入寮式・夜〈ルート共通イベント?〉⑦
つむぎ視点は続きますが、話し相手が変わります。
「ど、どうしましょう……」
(あれは……?)
亘矢が解析したデータをもとに、明日以降の動きについて打ち合わせ、来たときと同じく鍵の壊れている扉を使って女子寮側へと戻ってきたつむぎ。寮庭の中でも奥の方にあるこの場所は、イベントごとを除いて人気がない状態がデフォだが、寮棟の端にある大浴場近くにあるテラスから降りてまっすぐ歩くと辿り着けてしまうため、たまに迷子が発生するポイントでもあった。
そう。まさしく、今のように。
「そこにいるのは……姫川さん、か?」
「えっ? そ、そのお声は――」
いかにも湯上がり後な、ルームウェアにタオルを肩から掛けただけの軽装で周囲を見回していたのは、先ほどの亘矢との会話でも話題に上がった、姫川家のご令嬢、白雪。暗がりでも充分に分かる整ったお顔に、分かりやすく困惑を乗せてキョロキョロする様は、典型的な迷子、そのものである。
木立の隙間から声を掛けたつむぎに、彼女はぴゃっと飛び上がり、こちらをぱっと振り向いた。
「い、飯母田先輩、ですの!?」
「あぁ、ごめんね。驚かせた?」
「と、とんでもございません! いえ、先輩がいらっしゃったことは驚きましたが、これは嬉しい驚きですので、問題ありませんわ!」
「そう? なら良かった」
キラキラした眼差しに歓喜を乗せて言い募ってくる姿から、嘘や気遣いといったものは感じられない。
つむぎは不自然でない程度まで近寄ってから、白雪へ向けて小首を傾げた。
「ところで姫川さんは、この辺りに何か用事でも?」
「い、いえ。お風呂を頂いた後、お部屋へ戻ろうとしたところ、可愛らしいテラスを見つけまして。そこから見たお庭が見事でしたので、少し散策をしようと思ったのですが、来た方向が分からなくなってしまって……」
「そういうことなら、こっちは逆方向だよ。この先は、男子寮との境の塀しかないよ?」
「まぁ、そうだったのですね」
目を丸くする白雪は、本当に迷子だったようだ。白雪が通ってきたのはおそらく、庭師の通る庭の手入れルートだろうけれど、あれは結構枝分かれも多いので、暗いと迷子になるのも頷ける。鍵の壊れた扉からテラスまでは、実のところ一番太い一本道なので、慣れれば迷うことはないけれど。
「姫川さんさえ良ければ、もとのテラスまで一緒に行こうか?」
「本当に? よろしいんですの?」
「もちろんさ。新入生の力になるのも、先輩の務めというやつだろう?」
「ありがとうございます!」
暗闇さえも照らし出しそうな、白雪の笑顔が眩しい。これまで、他者の美醜にさほどの興味はなかったが、おそらく白雪はつむぎ好みの顔立ちなのだろう。彼女のような、おめめがくりっとした可愛い系美少女は、無条件に庇護欲を覚えて守ってあげたくなってしまう。
(とはいえ、実際のところ姫川さんは、守られることに甘んじるお姫様気質には見えないが)
こうして話しているだけでもイキイキとした輝きに満ちていて、生きることが楽しくて仕方がないといった雰囲気だ。こういうタイプは、困難に直面した際、誰かに頼って他力本願で解決することを良しとはしないだろう。自分の力で立ち向かい、そんな彼女に感化された周囲が手を貸して、共に困難を乗り越えることで仲間たちとの絆が深まっていく――白雪は、そういった主人公気質の少女のように思えてならない。
「それじゃ、行こうか。寮はこっちだよ」
「はい!」
つむぎ自身はどうしてか、白雪の仲間になっている自分をイメージできないけれど。たぶん、馴染みの商人としてたまに主人公たちへ役立つアイテムを提供するくらいのポジションが、自分には合っている。
「あの、飯母田先輩。お尋ねしても構いませんこと?」
「構わないよ。どうしたの?」
「先ほど、『この先には男子寮との境の塀しかない』と仰いましたけれど。飯母田先輩は、そんな場所に、何かご用事で?」
「あー……」
こんな人気のない、しかも何かがあるわけでもない場所から不意に人が現れたら、しかも張本人が〝何もない〟宣言をすれば、当然それは気になるだろう。
だが、馬鹿正直に亘矢と会っていたことを伝えるわけにもいかない。男子寮へ忍び込むことが寮則違反なのはもちろんだが、つむぎは亘矢との本当の関係性を、宝来学園を含めた上流階級へ詳らかにする気は、これまでもこれからもないのだ。
(万一、宝来学園での販路拡大に失敗して、飯母田が上流階級から出禁を喰らっても、関係性さえ秘匿しておけば、コウの将来には影響しないからな)
宝来学園における亘矢の立ち位置は、〝外部一般入試を主席合格して入学してきた、一般家庭出身ながら大変に優秀な生徒〟である。優秀すぎて一年時に風紀委員からスカウトされ、そこでメキメキ頭角を発揮して、今や将来安泰な風紀委員長にまで出世した。一般家庭の生徒が風紀委員長となるのは、長い宝来の歴史を紐解いてもなかなかないことらしく、いかに彼が規格外か分かる。
現在高校三年生の亘矢は、進路選択の真っ只中。彼の頭脳があれば、日本最高峰の国立大学も、海外の超難関大学も狙い放題だろうけれど、本人はもう既に、つむぎが目指している日本一との呼び声高い経済学部のある大学――の情報通信学部を志望先に決め、推薦で合格することがほぼ確定している。耳の早いお歴々はその情報を既に入手し、四年後、あるいは六年後へ向けて、ちらほらスカウトを始めているらしい。
(亘矢が私の手助けをしたいと言ってくれるのは嬉しいし、ありがたい限りだが。飯母田の家格で上流階級の上層部まで顧客層を広げようというのは結構無茶な試みだし、失敗したときのリカバーは考えておかないと)
つむぎと違い、亘矢は飯母田とは〝母親がたまたま飯母田の企業で働いているだけ〟の繋がりでしかない。父親が姫川の重役であっても亘矢と白雪に面識がなかったのと同じく、親の勤め先企業の〝社長一族〟と子ども本人がどれだけ親しいかなんて、本人が公言しなければ分かりようもないことだ。亘矢の母親が現在『飯母田製菓』で働いていること、父親がかつて姫川財閥で汚職を働いて現在服役中なこと、彼自身が姫川に仕えていた〝狩野家〟の血筋であることは、来歴を少し調べれば分かるだろうけれど。
(仮に私や飯母田に何かあっても、宝来学園高等部で風紀委員長まで勤め上げた亘矢なら、繋がりさえ明かさなければ安全だ。……あの男は何かといえばすぐ、自己犠牲に走ろうとするからな。私との関係は、秘めておくべきだろう)
「……あの、飯母田先輩?」
うっかり考え込んでいたところに、白雪の不安そうな声がかけられ、我に返る。
顔を上げて横を見ると、少し涙で潤んだ瞳とご対面した。
「もしかして、人には話せないことでしたか? 申し訳ありません。わたくし、不躾なことを」
「あぁ、いや、別にそういうわけではないんだが」
「先ほどの質問は、どうぞお忘れくださいませ。飯母田先輩をご不快にさせるなんて、何とお詫び申し上げればよいか……」
「ちょ、いやいや、落ち着いて」
そうだった。こちらのお嬢さんは感情豊かで、感極まると割とすぐに泣いてしまうのだ。
可愛い子に泣かれると、朝もそうだったが罪悪感がすごい。つむぎはぶんぶん手を振った。
「大丈夫だ。不快になんかなってないよ」
「ですが……」
「どう説明しようかなと、考えてただけだから。こちらこそ、不安にさせてしまってごめんね」
「そう、ですか……?」
しょうがない。ここは、真実を混ぜた嘘論法でいくか。
「ここだけの話、私は実家の『飯母田製菓』の仕事を、少しだけど手伝っていてね。主に販売方面なんだけど」
「まぁ。まだ高校生ですのに?」
「『飯母田製菓』はまだまだ若い企業だから、全体的に人手不足なんだよ。もう少し規模が大きくなれば、その分人も多く雇えて、創業一族の娘があくせく働かなくても現場が回るようになるんだろうけどね。今しばらくは、私たちが頑張るしかなくて」
「だから、あれほどご実家のお品物に詳しかったのですね。受付で千歳飴についてお話ししている先輩は、ベテランの販売員さんのようでしたもの」
「あはは、ありがとう。幼い頃から実家の和菓子屋を手伝っていたから、店頭販売のキャリアだけならそこそこあるよ。ベテランのように見えたなら嬉しいな」
納得の表情を見せて頷いた白雪に、ここぞとばかり、畳み掛ける。
「今のところ、商品開発と製造が父、経理と財務が母の担当でね。私の担当が、営業販売というわけなんだ。その関係で、入浴後の自由時間……要するに今の時間帯に、会社の現場営業とやり取りしたり、静かなところで販売戦略を練ったりすることが多くて。男子寮との境に近いこの場所は、滅多に人も来ないから、考えごとをするのに最適で、よく使っているんだよ」
「そういうことだったのですね」
どうやら、怪しまれることなく信じてくれたらしい。『飯母田製菓』における両親とつむぎの役割も、いつもこの時間に会社と連絡を取り合っているのも販売戦略を練っているのも本当だから、話に真実味も増すというもの。ほっと胸を撫で下ろし、つむぎはにこりと白雪へ笑いかけた。
「勉学を本分とする学生の身で、既に実家の経営に首を突っ込んでいるなんて、あまり外聞の良い話ではないからさ。できれば、秘密にしてくれると嬉しいな」
「もちろんですわ。わたくし、誰にも言いません」
即レスで返答した白雪は、そのままこてんと首を傾ける。