オリエンテーション〈準備中〉②
「……え、ごめん。ルールが複雑すぎて、ちょっと把握し切れなかったんだけど」
「俺も」
「ごめーん、私も」
『それでは、これより二十分間の、作戦会議タイムを設けます』を最後に沈黙したスピーカーから視線を下ろし、クラスメイトたちが次々と困惑の声を上げた。ざわざわした教室で、結構早い段階からノートにルールを書き付けていたつむぎは、分かり易くルールを図式化したところで、「なるほど」と小さく呟き、シャーペンを置く。
(この緻密なパワーバランスの計算は、素人の仕事じゃないな。おそらく、コウが一枚噛んでる)
今回、風紀委員はゲームに参加せず、審判とルール違反者の取り締まりに徹するというところから見ても、亘矢の意向がかなり働いたのは間違いない。……〝E組の悲劇〟については、去年の四月から散々「気に入らない」と愚痴を溢していたため、もしかしなくても気を遣わせたか。
「つむちゃん、何が『なるほど』なの?」
「あぁ、茜。一応、私が理解した範囲で、ルールを図式化してみたんだが」
「さっすがつむちゃん、仕事が早い!」
「よっ、二年A組の参謀様!」
「人畜無害なボランティア同好会の皮を被った、策謀の魔術師の本領発揮か!?」
「……帰るぞ?」
何度も言うようだが、今年の二年A組はほとんどが上位の家柄の子息子女とスポーツ特化型で締められており、頭脳労働担当がほぼ居ない。その貴重な頭脳労働要員は、皆それぞれクラス委員や風紀委員、図書委員や文化祭実行委員といった、頭がないとそもそも話にならない要職に就いている。その結果、ある程度フリーに動ける頭脳労働要員が〝ボランティア同好会〟なつむぎしか居ないというバグが発生し、必要に駆られてこれまで、主に勝負事に関する策を立ててきたのである。
普段から販売戦略を練っている経験が活かされたのか、つむぎが立てる策の成功率は高く、これまで二年A組はクラス対抗の学年行事で一位を譲ったことはない。全校行事のクラス対決でも、上級生に負けないポテンシャルを発揮し、上位に食い込んでいる。そんな逸話から、ついた二つ名が〝A組の参謀〟だったり、〝策謀の魔術師〟だったりするらしいが。
「えー、なんで!?」
「私は参謀でも魔術師でもないからなぁ」
「あー、ごめん。ごめんって!」
「飯母田さんは飯母田さんです、調子に乗って申し訳ない!」
「よろしい」
つむぎは己を、あくまで〝商人〟と定義している。それ以外のモノ呼ばわりされるのは、ちょっと、色々、納得できない。
それを素直に言えば向こうも素直に謝ってくれるから、やはりこのクラスは基本的に、人の良い子たちの集まりではある。ただ、ちょっと、お調子者が多いだけで。
いつまでもこんな茶番を続けるのも時間が勿体無いため、つむぎは素早く立ち上がり、黒板にルール図を書き込んでいく。
「簡単に説明すると、今回の『鬼ごっこ』は変則的な三すくみ形式になっている。役割はそれぞれ、一年生が〝逃げ〟の『市民』、二、三年生が〝追い〟の『脱走者』で――生徒会執行部と特別寮生が、今回新たに設けられた『警察』になるな。『脱走者』が『市民』を追う方式なのは例年と変わりないが、今回は色々と、市民のフォローと強化策が追加されてるみたいだ」
「生徒会と特別寮生がやる『警察』がそれ、ってこと?」
「それが最も大きいだろうな」
去年までは、主催の生徒会が『鬼ごっこ』の進行役を担っていたから、彼ら自身が参戦するのは新しい試みである。
つむぎは黒板がクラス全員に見えるよう、少し離れた場所から『警察』の部分を指示棒で指した。
「この『警察』は、簡単に言えば『脱走者』専門の〝追い〟だ。『脱走者』を捕まえることで、『市民』が有利になるよう動く、『市民』の味方的立ち位置だな」
「つまり俺らは、『市民』を捕まえつつ、『警察』からは逃げなきゃいけない、ってわけか」
「そういうことになる。このオリエンテーションは毎年、〝追い〟側が強すぎたからな。例年、色々とハンデ策を試していたみたいだが、今年はシンプルに〝追い〟の人数を減らす物理策に出たらしい」
「生徒会と特別寮生が『警察』ってのも絶妙だよな~。生徒会は文武両道のエリート揃いで、特別寮だって文化部組を除けば、運動チートばっかじゃん」
「入ったばかりの一年生がどうかは知らねーけど、深藍も別に運動神経悪いわけじゃないし」
「――呼んだぁ?」
ふと声がして扉が開き、今まさに名前が出た、隣のクラスの特別寮生――弁財深藍が顔を覗かせる。つむぎと視線が合うと、彼はにっこり笑い、とことこ教室内に入ってきた。
「はいこれ、二年A組分の『脱走者』リボンね。リボンの端に〝二のA〟の刺繍入ってるから」
「あぁ、不正防止用だな。了解した。ふむなるほど、一度外れたリボンはつけ直せない仕組みか……」
「おぉ、飯母田さん、やる気だねぇ。今回も、A組の奇策、楽しみにしてる~」
「弁財くんが〝敵〟なのは、B組にとって痛手だろうな」
「そっちも晴緋取られてるし、わっしょいわっしょいでしょ」
「……それを言うなら、どっこいどっこいでは?」
「それだねぇ」
相変わらずの緩いド天然を発揮しつつ、「それじゃあね~」と深藍はあっさり教室を出て行った。
「えーと、飯母田さん。それは?」
「今回の戦利アイテムみたいだな。――あ、底に『市民』と『警察』のサンプルも入ってる」
身体も大きな高校生が大人数で物理的に〝ケイドロ〟など不可能なので、オリエンテーションの『鬼ごっこ』は毎年、戦利品カウントシステムだ。〝追い〟は逃げが身につけているアイテムを奪い、〝逃げ〟はアイテムを奪われたら脱落となる。
どうやら今回、『市民』は黄色、『脱走者』は赤、『警察』は青のリボンらしい。リボンといってもただの長い一本の紐ではなく、きちんと綺麗に結われていて、装着用のゴムもついている。ゴムの両端は、少し強く引っ張れば簡単に外れる留め具で留められる仕様であり、お金持ち校らしく非常に手が込んでいた。この仕組みであれば、確かにリボンの端を掴んで引っ張るだけで、簡単に奪うことが可能だろう。不正防止用の刺繍も外注製が見て取れる仕様で、これは確かに、よほどの妙者でなければ、制限時間内に模倣はできまい。
ふむふむ頷いて顔を上げると、一様に「?」を浮かべているクラスメイトたちとご対面した。
「え? 『市民』は〝逃げ〟だからリボンつけるの分かるけど、〝追い〟……『脱走者』もリボン着用なん?」
「今回、『脱走者』は『警察』に追われる〝逃げ〟でもあるからな。同じ仕組みが必要だろう」
「あぁ、なるほど……いや、だとしても『警察』のリボンは要らなくね?」
「そういえば、その説明が途中だったな」
時間もないことだし、とつむぎはリボンの配布をクラス委員長に頼みつつ、ルール説明へと立ち返る。




