入寮式・夜〈ルート共通イベント?〉③
まだまだ懐かしむほどでもない〝過去〟を思い返し、つむぎは苦笑する。
「幸い、母が簿記の資格を持っていて、帳簿はしっかりつけられていたからな。お金の動きは明確に見えていて、そのおかげか、不渡一歩手前でギリギリ踏み留まれていたんだ」
「けど、話に聞く感じ、そう遠くないうちに破産しそうではあったんだろ?」
「お母さんが言うには、そうだったらしい。『つむのアイデアがなければ危なかった』ってよく言ってる」
「保育園児だったつむの話もきちんと聞いて、有用だと思ったら取り入れる柔軟性があるのは、親父さんお袋さんの良いところだよな~」
「両親の影響か、私も物心つく前から和菓子と数字が大好きで、誰に教えられることもなく経営のイロハを何となく飲み込めていたらしいからな。父が創作和菓子を思う存分作っても破産しない店にしようと思ったら、下町の和菓子屋経営じゃ無理があったんだよ」
父が作りたい和菓子を、正規の価格で買ってくれる顧客は、これまでの『和菓子いいもだ』の客層には居ない。――居ないなら、新たな販路を開拓するしかないが、何をするにもまずは原資が必要となってくる。
つまり、『和菓子いいもだ』にとってまずやるべきは店の立て直しであると、幼い身でつむぎは両親へ力説した。まずは父が関わらずとも安定した利益を上げられる店となり、その余剰分で父の得意分野である創作和菓子を思う存分作り、並行して高級和菓子を求める層へ販路を拡大、需要と供給が一致している取引を成立させ、正当な報酬を得る。今は我慢の時期となるかもしれないけれど、長い目で見ればその方が、父のやりたいことを長く続けられるはずだと。
それから、ずっと。登記上の名前はともかく、『和菓子いいもだ』及び『飯母田製菓』の実質的な営業部長は、つむぎが担い続けている。営業方針の大枠を決めるのも、具体的な販売戦略を練るのも、基本は全てつむぎの仕事だ。
「保育園児の年齢で、よくそこまで言い切れたよな」
「あのままじゃ、そう遠くないうちに資金繰りが苦しくなり、借金も嵩んで、父が首を括る未来へ一直線だったからな。目に見える地雷回避に動くのは、商人として当たり前だし……」
「うん、だし?」
「……単純に、嫌だろう? あんなにも美しくて素晴らしい父のお菓子が、正当な評価も得ないまま日の目を見ず、消えてなくなるなんて」
「つむ……」
タブレットの光に照らされる亘矢の顔が、柔らかく緩む。端正な顔立ちの亘矢が、昔からつむぎにだけ見せる柔らかな笑顔が、彼女はずっと苦手だ。決して嫌ではないのだけれど、こうして笑うときの亘矢は、どうしてか亘矢ではない〝別の人〟のようにも見えて、落ち着かない。
そわそわした気分を振り払うべく、つむぎは敢えて、微笑む亘矢の目を見返す。
「頑張っている人は、その努力に報いられるべきだろう? 世の中、どれだけ努力を重ねても認められない理不尽が渦巻いているのは知っているけど、私が動くことでその理不尽を一つでも減らせるなら、そうしたいじゃないか」
「そうだな。俺も、本当にそう思うよ」
「あと、単純に、私は商売が好きだからな。販売戦略を立てて、営業へ出向いて、成約できたときの達成感は何物にも代え難い。最初はお父さんの創作和菓子を売っても潰れない店作りをしようと思って、店の経営に関わり始めたけど。今となっては、『和菓子いいもだ』のお菓子を全世界に広めるというのは、私自身の夢でもあるんだ」
「うん。それは――それも、知ってる」
亘矢の優しい、愛しむような微笑みは変わらない。ついにつむぎは根負けし、ふいと視線を逸らして唇を尖らせた。
「この話をすると、コウはいつもその顔をする」
「その顔がどの顔かは知らねぇけど。しゃあないだろ、親父さん大好きで、親父さんの和菓子大好きで、家族や店のことも大好きで、その素直な気持ちをそのまま大切にして、やりたいことに全力投球してるつむを見てるときが、俺は何より幸せなんだから」
「コウの幸せ基準は難解すぎて、なかなか理解が困難だ……」
「簡単だよ。――これからもつむはつむのまま、自分の気持ちを大切に、生きていってくれたら良い」
「またそんな、親でもなかなか言わないような甘やかしを言う。マジレスするが、私が好き勝手生きたところで、コウが得るものはないだろう?」
「そんなことねぇよ。やりたいことを思いっきりやって楽しんでるつむの手助けができるのは最高の喜びだし、人生謳歌してるつむの隣で、その人生を見守れるなんて、夢みたいな幸せだって知ってるからな。得るものはないどころか、もらいすぎてるくらいだ」
「……よく分からん」
「あぁ、分からなくて構わない。だから――ずっと言ってる通り、俺に何もくれなくて良いから、ただつむの隣で俺が生きることを、つむの手助けをすることを、拒絶しないでくれ。俺は、本当に、それだけで構わないから」
「それは……今更言われるまでもないけど」
昔から――それこそ出逢った当初から、亘矢はつむぎに同じことを言う。
自分に何も与えようとしてくれなくて良いから、ただ傍に、隣に、居させてほしいと。
何が亘矢にそうまで言わせるのか、つむぎは敢えて、尋ねたこともないけれど――。
「……姫川さん、って」
「――あ? いきなりどうした」
「今朝、校門のところで会った、新入生の姫川さん。覚えてるだろ?」
「いやそりゃ、忘れたくてもあんだけインパクトあるお嬢ちゃん、忘れられねぇよ」
「そうじゃ、なくて。……うっかりしていた私も悪いが、姫川さんのお家は、コウの狩野家が代々仕えてきた、いわば〝主家〟じゃなかったか? 色々と不幸が起こって、主従の絆は途切れてしまったみたいだが」
「あー……」
亘矢が、苦い顔になって片手で頭を掻く。つむぎに思い出されたことが気まずいのか、それとも過去に未練があるのか、タブレットのぼんやりした光が照らす表情だけでは窺いきれない。
「もしも……コウが、途切れてしまった〝主従〟の絆を惜しんで、空いた穴を埋めたくて、私の傍に居たいと願っているなら。私みたいな代替品より、せっかく〝本物〟のお姫様と巡り会えたんだから――」
「待て待て待て」
最後まで言い切るより先に、マジトーンの亘矢の声に言葉を遮られ、膝の上に置いていた手をぎゅっと上から掴まれた。驚いて亘矢を見ると、彼は怒っているようにも、焦っているようにも見える表情で、つむぎを見つめている。
「相変わらず、つむの気遣いはナナメにズレてる。俺が姫川に未練? 未練を抱えてるのはジジイだけで、今となっちゃ母さんも俺も、姫川のことなんて思い出しすらしてねぇって」
「……そう、なのか?」
「こんだけ飯母田で良くしてもらって、毎日忙しくもしてりゃ、姫川なんか思い出す隙間もねぇよ。俺が傍に居たいのは、最初からずっと、つむだけだ」
「そうなのか……」
「そうだって。――つーか、そもそもの話、俺が姫川と狩野の〝主従〟の絆とかいう時代錯誤なモンをぶった斬った張本人だぜ? その俺がなんで、姫川との関係を惜しむ?」
「そ、っか。……そうとも、言えるのか」
頷いて、つむぎはほんの少し、ほろ苦く、笑った。




