4月20日〈ルート共通イベント・幕後〉①
前話までの〝裏話〟ターンです。
「白雪ちゃん……! 聞いたよ、大丈夫だった!?」
荷造りの手を止め、そろそろ食堂へ行こうかと伸びをした瞬間、自室のドアがもの凄い勢いで開かれた。思わず伸びをしたまま固まり、顔だけをドアの方へ向ける。
「千照さん、そんなに慌ててどうされました?」
「どうされました、じゃないよ! お風呂場のお湯を出しっぱなしにしてたって責められて、退寮危機だったんでしょ?」
「えぇ、まぁ。ですが、割とすぐに解決しましたから」
「生徒会長と風紀委員長が助けに入った、って話は聞いたけどさぁ~」
「そちらのお二人もですが、飯母田先輩が全面的にわたくしの味方をして、助けてくださいましたので。吊し上げるような取り調べを大勢の前で受けたことは納得できていませんが、改竄されていたとはいえ、防犯カメラの映像上〝最後〟だったわたくしが疑われたのは仕方のないことと、その点は受け入れております」
「むー……白雪ちゃん、お人好しすぎるよぉ」
唇を尖らせる千照はこの上なく不満そうで、それが見て取れる辺り、彼女はお嬢様にあるまじき素直さと豊かな感情を持つ人だ。特別寮の七人から密かに精神状態を心配されている千照のことが、白雪は実のところ、さほど嫌いではない。前世も今世も腹の探り合いがデフォルトだった白雪にとって、千照のように素直で内実が見えやすい相手は、とても安心して付き合える。
「わたくし、千照さんが思うほど、お人好しではありませんよ? 風紀委員会には、今回の件の再発防止策と、わたくしの取り調べの中心人物だった方の処遇について、きっちり筋を通すようお伝えしておりますから」
「いやそれ、フツーに正当な主張だからね? 犯人確定なら酷い扱いしても良い、なんて非道が罷り通ったら、どうしようもない事情を抱えて規則違反するしかなかった人たちの更生の道が閉ざされちゃう。学園のためにも、その主張は絶対必要だよ」
「そう、ですよね」
とはいえ、今回の件に関しては白雪が詰めるまでもなく、風紀委員トップが狩野な時点で、きっちり白黒つけるだろう。つむぎがあれほど激怒していたのだ、狩野にとっては最速で対応すべき最重要案件のはず。任せておけば、ひとまず問題ない。
「それで……水出しっぱに対する疑いは晴れたけど、やっぱり、白雪ちゃんは特別寮へ引っ越すことになったんだ?」
「あくまで一時的な措置ですよ。防犯カメラの映像が改竄され、わたくしが〝最後〟に見えるようにされたことから、どうやら〝真犯人〟の狙いはわたくしらしい、という話になりまして。女子寮の安全対策が見直されるまでの間、学園内で最もセキュリティが強固な特別寮へ引っ越すことになったのです」
「そっ、か。……そういう流れ、なんだね」
「……千照さん?」
千照の表情が、一瞬で暗く、重くなった。先ほどまでとのテンションの落差が激しく、白雪は思わず、彼女の顔を覗き込む。
そのままじっと、彼女の様子を窺っていると。やがて千照は重く息を吐き、荷造り用の段ボールを挟んだ向かいに正座する。
「あの……白雪ちゃん」
「はい、千照さん。どうされました?」
「今日の事件、ね。かなり流れは違ってて、今まで確信が持てなかったけど、展開を見るに、ゲーム内のイベントだと思う」
「……イベント?」
ここでいうイベントは、クリスマスやお正月といった行事ごとという意味ではなく、ゲーム用語でいう〝条件を満たすと強制的に起こる出来事〟のことだろう。乙女ゲームは特に、特定のキャラの好感度を上げることで発生する〝恋愛イベント〟が多いと聞くが、今日の展開に恋愛要素は欠片も見当たらなかったから、おそらくはシナリオ上必要な〝ストーリーイベント〟というやつのはず。……そんな説明を以前、中学時代の友人から聞かされた記憶がある。
「えぇと……『姫イケ』にも今日のような出来事があったのですか?」
「うん。4月中に必ず起きる、全ルート共通イベントでね。消灯時間ギリギリに大浴場を使った翌日、ラスボスの悪役令嬢と取り巻きたちから、〝お風呂のお湯を出しっぱなしにしたせいで、大浴場と脱衣所が使えなくなった〟って責められるの」
「まぁ、同じシチュエーションですね。と、いうことは、風紀委員の長岡先輩が〝最強の悪役令嬢〟さんでいらっしゃる?」
「ううん、違う。長岡先輩は、ゲームじゃ主人公と敵対する風紀委員のモブ女子として出てきたけど、正面切って糾弾する立場じゃなかった」
「……つまり、シチュエーションは同じでも、登場人物が異なると?」
「……うん」
少し逡巡しつつも頷いて、千照は説明を続ける。
「覚えのない主人公はもちろん反論するんだけど、昨日、最後に大浴場を使ったのが自分なのも確かだから、悪役令嬢の追及を躱し切れないの。悪役令嬢はこの頃、学園のマドンナ的存在だから、彼女が白と言えば黒いものも白くなる。反論したことでより立場が悪くなって、その場で主人公の退寮が決定しちゃう――っていうのが、ゲームの流れ」
「えっ」
つむぎがあれほど盛大に怒った、〝前例と照らし合わせても明らかに不当な処分〟が、ゲーム内ではマドンナの存在一つで罷り通ったのか。いや、『姫イケ』内の学園の処分基準が、現実と同じとは限らないが。仮に順当な処分であったとしたら、ゲームの学園はどれだけ厳しい規則を敷いているのか、ちょっと怖くなる。
「……ちなみに、退寮となった場合、ゲームではどうなるのです?」
「このイベントまでに、攻略対象の誰かの好感度が一定数値まで上がってないと、退寮になった主人公は学園での居場所を失い、家にももちろん助けてもらえず、そのまま退学になる――っていうバッドエンドがナレーションで語られて終わり。『姫イケ』のバッドエンドはゲームオーバーって意味だから、最後に保存したセーブデータからやり直しだね。好感度を上げ切ってない、共通イベント直前のセーブデータしかなかったら、最初からやり直すしかないよ」
「……難易度鬼畜過ぎません?」
「だから、ライトユーザーからの評価は散々だったんだって」
確かに、調整一つミスるだけでバッドエンドという名のゲームオーバーまっしぐらな乙女ゲームは、気軽にゲームを遊びたい層にとってはストレスしか感じない代物だったろう。対して、スマホアプリのノベルゲームにちょこっと毛が生えた程度の乙女ゲームが物足りない強者たちには、実に遊びがいのあるゲームだったことも想像に難くない。




