4月20日〈ルート共通イベント〉⑥
周囲が固唾を飲んで事態の推移を見守る中、不意につむぎが柔らかに笑って、小首を傾げた。
「ところで、副会長。私は本件に関して、本筋とは別の部分で引っかかっていることがあるのですが」
「え、えぇ。何かしら?」
「――白雪さんの嫌疑が定まらぬうちから、彼女を退寮処分にしようとしたのは何故です? そのように重大な処罰を、女子寮内だけで片付けようとした理由も含め、納得のいく説明をお聞かせ願いたい」
その瞬間――白雪は、確かに見た。つむぎの気配が、焔を纏った刃の如く、鋭く、固く、熱く尖ったのを。
表情も、声音も、柔らかなままなのに。ただ纏う〝色〟を変えるだけで、人はこれほど激しい怒気を表現できるのかと、畏れにも近い感嘆を抱く。
横から見ただけの白雪ですら、息を呑んだのだ。実際に矛先を向けられた三条以下、白雪の処罰に積極的だった者たちは、息の仕方すら忘れただろう。
何度か、はくはくと、唇を動かして。――潔く、三条は、頭を下げた。
「ごめんなさい。私の考えが、間違っていたわ」
「謝罪を頂きたいわけではありません。白雪さんが退寮処分を受けかねなかった原因と、そのプロセスについてお伺いしています」
「そ、それは……」
「――三条さんだけの責任じゃないわ。私も同意したようなものだもの」
三条を庇うように、守山が口を開いた。見た目可憐な美少女だが、ここぞというときの胆力はさすが、風紀委員会の女子筆頭である。
「……でも、ごめんなさい。正直なところ、どうして私もあれほどあっさり流されそうになったか、分からないの。長岡さんが姫川さんの退寮を強く主張して、場の空気がそちらへ染まっていたのは確かだけれど、〝退寮〟なんて姫川さんの人生そのものを左右しかねない重い処罰、空気感で決めて良いものじゃない」
「わ、私のせいですか!?」
「そうは言ってないわ。どのような場であれ、主張は自由であるべきよ。あなたはあなたの考えに従って、正しいと思うことを主張した。――その主張が起こった事柄に対して適正な意見かどうかを判別し、受け入れるか否かを決めるのは、私たち、責任者の仕事。あのとき、場の空気に流されて正常な思考を放棄しようとしたのは、責任者として失格だと思う」
「ご立派です、守山先輩。……ですが一つ、抜けていますね」
つむぎは静かに、いつの間にか周囲から非難の視線を向けられていた長岡を見つめる。
「長岡さん。先ほど守山先輩が仰った意味が分かるか?」
「な、何を」
「『どのような場であれ、主張は自由であるべき』と先輩は仰った。そのお言葉は、とても正しい。だからこそ長岡さん、あなたは自らの主張に、もっと責任を持つべきと思わないか?」
「せき、にん?」
「あなたは風紀委員だ。それゆえ、あなたの主張には、一般の生徒とは比べ物にならない〝重さ〟が宿る。一般生徒が口にする〝退寮〟と、あなたが声高に叫ぶ〝退寮〟では、同じ言葉でも周囲に与える影響が変わってくると、さすがに理解しているだろう?」
「そ、それはっ」
「先ほど、先輩方が仰ったのも同じことだ。女子寮のトップであるお二人の口から告げられる処分内容は、よほどのことがない限り、最終決定となる。だからこそお二人は、その処罰が適当かどうかを、周囲に流されることなく吟味しなければならない。ご自身の言葉が、この寮内で最も〝重い〟と理解しておいでだからこそ、軽々に流されかけたご自身を、先輩方は深く悔いていらっしゃる」
つむぎの指摘に、三条と守山は揃って目を伏せた。冷静になってみれば白雪も、いくら脱衣所まで水浸しになった原因と思われていたとはいえ、「覚えがない」と繰り返す生徒の意見に耳を傾けすらせず処分を決定しようとしたあの流れは、異常この上なかったと分かる。
「出した言葉は、戻らない。白雪さんの無実が証明され、謝罪を受けたとしても、白雪さんが衆人環視の中でありもしない疑いをかけられ、寮を追い出されそうになって、入学早々怖い思いをした時間は巻き戻ってはくれないんだ。ゆえに、〝重い〟立場の人間は、音にする言葉を慎重に吟味する必要がある。――あなたは、それを承知の上で、白雪さんに退寮を迫ったのか?」
「そんなこと、もちろん分かって……」
「分かっていたのならばもちろん、あなたは白雪さんの人生を壊す覚悟を決め、彼女の退寮を主張したのだな? 仮に、白雪さんが蛇口の水を出しっぱなしにした〝犯人〟だったとしても、宝来学園で退寮処分を受けたという事実は、この先一生、彼女の人生について回る。それほどの罪だと確信し、覚悟を決めて、退寮を進言したという認識で良いか?」
「と、当然でしょう!」
「――ならば、私は一生徒として、あなたのリコールを風紀と生徒会へ申し出る」
談話室が、無音の悲鳴に満ちた。つむぎは自身を〝一生徒〟と言い切ったが、二学年トップの成績保持者で〝策謀の魔術師〟なんて異名を持ち、同学年のみならず先輩たちからも一目置かれている彼女は、客観的に見て単なる一生徒ではあり得ない。そんな彼女が口に出した『リコール』の言葉は、下手をすれば風紀委員と同等か、それ以上の〝重さ〟がありそうだ。
「ど、どうして私がリコールされなきゃいけないの!」
「単純に、あなたが風紀委員として不適格だと思うからだ。浴槽蛇口を全開にし、大浴場と脱衣所、および入浴関連備品に損害を与えたという事案は確かに重大で、厳正な処罰が必要という意見には同意するが、退寮相当かと問われれば、過去の事例と照らし合わせても、罰があまりに重すぎる。過去に起きた退寮処分は、複数人で一人の生徒に繰り返し危害を加え、度重なる注意や処罰にも効果がなく、ついには人命の危機にまで発展したがゆえであった。要するに、寮内の問題行動を収めるには、問題行動を起こす当人の追放以外に手段がないと判断される事案に於いてのみ、〝退寮〟が選択肢に挙げられていたんだ」
「なんでそんなこと、飯母田さんに分かるのよ!」
「今言ったことは別に、特殊知識じゃないぞ? そこの棚に置いてある『宝来学園寮史』を紐解けば、誰でも簡単に知ることができる。学園内で問題が起きたときに対処する役目の風紀委員であれば、当然読んでいると思っていたが」
「……えぇ。必ず一度は目を通すようにと、委員会則に書かれているわ」
「そんな!」
守山の補足に、長岡の顔が真っ青になる。委員会則すらまともに読まず、ただ他生徒への見せしめのため、重い処分を下すべきと主張していたのだとしたら、確かに長岡の風紀委員適性は低い。罰を与える立場の人間は、罰を与えることに誰よりも慎重であるべきというのは、現代司法の常識である。
「言っただろう? 誰であれ、どこであれ、主張することは自由だが、その人が持つ立場の分、発した言葉は重く、その分返ってくる責任も重いんだ。もしも長岡さんが、単なる二年生の一生徒でしかなかったら、白雪さんを退寮にしろと叫んでも、周囲から白い目で見られるだけで終わったかもしれない。しかし、あなたは風紀委員であり、白雪さんの罪を確信し、彼女の人生を壊すことになったとしても退寮処分は免れないと覚悟して進言した。ならば私も同じように、白雪さんを安易に有罪と決めつけ、彼女の言葉をろくに聞きもしないまま、罪状と釣り合わない処分を強硬に主張したあなたを、風紀委員として不適当と、リコールすべきと、腹を括って断じよう。何かおかしいところがあるか?」
淡々と紡がれるつむぎの言葉に反比例するかの如く、長岡の顔から血の気が引いていく。




