならば、そんな芸当もできるかもしれないと考えた。
ところがゲーラはパンを頬張りながら否定する。
「ハインリッヒは魔王であった我が父を倒して魔王になったが、元々強い者が魔王になっただけで、属性まで変わることはない。父も使えた属性は一つだけだった。珍しい台風属性だったがな」
「そうなのか……というか、ハインリッヒに父を殺されたのか」
「――ああ、自らの手で、儀式のように父を殺したよ。楽しそうに笑いながら」
ゲーラが憤りをぶつけるようにパンを激しく食いちぎると、大きく口を動かしてやっつけるように噛んでいた。
逆に俺はパンを食べる手が止まった。
「自らの手で……?」
「そうだ。父だけじゃなく、占領した国の強者も残虐に処刑していったな。自らの手で」
「魔王らしい残虐さだと言ってしまえば、それまでだが……気になるな。処刑ぐらい部下にさせて高みの見物を決め込めばいいだろうに」
俺は再びパンに噛みついた。
ゲーラは興味なさそうにパンを見ながら淡々と答える。
「さあな。魔王の考えていることはよくわからん。残忍さを見せつけて反抗心を削るためかと思ったが」
「そう考えるのが妥当か……いや、まてよ? フローリアを直接殺すことに執着していたな……まさか!」
急な大声に、ゲーラは眉間にしわを寄せて訝しそうに見てきた。
「どうした、トラン?」
「ひょっとしてハインリッヒの属性は、無効でも消滅でもなく、吸収ではないか!?」
「なんだって! ――しかし、吸収してどうなるというのだ?」
「神になると言っていた……神が人間に分け与えた魔法の属性をすべて手に入れたら、そいつは神と同じ存在になったと言えるんじゃないか?」
「そんなことが……いや、でも、そうか。言われてみれば、珍しい属性の者たちばかり処刑していたはずだ。ほぼすべての属性が手に入っていると言える」
「残りはフローリアの花属性か」
ゲーラはパンをかじりつつ首を傾げる。
「待て、トラン。さすがにおかしいぞ? トランの魔法も珍しいパンツ属性ではないか」
「パンツを下賤なものとして馬鹿にしていた。それに服属性や鎧属性を持っていたら、必要とはしないだろう」
――俺はハインリッヒの、最後の一撃を思い返していた。
あいつは爆発の中から現れたとき、確かに鎧を着ていた。
誰かから奪った鎧属性に違いない。
ゲーラは食べながら肯く。
「パンツ属性は進化しなかったのか」
「ああ、パンツを極めて上位属性にしようとしたが果たせなかった。パンツ自体はすばらしいものだが、見くびられても仕方ないと言えるな」
ゲーラが鳥のように、くいくいっと首を傾げる。
「おかしいぞ? 布属性や服属性を極めたからパンツに成ったんじゃないのか?」
「最初からずっとパンツだったよ」
「だったら、そもそもパンツ属性自体が上位属性だったのだろう」
「なんだって!?」
今度は俺が驚く番だった。
ゲーラは最後のひとかけらを口に放り込んでから言う。
「すべての属性は下級中級上級の魔法があり、極めれば属性は進化する。トランはパンツの上級魔法を扱っていたから、もしパンツ属性が下位属性だったなら進化してないとおかしい」
「つまりパンツは、布属性や服属性の上位属性だったのか……いや、パンツ属性が中級の物質魔法から上級の概念魔法へ進化したのかもしれない。だとするなら、ハインリッヒは神にはなれないことになるな」
「すべての属性を集めれば神になれる、という仮説が正しければな」
「奴にはパンツが欠けている。パンツが起死回生の一撃になるかもしれない」
「勝てるのか?」
そこが一番の問題だった。
しかし攻撃が効かないという手品の種が割れたからこそ、対処法があるはずだ。
そう思ったとき、ふいに脳裏にひらめきが走った。
「神――そうか。奴が神になるのであれば、俺は神を超越すればいい!」
「どうする気だ?」
「こうするのさ――下着強奪!」
握り締めた俺の右手が眩しく光った。
手を開くと、虹色に光るパンツがそこにあった。
ゲーラが唖然として口を半開きにしている。
「そ、それは?」
「これが神だ。……ゲーラ、助かったよ」
俺は最後の人口を食べると、立ち上がって服の汚れを手で払った。
ゲーラは首を傾げながら立ち上がる。羽で覆われた翼が優しい葉音を立てた。
「よくわからんが、トランが必勝法を見出したのなら良きことだ」
「じゃあ、行ってくる――下着飛行」
呪文を唱えると、パンツが意思を持った生き物のように上昇を開始する。股間に食い込む痛みさえ、今は心地よい。
崖に沿って上へと飛んでいく。
一度だけ下に目を向けると、ゲーラは俺を見ながら肩をすくめていた。
次話は明日更新。
→『第29話 最後の戦い』




