もう繋がない手
それは、たろうを連れて受験会場に向かっている時だった。
お母さんと手を繋ぐ子、腕を組んでいる子がちらほらいるのに親子二人で驚いた。……私とたろうは手を繋いでいない。いつの間にか、それが当然になっていた。
独立心旺盛な上の子と違って、たろうはとても甘えん坊な子だった。私自身も甘ったれだったから似たのだろう。上のはなと比べると頼りなくて、「大丈夫かな、この子?」と思う事がしばしばだった。
(この子は栄養と同じくらいスキンシップが必要なんだろう)
そう思って、いっぱい抱き締めて、手を繋いだ。思い残す事はない位に。
中学受験はたろうと過ごす最後の濃密な時間だった。善くも悪くも。
辛い期間を超えて、私は息子に対して「この子は大丈夫」と思う様になっていた。中学受験は私の子離れの期間だったのかもしれない。
何年もたった今、思う。進学、就職、独立とたろうの人生はこれからも続く。大丈夫だと思ってもやはり心配だ。かと言って私が代わる事は出来ないし。
たろうの人生のプレイヤーはたろう自身。
親の目には、無謀にも前途多難にも見えてもそれが彼の幸せなのかもしれない。私は彼ではないし本当の所は理解できない。せめて受け入れられる度量を持ちたい。
だから、後ろでわたわたしながら余計な事を言わずに見守る。
これが、私の課題であり続けるのだろう。そして中学受験の時に聞いた洋楽を何回も聞き返して、あの時のやらかしを思い出す。戒めとして。
最後に洋楽の話で締めようと思う。
――たろうの中学受験が終わり落ち着いた頃、私はある曲に出会った。
Sia & David Guetta の「Floating Through Space」 。その中の一節。
~♪~
24時間、365日(24/7 and 365)
ずっと 君は
日々を乗り越え
生き延びてきた
~♪~
スランプに耐え、盆暮れ正月関係なく勉強した息子と重なった。
この曲、こんな感じで始まる。
~♪~
今日も乗り越えた君。
君はやりとげたんだ。
さあ、お祝いしよう
~♪~
この曲がたろうへのささやかなプレゼントに感じた。
思いの外、長くなった「受験を洋楽で乗りきった話(主に親が)」にお付き合い頂きありがとうございます。
これにて完結です。




