第11話 名もなき花はない
薄暗い曇天から、しとしとと針のような小雨が降り続く。
木々の葉に当たって細やかな雨音を立てている。
朝からずっと雨だった。
西に移動していた俺たちは北へと進路を変えて、山裾にある洞窟に避難している。
俺はたき火に向かって座り、傍にはフローリアが防寒代わりの敷布を被って横になっていた。桃色の髪は豊かに広がり、浅い息を繰り返すたびに大きな胸が揺れていた。
ミーニャはいなかった。
俺はたき火に枯れ枝をくべながら思う。
――困ったことになった、と。
雨が困りごとではなかった。
フローリアが熱を出したのだった。精神的にも肉体的にも辛い状況の上、夜通し走る俺の背に乗っていたのだから、体調を崩すのは当然といえた。
王女に野宿させたくなくて辺境伯のところへ急いだばっかりに、余計な負担がかかったのかもしれない。
もっと気を遣うべきだった。
しかもフローリアの花魔法は癒しの効果があるのだが、自分自身には使えないらしい。その分、すべての効果が強力だそうだが……。
今一番治して欲しいのはフローリアそのものなのに。
俺は回復を祈るしかなかった。
自分の至らなさに後悔していると、外に出ていたミーニャが草を持って帰ってきた。
入り口で立ち止まると目をつむって頭の先から尻尾の先まで、全身をぶるぶるっと振るわせる。黒髪とメイド服が激しく揺れて水滴が弾かれた。まるで猫だった。
「あったか?」
「ん。薬草」
ミーニャは手に持っていた濃緑の薬草を、にゅっと俺の方に向かって着きだした。
俺は感心して頷く。
「山で時々食べてた草だ。薬草だったのか。――よくわかったな」
「メイドだから」
淡々と答えるが、鼻息が荒い。得意げになっているようだった。
てきぱきと動いて、薬草を包丁で刻んで小さな鍋に入れていく。
しかし水筒を取り出したところで動きが止まった。
ミーニャは水筒を頭の上で振ってから淡々と呟く。
「水がない」
「それはやばいな。近くに水源はあるか?」
「さっき見つけた。汲んでくる」
ミーニャは水筒と鍋を持つと、しなやかに足を動かして洞窟を出て行った。
またフローリアと二人っきりになる。
雨音の微かな音は湿った大気に吸われるためか、とても静かだった。
身じろぎする音の方がよほど大きく感じる。
時々、俺はフローリアの額に載せたパンツを取ると、水を入れた桶に付けて絞り、またパンツを額に載せた。少しでも熱が下がるようにと祈りながら。
――と。
寝ていたフローリアが「んっ」と呻いた。長いまつ毛を震わせて、ゆっくりと大きな目が開かれていく。
俺はできるだけ優しい声をかける。
「起きたか?」
「あっ……トラン……」
どことなく心ここにあらずと言った返事。ぼーっとしているように思われた。
「まだよくなさそうだ。無理せず寝てていいぞ」
「すみません……」
「何を謝る必要がある? いろいろ大変だったんだ。体調を崩す方が普通だ」
「ありがとうございます」
フローリアは身じろぎをして寝返りを打つ。横寝になって俺を見る。たれ目がちの瞳から透明な涙があふれて、なだらかな頬を伝った。
俺は驚いて膝立ちになると、フローリアににじりよった。
「どうした? どこか痛むか?」
「いえ、夢を見ていました」
「夢?」
「はい。魔法学院で、どれだけ探してもトランがいないのです……」
「――すまない」
俺はがっくりと肩を落とした。逃げ出した俺が全部悪い。責められても仕方がない。
しかしフローリアは手を伸ばして俺の手を握った。ほっそりした指が熱っぽい。
「違います。泣いたのはうれしくて……目を開けたら傍に……」
「え?」
「だってトランが傍にいるのです。約束を覚えていてくれて……本当にうれしくて」
「忘れない。忘れるわけがない」
俺は力強い声で言った。
フローリアは熱に潤むスミレ色の瞳で思い詰めたように俺を見つめる。長いまつげが震えていた。
「ああ、トランっ。わたくし、がんばりましたのよ。一人のときも、国のためにもっ」
気弱になっているなと思った。無理もない。
俺は優しく華奢な手を握りつつ慰めた。
「俺が来たからもう大丈夫だ。今はただ、ゆっくり休むことだけを考えればいい」
「はい……トラン」
フローリアは身じろぎをして寝やすい体勢を取る。
しかし、肩を両手で抱えつつ華奢な体を振るわせた。顔色が良くない。
俺は右手に魔力を集中しつつ話しかける。
「寒いか? ――百下着生成」
百枚のパンツが空中に生まれた。ふわりふわりと舞い落ちながら、フローリアを包むように積もっていく。
熱にあえぎながらも、フローリアがくすっと笑う。
「パンツに包まれるなんて、初めての経験ですわ」
「それはよかった。癒しの効果がある特別製だ。暖まるといい」
「ありがとうございます」
ぱちっとたき火の火がはぜた。洞窟の壁に落ちる俺の影が、黒く大きく揺れ動く。
洞窟の中の静けさが増したように思われた。
横になったフローリアが吐息とともに呟く。
「こんなときに熱を出すなんて……トランが来てくれましたのに」
「何を言うんだ。フローリアはそのままでいい。あとは約束を果たすために来た俺に任せろ」
「――それだけですか?」
熱に潤むすみれ色の瞳が妖しい輝きを持って俺をとらえる。
俺は答える代わりに、大きく息を吸い込んだ。
――言えなかった。約束以上に大切な思いがあることを。
視線を逸らしつつ、独り言のように呟く。
「俺は一度逃げた男だ。俺のパンツに自信はあっても、自分自身には自信がない」
「そう、ですか……」
目を閉じながら力なく呟くフローリア。弱々しい声が、ひどく悲しげに響いた。
胸が締め付けられる思いがした。けれども俺は農民であり、まともな教養も受けずに山で育った獣だ。身分が違いすぎる。
――いや、俺に覚悟がないだけか。
パンツ属性のためにフローリアに迷惑をかけたことは、俺の中で大きなしこりとなって残っていた。
どれだけパンツは素晴らしいものだと説いたところで、一朝一夕には偏見の目を変えられないだろう。
――どうすればいいのだろうか。
赤々と燃えるたき火を見ながら考えても名案は浮かばない。
どんどん気が滅入って落ち込む俺に、フローリアの優しい声が耳に届いた。
「でもね、トラン。あなたでしたのよ、わたくしを救ってくれたのは」
「救う? ああ、その通りだ。パンツを極めた今、何度でも救ってやる」
「いいえ、ちがいます。昔も」
「昔? 逃げ出してなにもできなかったはずだが……」
フローリアは夢見後ごちのように目を閉じたまま微笑む。
「王家の血筋でありながら雑草しか生やせない属性だと絶望したとき「花が咲いてるよ!」と見い出してくれたのは、あなたです。花の名前をいくつも教えてくれて……進むべき道を照らしてくれた気がしました」
「そうだったのか。よく覚えていないが、母に教えてもらった薬草や食べられる草の知識だな」
言い終えてから、忘れていた記憶をふいに思い出した。
学院の自室でフローリアの属性魔法を初めて披露してもらった時のことだ。
彼女のほっそりした足元を中心にして、まあるく緑の雑草が生えた。
淡い紫をした一輪の小さな花を見つけた俺は「これはすみれだよ!」と自分のことのように喜んだ。
そして「これは木イチゴ、これはアマヨモギ、これはナール。全部おいしいんだ!」と、俺は嬉々として教えていく。
フローリアは驚いていたが、俺は『まだ習っていない草花の知識を知っていることに王女は驚いているんだ』と単純に考えていた。
そんなことを思い出していると、側で寝ているフローリアが眠そうな声で言った。
「そう、です。名もなき雑草、なんてものはなくて、一つ一つにちゃんと名前があって、形の違う、色とりどりの、花が咲く――と教え、てくれ、ました」
「そうか、役に立ててよかった」
俺は王女に辛い想いしかさせていないと思っていた。でも俺の存在自体が王女の心の負担を軽減していたんだ。それがわかっただけでも、俺は少し救われた気がした。
そのとき、ふと王都で勝利したあとの、人々の歓声を思い返した。
偏見を持たれているパンツ魔法が喝采を浴びた瞬間だった。
――ひょっとしたら、この戦いの中で偏見の目を変えられるかもしれない。
俺は意を決して口を開いた。低音の、ひどく乾いた声が出る。
「もし、もしもだ。魔王を倒して王国を救ったら、そのときは――」
しかしフローリアを見ると、彼女はすうすうと寝息をたてていた。
俺は言い掛けた言葉を飲み込むと、代わりにため息を吐いた。
そしてまた彼女のために、たき火に枯れ枝をくべるのだった。
次話は明日更新。
→『第12話 三魔将ゲーラ襲来!』




