入寮式・夜〈ルート共通イベント?〉⑥
「俺は、会長がわざわざ受付へ出向いて、姫川白雪について話しに来た、って方が引っ掛かる。つむとあの娘の仲がどうだろうと、会長に関係ねぇだろ」
「私もそれは疑問だったが……ひょっとしたら、姫川さんは会長の婚約者候補の一人なんじゃないか? だから気にかけているとか」
「あー……なるほど、家柄的には釣り合うか。姫川に昔ほどの勢いはないが、だからこそ、下手に宝来の邪魔をしないという意味でメリットもある」
「そうなんだよな。少なくとも私なんかより、姫川さんの方が断然〝宝来家の嫁〟として相応しいのは間違いない」
「――あ?」
突然、亘矢のガラが三割増で悪くなった。何か変なことを言っただろうかと首を傾げる間もなく、不機嫌極まりない声で、質問が落ちてくる。
「何だそれ。何でお前がアイツの〝嫁〟としてどうこう、なんて話がいきなり出てくる?」
「へ? ……あー、そういえばあの話は、亘矢が来る前だったか?」
「あの話?」
「入寮式の準備中、私が会長に話しかけられているところを、コウが庇ってくれただろう?」
「あぁ、あのやたら距離が近かったときだろ? すぐにでも割って入りたかったが、口実がないのも怪しまれると思って、マーカーを取りに行ったせいで遅くなったんだ。悪かったな」
「そこは気にしてない。――その、やたら距離が近かったときに、会長から冗談で言われたんだよ。『婚約者にならないか?』って」
「はぁ??」
タブレットが照らす、亘矢の表情が物騒極まりない。今にも生徒会長の部屋へ乗り込みそうな亘矢の雰囲気に、つむぎは慌てて、握られていた彼の手をこちらからもぎゅっと握り返す。
「冗談だぞ? 生徒会勧誘のついでみたいな冗談だ」
「何で生徒会勧誘のついでに、婚約なんか誘うんだよ」
「私の働きぶりを褒めて、生徒会に勧誘して、何なら婚約者にしたいくらい有能だと思ってる、って流れだったかな。要は、いつものお世辞の、さらに上のお世辞ってやつだ」
「……アイツ、前々からつむに目ェつけてたからな」
「生徒会執行部は常に忙しいし、雑用係の所務がもう一人いたら便利だなくらいの感覚だと思うぞ。人手不足解消のためなら、お世辞にお世辞を重ねるくらいはするだろ」
「お世辞、ねぇ……」
冷え冷えとした亘矢の声を後押しするかの如く、まだまだ冷たい夜風が吹き抜けていく。思わず身震いすると、亘矢が思い出したように一度手を離すと、自身の羽織っていた上着を脱いでつむぎの肩にかけてきた。
そのまま、亘矢の長い腕が、つむぎの肩に回って。
「――つむ。やっぱり、生徒会長とは……宝来璃皇とは、距離を取るべきだ」
「そう、思うか?」
「俺の邪推なら良いが……その〝冗談〟も、本当に冗談か、疑わしい」
「えぇ?」
彼から発された思わぬ懸念に、つい異論の声を上げてしまったが、亘矢の腕は離れない。どうやら、引く気はなさそうだ。
「冗談じゃないとなると、会長は本気で、私を自分の妻に……未来の宝来家女主人にしようとしている、って話になるぞ? さすがにそんなわけ、」
「あぁ。つむなら、宝来と飯母田の家格が釣り合わないこと、つむ自身も見合わないことを冷静に判断して、婚約を持ち掛けても流すだろうってことは、アイツも承知の上だったと思う。けど、そもそも、宝来なんてデカい家の跡取りが、冗談であっても〝婚約〟なんて話を持ち出すこと自体、異常だろ」
「それは……」
引っかかりながらも流そうとしていた違和感を突きつけられ、つむぎは言葉を濁して俯いた。
そんなつむぎを気遣う気配はありながら、しかし亘矢の言葉は続く。
「冗談だって、流されること前提で。万一、つむが奴の言葉を間に受けて〝その気〟になっても、別に構わないと――そう考える程度には、宝来璃皇にとってつむは〝あり〟なんだよ」
「な、んだ、それ……何を思って私なんかをその枠に入れてるんだ。会長の近くには、それこそ副会長の三条先輩とか、魅力的な方が大勢いるのに」
「アイツの思考回路なんか、読もうとする分疲弊するだけだろ。つむはただ、自分が思った以上に宝来璃皇から気に入られてる危機感を持って、怪しまれない程度に遠ざかっとけ」
「そう、だな」
亘矢からのありがたいアドバイスを胸に留め、つむぎはしっかり頷いた。今はまだ、〝お気に入り〟程度の気に入られ方だとしても、そんな風に思われていること自体、つむぎにとっては脅威だ。
(万一……あり得ないとは思うが、宝来璃皇が私を婚約者にしたいと、明確な意思を抱いて動き出したら。今はまだ、それを跳ね除けられる力は、飯母田にない)
宝来家に限らず、宝来学園に通う生徒の実家のほとんどが、飯母田家より格上だ。うっかり気に入られ過ぎて婚約など申し込まれてしまったら、その時点でつむぎの夢は潰える。――日本の上流階級ではまだ、嫁いだ娘が実家の事業に携わり続けることを、厭う向きが強いのだ。
「私……別の家へ嫁入りなんて、絶対に嫌だ。『飯母田製菓』の味を、お父さんの和菓子を世界に広めて、世界中のどこでも『いいもだ』を楽しめるようにするんだから。別の家の嫁になって、嫁ぎ先の繁栄に尽くしてる暇なんてない」
「分かってる。つむがやりたいことを全力でできるように、俺も精一杯、サポートするから」
「あぁ。頼りにしてる、コウ」
まだまだ冷たい風が吹く春の夜。
一人は絶対に実現すると決めた未来を、もう一人は未来を臨むひとの幸福を想い、決意も新たに頷き合うのであった。




