第1話:目覚めの地は、煉獄か異世界か
漆黒の闇が少しずつ薄まり、意識が、泡のように浮かび上がってくる。 小松原拓斗の感覚は、まるで水底から必死に呼吸を求めて浮上するようなものだった。
――深い眠りから目覚めるその瞬間、まぶたが重く、体が異常に硬い。
《……眩しい……?》
ぼやけた視界が焦点を結ぶ。目の前に広がるのは、常識では理解できない光景だった。
天井は、高くうねったドーム状。その内側は複雑にねじれた岩盤で覆われていて、赤い脈動が走っている。 それはまるで、空そのものが巨大な臓器のように、脈打っているようだった。
地面には無数の裂け目。そこから立ち上る蒸気と、煮えたぎる溶岩。 赤黒い熱流が唸るような音を立てて流れ、周囲は常に焦げたような空気に包まれていた。
《……ここは……地下か……? いや、広すぎる……まさか、俺……死んだ……?》
記憶を辿る……確か爆風で吹っ飛ばされて…。 いや、夢なのか……ただ、ここが“現実”ではないと直感するには充分すぎる異様な空間だった。
目の前には、一本の石の道。幅は1メートルほど。 それは真っ直ぐ溶岩の上を横断するように伸び、道の突き当たりには四角く輝く――“光の壁”が浮いていた。
その前に、うっすらとした人影。否。よく見ると、それは“緑色の生物”だった。 ごつごつした皮膚、低い身長、丸まった背中。――ゴブリン。
《地獄か? それとも夢か……?》
彼は思わず身を引き、背後へと振り返る。 すると、巨大な岩壁の前に、一枚の鏡が立っていた。まるで、そこだけが異世界の入り口のように静かに佇んでいる。
その鏡に映っているのは――拓斗自身ではなかった。
緑色の肌。鋭く尖った三本の指。獣のような黄色い瞳。 どこから見ても、醜悪なファンタジーの敵モンスター、“ゴブリン”。
《……は?》
拓斗は、ゆっくりと自分の頬に手を当てる。 鏡の中のそれも、同じように頬に手を当てる。
まぎれもなく――自分だった。
《俺……ゴブリンに、なってる……?》
現実的な恐怖がじわじわと心を侵食する。
指を見下ろすと、確かに三本。太くて短いが、力はある。 皮膚は硬くザラつき、体全体が異様に軽い。そして身長は、150センチもない。
脳裏に浮かぶのは、無数のRPG。 異世界転生。敵キャラとしての転生。冒険者に斬られる側。弱者の代名詞。
《転生って……マジかよ。でも……これは、夢にしてはリアルすぎる》
溶岩の熱、空気の重さ、足元の重力。 すべてが“現実”だった。
拓斗が再び光の壁を見つめる。先ほどのゴブリンはすでにその壁の中へと姿を消していた。
《先に生まれたやつ……ってことか》
そして、鏡の前を見ると――新たなゴブリンが生み出されていた。 鏡の中から、規則的に個体が現れる。まるで、自動生成装置のように。
《やばい……この場所、長居するのは危険すぎる。後から生まれたやつと敵対する可能性もある。逃げるしかない》
新しく生まれた“後輩”は、すでにこちらに気づいていた。 黄色く光る目がギラギラと動いている。
《……選択肢はない。光の壁の向こう。それだけが生き延びるルートだ》
拓斗は深く息を吸い込み、自分の体を一度見下ろす。 自分の体ではないのに、違和感はない。不気味なほど、しっくりきている。
そして――覚悟を決める。
《地獄だろうと、異世界だろうと……行くしかねぇか》
彼は一歩を踏み出した。
溶岩の熱風が揺らぎ、まっすぐな道の先に浮かぶ光の壁が、彼を飲み込もうとしていた。