入学式〈オープニング〉②
「――随分と、あの新入生に肩入れしますね?」
白雪を見送ったつむぎの背後から、掛けられた声。結構あからさまに割って入ったので、有能な〝風紀委員長〟には、彼女を庇ったことなどお見通しだろう。
表情を〝外向け〟に整え、つむぎはくるりと振り返った。
「そう言う狩野先輩こそ、やたらと彼女に冷たくありませんか?」
「学園の風紀を乱す行為を取り締まるのが、私の役目ですからね。あれほどの騒ぎだったのです。厳しく対処するのは当然でしょう」
「彼女は、悪意から騒ぎを起こしたわけじゃありませんよ。……事情は分かりませんが、姫川さんは本当に『おかあさま』と会いたくて、似ている私が視界に入ったことで我を忘れてしまったのでしょう」
「それは……えぇ、その通りだろうとは思いますけれど」
「先輩に指摘され、我に返ってからは、所作の美しさが際立つ育ちの良いお嬢様でしたし。私にもきちんと謝ってくれました。自省できる、良い子ではありませんか」
「……お前にかかれば、大抵の奴は〝良い子〟だろうが」
「――何か仰いまして?」
「いや、何も?」
人影もまばらとはいえ、まだポツポツ人目はあるのだ。こんなところで素に戻るなという釘刺しは正しく伝わったらしく、一瞬見えたガラの悪さを綺麗に隠し、亘矢は穏やかに笑う。
ため息を押し殺し、先ほどの突風で散らばったビラ類を拾いつつ、さり気なく人気のない方、桜並木の裏側へ移動していく。意図をすぐに察したらしい亘矢が後に続き、並木道から完全に死角となるスペースまで来たところで、今度こそため息を吐いて、つむぎは体ごと亘矢へ向き直った。
「――本当にどうした? さっきから、らしくないぞ」
「別に。俺はいつもこんなもんだろ」
「……理由は知らないが、あのお嬢さんが気に食わないんだな? それは分かったが、理不尽な真似はするなよ。品行方正な〝風紀委員長〟に傷がつくぞ」
「心配しなくても、あの程度なら、誰にも気取られねぇよ。――〝俺〟を知ってるつむだから、気付いただけだ」
「コウ」
「――分かった、悪かったよ。気をつけるし、あの女……姫川白雪にも、理不尽な当たり方はしない。それで良いだろ?」
「本当だな?」
「つむに嘘はつかない」
そう言って、亘矢はつむぎの髪をくしゃくしゃと撫でた。
「いつまで経っても心配性だよな、つむは」
「コウが、似合わない〝風紀委員長〟なんかしてるからだ。心臓がいくつあっても足らない」
「言ってくれるぜ。これでも、つむの力になるため必死だってのに」
「……分かってるから、止めろとは言わないし、表向きはコウの立場を尊重してるだろ」
「そうだったな」
委員会に所属してなければ、部活もしていない〝飯母田つむぎ〟と、風紀委員長の〝狩野亘矢〟の接点は少ない。一年時のつむぎは、放課後時間をさまざまな委員会や部の助っ人――人脈を広げる目的だったが、あちこちに顔を出し過ぎて、ついたあだ名が〝ボランティア同好会〟――に費やしていたため、お互いに顔と名前が一致して業務連絡くらいなら交わす仲、というのが〝表向き〟の関係だ。
しかし、その実。つむぎと亘矢の付き合いは長く、こうして気兼ねなく互いを曝け出せる間柄である。風紀委員長として〝真面目〟が服を着ている〝狩野亘矢〟の本性を知っているのは、この学園だとつむぎと、彼が認めたその他数名程度だろう。この通り、素の亘矢は間違っても冷静沈着でも丁寧でもなく、どちらかといえばガラの悪いヤンキー系のため、真逆を取り繕っている彼を、つむぎはこれでも案じているのだ。
「――っと、そろそろ行かねぇと」
「あぁ。引き留めて悪かった」
「いいよ。心配、してくれたんだろ?」
「……うん」
亘矢の圧を真正面から受けた新入生を気の毒とは思ったが、つむぎにとって、それより気になったのは、いつもの〝風紀委員長〟らしくない行動を取った彼自身のことだ。亘矢が表向きのキャラ設定を忘れかねないほど、あの美少女には〝何か〟があるのだろう。
(そういえば、〝姫川〟って)
思い返してふと気付いた事実をどう消化すべきか、一瞬考えたつむぎの頭に、亘矢の大きな手がぽんと乗って。
「じゃあ、つむ。また夜にな」
「あぁ。――気をつけて、コウ」
「りょーかい」
磊落な笑顔を見せて、足早に亘矢は立ち去っていく。その背を見送り、つむぎはもう一度、息を大きく吐き出した。
(最近は滅多に見られないけど、あの笑顔の方がコウらしくて、私は好きだな)
風紀委員長として取り繕っている彼の微笑みは、優しげで美しい。元々綺麗な顔立ちをしている亘矢だから、上品な笑みも充分魅力的ではあるが。――ガラの悪いヤンキー風ではあれど、面倒見が良くて仁義を重んじ、些細なことには拘らない度量の広さを持つ亘矢を知っている身としては、どうしても作りものめいて見えるのだ。
(……っと、そんな感傷に浸っている場合じゃない。私も戻らないと)
受付時間終了までには、まだしばらくの時間がある。
――気持ちを切り替え、つむぎは再び、桜舞い散る並木道へと歩を進めた。