オリエンテーション・鬼ごっこ〈ルート共通イベント〉③
「よしっ」
つむぎは、隠れ登っていた一般教室棟横の楠の木から、勢いよく飛び降りる。――飛び降りざま、真下の植え込みに隠れていた『市民』のリボンを奪いつつ。
「うわっ! あっ、え!? えっ、どこから?」
「敢えてゲーム開始地点の程近くで息を潜めて隠れ、ゲームクリアを目指すというのは、実に良い作戦だ。――惜しむらくは、〝脱落者〟を目視できるこの地点が、『脱走者』にとっても絶好の観測地点だと気付けなかった点だな」
「えっ。わたし、結構前からここに居ましたよ?」
「あぁ。私が登ったすぐ後に君が来たんだ。なかなか将来有望な後輩がいるなと、嬉しく思った。――お近付きの印に、これをどうぞ」
「へ? あ、『いいもだ』の新作!?」
「おや、我が家をご存知で? それは光栄です」
「母が『いいもだ』のファンなんです! というか、我が家? もしかして、飯母田家のご令嬢でいらっしゃる?」
「飯母田つむぎと申します。以後、お見知り置きを」
優雅に一礼し、つむぎは一直線に、現在もっとも生き残りが多いエリア――体育館へ向かって走り出す。
途中、脱落した『脱走者』とすれ違いつつ。
「あっ、飯母田つむぎ!」
「ちくしょー! 今年もやりやがったな!」
「心外です、先輩方。私はただ、宝来学園の精神に従い、全力で勝ちを狙っているに過ぎません」
「そこに文句はないけど!」
「お前の〝全力〟はタチ悪りぃんだよ、いつもいつも!」
「それは失礼を。――お菓子いります?」
「「それはもらう」」
飯母田つむぎがくれる『いいもだ』のお菓子に、ハズレなし。
去年、あちこちにボランティアへ出向いては、その時々に応じた和菓子を差し入れしていたことで、いつの間にか在校生の間でそんな評判になっていることを、亘矢に教えられていないつむぎは知らないまま、お菓子を渡してつむぎは駆け去る。
「……実際のところ、どうよ?」
「飯母田つむぎなぁ。飯母田家の後継者でさえなきゃ、絶好の嫁候補なんだけど」
「新興だけど上流階級の文化をしっかり理解してて、どんな場にも合わせた振る舞いができて、さらに美人で頭脳明晰。しかも実家の会社は、毎年のように業績更新して伸びまくってる有望株。――こんな女、宝来にも、百合園にだって、なかなかいねぇもんな~」
「けど、様子見てると、飯母田の当主も夫人も、彼女を嫁に出す気はなさそうって話だ。会話の端々に、いずれ『飯母田製菓』を娘に継がせる気配が滲み出てるってよ」
「最悪、『飯母田製菓』持ってても良いから、嫁に来てくんないかな」
「ないだろ。現当主も和菓子職人だし、いずれ自分の弟子の中から後継を選んで、娘と添わせて、家と会社を継がせる気なんじゃないか?」
「俺ら程度の家柄じゃ、飯母田の当主が決めたことに横槍は入れられんし。あーあ、世の中上手くいかねぇな」
「あの歳で、あれだけ全方位優秀なのに相手決まってない女がどんだけ希少なのか、本人は分かってないんだろうけど」
「そういや、会長がそろそろ動き出すんじゃないか、って聞いた」
「マジで? ますます俺らじゃ勝ち目ねぇじゃん」
「聞き齧っただけだから、信憑性は低いけど」
――脱落した『脱走者』二人組が、そんな会話をしていることなど、つゆ知らぬまま。
一般教室棟から走って走って、やって来たのは体育館エリア。隠れる場所と逃げる場所のバランスが良い体育館エリアは、ちらほらと『脱走者』の姿が見えるのみで、ぱっと見て分かる場所に『市民』はいない。しかし、一般教室棟を見張ってくれているクラスメイトからの情報により、一年A組が一番〝脱落者〟の少ないクラスであることは明白だった。今年の一年A組は文武ともに優れた生徒の集まりであるという前評判は、どうやら正しいらしい。
(これで、よし)
今回の作戦の、最終段階。クラスメイトたちに指示を出し終え、さて自分も〝遊撃隊〟に加わるかと、つむぎは潜伏していた舞台演出用ハシゴの上で伸びをした。――基本的につむぎは、想定外のことがあっても下に降りれば逃げられる、高い場所で隠れるのが好きである。しかもこのハシゴの最上段なら、高さは二階相当なのに位置的には一階しかない舞台上のため、やたら高性能な『脱走者情報検知アプリ』をバグらせることができる。
本来いないはずの場所に『脱走者』を感知した場合。このアプリは感知情報をバグと判断し、画面上から消してしまうのだ。――即ち、今、つむぎの居場所は、アプリ上に反映されていない。
「――やっぱり、つむぎさん」
「……っ」
反映されていないはずなのに、確信を得て掛けられた声。ハシゴ上で反射的に身構えたつむぎは、舞台装置が集められている控えのようなこの場所で、まるで舞台中央に立つ女優の如くキラキラした眼差しを向けてくる、仲良くなったばかりの後輩とご対面する羽目になった。
「……こんにちは、白雪さん。よく、私がここにいると分かったね?」
「クラスメイトのほとんどは、宝来学園中等部からの持ち上がりですから。仲の良い先輩からの伝聞で、〝昨年の新入生歓迎オリエンテーションで無双した一年A組と、彼らを背後から操った知略の悪魔〟について、聞き及んでいる者も居るのですわ。悪魔的知略の持ち主は外部入学だったため、完全にノーマークだったとも。――昨年度、入学二日目で与えられた地図アプリを使いこなし、不利極まりないはずの『鬼ごっこ』にて完全勝利を成し遂げたつむぎさんならば、このアプリの弱点すらもご存知のはず。自身の居所をバグ技で隠すことなど、造作もないことにございましょう」
「……今年は将来有望な新入生が多くて、嬉しい限りだよ」
仲良くなった後輩――白雪の言うとおり、実は今回、つむぎ個人に与えられた圧倒的なアドバンテージは、『市民』の切り札である『脱走者情報検知アプリ』について知り尽くしている点にあった。これは結果論に過ぎないが、昨年、与えられたチートアイテムを有効活用してクラスメイトを制限時間いっぱいまで逃しまくったつむぎは、現宝来生の中で最も『脱走者情報検知アプリ』に詳しい。これは正真正銘、つむぎだけに与えられたアドバンテージであり、これを活かさない手もないのである。
アプリを〝高さ〟でバグらせて位置情報を画面上から消す裏技も、去年、木の上から急襲されそうになったクラスメイトを逃したときに知ったもの。バグった位置情報は画面から消えるが、直前までは反応しているため、それまでの動きを観察していれば、何をして画面から消えたのか、推測は容易なのだ。
(それを見破るとは、可愛い顔をして白雪さんもなかなかだな)
今回の〝作戦〟も、最終的にはこのアプリが肝となる。ここは、彼女がどこまでこちらの策に迫っているか、確かめるべきだろう。
「それで? 『脱走者』を見つけた白雪さんは、どう対応するつもりかな? 『臨時警察』全員でハシゴの下を固めれば、さすがの私も逃げ切るのは困難だ」
「まさか。つむぎさんを脱落させるなんて、そんな罰当たりなこと、わたくしが考えるはずございませんでしょう」
「……『市民』は『脱走者』が一人でも多く脱落してくれた方が、逃げ切れる確率が上がって有利なのでは?」
「安定して勝利を狙うのであれば、わたくしどもがするべきは『臨時警察アイテム』探しなどではなく、他のクラスの『市民』リボンを奪いに行くことでしょう。クラス全員のリボンを『脱走者』に奪われたとしても、それより早くわたくしども自身の手で他クラスの『市民』リボンを刈り尽くしておけば、勝利条件は満たせます。『脱走者』を『臨時警察』によって減らすのは、あくまでも勝利の確率を上げる一手であって、最善手ではありませんわ。――『脱走者』は別に、今回の敵ではございませんもの」
鈴の鳴るような可愛らしい声と、軽快な口調で繰り出されるのは、あまりに理路整然とした言葉の数々。広く大局を見て、自軍にとって何が最も最善かを瞬時に判断する姿は、〝軍師〟を超えた〝全軍総帥〟のそれだ。それをこともなげに、明日の天気を語るかの如く話す白雪からは、まるで為政者のような風格すら感じられる。




