第45話 琴音視点 恋の始まり
また場面が変わった。
今度は私が用事から帰ってきた時だ。この時は秀ちゃん――秀之介様が、浅太郎と浅次郎に陰陽術を教えているところだった。
私は門からそっと顔を出して、こっそり覗いた。
「浅太郎、浅次郎。この術――誰に教わった?」
「秀之介様……こ、怖いです」
「誰に教わった?」
「大旦那様です」
「やっぱりか。娘が大事とはいえ、こんな術を教えるなんて……」
「でも琴姫様を守るためには必要だと……」
「僕達、琴姫様に命を救われたんだ。だから命に代えてでも守るんだ!」
「……はぁ。わかったよ」
秀之介様は深く息を吐いた。
「でもこの術はな。本当に最後の手段として使いなさい。使わないと琴姫様も自分達も死んでしまう。そんな状況でないと使ってはダメだよ」
二人の顔が泣きそうになった。想像してしまったのだろう。最悪の状況を。
「琴姫様が悲しむからね。いや、どんな状況だろうと、琴姫様は悲しむよ。だから本当は使って欲しくないんだ」
「本当に……悲しんでくれるのかな?」
「あぁ。悲しむ。僕も悲しむ」
「秀之介様も悲しむの?」
「あぁ。大事な弟子が堕ちる姿なんて、見たくない」
「わかった! なら本当に最後の時にしか使わない!」
「ぼ、僕も……」
「僕がそんな状況を作らない。琴姫様もお前達も守ってみせる。だから安心しろ」
秀之介様は、浅太郎と浅次郎の頭をガシガシとなで、その後抱きしめた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
その夜、私は自室で灯を落とし、ひとり膝を抱えていた。
浅太郎と浅次郎の言葉が、耳の奥に残って離れない。
――だから命に代えてでも守るんだ!
――本当に悲しんでくれるのかな?
そして秀之介様の言葉……
――大事な弟子が堕ちる姿なんて見たくない
呆然とした。
お父様があんな術をあの子達に教えていたなんて。
秀之介様は本当は優しい人だった……
私が見てないところでもちゃんと優しかった。頼もしかった。誠実だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
また場面が変わった。
翌朝。女房の小夜が、落ち着かない足取りでやってきた。
手には、小ぶりの箱がひとつ。艶のある黒漆に、細い金の線で草花が描かれていた。
「琴姫様、こちらを……秀之介様からです」
「……秀之介様が?」
小夜は頷くと、箱をそっと両手で捧げた。
蓋を開けるより先に、かすかな甘い香りが鼻をくすぐった。梅でも橘でもない。もっと静かで、深い匂いだ。喉の奥まですうっと染みてくる。そんな優しい香りだ。
「香……?」
「ええ。香箱にございます。琴姫の御袖に、邪が寄らぬようにと」
邪。その言葉を聞いたとたん、浅太郎達の言葉を思い出し、胸の奥が冷たくなった。
箱の中には、小さく丸めた練香が二つ。布に包まれて糸で結ばれていた。色は淡い藤。私の好きな色だ。
ただの練香じゃない。邪を払い魔を退ける呪術が込められていた。
――僕がそんな状況を作らない。
私は香箱をそっと閉じ、その重みを確かめた。
不思議だ。触れただけで、胸の奥のざわめきが静まっていく。いや、もっと別の温かいざわめきが沸き上がってきた。
「秀之介様……」
その日から私は少しずつ心を開いていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
また場面が変わった。ちょっと時が過ぎて、私と秀ちゃんの距離が少しずつ縮まっていった頃だ。
平安時代の男女ってデートしたりしないんだよね。直接的なことも言わないし……。秀ちゃんが結構グイグイ来たのって、平民だったからかな?
今度は夕餉の後、二人で縁側に出た時だ。絶対二人とも雰囲気に酔ってた。恥ずかしくて見ていられないけど、目も耳も離せない。
秀ちゃんたら、前世でも私のこと好きすぎでしょ! あぁ! もう! たまらないよ! ドーパミンだっけ? もう脳汁出まくりだよ。でも夢から覚めたくない! 落ち着け私! ここからはすっごく甘い展開だよ!
脳汁が出てるのは今の私で、夢に出てくる琴姫は、すっごくしおらしくなってる。私が私じゃないみたい。
……平安時代の言葉って難しくて、夢の中で脳内変換されてるんだよね。現代の私でも理解できるように。
前世の私は、もっと丁寧で優しい話し方をしていた。前世ってさ、私であって私じゃない。だからしゃべり方も考え方も違うとは思うんだけどね。まぁそれは置いといて。
ちょっとだけ脳内変換を少しだけ外してみよう……白昼夢だからできること!
こっちの方が雰囲気でると思う!
「月も霞んでいるというのに、あなたの気配だけは、はっきりと感じられる」
「そんなこと言わないでください。誰かに聞かれたら困ってしまいます」
「これほど穏やかに申していては、僕の思いの深さは伝わらない。どうか僕の思いを見届けて欲しい」
「不思議です。どうしてそんなに熱いのかしら? 本当は嘘ではなくて?」
「嘘じゃない。月の光さえも、あなたの前では影のようだ」
「ああ嫌だわ。そんなこと言って、月も聞いて嫌がるわ」
「嫌がるどころか、いっそう澄んであなたを照らそうと思うでしょう。月もまた、あなたを美しいと感じているに違いない」
「そんなこと言われたら困ってしまいます。恥ずかしくて顔を上げられません」
「顔を見ずとも、その声を聞けば、あなたの心はよくわかります」
「嘘です。そんなことで、人の心なんてわからないわ」
「それでは今夜の月も、あなたの言葉を聞いているかもしれませんね。それならば、月とともに――あなたを恋い慕う身となりましょう」
「罪を多き方。月まで巻き添えにするなんて」
私も秀ちゃんもくっさい! 臭すぎるよ! でも平安時代の男女ってこんな感じなんだっけ? 直接好きって言わなくて、和歌を書きつけた恋文を送ったり、贈り物をしたり。秀ちゃんは平民だったからかな、最初は結構直接的なこと言ってたけど、段々と貴族のやり方を学んでいったんだ。
秀ちゃんって時々、恥ずかしいことを平気で言うけど、この時からそうだったんだよね。
もう魂がそういう作りになってるのかな?
だから私は秀ちゃんから離れられないんだよ。目が覚めたら、私からも秀ちゃんにいっぱい好きって言っちゃおう!
忘れていなければ……




