入寮式・夜〈ルート共通イベント?〉⑨
「……わたくしの本願が叶いました今、これ以上、父にとって都合の良いお人形で居続けるつもりはありませんわ」
「そんな気がしたよ。私の目から見ても、君は誰かのお人形に収まる人には思えないから」
「――えぇ。わたくしの人生は、今度こそ、わたくしだけのもの。あんな父親の好きになど、させません」
堂々とした宣誓に、白雪の瞳が強く煌めく。もうテラスも近く、明るい寮の光が反射して、その様は神々しくすら見えた。
「……すごいな、姫川さんは」
「すごい、ですか?」
「強い、とも思うよ。……肉親の情を切るのは、簡単じゃないだろう?」
ほんの刹那、つむぎは歩いてきた道を振り返り――その先にいる、大切な親友を想う。
「私の友人にもね、いるんだ。どうしようもない親と決別して、自分の信じた道を歩いているひとが。話を聞くたび、すごいと思う。想像することしかできないけれど、取り返しのつかないほど愚かな親だったとしても、その存在を情ごと切り捨てるのは、並大抵の覚悟を持たなきゃできないだろうって」
「……そのように、お考えですのね」
「世の中、色々な情があるけれど、その中でもやっぱり、肉親の情は何だかんだ強いからね。話を聞く限り、姫川さんはお父上のことを諦め切っているようだが、その境地へ至るまでの葛藤だって深かっただろうし」
「本当に……飯母田先輩は、お優しくていらっしゃいますこと」
独り言のように、白雪はポツリと呟いて。
緩やかに、はっきりと。首を、横に振った。
「お気遣いは、ありがたいですが。わたくしは、特に葛藤もしておりませんのよ。幼い頃から父がわたくしに一切の関心を抱いていないことは、明白でしたから」
「それでも、だからこそ、愛されたいとは思わなかった?」
「――いいえ、一度も」
「一度も?」
それは……なんというか、あまりにも心が強すぎはしないだろうか。強がりかとも思ったが、彼女の表情は自然で、何かを我慢しているようには見えない。
疑問が、顔に出たのだろうか。互いの視線が交わる中、ゆっくりと、白雪は、満ち足りた笑みを浮かべて。
「だって、わたくし、知っておりましたもの。肉親の情など、所詮はまやかしだと」
「まや、かし?」
「親になれば、自然と子への愛情は生まれる。……そんな言説、実体のない幻と変わりませんわ。お腹を痛めて子を産もうが、赤ん坊の頃から成長を見ていようが、我が子への愛情を抱けない人間はごまんとおります。親になっても自分が第一で、自らの悦楽のために子を利用することしか考えない畜生以下に、人並みの情を期待するほど、愚かなことはありません」
「姫川さん……」
とんでもなく厳しく、かつ本人にとっても苦しいことを言っているはずなのに、彼女は満足そうに笑ったままだ。
言葉と表情の食い違いに、つむぎが言葉を失っている間も、彼女の口は澱みなく動く。
「そんな、存在しない情を求める暇があるのなら、実際にもらった情を大切にする方を、わたくしは選びますわ。わたくしのことを本当に思って、わたくしのことを考えてくれて、わたくしのためにと心と時間を尽くしてくれる――屋敷の使用人や、学校の先生方や、友人たちを大切にして、皆の情に応える方を、選びますわ」
「……だから、葛藤もしなかった?」
「えぇ」
「姫川さんは、強いね。本当に」
「いいえ。それも、知っていただけですのよ」
「知っていた?」
「肉親でも何でもなく、何なら立場的には恨んでもおかしくないような間柄の子を、無償の愛で包んで、守って――命を賭してまで守り抜いた方が、いらしたことを」
そう告げた白雪の瞳には、朝、桜吹雪の中で見た、溢れるほどの思慕があった。
その、思慕の情を――一欠片の迷いなく、白雪は、つむぎへ向けている。
「彼の方の深い愛情を知っているからこそ、親の愛などという幻想に浸る時間が無駄だと、実感できるのです。無償の愛を注ぐのに、本来、血の繋がりなど関係ありませんから」
「そう、か」
「親でなくとも、血縁などなくとも、無条件に他者を愛せる人はいます。愛して、深い情を注いでくださる方はいます。――そう知っていたから、わたくしは親の愛を求めることも、無関心な父親に絶望することも、最初からありませんでした」
「……うん」
「愛情を注がれない人が悪いのではありません。愛情を他者へ注げない人が、人として、どこか欠けているのです。わたくしは、たまたま運悪く、欠けた人を親に持ってしまっただけ。――生まれを選ぶことはできませんが、注がれた愛情を大事に受け取って、愛情を注いでくれた人を心から大切にして、その人の幸せを願って、守りながら生きる道を選ぶことは、できます」
白雪が、一歩、一歩、近づいてきて。
――触れるほど近くで立ち止まり、そっと両手で、つむぎの両手を握ってくる。
「わたくしは、きっと、ずっと、そんな風に生きたかった……」
「姫川、さん?」
「どうか、〝白雪〟とお呼びくださいませ。わたくし、先輩とは、もっと親しくなりたいのです」
「……白雪、さん」
「――はい」
とろけるような微笑みを浮かべる白雪は、心底幸せそうに見えた。……つむぎに名を呼ばれたことが、それほどの幸福なのか。
(――思い、出した)
先ほど、何かを思い返すように遠い目をした白雪を見て、覚えた既視感の正体。
あれは、出会った頃の。
(コウ、だ。コウも、私と知り合ったばかりの頃、よくあんな顔をしていた)
つむぎが何か言ったときに、つむぎを見ながら、つむぎではない〝何か〟を思い返すような顔をしていたのだ。最近は滅多に見なくなっていたから、忘れていた。
それを今、思い出したのは。
(コウも……初めて〝狩野くん〟じゃなく〝亘矢くん〟と呼んだとき、こんな顔をした)
つむぎに名を呼ばれることが、嬉しくてたまらない――と。
奇跡を得たように幸福そうな、顔をしていた。
――それなら。
「白雪さん。商人は、対等な関係を重んじるんだ」
「え? は、はい」
「私だけ名前を許してもらう関係は、対等じゃない。良ければ、白雪さんも、私のことは名前で呼んでくれ」
「…………!」
白雪の大きな瞳に、みるみる透明な雫が満ちる。
ポロポロと落ちる涙を拭いもせず、白雪はつむぎの手を、ぎゅっと握った。
「よろしいんですの? わたくしに、先輩の名を、お許し頂けますの?」
「当然じゃないか。君が、白雪さんがもらった情を大切にするように、私ももらった恩義や情には全力で報いていく主義だよ」
「――はい、つむぎさん!」
花が開いたように、白雪は笑う。――先ほどよりもっと、幸福に満ちて。
あのときと、同じく。
(コウも……〝つむぎ〟と初めて呼んだとき、それまでで一番、嬉しそうだったな)
亘矢が、白雪が、どうしてこんな表情をするのか、つむぎは知らない。
――そして、知るつもりもない。
(どんな理由があったとしても、二人が私に名を呼ばれて、私の名を呼んで幸せになるなら、それで良いじゃないか)
商人とは、生産者と消費者の間を繋ぐ者。二者の間を繋ぐ〝絆〟の、〝紡ぎ手〟だ。
生産者が創り出した〝もの〟を、求める人へ届けることで、両者を幸福にする。
〝つむぎ〟の名が、〝つむぎ〟が呼ぶ名が、こうして誰かを幸せにするのなら、それはまさに、商人冥利に尽きるというやつだろう。
「つむぎさん……」
「うん、白雪さん。何?」
「わたくし、今、とても幸せですの。……つむぎさんが、幸せに、してくれていますの」
「それは、良かった」
「つむぎさんは――幸せですか?」
真摯な瞳に、偽りの情はない。
白雪は、心の底からつむぎを想い、つむぎの幸福を願っていると分かる、そんな眼差しに、つむぎもまた、偽りなく微笑んだ。
「幸せだよ。――すごく、ね」
「そう、ですの」
「うん。何かを心から好きだと思えて、好きなもののためにやりたいことができて、その道を家族も、友人も応援してくれる。無我夢中で進めば進むほど、可能性がどんどん広がって、夢もその分大きくなるんだ。……こんな風に生きていけるのは幸運なことだし、幸福だなぁって、思うよ」
「えぇ。……えぇ。本当に、その通りですわ。わたくしも、そう思います」
幾度も、深く、頷いて。
白雪はゆっくりと手を解き、少し後退りして、これまでとは違う挑発的な笑みを浮かべる。
「ねぇ、つむぎさん。わたくし、実はとても欲張りなのです」
「うん?」
「ショップカードは頂戴しますし、優良顧客にももちろんなりますし、これまで築いた人脈を駆使して口コミもいたしますわ。――ですが、それだけでは終わりません」
「えぇ? 白雪さん、それって……」
「つむぎさんが、今していらっしゃることに、幸せを覚えておいでなら。わたくし、この先もつむぎさんが幸せであり続けられるように、持てる力を尽くしてお支えしますわ。姫川の力が必要と仰るなら、早いうちに掌握しておきますし」
「……凄いことをサラッと言うねぇ」
「あら。その程度、造作もありませんことよ。歴史が長いだけの家など、内側から突けば脆いものです。――どうぞご安心を。わたくしが〝覚醒めた〟以上、姫川家は、飯母田家の、絶対的な味方ですから」
「わぁー……」
どうしよう。白雪の言う、〝持てる力〟の規模がデカすぎる。昔に比べれば勢力は衰えているとはいえ、上澄みの一角、姫川家の力は、扱いを間違えれば一気に猛毒化しかねない。
(これは……コウと、要相談だな)
今の自分の頭には余ると冷静に判断し、つむぎは諸々、頼れる親友にぶん投げると決めた。
「うん、ありがとう。――とりあえず今は、ショップカードを渡そうか」
「ありがとうございます。これからも、つむぎさんのお部屋へ遊びに行っても構いません?」
「良いけど、私は今日みたく、部屋に居ないことも多いから……空振りさせるのも申し訳ないし、連絡先渡そうか?」
「連絡先、頂けるんですの? でしたら、わたくしもお渡ししますから、後で交換いたしましょう!」
「そうだね。〝SRANE〟で良い?」
「えぇ。〝SRANE〟なら、QRコードで交換できますものね」
仲良く話しながら、二人はテラスを抜け、女子寮へと入っていった。
おめでとう! 白雪は 〝百合まっしぐら〟 の 称号を 手に 入れた !!
……いやうん、お継母様らぶな方なのは最初から分かってたことですが、想定以上に攻め力エグいなぁと、このシーンを書きながら遠い目になった日を思い出します。




