第27話 魔王と王女
明るい日差しの降る断崖絶壁の上空で、ハインリッヒはドラゴンの背に立ちながら、どんどん小さくなっていくトランを眺めていた。
口の端を上げてあざ笑う。
「どれだけ魔力が多かろうと、所詮パンツはこの程度なのですよ! はしたないあなたにふさわしく、ゴミのように潰れて死ぬがいいでしょう!」
あっはっは、と高笑いしながら砦へと目を向ける。
断崖に面した城壁の上で兵士たちが騒いでいた。
「そ、そんな!」「パンツ様がやられた!」「魔王だ、魔王が来たぁ!」
悲鳴に近い叫び声を上げて、慌てふためく兵士たち。
戦おうとしても火の手が激しく、消火活動にかからねばならなかった。
剣を手に取ることすらままならない。
魔王ハインリッヒは口の端を上げて残忍な笑みを浮かべると、ドラゴンに指示を出した。
「いけ! すべてを私の前にひれ伏させなさい!」
「グガァ!」
ドラゴンは長い首を伸ばして大きく吠えると、翼を広げてまっすぐに砦へと向かった。
消火活動に忙しい兵士たちはほとんど抵抗できない。散発的に弓矢が数本飛んだだけ。
ハインリッヒが右手を軽く振るだけで、矢は糸が切れたように動きを止めて、ぱらぱらと地面に落ちていった。
ハインリッヒを乗せたドラゴンは中庭の中央へと降り立った。
ドラゴンの背を蹴って軽やかに飛び降りる。鎧がガシャッと音を立てた。
すぐにイザベルが鎧を着た騎士たちを引き連れて駆けつける。
ハインリッヒを半円状に取り囲むと、刀身の細い剣――レイピアを抜いて彼に切っ先を向けた。
「ハインリッヒ! わざわざ自分から死にに来るとはご苦労なことだ!」
「出迎えご苦労。降伏して王女の下へ案内するなら命だけは助けてあげますよ?」
ハインリッヒは余裕の笑みを浮かべて前髪をかき上げた。まっすぐな金髪がさらさらと流れた。
イザベルは緑の瞳で睨み付けると叫んだ。
「やれ! 確実に仕留めろ!」
「「「はいっ!」」」
騎士たちが剣を振り上げて飛び掛かる。
しかしハインリッヒは、馬鹿にしたように一つ鼻で笑うと、右腕を振った。
「――全無効!」
たったのそれだけで、騎士たちが膝から崩れ落ちた。
「なっ……」「力が……」「う、動けな――」「にゃ」
少ない言葉を残して、全員が気を失った。
さらに騎士たちだけでなく中庭にいた兵士や妖精たちまで倒れて動かなくなる。
当然イザベルも同じだった。
ただ、軍服を土で汚しながらも、震えながら顔を上げていた。
緑の瞳に激しい怒りを燃やして睨む。
「この力……なんという愚かな」
「黙りなさい!」
ハインリッヒは無造作にイザベルの頭を踏みつけた。
ゴツッと鈍い音がして、イザベルは顔を伏せたまま動かなくなる。気絶したようだった。
ハインリッヒは抵抗のなくなった中庭をゆっくりと横切り、堂々と砦の中へと入っていった。
窓から自然光の入る石壁と石畳の廊下。
ところどころ、木の枝が根のように張っている。
彼は砦内部を進んでいく。
廊下の床や階段には気絶した兵士が倒れていた。
長い足でまたいで越えていく。
そして三階にある客室に迷わずたどり着いた。
扉を開けて中に入る。
白を基調とした広い室内で、窓際のベッドにフローリアが眠っていた。
「護衛の一人もいないとは、落ちぶれたものですね……」
ハインリッヒは一歩踏み出したところで足を止める。
壁に視線を向けて眉間にしわを寄せた。
「んん? まだいるのですか――無効」
ハインリッヒは壁に埋まる木の幹に触りながら魔法を唱える。
すると、壁の中から鈴の音のような可愛らしい声がいくつも響いた。
「ひゃん」「めまいが……」「やられたです……ガクッ」
背中に透明な羽がある小さなメイド妖精たちが、木の幹からこぼれるようにあふれ出る。手には武器代わりのモップやほうきを持っていた。気絶したままバタバタと床に折り重なる。
ハインリッヒは鼻で笑うとベッドへと近づいた。
人の気配に気づいたのか、フローリアが眉をひそめてうめく。
「ん……とらん……――ハインリッヒ! なぜ!」
薄目を開けて寝ぼけていた王女が、すぐに気を取り直して叫んだ。
ハインリッヒはベッドの傍へ来ると、フローリアを見下ろす。自分の胸に手を当てうっとりとした笑顔を浮かべた。
感嘆の吐息と共に呟く。
「ああ、相変わらず美しい、フローリア王女……。私の名前を憶えていてくれて光栄ですよ、ふふふっ」
「忘れるものですかっ! 父も母も、あなたの手によって亡き者にされたというのに!」
王女の言葉にハインリッヒは大げさに肩をすくめて驚く。
「おや、奇遇ですね。私の父や兄も魔王ハインリッヒの手によって処刑されたんですよ」
「なにを他人事のように。ご自分で地位を簒奪したのではありませんか!」
「それもすべてはあなたを手に入れる為なのです」
彼の言葉に意表を突かれて、フローリアは驚きで目を丸くした。
「えっ?」
「どうです? 私の妻になるというのなら、命だけは助けてあげますよ?」
「お戯れはやめてください。そのような人ではないでしょう」
フローリアは嫌悪感も露わに眉間に深いしわを作って答えた。
しかし、ハインリッヒは端正な顔に子供のような笑みを浮かべて言う。
「そんなことはありません。子供の頃からお慕い上げておりましたよ。必ずやあなたを手に入れると誓っていたぐらい。――どうです、少しは心動きましたか?」
「世界を混乱と被虐に陥れておいて、なにをいうのですか!」
「ふふっ。そう言うと思っていましたよ。みんなそうです。私の望むものは与えない。本当の望みはかなわない。テルティア王国との政略結婚が決まったものの、あなたの相手は兄になった。どれだけ掛け合っても拒否される。地位がどうの、格式がどうのと相手にされない」
「だからご家族を排除したというのですか?」
「話し合いが平行線なら力尽くで手に入れるしかないでしょう?」
満面の笑みで答えるハインリッヒ。
フローリアの眼は見開かれ、長いまつ毛が恐れで震える。
「……まさか、魔王になったのもそのためだと言われるのですか?」
「ええ、所詮は第二王子ですからね。私の意志で動かせる騎士が一人もいない。魔王の一人を倒して、その部下を丸ごと奪わないと皇帝の地位は得られなかったのですよ」
「ならば世界征服などしなくてもいいでしょうに」
「ふふっ、周辺国が愚かなのですよ。力で簒奪した地位など認めないと、テルティアとの政略結婚もなかったことにするなんて言うのですから。力で願いを叶えるしかないでしょう?」
狂気じみた笑みを浮かべるハインリッヒ。ゆっくりと彼女へ手を伸ばす。
フローリアは焦りと戸惑いの表情を浮かべてベッドの上を後ずさる。ただスミレ色の瞳には理知的な光が点っていた。
「ですが、おかしいですわ」
ハインリッヒの手がぴたりと止まる。
「なにがでしょう?」
「百歩譲ってわたくしを手に入れるためだったとしましょう。でしたら、わたくしを処刑するのは目的に反していますわ」
ハインリッヒが突然笑い出す。
はじめは前屈みに、しだいに胸を反らして。
「ふふっ、ふふふ、あはは! ――だってあなたは私のことなど一生好きになってはくれないんでしょう?」
「当たり前ですわ。誰があなたなんかを夫と認めるものですか」
「だったらもう、あなたを殺してすべてを手に入れるしかないですよね?」
「えっ……いったい、どういう意味でしょう……?」
ハインリッヒは伸ばしていた手を引っ込めて自分の胸に当てる。
「一つになれるんですよ、私の中でね。私は神に等しい力を持っているのですから」
「神、ですって……ばかげていますわ」
「私をそこらの凡人と一緒にしないでいただきたいですね。選ばれし者なのですよ。まあ正確には『神に匹敵する存在』にもうすぐなれる、と言っておきましょうか」
「そんな野望、トランが打ち砕いてみせますわ」
「トラン? ああ、あのはしたないパンツ男ですか。無駄な抵抗をしたあげく、ゴミのように落ちて死にましたよ?」
おどけた表情ながらも吐き捨てるように言い切るハインリッヒ。トランの名を口にするもの嫌そうだった。
フローリアは桃色の髪を乱して慌てる。
「そ、そんな! 嘘ですわ! トランが死ぬはずありません!」
「首でも持ってくればよかったですね。まあ、信じないなら、死の瞬間まで助けを待ってるといいでしょう。無駄にね!」
あははっと心底バカにして笑うハインリッヒ。
フローリアは整った顔を青ざめさせながらも、気丈に言い放つ。
「私は待ちます。信じていますから。待つのは慣れましたもの」
「ふふっ、その勘違いはいつまで持ちますかね? 儀式は夕方からで――おっと、そうそう」
ハインリッヒはおもむろに手を伸ばすと、素早くシーツをめくりあげた。フローリアの白くすらりとした足が露わになる。
「な、なにをされるのです!」
「また逃げられたら困りますからね――無効!」
ハインリッヒは手のひらをフローリアの足に向けて叫んだ。足から力が抜けてベッドに横たわる。
「あ、足が……」
フローリアは下半身を動かせず、露わな姿のままベッドに横たわるしかできない。
それをハインリッヒがとろけるような笑みで見下ろす。
「ふふっ。少しは諦めましたか? あなたの美しい顔が絶望に染まる瞬間を楽しみにしていますよ」
くっくっくっとおかしさをこらえきれずに笑いながら、ハインリッヒは部屋を出ていった。
ベッドに横たわったフローリアは、シーツの端をぎゅっと掴む。
「トラン……助けて……お願い」
そうつぶやくように祈ると、悔しさと悲しさの混じった顔に桃色の髪がはらりと垂れた。
◇ ◇ ◇
部屋を出たハインリッヒは廊下を悠々と大股で歩いていく。
心なしか足取りが軽い。
楽しそうに金髪が揺れ、端正な顔は抑えきれない笑みが唇の端にこぼれている。
中庭に出ると明るい日差しが降っていた。
大勢の兵士やエルフたちがまだ倒れている。
火事は燻っていたものの、ほぼ消えかけていた。
ハインリッヒはその状況を見て、整った顔を大げさに歪める。
「これは少し困りましたね。せっかくの儀式、それも美しい王女の最後と、私が神になる瞬間を見物する客がいないではありませんか」
細い顎に手を当てて考え込む。
――今の間に、中庭を見下ろすテラスかバルコニーに王女の処刑台を作ってしまいましょうか。まあ、本来なら王都でやる予定だったので、仕方ありませんね。今日を逃すと月と星の位置関係から一年後になってしまいます。
ハインリッヒはもう一度、倒れている人々を眺めた。
エルフに妖精、幻獣に魔物。
――王都ほど人はいませんが、種族は豊富ですね。様々な種族の、絶望に打ちひしがれる顔がみれて面白いかもしれません。
その状況を想像して、くくくっと含み笑いをした。
――と。
ふとハインリッヒが中庭の端を見ると、黒いドラゴンが焼いた肉を片っ端から食べていた。
彼が乗ってきたドラゴンだ。
肉を平らげると豚の丸焼きの傍へ移動して、また大口を開けてかぶりつく。
とかげのように長いしっぽが嬉しそうに左右に揺れている。
半分ほど食べた頃、テーブルの上に乗った瓶に気が付いたようだった。
ラベルには甘辛ソースやハーブソルトと書かれている。
ナイフのような鋭い爪で器用に瓶を持ち上げると、焼けている豚に掛けた。
そしてかぶりついたとたん、ドラゴンは皿のような目を丸く見開いた。
「くきゅー! がぁ!」
おいしかったのか、目を細めて何度もかぶりつく。
尻尾がぶんぶんと音を立てて激しく揺れた。
ハインリッヒは眉間にしわを寄せると不機嫌そうに声を荒らげる。
「なにをしているのです。処刑台を作る手伝いをしなさい」
「ぎゅ~」
ドラゴンは不満そうに牙をのぞかせて唸ったが、豚の丸焼きから離れた。
そして、ふてくされたようにのっしのっしと歩いてハインリッヒに従った。
次話は明日更新。
→『第28話 絶望の中の光』




